retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

京浜東北線蕨駅(中央五丁目 長泉院)

2011-08-10 05:04:49 | Weblog
街中を北へ。再び、駅前広場に出る。
しよいよ、西に伸びる、蕨のメインストリート。
懐かしい商店街が、延々と続いている、はずなのだが。
実際、歩いてみると、商店街は、すぐに、途切れてしまった。
こんなだったかな。記憶違いなのだろうか。
そんな思いを抱きつつ、西へと、歩いていく。
たしか、淡い記憶によると、南北に伸びる、交通量の多い、中山道から、ちょっと、東側に入ると、ちらほらと、店の明りが、あったのだ。
そして、その店の明りを、辿っていくと、やがて、地方にあるような、古めかしい、商店街の連なりになっていき、駅前広場へ、行き着いたわけ。
いったい、どうなっているのやら。
ひょっとして、記憶が正しいとすると、その商店街は、なくなってしまったのかな。
当時は、バブルの頃、地方は、まだ、衰退していなかったはず。
とすると、やはり、あり得るかもしれない。
地方は、衰退し、駅前や、都心部だけが、栄える。どこも、同じだ。
そんなことを考えながら、さらに、歩いていくと、道路の北側に、長泉院。
江戸時代、創建されている。
変わらないのは、こうした、歴史的建造物ぐらいか。
(2010年12月記)

京浜東北線蕨駅(シティタワー蕨)

2011-08-09 06:07:10 | Weblog
駅前広場から、南へ。
商店が、密集する中に、入っていく。
しばらく、南へ、歩いていくと、シティタワー蕨。
最近、竣工した、高層住宅だ。(工事中はこちら
駅前再開発で、駅近くの、ごちゃごちゃした、下町が、整備され、高層ビルになった、ということかな。
もともと、蕨は、ここから、西側にある、中山道蕨宿あたりが、旧市街。
その、旧市街の外れに、鉄道駅が、設置された。
だから、ここは、本来、街外れ。
しかも、鉄道や、駅が近く、住環境は、よくない。
そのような場所は、たいてい、下町に、なっていく。
家屋や店が、ごちゃごちゃと、無秩序に、集まり、まるで、ラビリンス。
その、混沌とした、ラビリンスに、迷い込み、身を沈めるのは、けっこう、居心地がよかったりするのだけど。
でも、そういう場所は、なくなっていくものらしい。
整備されて、きれいな街並みに変貌していく。
なにか、ちょっと、寂しいが、時代の流れなので、仕方がない。
(2010年12月記)

京浜東北線蕨駅(蕨駅西口駅前広場)

2011-08-08 06:07:47 | Weblog
高田馬場駅から山手線。
池袋駅で、埼京線に乗り換える。
さらに、赤羽駅で、今度は、京浜東北線へ。
蕨駅で下車。
相変わらず、小春日和の日々。穏やかな天気だ。
さらに言えば、もう、年の瀬。
やっと、落ち着いてきて、あとは、正月まで、何もない。
駅西側の改札口を出る。
そういえば、かなり前、バブルの終わり頃、蕨に、来たことがあったっけ。
西側の埼京線の駅から、蕨、目指して、歩いてきたのだ。
そのときも、たしか、季節は、冬だったな。
もう、日が暮れかかっていて、まわりには、何もなし。
交通量の多い、中山道を、越え、さらに、東へ。
クルマばかり多くて、寂しいばかりだった。
そんな中、とぼとぼと、歩き続けていると、突然、地方にあるような、懐かしい感じの、商店街が現れる。
ほっとするような、商店街の明りに、誘われるように、歩いていくと、やがて、蕨駅前広場。
そういうわけで、蕨、というのは、いい思い出として、記憶に残っている。
その商店街が、今、駅前広場から、西に向かって伸びるている、商店街。
当時から、比べれば、かなり、衰退してしまったと思うけど。
どうなっていることやら、楽しみだ。
(2010年12月記)

銀座線虎ノ門駅(虎ノ門二丁目 環状2号線予定地 虎ノ門病院)

