retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

西武池袋線東長崎駅(南長崎五丁目 コンコン通り商店街)

2015-08-21 04:48:08 | Weblog
稲荷神社、創建は、おそらく、江戸時代、と思われる。
その前、南北に伸びる、通りは、コンコン通り商店街。
わかりやすい名前だが、稲荷神社の、門前町、というより、普通の、商店街、なのだろう。
商店街が、できたのは、高度成長期、かな。
たまたま、稲荷神社が、近くにあったので、名前を、コンコン通り、としたのかも。
それはそれとして、先ほど、訪れた、トキワ荘、ちょっと、離れている。
トキワ荘の、最寄り駅、当時は、椎名町駅だったと思う。
そちらに、向かった方が、トキワ荘ゆかりの地、としては、よかったかもしれない。
といっても、もう、遅い。
日が暮れそうだ。
(2013年3月記)

西武池袋線東長崎駅(南長崎五丁目 稲荷神社)

2015-08-20 04:47:48 | Weblog
どこから、光和通り商店会なのか、わからないが、おそらく、東長崎駅近く、ということなのだろう。
高度成長期、形成されたのかな。
駅近くなので、店舗は、まだ、残っている。
名前の言われについては、わからない。
街灯の設置が、商店街発足の、きっかけになったから、だろうか。
ちょっと、離れるが、石神井公園駅の北側に、光和小学校、というのがある。
こちらも、地名とは、無関係の、名前なのだそうだ。
ひょっとすると、年代から考えて、光和通り商店会が、まず、発足し、偶然、それを、知って、新設校の、名前にした、ということは、考えられる。
いままで、暗い夜道だった場所に、街灯の眩い光。
それが、明るい未来を、感じさせるとしたら、小学校の名前として、いかにも、相応しいだろう。
もっとも、商店街から、小学校の名前をとった、というのは、あまり、推奨すべきことではないに、違いない。
もっともらしい、名前の言われは、あとで、探したのだろう。
そんなことを考えながら、北へ曲がり、そのまま、北へ。
通りの、東側には、稲荷神社。
(2013年3月記)

西武池袋線東長崎駅(南長崎五丁目 光和通り商店会)

2015-08-19 04:39:11 | Weblog
先ほどの、中華料理屋、トキワ荘に、暮らしていた、マンガ家が、よく、食べに来ていたそうだ。
高度経済成長の頃。
まだ、世の中に、余裕はなく、外食といえば、中華料理屋ぐらい。
それでも、精一杯の、御馳走、だったのだろう。
高度成長を達成した後、今、それは、当たり前になった。
でも、どうして、商店街は、ますます、寂れていくのだろう。
などと考えながら、歩いているうちに、商店街は、光和通り商店会、となる。
(2013年3月記)

都営大江戸線落合南長崎駅(南長崎三丁目 子育て地蔵尊)

2015-08-18 05:00:32 | Weblog
もう、帰ろうかと思ったが、もう一度、トキワ荘のあった場所へ。
いかにも、道筋の、裏側、なのだけど。
そんな場所に、子育て地蔵尊。
創建は、江戸時代。
昭和に入って、しばらくして、この地に、移転したそうだ。
とすると、やはり、この通りは、江戸時代から、あったのだろう。
ちなみに、もとあった場所は、川越へ向かう道との、分岐点。
明治時代の地図を、見ると、今の、西武池袋線東長崎駅西側、中野通りあたり、ということだろうか。
当時は、まだ、南側に、道路は、伸びていなかったようだ。
ひょっとすると、昭和の初め頃、南へ、道路を、伸ばす折、子育て地蔵尊が、この地に、移転してきたのかもしれない。
再び、トキワ荘通り商店街に戻り、北西へと、向かう。
(2013年3月記)

都営大江戸線落合南長崎駅(南長崎三丁目 商店街の古い中華料理屋)

