retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

中央線御茶ノ水駅(ワテラス タワーレジデンス)

2016-08-21 05:25:08 | Weblog
坂を、下りきると、そこには、巨大な、高層ビル。
ワテラス タワーレジデンス。
最近、完成した、高層住宅。
こんな、巨大な、建造物があると、坂の上であるとか、下であるとか、関係なくなるような気がする。
もとの地形を、超越し、つまり、建造物そのものが、地形になるのだ。
都心の中心では、ますます、再開発が、集中していく。
(2013年9月記)

中央線御茶ノ水駅(神田淡路町二丁目 新坂)

2016-08-20 05:46:02 | Weblog
東側は、下り斜面。
オフィスビル街になっても、下り斜面は、残る。
東に向かうと、下り坂、新坂。
明治時代になって、できたので、新しい坂、新坂、というらしい。
最近、周囲に、高層ビルが建ち並び、いっそう、新しくなったように見える。
新坂を下っていく。
(2013年9月記)

中央線御茶ノ水駅(神田駿河台四丁目 高層ビル街)

2016-08-19 04:44:04 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
飯田橋駅で総武線に乗り換える。
御茶ノ水駅で下車。
駅南口、聖橋の袂から、南へ。
しばらくして、東へ曲がり、そのまま、東へ。
高層ビルが、建ち並び、すっかり、オフィス街になってしまった。
大手町が、北へと、拡大したのだろうか。
(2013年9月記)

西武新宿線東伏見駅(西武柳沢駅南口駅前広場)

2016-08-18 04:43:18 | Weblog
北へ北へと進み、西武新宿線踏切の手前で、西へ。
そのまま、線路沿いに、西へと歩く。
店舗が並んでいるので、この先の、西武柳沢駅も、東伏見稲荷神社の最寄駅だったのかも。
今は、静かな、住宅地。
西へ歩いていくと、しばらくして、西武柳沢駅南口駅前広場。
駅は、昭和の初め頃、開業している。
ただ、駅南口の集合住宅は、安定期からバブルの終わり頃の完成。
再開発される様子、まだ、記憶している。
当時は、まだ、右肩上がり、輝ける未来を、信じていた。
住宅棟が、徐々に、完成していく様子。
だが、バブルは崩壊。失われた10年。
近未来は、そのまま、立ち尽くし、そして、時代に埋もれていく。
古びていく、集合住宅。そのまま、どうなっていくのか。
もう、その先を、見ることは、できないなあ。
西武柳沢駅から帰ることにする。
(2013年9月記)

西武新宿線東伏見駅(柳沢一丁目 伏見稲荷通り)

2016-08-17 04:34:51 | Weblog
西側には、南北に伸びる、伏見稲荷通り。
通りを、北へ向かう。
ところで、東伏見公園についてだが、かつては、千駄山、といっていたそうだ。
石神井川を、南側に、見下ろす、丘があったのだろう。
その丘陵地の、南側、斜面に、東伏見稲荷神社は、建っている、ということか。
伏見稲荷通りを、北へ北へと、歩いていく。
(2013年9月記)

西武新宿線東伏見駅(東伏見一丁目 東伏見公園)

2016-08-16 03:35:17 | Weblog
東伏見稲荷神社の北側は、東伏見公園となっている。
全体は、まだ、未完成かもしれない。
それほどに、新しい公園。
ただ、計画されたのは、古く、東伏見稲荷神社が、創建されて、しばらくしてから。
当初、東伏見稲荷神社の境内、ということだったのかも。
最近になって、地下を、伏見通りが、通るということで、ようやく、公園が、完成したのかな。
(2013年9月記)

西武新宿線東伏見駅(東伏見一丁目 東伏見稲荷神社)

2016-08-15 05:17:16 | Weblog
北に向かうと、すぐに、東伏見稲荷神社。
創建は、昭和の初め頃。
かなり、新しい神社。
西武新宿線のために、創建されたような感じ。
新しいのに、存在感はある。
鉄道が先か後か、ということは、どうでもいいと、思ってしまうほどだ。
駅名も、町名も、東伏見、とあれば、なおさらに、そうなのだろう。
そこに、歴史が、積み重なっていけば、古社、ということになる。
(2013年9月記)

西武新宿線東伏見駅(東伏見一丁目 伏見通り)

2016-08-14 05:10:40 | Weblog
西東京東伏見トンネル、新青梅街道の南側、伏見通り。
多摩南北道路1号線、ということらしい。
最近、開通したのだろうけど、いつだったのか、もう、忘れてしまった。
南側、鶴川通り、武蔵境通り、も含まれるようだ。
そういえば、中央線武蔵境駅の東側、ちょっと前、開通したのだ。
変化が、早い。
今は、すでに、西武池袋線を越えて、北側まで、開通しているみたい。
いったい、どこまで、伸びるのだろう。
(2013年9月記)

西武新宿線東伏見駅(柳沢一丁目 石神井川)

2016-08-13 05:39:49 | Weblog
石神井池は、天然の池ではないものの、地名から、そのあたりが、石神井川の、源流と、考えられていたようだ。
そこから先は、大川、といっていたらしい。
もっとも、その先、上流には、関心がなかった、とも思えるけど。
ただ、たとえば、江戸時代、玉川上水からの用水で、新田開発が、行われるが、石神井川は、その排水路でしかなかったようだ。
とすると、やはり、石神井川、とするには、ちょっと、躊躇するかもしれない。
(2013年9月記)

西武新宿線東伏見駅(東伏見一丁目 石神井川)

2016-08-12 05:06:06 | Weblog
新青梅街道の北側には、石神井川。
ここから先、石神井池を流れ、板橋、王子、と流れ下っていく。
歴史のある場所ばかりだ。
といっても、偶然ではなく、王子あたりから、歴史が、石神井川を、遡ってきたからだろう。
王子あたりには、豊島郡衙。平安時代。
板橋は、鎌倉街道。
石神井家には、豊島氏が城塞を、かまえていた。
歴史を、感じる。
(2013年9月記)