2011-08-07 07:15:31 | Weblog
あちこち、更地になっている一帯を、抜けて、西側へ。
しばらくすると、北側にビル街、南側に虎ノ門病院、その間、細い道が、伸びている。
この道が、拡幅されて、環状2号線に、なるようだ。
それで、どうするのかと思ったら、虎ノ門病院の敷地を、南側に、後退させている。
なるほど、こういう風にして、道路の幅を広げ、環状2号線にするわけか。
さらに、その後、虎ノ門病院を含んだ、潮見坂までの、区域を、再開発する予定。
こちらは、どうなるか、わからないけど。
ところで、環状2号線は、汐留シオサイトの手前で、地下に、潜るのだが、結局、どこで、地上に出るのだろう。
このように、拡幅されている様子を見ると、この地点では、地上に、出ているようだ。
予想図を見てみると、桜田通りの、手前で、環状2号線は、地上に出るらしい。
桜田通りは、幅広の、主要幹線なので、その地下を通り、立体交差にした方が、いいような気がするけど。
でも、そうなると、桜田通りから、環状2号線へ、入ることは、難しくなる。
それで、平面交差にしたのかな。
かくのごとくして、環状2号線が、開通し、虎ノ門病院が、再開発されて、高層ビルになれば、このあたり、景観が、一変するだろう。
もっとも、そうなるのは、どのくらい先になるのか、わからない。
そして、さらに、その後は、どうなるのだろう。考えても仕方ないな。
もう、帰ることにする。
外堀通りに出て、東、虎ノ門駅へ向かう。
(2010年12月記)

銀座線虎ノ門駅(虎ノ門二丁目 環状2号線予定地)

2011-08-06 07:19:48 | Weblog
桜田通りを、南へ、進むと、しばらくして、環状2号線工事現場。
毎日のように、この場所に、来ているわけではないので、工事の進捗、といったものは、よくわからない。
ただ、以前、来たとき、更地は、桜田通りまで、だったような気もする。
とすると、いよいよ、桜田通りの西側も、工事が、始まったわけだ。
工事が完成し、環状2号線が、開通すれば、虎ノ門、新橋、汐留シオサイト、そして、臨海副都心が、結ばれるだろう。
結ばれて、どういう風に、便利になるのか、ちょっと、わからないけど。
とりあえず、一番、変わるのは、外堀通りから、南側の、一帯、ではないかと思う。
新橋を代表とする、都心にありながら、忘れられた場所。
居酒屋や、老舗の蕎麦屋、ものすごく古い店、があったりする。
そういった地域、徐々に、愛宕山の東側、増上寺の東側、浜松町、と、変わっていくのかな。
もっとも、変わるといっても、この景気では、本当に、そうなるのか、わからない。
それに、そもそも、そうなったとして、また、何十年と、時間が、かかることだし。
ちょっと、工事現場を、辿って、霞が関の方まで、行ってみることにする。
(2010年12月記)

銀座線虎ノ門駅(金刀比羅神社)

2011-08-05 06:06:56 | Weblog
外堀通りを、東へと、歩く。
しばらくすると、南北に伸びる、桜田通りとの交差点。
桜田通りに入り、南へ。
すぐに、通りの西側に、金刀比羅神社がある。
境内と、高層ビルの敷地が、一体になっていて、なかなか、奇想な景観だ。
創建は、江戸時代、前半。
丸亀藩上屋敷に、地元、四国は讃岐の、金刀比羅宮を、招いたのが由来。
久留米藩が招いた、水天宮と似ている。
ところで、金刀比羅神社、といえば、金毘羅詣。
江戸時代から、始まるわけだが、金刀比羅神社の創建が、少なからず、関係しているのかもしれない。
いや、それよりも、大きいのは、流通網、交通網の整備拡大、かな。
おそらく、そのことにより、四国、瀬戸内海、という異郷が、知られることになったのだろう。
さらに、知れば、より、興味は湧くし、旅情も、喚起されたりもするに違いない。
そして、金毘羅詣、という、一大レジャーが、始まったのかも。
そういえば、「金刀比羅」というと、本来は、切実な、意味が、あるのだろうけど、なにか、とても、安楽で、楽しげな、雰囲気がするのは、その影響だろうな。
そんな、金刀比羅神社を後にして、さらに、桜田通りを、南へ、進む。
(2010年12月記)

銀座線虎ノ門駅(霞が関三丁目 一見、バス停に見える住所表示板)

2011-08-04 03:06:28 | Weblog
南へ歩き、再び、外堀通りへ出る。
外堀通りを、東へ進み、霞が関ビルの前。
以前から、気になっているのだが、道路際に、バス停のような、ものがある。
形は、バス停なのだが、そこに、バスが、停まるわけでもないし、そもそも、時刻表もないので、バス停ではないだろう。
では、何なのかというと、たぶん、住所を、指し示している、ものかな、としか思い当たらない。
おそらく、厳密にいえば、不要なもの、撤去されて、しかるべきもの。
ちなみに、バブルの頃の地図をみると、はたして、この場所には、バス停があったようだ。
何らかの理由で、バス停が、西側に、移動したのだが、バス停を示す、もの、は、そのまま、残ったわけかな。
でも、こういうの、忘れられたように、立ち続けているのは、なんか、ほっとする。
これは、いったい、何、と、考えるの、楽しいし。
峻厳と、要、不要、なんて、片付けるのは、疲れるのだ。
敢えていえば、ノラネコみたいなものかも。
(2010年12月記)

