会社と自宅の往復。たまにふらりと街中を覗いてみる。平日は、時間を気にしてしまうのと意外と人と時間が合わなかったりなので、ほとんど遊んでない。
土日は土日で、たまに帰りに仲間内で飲みに行ったりするぐらいで、基本的には似たようなもん。
そんな生活の何が楽しいんだ。
生活に何をもってメリハリをつけるかというとやっぱり日常から抜け出すことであって、それは旅行と称して現実に日常からいなくなってしまうことであったり、読書と称してその世界の中に入り込んでしまう時間のことだったりする。
でも、本当はもうちょっと、こう……意識としては外に向かいたいんだけども、なんとなく、ある程度のフィールド(行動範囲)が確保できた途端、内にこもってしまう。昔からそうではあるんだけど。
つい先日blogを始めたばかりの友人が観劇の年間履歴を挙げているのを見て、そういえば最近、全然舞台を見ていないなあと思った。そんなにものがわかるわけではないので、演出とか演技とかいうよりは戯曲そのものに注目してしまうんだけど。
でも、それも日常から離れてみるという意味では、個人的にはそれなりに楽しいこと。そういう意味では、クラシックの演奏会などもたまに行きたくなったりする。まあ、それにしたってやっぱりそんなにものがわかるわけではないんだけど。ただ、そういうものの中から、今までよりも深く知りたいと思えるものが生まれるかどうかなんだと思う。
「書を捨てよ 街へ出よう」
これって自分にとってはものすごく、心に響く言葉なんである。
自分の中にないものを拾うことができたら、それが理想。
土日は土日で、たまに帰りに仲間内で飲みに行ったりするぐらいで、基本的には似たようなもん。
そんな生活の何が楽しいんだ。
生活に何をもってメリハリをつけるかというとやっぱり日常から抜け出すことであって、それは旅行と称して現実に日常からいなくなってしまうことであったり、読書と称してその世界の中に入り込んでしまう時間のことだったりする。
でも、本当はもうちょっと、こう……意識としては外に向かいたいんだけども、なんとなく、ある程度のフィールド(行動範囲)が確保できた途端、内にこもってしまう。昔からそうではあるんだけど。
つい先日blogを始めたばかりの友人が観劇の年間履歴を挙げているのを見て、そういえば最近、全然舞台を見ていないなあと思った。そんなにものがわかるわけではないので、演出とか演技とかいうよりは戯曲そのものに注目してしまうんだけど。
でも、それも日常から離れてみるという意味では、個人的にはそれなりに楽しいこと。そういう意味では、クラシックの演奏会などもたまに行きたくなったりする。まあ、それにしたってやっぱりそんなにものがわかるわけではないんだけど。ただ、そういうものの中から、今までよりも深く知りたいと思えるものが生まれるかどうかなんだと思う。
「書を捨てよ 街へ出よう」
これって自分にとってはものすごく、心に響く言葉なんである。
自分の中にないものを拾うことができたら、それが理想。