雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

台風19号 がやってくる

2019-10-11 15:29:46 | 発想$感想
★台風19号は『猛烈な台風』であるらしい。

 気象庁がこんなニュースを流している。

 

 『1200人以上が犠牲になった狩野川台風』とはどんな台風だったのか?

 Google で調べてみたら、昭和33年(1958)のことらしい。
 全然記憶にないのだが、昭和33年と言えば、私の入社2年目のことである。
 次のように書かれている。
 

狩野川台風は、1958年(昭和33年)9月27日に神奈川県に上陸し、伊豆半島と関東地方に大きな被害を与えた台風である。

台風は、に急激に発達し始め、22日15時から24日3時までの36時間で中心気圧は104ミリバールも深まった。24日13時30分のアメリカ軍の飛行機観測では中心気圧877ミリバールが観測されている。これは当時、台風のみならず最低気圧の世界記であり、また中心付近の最大風速は100メートルに達した。この時撮影された写真は、台風の目の典型として多くの書籍に掲載されている。 
台風第22号によって伊豆半島の狩野川流域で大規模な水害が発生したことから、気象庁はこの年の11月に「狩野川台風」と命名した。
狩野川台風は、同時にさかのぼって命名された「洞爺丸台風」と共に、公式に名称が与えられた最初の台風である。 

 などと書かれている。



★この進路を見る限り、関東を直撃することは間違いない。

進路の右側が風もきついというから、千葉県房総半島は、このままだと大変である。
 対策をと言われても、なかなか具体的にはムツカシイと思う。


 


 鎌倉の由比ガ浜に、息子一家は住んでいる。
 海の目の前だから、風はキツイだろう。
 今の予想のままだと、台風の中心が通りそうである。

 果たしてどんな対策があるのだろう?
 台風15号の時は、特に問題はなく大丈夫だったようだが・・・・


★ 今回は関西は何とか大丈夫なような気もするが、こんな『自然災害』は『対策を』と言われても、具体的にはなかなかムツカシイのかなと思う。

 いずれにしても、明日、土曜日からの週末だが、少しでも被害が少ないことを祈るばかりである。


 
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10月10日  いろいろ

2019-10-11 06:54:00 | 私の生き方、考え方&意見
★ この頃のネットの世界は素晴らしい。
 私などの個人が発信したものが、みんなどこかに保存されている。
 私自身は、65年間も日記を書いてるし、自分の生きた記録はそれなりに持っていて、そんな過去の事柄を結構ちゃんと纏めてはいるのである。

パソコンをやり出したのが70歳ぐらいからで、ブログは2006年9月にスタートし、それ以降、ツイッター・Facebook・Instagram などいろいろやっているのだが、
Facebook では、毎日『去年の今日、一昨年の今日』などと、発信したものを纏めてくれるのである。

 昨日は『10月10日』であった。
 木曜日でジムは休みだし、防災公園に走りに行って戻ってきても、まだ9時半ぐらいで時間があったものだから、過去の『10月10日』を見てみたら、こんなのが出てきた。


● これは7年前、2011年の10月10日だが、確か板東さんに誘われて出かけたと思うのだが、『粟生線の未来を考える市民の会』 この会の設立には色濃く関係したのだが、いまも立派な活動をされていて、ご同慶の至りである。


  
 


● これは3年前、全く個人的な事柄だが、
65年続いている日記は最初の頃は1年毎、
いつの時期からかは『3年連続日記』になっているのだが、
定年後の現在は『5年連続日記』のこんな日記に書いている。

 この日記を注文した日が『3年前の10月10日』なのである。
 当然ながら、今年はその『3段目』を書いている。
新しくなったときは、『最後まで書けるかな?』と思ったりしたが、何とか書けそうな気がしてきた。

 次回は『10年日記に挑戦しようかな』と書いてるが、人生の最後は『10年日記』に多分するだろうと思っている。
 それを書き上げることが出来るような、健康な高齢者でありたいと思っている。






● 昨年も、2年前も アメリカに行っていた。

 これが『2年前』である。
 こんなサッカー練習してた孫も、今年の10月からは大学生である。



 
そして、去年の10月10日は、
Brerkeley で孫の次男のサッカー試合を観に行っていた。


  
 

 
4回生で日本人で初めてキャプテンを任されて、頑張っていた。
そんなバークレーの街や、試合後一緒に何かを食ったレストランで。

このあと、車を飛ばしてアーバインまで、約1000キロを飛ばして戻ってきた。
それに比べると今年は『静かな生活』である。

 
  

 


1年経ってこの孫・門野真也、今はプロサッカー選手になっている。
1年経って、ちょっと逞しくなったかな?
もうシーズンオフで、12月には三木にやってきて、日本で新春を迎えるそうである。

  

 


★これは Facebook からではなく、私のブログからだが、

 ずっと、ずっと以前、 55年前の1964年10月10日は 
 『東京オリンピックの開会式の当日』なのだが、
 私たちは、MCFAJ の全日本モトクロスで、伊豆の丸の山高原にいた。

 カワサキが4種目中3種目を制して、モトクロス界での地位を確固たるものした、そんな記念すべき日だったのである。

  真ん中に立ってるのは、若き日の山本隆くんである。
 多分 21歳の若者だった。  私も31歳と若かった。




 
 この日のこと、こんな風にブログにアップしている。

伊豆では丸の山のスカイラインの直ぐヨコでレースが開催された。
1964年の秋10月10日、東京オリンピックの開会式の当日、MCFAJの全日本があって伊豆にいた。
当時は広告宣伝課でヘリコプターを持っていて、レース場にはヘリ帯同の贅沢な時代であった。他メーカーのライダーたちにヘリへの搭乗をせがまれて、いろんな選手たちと懇意になれたりした。

このレース、4種目中3種目に優勝した。
カワサキコンバットの三橋、安良岡、梅津、岡部
神戸木の実、山本、歳森の時代でまだ星野はいなかった。
星野一義はこの1ヵ月後、11月8日和歌山がデビューである。


天城山の直ぐ下で、まだ有料道路が珍しい時代で、伊豆スカイラインが快適であったのが印象に残っている。』


 いろんな10月10日だったが、みんなよく覚えている。
 今年は至って静かだが、こんなブログにアップしておくと、
あとで 『10月10日 雑感日記』 と検索したら、間違いなくこのブログが現われるのである。

 何でもネットが記録して残してくれる『いい時代』なのである。


 


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