三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

終戦直後から現在までのひばりヶ丘駅周辺

2015-10-17 05:52:58 | 日記
アメリカ陸軍軍用地図
終戦直後、アメリカ陸軍が作成した地図がある。この地図により、ひばりヶ丘駅周辺の、もとの、街並みが、推察できる。
地図によると、駅南西側は、大部分、中島航空金属田無製作所の、広大な敷地だったようだ。一方、駅南東側は、陸軍自動車学校の敷地。どうやら、それらの敷地にはさまれた部分が、ひばりヶ丘商店街、谷戸商店街だったらしい。
ただ、もちろん、当時、店舗は、なかったはずだが。
あったとすれば、駅西側の踏切を渡った北側、今も、商店が密集している一帯に、店舗があったと思われる。
こうしてみると、ひばりヶ丘駅は、もともと、軍都の、駅だった、ということがわかる。
そして、戦後になると、軍関連の広大な、施設は、不用となり、空地となったのだろう。
その後、高度経済成長、現在に、至るまでに、ゆっくりと、再開発されてきたわけだ。
推測になるが、中島航空金属田無製作所は、駅側から、順次、宅地化されていったらしい。
一方、陸軍自動車学校の方、しばらくは、校舎が、集合住宅として利用されていたのだが、高度成長期の終り頃(1971年3月)、駅前広場が、整備された。
1978年には、西友が出店。駅前広場としての整備が進んだのだろう。
南側には、団地も整備され、バブル崩壊後は、さらに、巨大な集合住宅が造成される。
2009年には、高層住宅HIBARI TOWERが竣工。
今に至るわけだ。
(2013年5月記)
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