2015-08-17 04:37:55 | Weblog
南へ。
再び、トキワ荘通り商店街。
ところで、明治時代初め頃の地図を見ると、この通り、地図に、載っていることが、わかる。
とすると、目白通りが、開通する、ずっと前から、あった、道路なのだ。
トキワ荘が、通りから、奥まった場所に、建てられたことと、関係があるのかな。
もっとも、あまり、住宅は、通りに面して、建つものではないのだろうけど。
などと、考えていると、通りに、古い、中華料理屋。
トキワ荘と、関係が深いそうだ。
(2013年3月記)

都営大江戸線落合南長崎駅(南長崎三丁目 トキワ荘のあった場所)

2015-08-16 06:06:50 | Weblog
通りから、北へ、住宅地の中、入っていく。
それほど、迷わなかったが、ずいぶん、奥まったところ、トキワ荘オブジェ。
さっき、公園にあった模型と、同じだに、見える。
ただ、特に、この場所に、トキワ荘が、存在していた、といった、痕跡は、まったくなく、これなら、オブジェが、公園にあっても、かまわないのかも。
それはそれとして、トキワ荘、通りから、ちょっと、奥に入ったところに、あったわけだ。
(2013年3月記)

都営大江戸線落合南長崎駅(南長崎三丁目 トキワ荘近く)

2015-08-15 06:09:34 | Weblog
あきらかに、通り過ぎてしまった。
トキワ荘の近辺に、大通りが、あったはずはない。
来た道を、引き返す。
再び、昭和の、取り残された、商店街。
どこも、そうなのだが、店舗は、なくなりつつあり、住宅に、置き換わっている。
将来は、まったくの、住宅地になってしまうかもしれない。
せっかく、近くに、大江戸線が、開通し、最寄り駅も、開業したのに。
そういえば、トキワ荘があった頃、つまり、大江戸線が、まだ、開通していなかった頃、最寄り駅は、ずっと、北側の、西武池袋線、椎名町駅、あるいは、東長崎駅、なのだろうな。
などと、考えながら、歩いていると、はたして、トキワ近く、を示す、立て看板を、見つける。
(2013年3月記)

都営大江戸線落合南長崎駅(南長崎三丁目 商店街の古い店)

2015-08-14 05:51:49 | Weblog
キャラクターでなければ、やはり、歴史的テーマパーク、ということになる。
ただ、そういう風には、なっていないようだ。
トキワ荘通り商店街、歩いていくと、店舗は、かなり古いのに、それが、テーマパークとして、いかされていないからだ。
ひょっとすると、商店街の、古い店舗、トキワ荘が、あった頃から、今に、残っているのかも。
そういう気もする。
昔のことに、思いを馳せながら、東へ歩いていくと、大通り。
(2013年3月記)

都営大江戸線落合南長崎駅(南長崎三丁目 トキワ荘通り商店街)

2015-08-13 07:30:15 | Weblog
公園の北側には、東西に伸びる通り。
トキワ荘通り商店街、となっている。
おそらく、商店街の名前、新しいのだろう。
もとは、南長崎商店街、という感じかな。
地方、郊外は、どこも、同じだが、商店街は、寂れる一方なので、テーマパーク、になるしかなく、トキワ荘が、テーマ、となったに違いない。
ただ、たとえば、のらくろを、テーマにした、のらくろーど(江東区新宿線森下駅近く)、のように、トキワ荘は、キャラクターではないので、難しいようだ。
(2013年3月記)

都営大江戸線落合南長崎駅(南長崎三丁目 トキワ荘の模型)

2015-08-12 04:42:49 | Weblog
記念碑には、往時、トキワ荘の、模型もある。
建物自体は、高度成長を、達成した、安定期の頃まで、残っていたので、おそらく、記録にも、残っているに違いなく、とすると、模型としては、正確なのだろう。
ただ、トキワ荘の建っていた、場所、ここらへんではない。
そもそも、公園は、トキワ荘とは、あまり、関係ないし。
トキワ荘は、もう少し、北側に、建っていたようだ。
(2013年3月記)