好事家の世迷言。

調べたがり屋の生存報告。シティーハンターとADV全般の話題が主。※只今、家族の介護問題が発生中です。あしからず。

事件105『悪意と聖者の行進』(第36巻)考察。

2011-10-16 | 『名探偵コナン』原作考察
佐藤崩壊の序曲である。

今までの高木の努力が実り、
トロピカルマリンランドでのデート計画にまで至った、高木&佐藤。
が、そんな幸せの絶頂は、アッサリと覆される。

3年前に、「松田」なる人物を亡くしたという後付け設定が、佐藤に与えられたためだ。
子供の頃に父親を亡くしたという設定だけでも重いだろうに。

その結果。
佐藤は高木への好意を封じてしまう。
高木も佐藤への熱意を挫けてしまう。
このコンビもまた、新一&蘭と同様に、関係をリセットされてしまったのだ。


そんな彼らの言動も残念だが。
より一層疑問に感じるのは、警視庁の他の男性刑事たちの言動。

彼らは本来、市民の、他人の幸せを誰よりも望むべき職種の人たちのはずだ。
なのに誰一人として、高木と佐藤の恋仲を応援しないというのは、あまりにも不自然だ。

自分たちは佐藤のトラウマを長く放置していながら、
彼女を癒せるはずの高木を蹴落とそうとする姿勢には、
誠に申し訳ないが、薄気味悪く感じてならない。

なお、今回の爆弾事件そのものには、語るべき部分は少ない。
つまるところ次回の事件を描くための布石でしかない。
故に、物語は早速、次の事件へと続いていく。

それでは。また次回。
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