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イエズス会叙階式

2009-09-18 14:50:21 | Weblog
この記事、実はbloggerからのコピペです。

これをここに載せるつもりではなかったのですが、先ほど、こんな記事を読み考え直しました。※URLを丸ごと載せているときはコピーしてアドレスに貼り付け、移動すれば、そのサイトにいきます。この面倒な作業だけはgooブログの惜しいところなのですが、そのかわり、大変に安全です。

http://www.asahi.com/national/update/0918/OSK200909180037.html

こんな時代でもまだちゃんと、超越的な世界と向き合い、世のため人のために一身をささげようという宗教者はおいでだったか。仏教とキリスト教と、考え方は違っても、求めているところは同じところに行き着くように思えます。

であれば、こんな記事も表に出しても悪くはないかもしれません。というわけで、この下は今朝、googleのbloggerの方に書いたものです。
 
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来週の月曜日、連休のさなかだが、午後から四谷の聖イグナチオ教会で、イエズス会の神学生の司祭叙階式がある。

先日東京教区の召命祈願ミサに行った時、来年は3人の神学生が叙階を受けるものの、新入生がゼロで、残るは3人しかいないと聞いた。本当に司祭になろうという若者が減っているのだ。

しかし、世界的に見ると司祭、修道者の召し出しは決して減っているわけではないのだそうだ。減っているのは豊かな国、機械文明の発達した一見、人間の力で何でもできると思える世界、そんな国々で司祭召命が減っているのだそうだ。考えさせられる話ではないか。

それで思い出した。もうひとつ、最近ずっと気になっているのは、昔は教会の長女とまでいわれるほどのカトリックの国だった筈のフランスを始め、欧米で、真剣に神を求める人がカトリック教会にではなくて、イスラームや仏教(チベット仏教や、禅など)に改宗する例が出てきているというはなしだ。

もちろん、結婚などでの改宗は別としてだ。欧米の真剣に神を求めている人たちが、キリスト教会にではなく、イスラームや仏教に道を求めるというのは何を意味しているのか。おそらく、今のカトリック教会には新しい風が吹かないといけない時なのだろう。別の言葉で言うと、宗教的な無意識を活性化させる力のある新しい「自己」(ユング心理学でいう自己)の象徴が捜し求められているということかもしれない。

現実のカトリック教会(日本も欧米も)の姿を見ると、頭を抱えるばかりだが、ヒントになりそうなのは、先日の高円寺教会での聖ビアンネの記念ミサの後の公開対談で、佐久間神父様のおっしゃっていらっしゃった、司祭も信者もある程度の修行が必要だろうという言葉だ。修行、つまりおっしゃりたいのは、祈りを深める修行(のようなもの)がないと、社会の流れに流されるよ、というようなことではないのだろうか。

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なんということもなく

2009-09-11 19:15:57 | Weblog
9.11という、この世界史にも残りそうな日にも、何心なく、ぼけーっと過ごしていただけですでに夜。

何か面白いことはないかな、とあちこちを見て回っているうちに見つけたのはこれです。

  http://eiga.com/buzz/20090717/16/1/01

上のURLをコピーしてアドレスに貼り付けると、eiga.comもサイトに行きます。ジョニー・デップの、不思議の国のアリス、すごい演技、すごいメーク。来年のお楽しみです。








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パソコンに不法侵入された

2009-09-09 10:39:39 | Weblog
一昨日から今朝まで、何回もリカバリーを繰り返すはめになりました。

ここは一番問題がないのですが、soーnetには異変が起こり、ケータイで確認した時はちゃんと更新出来ていたぶろぐが正常に機能しなくなり、一旦リカバリーして、Googleの助けを借りるために、Bloggerを起動させてから再び、三度と調子が回復するまでリカバリーを繰り返し、今はやっと一段落ついたところです。

書き手は一人しかいないのでそうそう、あっちにもこっちにもは書けませんからこの先は順番にまわって書こうかと思ったりしているところです。

Googleは携帯でホームページを作っていたころからお世話にはなってきていますが、時々、敵か味方かわからないようなことをしてくれて、なんとも困ったものです。

結局、今回も予定もしていなかったBloggerを始めなくてはならないことになってしまったのでした。
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