梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

続・いじめ

2015-09-02 15:22:26 | 日記
   Kさん、コメントありがとうございます。いじめにあう側の人間は、いじめる側を飲み込んでしまうくらいの強烈なプライドを維持しない限り、潰されてしまいがちです。私は小学生時代、早生まれの上喧嘩が弱くて、絶好のいじめの対象でした。

   いじめられる側の人間にとって最も不幸なのは、いじめられっ子としての体質が身についてしまって、下手をすると一生それが抜けないことです。その場合、当然のように職場でも迫害の対象となりがちです。周囲にとっては、何となくうっとうしいやつという印象があるのではないかと思います。

   しかし、いじめは絶対になくなりません。教師としての体験からも、いじめられっ子としての体験からも、なくなるとは到底思えません。そもそも偉そうなことを言っている教師間にさえいじめは存在するのです。大体、いじめている本人には、いじめているなどどいうつもりは全くないのですから、いじめがなくなるはずなどないのです。

   昨日書いた中川議員ですが、実は自分がやったいじめを、他にも楽しげに紹介した後、こう書いているのです。
    「周りはこれをいじめだと思っていませんでしたね。今なら完全ないじめになり、ノイローゼになったりするケースもあるのかなと思っています。いじめられている方も弱くなっているという側面はありませんか。」

   
   一方の熊田議員はと言えば、密室に若い女性を閉じ込めて爆竹を次々に放り込んで、快感を味わったと書いているのですから、これはもうまともな人間のする域を超えています。中川議員の方は男子校での豪快ないたずらだったと言えば、人によっては若いころの武勇伝として納得するでしょうが、熊田議員のやったことは完璧な傷害罪に当たります。

   この先生は若い産休補助教員ということですので、とりあえず産休に入った先生の代わりを臨時に勤めながら、採用試験を受けて正式の教員になろうという志を抱いていたものと想像できます。しかし、もしかしたらこの事件をきっかけに、教員になることをあきらめてしまったかもしれません。いじめは、いじめられる人間の将来を奪うことさえあり得るのではないでしょうか。

   ところで、いじめられっ子は遺伝するのですが、ご存知でしたか?私の息子たちは、小学校・中学校と、やはり私同様、いじめられ続けていました。上の子は先生の信頼はあって、剣道部の部長を任せられていましたが、ある時同じ学年の部員たちによってたかって竹刀で殴られていたそうです。本人は口が裂けても父親に訴えたりはしませんが、母親がある時、現場を目撃していた保護者から聞いてきました。

   末の息子は、小学校三年生位だったでしょうか、何度か家の金を持ち出して、発覚したことがあります。その都度一万円札が消えるのですから、見つからない訳がありません。クラスメートの家でファミコンに参加させてもらう代わりに、金を持って来いと強制されていたのです。いや、これは私の想像ですが、間違ってはいないはずです。やむなくお年玉でファミコンを買う許可を与えたところ、金の持ち出しはぴたりと止まりました。また、道端で兄の剣道仲間にいじめられていたこともありました。

   そんなわけですから、いじめを減らす方法は多分一つしかありません。継続していじめを受けて来た経験のある人間は、結婚せず、子供も設けないこと。いじめっ子は他のターゲットを探すでしょうが、ターゲットの数そのものは確実に減らすことが可能なはずです。

   しかし、そんなわけにはいかない以上、そしていじめがなくなることがありえない以上、いじめられっ子たちが強く耐え抜くしか方法はないのです。身体に危害を加えられない程度であれば・・・・・。

   更に大切なことは、保護者の姿勢だと思います。私は子供たちがいじめにあっていることは百も承知でしたが、あえて問いただしたりはしませんでした。その代わり、私の運転する車で、幾度となく長期に旅行に連れて行ってやったり、中国や韓国にも連れて行きました。そして、自分たちは父親から浴びるほど愛されているのだということを感じさせるように努めたのです。

   私の経験では、多分この部分は父親の受け持つべき領域だと思います。突き放しながらも愛情を感じさせる、これは母親の役割ではないし、女性が最も苦手とする分野だと思うからです。そう言ったら、女性の皆さんはお怒りになるでしょうか。

