retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

東武亀戸線亀戸水神駅(亀戸水神駅駅舎)

2011-03-21 07:27:16 | Weblog
亀戸水神宮から、細い道を、東へ。
少し、歩くと、亀戸水神駅。
小さな、辺鄙な駅だ。
亀戸水神宮も小さいけど、その名を、冠した、この駅も、小さい。
さらに言えば、亀戸水神駅を通る、東武亀戸線は、都心近くにありながら、忘れ去られた、ローカル線の様相。
だが、実は、東武亀戸線、開通した当初、昭和の初め頃は、東武伊勢崎線の、本線だったのだ。
だから、ひょっとしたら、一帯には、商店街もあって、少しは、賑やかだったのかもしれない。
ところが、曳舟から、浅草まで、枝線を、伸ばしたら、いつしか、そちらの方が、本線になり、東武亀戸線が、枝線になってしまった。
栄枯盛衰。よくある話だ。
とにかく、今は、すっかり、忘れられていて、ひっそりとしている。
亀戸水神宮は、亀戸天神と違って、訪う者も、ほとんどいない。
ただ、なくなってしまうよりは、ずっといいはず。
寂れていようが、廃れていようが、あり続けることが、大切なのだ。
そんなことを考えながら、踏切を渡り、ホームへ。
2両編成の車両、東武亀戸線に乗り込む。
でも、あり続けることこそが、実は、もっとも、難しいのかもしれない。
そう気付くと、この、忘れ去られた街並み、とても、とても、儚いものに、思えてしまう。
2両編成の車両は、南側から西側へと、大きくカーブを描きながら進み、そのたび、古い街並みは、車窓から、徐々に、消えていくのだ。
(2010年7月記)

東武亀戸線亀戸水神駅(亀戸四丁目 亀戸水神宮)

2011-03-20 07:22:25 | Weblog
たくさんの亀がいる池から、南へ。
たしか、江戸名所図絵によると、江戸時代も、同じように、池があって、その池の、真ん中に、島があったようだ。太鼓橋も同じ。
ただ、池そのものが、当時のままかどうか、ちょっと、わからないけど。
さらに、南へと、歩いていく。
そして、大きな鳥居を潜ると、再び、東西に伸びる、蔵前橋通り。
蔵前橋通りに入り、東へ進む。
しばらくすると、また、南北に伸びる、十三間通り商店街との交差点。
南へ曲がり、そのまま、南へ。
すぐに、東に伸びる、亀戸水神通り、という細い通りがある。
なんとなく、名前から、商店街、と思っていたのだが、いたって、普通の、住宅街の道路だ。
昔は、ひょっとしたら、店が、並んでいたのかもしれないけど。
亀戸水神通りを、東へ東へと進む。
かなり歩くと、交差点があり、その北西側に、小さな、亀戸水神宮。
創建は、江戸時代の前、室町時代らしい。
意外と、古いのだが、そういえば、交差点の、南西側、ちょっと、住宅地の中になるが、亀戸天神の、故地があるらしいのだ。
だから、一帯は、江戸時代に、開拓されるよりも前から、歴史があるに違いない。
亀戸水神宮が、けっこう、古いとしても、それは、ありえる。
ただ、もう、今となっては、忘れ去られているが。
少なくとも、亀戸天神の方が、はるかに、大きくなってしまった。
もっとも、このような、静かな、小さな、祠、自分は、好きだけど。
(2010年7月記)

総武線亀戸駅(亀戸天神の池の亀)

