明治時代初め頃の地図を見ても、とくに、高幡不動尊のまわり、門前町は見られない。寺院の建物があるばかりである。江戸名所図会でも、他に建屋が載っていたりはしない。おそらく、まわりには田園があるばかりだったのだろう。とすると、こうして、いまのような、門前町ができて、賑わうようになったのは、それほど、昔からというわけではないと思える。ひょっとすると、京王線が開通した、昭和の初め頃ではないだろうか。高幡不動駅という駅名も当初は、町名から高幡駅だったのだが、しばらくして、高幡不動駅になっている。これは、高幡不動尊を観光地にする、ということかもしれない。
(2013年12月記)
(2013年12月記)