いじめ

2015-09-02 03:42:57 | 日記
   昨日Facebook上に私が登校した文章です。いつもより反響がありました。

 「9月1日は、日本全国で毎年何人かの子供たちが自殺する日だ。理由?決まってるじゃないか。今日から大嫌いな学校が始まるからだ。
 私は教員として定年まで勤めを全うした人間だ。しかし、学校へは行きたい人間だけが行けば良い世の中ができたら、その方が良いと思っている。
 ジーちゃんに技を習いながら職人の道まっしぐらだっていいじゃないか。学校に行く代わりに父ちゃんと漁船に乗ったっていいじゃないか。
 いじめ殺されるよりその方がはるかに幸せな人生じゃないか。」

   いじめ問題については、さまざまな人が様々な意見を述べていますが、それぞれに正しく、しかしそれぞれに勝手なことを言ってるなあ・・・と感じています。「・・・・すべきだ。」というのは簡単なのですが、絶対にそうはならないという大前提があるのに、そんなことにはお構いなく、「・・・すべきだ。」というお題目を繰り返すばかりなのが、それで飯を食っている評論家たちの限界です。
   
   ところで、私立麻布中学・高校という学校があります。高校の部は現在でも私立男子校御三家のひとつであり、中学も、その偏差値は72、都内の中学校では第三位の優秀さを誇っています。その麻布中学をはるか昔に卒業した人が誇らしげに語ったという語録を見つけました。

   「私の中学時代は男子校でしたが、クラスの悪ガキを中心に皆いつもふざけていて、ちょっと小さくて可愛い同級生を全部脱がして、着ていた服を教室の窓から投げるようなことをよくやっていました。脱がされた子は素っ裸で走って服を取りに行くんです。」

   こう語ったのは、麻布中学・高校→東大→大蔵省→環境省→参議院議員二期目という経歴を持つ中川雅治氏。スーパー・エリートですね。

   もう一人は、偏差値はわかりませんが、公立の小中学校から神奈川大学法学部へ進み、愛知県議を経て衆議院議員二期目の熊田裕通氏。こう語っています。

   「産休補助でみえた若い女性教師が生意気だということになって(中略)・・・放課後先生がトイレ掃除の点検にやって来ました。好機到来です。中に入ったところで外からドアを抑えて閉じ込めたんです。そして天窓を開け、用意していた爆竹を次々に投げ込んだんです。はじめは開けなさいと命令していた先生も、そのうち開けてくださいとお願い調になり、最後は涙声で開けてー!と絶叫調に変わってきた。やったー!と快感でしたね。」

   このご両人、このエピソードを得意げに自分のホーム・ページに載せていたのだそうです。今年の8月、この内容が問題になり、あわててこの部分は削除してしまったそうなので、もう読むことはできませんが、いじめをする側の人間の意識というものがはっきりと読み取れるという意味で、貴重な書き込みでした。

   スーパー・エリート校だろうと、普通の公立だろうと、いじめをはたらく側の心理は共通していますね。自分より弱い人間をいじめて快感を味わう、これがいじめのすべてです。ただ楽しいからいじめるのです。とある高校の教頭先生は、子供のころ、両手両足をつかまれて、二階の窓から外に向かって放り投げられたと言っていました。雪国の冬のことなので、怪我はしなかったそうですが、地位のある大人になっても、その時の屈辱感は忘れていないということです。

   そして、いじめをはたらいた方は、義務教育の段階であれば、停学も退学もありませんから、厳しく口頭注意をされておしまい。やられた方は死ぬまで心の傷を抱えて生きていくことになるのに、なんとも不公平な話ではありませんか。
  
   いじめられるタイプは、なんとなく決まっていますね。多様な選択肢を持たない現代社会においては、いじめられことを前提に学校に通わなければならない子供たちがたくさんいます。人はさまざまです。私のようにいじられ続けても無事に生きて来た人間もいますが、いじめも度を越せば子供たちは死を選びます。しかし、いじめは過激にやればやるほど楽しいという側面があることもまた事実です。そして、いじめっ子がいつの日か心底改心することなどなさそうであることも・・・・・・。