銀座線虎ノ門駅(霞が関三丁目 ビルの狭間にある緑地のネコ)

2011-08-03 05:03:30 | Weblog
すぐ北には、北東に伸びる、六本木通り。
六本木通りに、入って、ちょっと、北東に、歩いてみる。
まわりは、ビルしかないはずなのに、通りの北側に、家屋があって、不思議な感じ。
本当に、普通の住民が、暮らしているのか、わからないけど。
もっとも、最初から、官庁街だったわけではないので、そういう、場所が、残っていたとしても、いいわけか。
今度は、通りの南側、南西に伸びる、細い道に、入っていく。
そもそも、なんで、こんな、路地みたいな道路が、あるのだろう。
こちらも、ひょっとしたら、以前は、本当に、路地、だったのかも。
細い道に入っていくと、南側は、緑地になっている。
その、緑地に、ノラネコが、数匹。
等間隔に、並んで、暖かな、日差しのもと、日向ぼっこ。
こういう、日本の中枢部にも、ノラネコがいる、というのは、思ってもみなかった。
でも、まあ、官庁街にだって、食堂はあるだろうし、売店だってあるだろう。
だから、ノラネコが、食べ物に困ることはないはず。
それに、こうした、公開地も多いので、むしろ、ノラネコには、暮らしやすい場所なのかも。
気持ちよさそうに、うたた寝している、ノラネコに、別れを告げ、再び、細い道を、歩いていく。
(2010年12月記)

銀座線虎ノ門駅(霞が関東急ビル)

2011-08-02 05:05:08 | Weblog
高田馬場駅から東西線。飯田橋駅で、南北線に乗り換える。
溜池山王駅で、さらに、銀座線へ。
虎ノ門駅で下車。
地上に出ると、東西に伸びる、外堀通りと、南北に伸びる、桜田通りとの、交差点。
北側には、官庁街が、広がり、日本の中枢部、という感じがする。
外堀通りを、西へ。
そういえば、季節は、とうに、冬なのに、まだ、穏やかだな。
小春日和が続いている。
そんな、長閑な天候の下、歩いていくと、霞が関ビルを過ぎたところで、北へ、国会議事堂へ向かう、道路。
その道に入り、そのまま、北へ向かう。
すぐに、通りの、西側に、霞が関東急ビル。
最近、竣工した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら
こうして、新しく完成した高層ビルを見ると、さしもの、世界同時不況も、ここにきて、やや、落ち着いた感じもしてくる。
穏やか過ぎて、まるで、このまま、何事もなく、春になっていくような感じだな。
(2010年12月記)

山手線池袋駅(南池袋二丁目 日出小学校の跡)

2011-08-01 03:40:52 | Weblog
道路予定地を、北へと、歩いていく。
しばらくすると、西側に、かつての、日出小学校の跡。
廃校になったのは、バブルが崩壊して以降、失われた10年の終わり頃か。
都心に、開発が、集中し始める時期だな。
ところで、そういえば、この南側には、大鳥神社や、有名な、鬼子母神堂があって、昔、行ったことがある。
緑多く、鄙びた感じで、本当に、池袋の近くとは、思えなかった。
もう、覚えていないが、鬼子母神堂には、すすきみみずく、という縁起物。
すすきの穂を、束ねただけの、素朴な、玩具なのだが。
おそらく、根津山の深い森の中、みみずく、そして、ふくろう、なんてのも、いたに違いない。
ふくろう、といえば、いけふくろう。
池袋のマスコットにしたいのだろうが、そもそも、池に、ふくろうは、いないし、似合わない。
いるとすれば、深い森だ。
今は、深い森はないけど、鬼子母神堂あたり、その雰囲気は、残っている。
ただ、工事中の、明治通りバイパスが完成すると、その西側、すっぽりと、鬼子母神堂ごと、池袋に、吸収されるようになるかも。
そうなると、ふくろうも、池袋で、いいことになるかな。
さあ、もう、帰ろう。
今度、来るときは、ここらへんも、変わっていることだろうな。
北に歩き、再び、グリーン大通り。池袋駅を目指す。
(2010年12月記)