2011-03-19 07:38:51 | Weblog
本殿の南側には、中央に、島のある、広い池。
真ん中が、丸く競り上がった、アーチ状の太鼓橋で、池を渡り、その島を、通るようになっている。
太鼓橋が競り上がっているので、その上に立つと、見晴らしがよくて、いい感じ。
池の周囲には、一面、藤棚の緑。
まるで、森林の果てに、本殿が、聳えているように見える。
そして、橋から池を、見下ろすと、そこには、とても、たくさんの亀。
異様に、うじゃうじゃいて、一匹一匹は、かわいいのかもしれないが、これだけ、たくさんいると、迫力がある。
そういえば、なんでまた、こんなに亀がいるのだろう。
謂れは、ちょっと、わからない。たぶん、神社の、名前からだと思う。
ところで、ひょっとしたら、この中には、昔、よく、お祭りの屋台で、売られていた、ミドリガメなんかも、いるのかな。
たとえば、屋台の、的屋さんの口上に乗せられて、亀を、飼い始めてみたものの、やがて、手にあまり、どうしようかと、思っていて、ふと、亀戸天神のことを思い出す。
あの池なら、たくさん亀もいたな。一匹ぐらい、増えても、かまわないだろう。
そして、亀戸天神を訪れ、そっと、池に、放つ、件の亀。
そういうわけで、こんなに、亀が、増えたのかも。
もっとも、本来、こんな風に、密集して、亀が、生息するものなのだろうか。
亀としては、あまり、居心地は、よくないかもしれない。
ただ、ここの亀にとって、こうして、うじゃうじゃと、泳いでいるのが、亀戸天神の、メインキャラクターとしての、職務なのだ。
なんてこと、亀が、考えているわけないけど。
それにしても、日向ぼっこしている亀は、気持ちよさそうだな。
(2010年7月記)

総武線亀戸駅(亀戸三丁目 亀戸天神)

2011-03-18 06:11:00 | Weblog
ロッテシティホテル錦糸町を出て、通りを、東へ。
こういう通りは、さすがに、うらぶれていて、錦糸町っぽい感じ。
ただ、以前に比べて、ひっそりとしていて、静かだけど。
横十間川を渡り、さらに、東へ東へと、歩いていく。
しばらくすると、南北に伸びる、十三間通り商店街。少し賑やかになってくる。
十三間通り商店街に入り、今度は、北へ。
たしか、この通りは、亀戸駅から、伸びているのだ。
だから、亀戸のメインストリートなんだろうけど、こちらも、少しは、賑やかだが、それほどでもない。
北へ、進むと、やがて、東西に伸びる蔵前橋通り。
今回は、亀戸天神を訪れようと思っているのだが、通り過ぎてしまったようだ。
蔵前橋通りを、西へ、向かう。
だいぶ、過ぎてしまったらしい。これなら、横十間川の方が、近いくらい。
かなりな、遠回りだ。
亀戸天神の東側、街中を、北へ。
途中、東へ曲がると、すぐに、亀戸天神の本殿になる。
あいかわらず、賑やかだ。亀戸駅のメインストリートよりも、賑わっている。
観光スポットだからだろう。
境内には、緑も多く、池も配されていて、とても、いい感じだ。
江戸時代の雰囲気も味わえるし。
観光スポットになる、というのも、わかる気がする。
(2010年7月記)

総武線錦糸町駅(ロッテシティホテル錦糸町)

2011-03-17 05:01:29 | Weblog
高田馬場駅で、東西線。
飯田橋駅で、総武線に乗り換える。
錦糸町駅で、下車。
駅北側に出て、東へ。
南北に伸びる、四ツ目通りに出る。
通りの東側には、ロッテシティホテル錦糸町。
最近、竣工した、高層ホテル棟だ。(工事中はこちら
高層ビルが、建つたびに、来ているので、当然かもしれないが、そうでないとしても、錦糸町界隈は、どんどん、変わっている。
一番、大きな、画期は、たぶん、半蔵門線の、延伸かもしれない。
その頃から、急速に、街並みが、垢抜けた感じに、なってきているのだ。
半蔵門線が、そういう雰囲気を、持ち込んだのかもしれないな。
ということで、せっかくだから、新しい高層ビル、ロッテシティホテル錦糸町に、入ってみる。
低層階は、普通の店舗なのだ。
建物の中は、まるで、渋谷みたい。あるいは、整備された、郊外の駅前みたい。
たとえば、渋谷から、そのまま、瞬間移動して、ロッテシティホテル錦糸町の中に、現れたとしても、気付かないだろう。
もっとも、それは、それでいいのかな。
地域性などは、その土地の、テーマパークが、担えばいいわけだし。
実は、自分も、いけないとは、思いつつ、ある面では、ほっと、している。
その方が、楽だからかも。
(2010年7月記)

