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2151号若紫濃紫

2016-06-03 20:44:01 | Weblog
日本舞踊の赤い笠の藤娘は優美。幸田文作「きもの」で母を失った若い娘に祖母が用意した喪服が紫紋服でした。
濃さ薄さ様々、落語「品川心中」ではヒロインの年頃を『コウ、鴇色よりも紫の手柄(髷の結び目などに飾りに巻く柄布)がぴたあっと決まってくるようになると‥〈三遊亭小遊三師匠〉』と表現します。つまりはもう若い可愛いだけの小娘とは違う、やや落ち着いた年増。
柔らかい紫は、生地柄色目で幅広く女性の役に立ってました。昭和の高度成長期のあたりから、日本の若い女の子が濃い紫を着ること稀になったのでは?その頃子どもだった自分の式服は赤紫色の肩ひも付き襞スカートと上着。少し野暮ったい牡丹色。
今はアウトドアウェアなどでまた原色や紫橙のハードルが低くなりました。でもなかなか通勤車内なんかでは見ませんね、濃紫。紫に咲く野草は数多あれども。
今も名門五摂家本は藤原氏。中臣氏から藤原氏になる頃、奈良は藤夥しく生い茂っていたのだろうか。地名と氏の名はどちらが先か後かないまぜに時移り変わります。茨城・荻生・竹田・松島。
紫も古来植物染料、関東の紫染色は江戸期たいへん盛んで『悔しけりゃ紫染めてみな』と上方の友禅などに負けないという意地がありました。時代劇というより、志村けんのバカ殿のまわりには紫の矢羽根模様を着た腰元が出てきます。
薄紫の縮緬などが似合う上品色白の老女になってみたい。んーでも顔や体はいかにも濃いめでアンバランスの貧民だしねえ。ふと気づくと、うっかりまた牡丹色桃色などに手をのばしてしまう、危ない。
結婚した時に夫の父方の伯母様は紫紋服で祝って下さいました。その時俺の親が俺の喪服と色留袖をつくった。持たされたがどちらも出番が無くじき結婚三十年。太ったから喪服も着られるか怪しい。
色留袖も四十目前に初めて開けてみたらなんか若すぎる色でした。強いていえば淡い紅っていうか‥。ちょっと驚いて思わず老母にどーしたのあの色、と尋ねると彼女泣き崩れそうになってた。俺が23歳の時に結婚し弟もいずれすぐ結婚するかと思って(遠からず弟の結婚式に俺が出るとイメージして)好きな色でつくったそうです。うーんあれは一体誰が着られるのか‥。紫系だったらまだなあ‥としみじみする藤の花の頃。残念ながらお天気はリラ冷えから藤冷え。六月にストーブのタイマーを使い朝の寒さに耐えています。
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