さていろいろエンブレムの件でスタート段階から躓いているが、今回その非はデザイナー自身にも責任があると考える。実際、(本人ではなく自分のスタッフなのであろうが)別件で種々デザインを流用、盗用している人が「五輪のエンブレムだけはパクっていないです」といっても、それは信用できないのは当然である。本人が盗作していないといっても、どうみてもあのロゴは、他の引き合いに出されたデザインと酷似していると思うのだが、そう思うのは私だけであろうか? このようなアートの世界は直観であり主観の世界である。自分が似ていると思えば似ているのである。専門家仲間が彼を擁護する意見で「完成に至るまでのコンセプトが異なるので別物である」という意見がでたがそれは違う。世界中の多くの人にとってコンセプトの違いなど分かるわけではない。完成に至るまでの経緯よりそのロゴを見て「あ 東京五輪だ。いいデザインだな」と思わせるものでなくてはならない。「あれ どこかで見たようなデザインだな?」ではだめなのである。自分もデザイン専門家の言う「ど素人」であり、デザイン界の慣習にのっとった専門的感性がないので、彼らの言うこのロゴの独自性を理解しえないのかもしれないのだが。