銀座線田原町駅(西浅草 かっぱ橋道具街通り)

2011-03-16 06:10:14 | Weblog
街中を、東へ東へと、進んでいく。
細い路地などがあり、下町情緒が、溢れているのだが、とにかく、静かだ。
以前、来たときは、けっこう、賑やかな感じだったけど。
街並みそのものは、たしかに、下町なのだが、あの頃から、今に至る間に、都心の中に、組み込まれてしまったからかな。
つまり、下町としての、暮らしが、なくなったのだ。
ひっそりとしていて、下町情緒の歴史テーマパーク、といったところ。
散策には、いいけど、あまり、日常的な雰囲気はしない。
そんな、東上野を、さらに、東へ。
南北に伸びる、清洲橋通りを越え、左衛門橋通りを、越える。
そして、新堀通り。
新堀通りに入り、今度は、北へ。
東西に伸びる、浅草通りからは、ちょっと、賑やかになる。
ここから、通りの別名は、かっぱ橋道具街通り。
有名な、調理器具専門の問屋街だ。
こういう、問屋街の方が、かえって、賑やか、というのも、興味深い。
でも、もし、料理に興味が、あるとするなら、足が向く、というのも、なんとなく、わかる気がする。
つまり、むしろ、問屋街、というよりも、料理に関する、テーマパーク、なわけだ。
すぐ、東側には、国際的な観光地、浅草もあることだし。
かくのごとく、今日び、駅前中心地を外れて、生き残るのは、テーマパークだけ、ということになる。
もっとも、自分は、料理に、興味があるわけではないので、もう、帰るしかないけど。
浅草通りを、東へ。すぐに、田原町駅。銀座線で帰る。
(2010年6月記)

山手線上野駅(東上野三丁目 下谷神社)

2011-03-15 03:15:52 | Weblog
昭和通りを南へ。
すぐに、東西に伸びる、浅草通りとの交差点。
浅草通りに入り、東へと、歩いていく。
しばらくすると、通りの南側、ちょっと、奥まったところに、下谷神社。
下町を、代表するような、神社だ。
この神社、いったい、いつ、創建されたのだろうか。実は、よくわからない。
最初は、不忍池の北側、上野の山のあたりに、あったらしい。
一帯には、太古の遺跡が、あちこちにあるので、はるか昔からの、祭祀の場、だったのだろう。
その、祭祀の場が、いつしか、神社になったのかな。
時代は、どんどん、下り、時は、江戸時代の初め頃。
今まで、静かだった、上野の山に、寛永寺が、創建される。
その代わり、下谷神社は、いったん、今の、上野駅のすぐ東側に移転。
しばらくしてから、今度は、今の場所よりも、少し、北側、浅草通りの南側へ。
ちなみに、通りを、挟んで、北側には、広大な寺域を持つ、広徳寺があった。
ただ、その広徳寺、練馬に移転していて、今は、もう、ない。
そして、下谷神社は、通りから、ちょっと、奥へと、引き込んでいる。
時代とともに、様々に、変わり行くものなのだな。
静かな街中、ひっそりと佇む、下谷神社を、後にして、さらに、東へ、歩いていく。
(2010年6月記)

山手線上野駅(TIXTOWER UENOビル)

