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⑤香川の旅【善通寺の近代建築】

2010-01-16 | 香川への旅2010

善通寺では旦那、子どもたちの為に四軒目のうどん屋「清水うどん」、そして善通寺郷土館を用意していたのだが・・
この前の店でもうすでに子どもたちはギブアップしており、子どもの分まで平らげた旦那のおなかもいっぱい。
この日は一軒目のうどんやの開店時刻に合わせて5時半起きでやって来たのでそろそろ疲れも出てきて仮眠を取りたい、という旦那と子どもたち。
ということで家族を車に残し、一人散策へ繰り出した。





まずは善通寺に来るとよく寄っていたカタパンのお店、熊岡菓子店へ。
お店の創業は古く明治29年、現在の建物も大正2年に建てられたもの。





カタパンを買おうとしたらもう昼を軽く回っていたのでやはり売り切れ;
お店に並ぶなつかしい味わいの陳列ケースも昔から大事に使われていたものだそう。





大正時代い建てられたという銭湯、大正湯。
映画のロケ地にもなったそう。
玄関上部の棟飾り付きぺディメントが特徴。





こちらも大正期の建築、水尾写真館。
補修されて間もないのか?真っ白な板張りに青いラインがくっきりと、ちょっと味気ない感じ?!
スワンのマークがこの建物の雰囲気に合ってるなあ・・





同じ道路沿いにも水尾写真館のように補修されたて?のような水色の木製窓枠を持つ建物もあった。





こちらもノーチェックだったが、遠目で見て小学校の校舎か何か?と駆け寄ってみたら、自衛隊の教習所、とのこと。
門が全開になってたので思わず敷地に踏み込んでしまったが・・迷彩服を着た自衛隊員がやってきて注意されてしまった;
調べてみると昭和16年建築の旧陸軍の後方支援隊の建物だったそう。





こちらは一階は駐車場兼店舗となっていた建物。
二階の外壁に入れられてた店名のロゴや軒に細かく入れられたギザギザの飾りに味わいが。





本郷通りへやってきた。明治34年頃に建てられたという大川酒店。
鏝絵が描かれた漆喰壁が迫力ある。





大川酒店に隣接して大川酒店の応接間として昭和12年に建築された洋館。





大川酒店洋館のここの塀が、今までちょっと見たことのないえぐれたような面白い塀だった。





大川酒店の並びには明治33年に建てられた旧善通寺郵便局だった建物。
明治時代末から大正時代にかけては、旧善通寺町役場として使用されていた。
現在は喫茶店カリキュダムとして利用されている。





この旧郵便局の裏手の方を歩いてみるとあった建物てっぺんのレリーフが優雅な建物。
窓ガラスには「本家京染 大西洸長」とのロゴが入ってたが、中は荒廃した様子。





大正12年建築の旧赤門前停車場待合所。
昭和38年まで多度津から琴平まで走っていた琴平参宮電鉄の停車場だったそうで、最近まで居酒屋として使用されていた。





車を止めてる善通寺町へ戻ってきた。
こちらも偶然見つけた個人宅の洋館。
窓枠は新しいサッシに変えられていたが控え目で細やかなレリーフがきれい。
真ん中の植木の蔦に覆われているところが、元玄関?





この洋館は一軒の建物かと思いきやこんな風に複雑に三つ、四つの建物とくっついて
いた。





和館とのつなぎ目の建物が和洋折衷で不思議な感じ。
ここが玄関になってるみたい。

善通寺町、もっともっと散策してみたかったがそろそろ戻らねば~





車に戻り、歩きでカバーできなかった建物へ二軒ほど寄ってもらう。
明治後半から大正にかけて建てられたという旧陸軍第11師団兵器庫。
現在は陸上自衛隊善通寺駐屯地倉庫となってる建物。
赤レンガの建物は三棟あって南、北、東に放射状に配置されていて壮観!
三棟ともデザインが微妙に違うらしい。





もう一軒、磯野家住宅へ。
昭和5年に旧陸軍第11師団の陸軍主計中尉の仁井榮四郎氏が建てた住宅で、伝統的な和風建築に隣接して建てられた接客用の洋館。

この後、高松方面、そして宿のあるさぬき三木へ向かったのだが、睡眠を取ったらまたうどんが食べれるようになった?!という旦那と、そういえば昼ご飯を食べずに散策してた私の遅めの昼食にと、善通寺のうどん屋「山下」へ立ち寄ったのだった。

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