12年で3人目、「名医」の化けの皮が剥がされた
北村 豊 【プロフィール】
中国で名医の名前を挙げてみろと言われると、誰もが最初に思い浮かべるのは“華佗(かだ)”である。“華佗”が活躍したのは2~3世紀の後漢末であり、陳寿が編纂した歴史書「三国志」の「魏書」には華佗の事績を記した「華佗伝」が含まれ、華佗の施した医術の奇跡が列記されている。華佗はその卓越した医術により民衆から「神医」と呼ばれ、その噂を聞いた魏の曹操によって召抱えられて御典医となったが、後に曹操に逆らったとし獄死させられた。ところが、曹操は子供の“曹沖”が華佗の治療を受けられずに病死したため、華佗を殺したことを深く悔んだと言われている。 日本経済新聞(Web版)2010-11-22
北村 豊 【プロフィール】
中国で名医の名前を挙げてみろと言われると、誰もが最初に思い浮かべるのは“華佗(かだ)”である。“華佗”が活躍したのは2~3世紀の後漢末であり、陳寿が編纂した歴史書「三国志」の「魏書」には華佗の事績を記した「華佗伝」が含まれ、華佗の施した医術の奇跡が列記されている。華佗はその卓越した医術により民衆から「神医」と呼ばれ、その噂を聞いた魏の曹操によって召抱えられて御典医となったが、後に曹操に逆らったとし獄死させられた。ところが、曹操は子供の“曹沖”が華佗の治療を受けられずに病死したため、華佗を殺したことを深く悔んだと言われている。 日本経済新聞(Web版)2010-11-22