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或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「象牙色の賢者」(著:佐藤 賢一)

2012-09-27 23:25:18 | 【書物】1点集中型
 革命の世を身ひとつで渡り歩いたデュマ将軍「黒い悪魔」、その息子である文豪アレクサンドル・デュマ・ペール「褐色の文豪」に続く、全編デュマ・フィスの語りによるデュマ3代記の最終章。
 前作読了後から長らく間を空けてしまったが、初代と2代目との関係とは違い、2代目と3代目は同時代にも生きているので、デュマ・フィスの人生を語ることは一面ではデュマ・ペールを語ることにもなり、前作を忘れてても(あるいは読んでなくても)全然差し支えない。いや、読んどいて損はないと思うけども。

 若いころのご乱行はともかく、父・祖父に比べるとやや引いた感じでおとなしめの3代目。その大半は、彼デュマ・フィス自身の目で見た父の話で占められている。相変わらず奔放で無邪気なデュマ・ペール、しかしそれも私生児である息子に言わせれば「自分以外に興味がない」という姿でもあったりする。
 ただ、父にしろ息子にしろ、現れ方は違えど先代(父親)に対して強烈なコンプレックスを持っている。デュマ・ペールの場合はそれが憧憬として現れ、デュマ・フィスの場合は対抗心となって現れるというように。さらに思いをいたせば、デュマ将軍も実際、父親に対して強烈な反感を抱いていたのではなかったか。

 だから最後は「血は争えない」というところに。デュマ・フィスに関しては「父とは違う自分でありたい」と思い続けていたにも関わらず、である。たとえばまっとうな家庭を作りたいという、ささやかなれども「回りの人間も幸せに」ということを望んだはずのデュマ・フィス。その願いさえなかなか思うに任せない、というところの人間くささになんとも言えない妙味を感じる。
 父や祖父ほどに波乱万丈ではない、全2代あるいは前2代と比べればスケールダウン感はあっても、それがそのままランクダウンを示すものではないと思う。人間とはかように、愚かなれども愛しきものなり、とでも言おうか(笑)。それぞれの立ち位置で、それぞれに苦悩はある。その苦悩がより読み手に共感を与えやすいものだったのが今作なのではないかと。
 今の日本にはない、親の名を子がそのまま名乗るという一種の文化・慣習において、名とともに受け継がれるものは確かに存在したのだろう。それが最後にデュマ・フィスの言った「アレクサンドル・デュマという生き方」となって、ここでは描かれているんじゃないだろうか。父を失い、1人で「アレクサンドル・デュマ」の名を背負うことになった、その意味にデュマ・フィスが気づいたときに明らかに変化は訪れているし。

 3代を読み通してみて、やっぱり佐藤氏の作品は読ませるなぁと思った。今作は主人公の人生のアップダウンという意味では比較的、個々の事件は大きくないんだけど全然退屈することもなく、今回も非常にスムーズに読めた。もう1回、3作揃えて今度は一気読みしたいなー。