戦場スケッチ - 戦後 70 年の追悼 -

掲載のスケッチは田端敏雄さんの作品です。
リンク切れがありますが、ご容赦ください。

遺骨収集

2014年10月08日 | 戦争体験談
asahi.com の 8 月 28 日付で、下記のような記事が掲載されていました。 ビルマの北西部、インドとの国境に近い地区にようやく立ち入りが許可されるようで、インパール作戦で亡くなった方々の遺骨収集が本格的に始まるようです。
インパール作戦の戦死者遺骨、本格収集へ 40 年ぶり

旧日本軍に 3 万人の戦死者を出したインパール作戦から今年で 70 年。 敗走する日本兵が通ったミャンマー西部チン州で、約 40 年ぶりとなる本格的な遺骨収集が始まりそうだ。 民主化が進むなかで昨年 1 月、外国人の立ち入り規制が緩和。 民間団体が収集に向けた調査に乗り出した。 車がやっとすれ違える細い道が、険しい崖の上を曲がりくねって続く。 ミャンマー西部カレーミョからチン州北部、インド東部のインパールへと続く道は、日本兵が進み、撤退したルートの一つだ。

たくさんの兵士が命を落とした退路は「白骨街道」と呼ばれた。 今も舗装されていない道路は、雨期の雨でぬかるんでいた。 沿道は当時のように密林に覆われ、少数民族の村々がまばらにある。 少数民族のゾミ族が住むトゥイキアン村で日本兵のものとみられる遺骨が見つかったのは、今年 4 月。 日本兵の墓と伝わる沢沿いの木の下にあるくぼみを掘ったら骨が出てきたという。 (トゥイキアン村〈ミャンマー西部チン州〉 = 福田直之)
そこに掲載された写真には、旧日本軍の残骸は見られるものの、緑色に染まる山林はあまりにも美しく平和で、なかなか 田畑敏雄さんのスケッチと重ね合わせる ことはできないのです。 今は一日も早く、ひと柱でも多く日本に戻ってきて欲しいものです。


又、インパール作戦 70 年の、現地での追悼・記念行事についても、asahi.com が紹介しています。
インパール作戦 70 年 追悼や資料館 … 地元で継承広がる」 (7-22-14)