6.どっちか一つだったら、簡単なこと
(大木)
私たちの組織の問題でもありますが、「今JCがおもしろくない」と思っているメンバーが非常に多いと思っています。
それは、元々JCは日本の復興のために若者が立ち上がった団体で、我々が経済人として活躍しながら、その余力を、地域やまち、国に使っていくことによって、日本という国を良くしていくために創り上げてきた団体ですが、今現在では、ある程度 物の豊かさを享受してしまったがために、創始の存在目的を見失ってしまいつつあります。
また経済発展を遂げてしまったので、気持ちの中にも、公的、パブリックな部分に力を使っていこうという視点をまったく持てないままになってしまい、JC活動に対して、やりがいや生きがいを持てなくなってしまっています。
私は、この1年間を通じて、我々は地域と日本をよくすることによって、経済が成り立っていくわけだから、パブリック・マインドや公共心をメンバーひとり一人が少しずつでも持てば、もっとJC活動は活性化するし、教育問題にも興味が湧くと思います。また興味がないメンバーも他の公の領域に目が行くのでは、ということを伝えていきたいと思っています。
先生のように、「公」と「私」を きちんと棲み分けができている青年は、ここ数年で急激に少なくなっている印象を受けています。
(小林)
明治維新の頃を考えてみると、日本の各地にいる若者たちが、大きな志を持って国のことを考えていて、飛行機や鉄道、通信手段などに進歩が見られない時代に、薩摩や長州の方からいろんな人間と接触をしていたワケで。
いろんな大志を抱いていた人間が日本のあちこちに散らばっていて、彼らがどうにかして連絡を取り合って、交渉の場を持ちつつ国のことを考える、そんな青年たちがいた。
今の時代でも、ただ単に個人のこと、「私」だけを考えるだけでいいのであれば、JCという組織だって必要ないわけだから。
JCという組織になってしまった途端に、「私」の中にだけ止まっていない、「公民」として何らかの活動を行うことを意味づけられているハズだ。「公」を背負っているからこそ、組織が存在しているし、「私」だけだったら、何の組織に入る必要もないのだから。
その時点で、人間の中には必ず「公」の部分、「私民」とは違う「公民」の部分が存在している。
その「公民」になれる部分をどうやって引き出すのか。
やはりそれは自分が「公」の部分に関わることによって、何かを変えられる、もっと大きく変えられる、といったような可能性を示して、説得して行くしかないと思う。
小さく、自分のことだけに閉じこもっていないような大きな人間を育てられる、そんな役割をJCがやらなければ、JCの存在意義はなくなってしまうと思う。
でも、だからと言って、大木君のようにJC活動に集中・専念しすぎてはダメだよ(一同爆笑)。
絶対 自分のことや、もちろん自分の会社のことも しっかり守っていかないとダメ。
格闘しないと。
どっちか一つで済むことであれば、簡単なことなんだ。
ワシだって、そこのところは格闘しているんだから。どうやって みんなを食わせつつ、いろんなことを進めていくのか、それが一番の悩みなんだから。
いろんなことを頼まれたり、偉い人から頼まれたりしているけれど、断ることだって、とっても辛いことなんだ。でも全部引き受けていたら、破産しちゃって「小林よしのり」は存在していないよ。
それはできないし、一番難しいところだと思う。
でも、そこから先はある程度、調節しないと。潰れてしまったら、どうしようもないし、そこをうまく調節することによって、何ができるか、が一番大事なことなんだから。
どっちか一つだったら、簡単だよ。
どっかの団体なんて、公務員で活動しているんでしょ?。公務員で給料もらってて、しかも税金でカルト宗教的な活動してるようなもんなんだから。
そりゃ楽だと思うよ。
でもそんな環境で活動しているような人には、"葛藤" がないわけだから。変わらない空間の中で、どんどん馬鹿になっていくし、たいした人間に成長することもできないと思う。
"葛藤" と "スペース" がないと、人間は 絶対 大きくならないんだから。
そんな厳しい環境の中をどうやって切り抜けていくか。そこで挫折したり自殺した人がいたかもしれない。
それぞれの苦しみは相当なものだったかもしれないし、十分同情するけれども、でも、やっぱりなんとか、その "葛藤" を繰り返しながら、押したり引いたり、時には だましたり、いろんなやり方でいいから、なんとか くぐり抜けて、最後の最後には「自分の野望を達成するぞ」ぐらいの気持ちとポジションを持って欲しいと思う。
特に、若い人たちが集まっているJCのメンバーには、そのぐらい「強靱な精神力」を持って欲しい。