2011-03-14 04:40:43 | Weblog
西に歩き、再び、南北に伸びる、昭和通りへ。
昭和通りを南へ、歩く。
台東区区役所のあるあたり、昭和通りの東側には、高層オフィスビル、TIXTOWER UENOビル。
最近、竣工したビルだ。(工事中はこちら
上野、というと、御徒町だったり、アメ横だったり、そういう、下町っぽい雰囲気なのだけど。
最近は、ついに、こうした、オフィスビルが、建つようになったのか。
といっても、それは、今に、始まったことではない。
神田、秋葉原、上野、日暮里、三河島、町屋、南千住、北千住。
こうした、下町地域は、バブルが崩壊した後の、失われた10年、その後からだろうか、急速に、変わりだした。
その変化は、今も、進行中。
秋葉原なんて、すっかり、変わってしまい、昔日の面影すらない。
バブルの頃は、秋葉原から東側、浅草橋まで歩くの、下町っぽくて、けっこう、好きだったけど。
もう、そういうのは、ないな。
でも、変貌すらしていないと、寂れる一方。やがては、消滅してしまう。
バブルの頃や、それ以前の、安定期の頃は、変貌していなくても、それないに、命脈を、保っていられたけど。
今は、変貌するか、廃れて消えるか、二者択一。
勝ち組、負け組、の構図、そのものだ。
こういうの、早く、なんとか、ならないものかな。
(2010年6月記)

山手線上野駅(東上野四丁目 地下鉄唯一の踏切)

2011-03-13 07:15:42 | Weblog
高田馬場駅で、東西線。
茅場町駅で、日比谷線に乗り換える。
上野駅で下車。
地上に出ると、昭和通りの東側。
ちょっと、上野駅とは、離れているが、今回は、その方が、都合がいい。
昭和通りを北へ、歩く。
上野駅、に限らないが、ここらへんは、駅西側が、山の手、閑静な感じ。対して、東側は、下町っぽい。
ただ、上野駅の、特に北東側の場合は、上野公園があるためか、あるいは、上野駅が、大きいためか、山の手の閑静な雰囲気が、駅から、ちょっと、東へと、はみ出している。
浅草通りとの交差点を越え、台東区区役所を過ぎ、さらに、北へ。
途中、東へ曲がり、そのまま、東へ向かう。
街中に、入っていくと、すぐに、踏切。
この踏切は、地下鉄では、唯一の踏切、ということらしい。
地下鉄は、普通、地下を、走っているので、当然、踏切はなく、だから、この踏切が、珍しいどころか、唯一、ということも、頷ける。
たぶん、戦前開通した銀座線なわけで、当時は、地下鉄が、まったく、一般的でなかったからかもしれない。
つまり、地上に、出てきても、それほど、不自然では、なかったのだろう。
それに、そもそも、銀座線は、地上から、それほど、深いところを、走っているわけではないし。
それにしても、たいそう、珍しい代物の割には、ひっそりしている。
いちおう、親子連れが、一組、写真、撮っているが、乗り気なのは、父親だけ。
そんなものだろう。
さて、そろそろ、引き上げるかな。
(2010年6月記)

京浜東北線川崎駅(川崎ゲートタワー工事現場)

2011-03-12 07:34:39 | Weblog
集合住宅の中を西へ歩く。
そして、南へ曲がり、そのまま、南へ。
すると、さらに、もっと、新しい、集合住宅。
その集合住宅の南端で、ようやく、地面に、降り立つ。
すぐ、南側には、北西方向に伸びる、市電通り。
市電通りの西側、JRとの間には、また、再開発地。
その再開発地の中、川崎ゲートタワーの工事現場がある。
さすがに、もう、巨大な高層住宅が建つ、ということはないが。
それでも、いちおう、高層住宅は、建つようだ。
徐々に、駅から、再開発が、伸びていっているように、見える。
ただ、それも、ここまでが、限界だろうな。
建物の、規模も、小さくなってきているし。
ところで、この再開発地の西側には、もっと、広大な、東芝柳町工場の跡地があったのだが、今は、キヤノンの工場を新設している。
バブル期なら、こちらの方が、真っ先に、再開発されていたはずだ。
今となっては、それは、無理だろう。それに、そもそも、駅からも、遠い。
そういえば、ペデストリアンデッキは、どうなるのだろう。
川崎ゲートタワーが建つ、再開発地にも、伸びてくるのだろうか。
できれば、そこまで、伸ばしてもらいたいものだ。
もっとも、それは、利便性、というよりも、たんに、興味本位から、ということにすぎないけど。
(2010年5月記)