雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

堀川運平さんのこと

2008-08-29 04:35:14 | カワサキ単車の昔話
生前、本当にお世話になった堀川運平さんがお亡くなりになった。
心からご冥福をお祈りします。

堀川さんは、まだ単車の経営が不安定な時期に川重本社から『お目付け役』のような形で、2年間ほど企画室長として来られたのである。

そのころのことは、既に2度ブログでも書いたことがある。
一つは、堀川さん独特の経営判断の発想についてである。

これはちょっと真似の出来ない独特のものであったが、非常に的確で、堀川さんの判断で単車はいい方向を歩めたと、私は密かにそう思ってきた。

以前のブログにも書いている、国内事業については、今のKMJがなくなる方向で、本社スタッフなどが案を作って進められていたのだが、私が作った全然反対の方向の案を、『君がそう言うのなら、それで行きましょう』と言って頂いたのである。
こんなジャッジは、堀川さん独特のもので、案の細かい中身など殆ど聞かれないのである。

『経理畑で育った私が単車の営業のことなど解らない。私はいつも誰の意見にのるか決めている』と常々言われていた。
そのころの同僚だった田崎さんなども、堀川さんが信頼する一人だったのである。

本社に帰られて、それこそ単車存亡の危機であったときの、アメリカ側が田崎さん、日本側の企画を私が担当していたのだが、当時の財務担当常務であった堀川さんには本当にお世話になった。
ひょっとして、あのときの本社財務が、堀川ー松本ー横山さんというラインでなかったら、今のカワサキの単車はなかったかも知れない。


二つ目のブログでは、堀川さんの主宰されたゴルフコンペの話だが。
『企営会』というゴルフのコンペがあった。
堀川さんはそのころ企画のほかに営業も生産も見ておられたのである。

上の方に対してめっぽう強かった。
強かったというより、上の意見に反対することなど『へっちゃらだった』
この第1回のコンペが決まっていたときに、当時川重で『こわい』と恐れられていた吉田専務から、休みを利用して単車幹部での経営検討会をやろうと言われてきたのである。

それを、『ゴルフコンペがありますので』と平然と断られて、再度、吉田専務から
『ゴルフに参加しない若手でも』との連絡があって、私はゴルフを降りて、会議のほうに回ったのである。
この第1回の優勝者が田崎さんである。
14回続いてすべて優勝者が異なっている珍しいコンペである。
このカップ取りきり戦で優勝して、この貴重な純銀製のカップは今私の手元にある。『私の宝物』なのである。


企画室長のとき、これも吉田専務の指示で単車の長計を造った。
私や武本、森田君などで作ったのだが、その検討会の席上で、
堀川さんが『実は私の長計もあるのですが』とご自身が手書きで書かれた単車経営についての論文を出されて、びっくりした。
私たちの作ったのは、専務の意向も受けて長計だから、将来は大きく発展を夢見て書いていたのだが、堀川さんのは、独特の超コンサバテイブなものだった。
この二つの長計は今も私の手元にある。
少なくとも、堀川さんの書かれた長計は、残っているのはこれだけだろうと思う。


他にもいっぱい思い出がある。お陰さまで、単車は立派に育っています。
堀川さん、安らかにお眠りください。 合掌。
コメント
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