retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

横浜線相模原駅(相模原市市役所と中央区区役所)

2011-02-18 06:10:59 | Weblog
16号線を、さらに、南東へ。
途中、南西側に、曲がり、そのまま、南西。再び、南東へ、曲がる。
16号線より、ちょっと、奥に、入った感じ。
16号線に、沿うように、歩いていくと、しばらくして、相模原市市役所庁舎。
最近、政令指定都市になったので、でかいビルにでも、建替えるのかと、思ったら、そのまま。
その代わり、庁舎には、区役所が、入ってきたみたい。
同じ建物を、共有するのだろう。
政令指定都市になる前の、組織が、そのまま、横滑りしてきたのかな。
バブルの頃、とまではいかないまでも、ちょっと、前なら、政令指定都市、というと、大盛り上がりで、あちこちに、でかい、建物が、建ったに違いないのに。
さらに、道路や、新都市交通、果ては、市営地下鉄、なんてことになる。
でも、今は、逆。
拡大よりも、ダウンサイズの時代。
政令指定都市、といっても、考え方は、駅前再開発と、同じなのかもしれない。
つまり、あちこちに、拠点を、作って、その、拠点に、集約するのだ。
だから、千葉市のように、なったりはしない。
かくのごとく、庁舎は、そのままだし、まわりも、静かそのもの。
いや、むしろ、以前よりも、落着いた感じになったりして。
ということで、今後は、相模原市みたいな、政令指定都市が、増えていくのかも。
それなら、神奈川県なんて、政令指定都市だけで、構成されていたとしても、いいような気がする。
そういう時代に、なったのだろう。
(2010年5月記)

横浜線相模原駅(小倉優子の焼肉屋)

2011-02-17 06:10:11 | Weblog
16号線を南西に、歩いていくと、なんとも、妙なもの、見付けた。
小倉優子の焼肉屋。
ケーキ屋とか、レストランだったら、わかるけど、なんで、焼肉屋なのかな。
もっとも、ケーキ屋もレストランも、すでに、チェーン店は、あるし、新規に、参入するのは、難しいものなのかもしれない。
たぶん、いろいろ、やってみて、焼肉屋だと、いちおう、うまく、軌道に乗った、ということなのだろう。
だとすると、実に、身も蓋も無い感じだ。
ところで、焼肉屋というと、思い出すのは、やはり、バブルの頃。
さる、安くて、ちょっと、有名な焼肉店で、焼肉というのを、初めて食べたのだ。
さすがに、美味しかったなあ。
それ以降、ことあるごとに、その店には、通ったものだ。
ある日、店先に、地域イヌ、が現れる。
ただの野良犬ではなく、焼肉店のある、商店街を、うろうろしていて、マスコット、というほどではないが、追い払われることもなく、居ついているイヌ。
そのイヌが、店先で、ぱたぱたと、尻尾を、振っていた。
すると、焼肉屋のおばちゃん、生肉数切れを、ぽんぽんと、イヌに、投げてやる。
イヌは、はあはあ、いいながら、がつがつ、食って、どこかへ、行ってしまった。
あの、生肉って、ひょっとして、今、自分らが、食べている肉と同じなの、と、店の、おばちゃんに、聞くようなことは、しなかったが、もう、その店に、行っていない。
バブルの頃の焼肉屋の思い出。
今は、小倉優子の焼肉屋。
なにか、これでは、焼肉が、スナック菓子に、見えてしまうのは、気のせいかな。
もう、焼肉なんて、縁がないから、どうでもいいけど。
(2010年5月記)

横浜線相模原駅(相模原駅近く 16号線)

2011-02-16 05:06:39 | Weblog
ペデストリアンデッキを降りると、南西に、まっすぐ、伸びる、広々とした、メインストリート。
メインストリートの西側には、高層住宅、ライオンズタワー相模原ステーショングランデ。
いかにも、郊外の、整備された、駅前、という感じ。
メインストリートを、南西へと、歩いていく。
程なくして、南東に伸びる、16号線との、交差点。
16号線は、もっと、広々としているな。
そういえば、かつて、たしか、バブルの頃あたりかな、16号線文化、といってことが、もてはやされた記憶がある。
16号線沿いに、郊外型の、大型店舗が、並び、一種の、文化圏を作っている、というようなところ。
今は、もう、そんな、見方は、消滅してしまったので、細かくは、覚えていないが。
たしかに、バブルの頃までは、地方の時代だったので、そのような、都心の、辺縁が、脚光を浴びたりしたのかもしれない。
拡大していく都心の、その先に、16号線があった、ということだろう。
でも、今は、縮小、ダウンサイズ、集積の時代。
辺縁よりも、駅中心や、都心が、注目されるのだ。
例えば、なんだか、最近、いちいち、クルマで、どっかに、出掛けるのが、どうにも、面倒になってきた。
実際、クルマで出掛けた挙句、寂れた地方を目にするというのも、あまり、楽しいとはいえないし。
もっとも、それは、歳のせいなのかもしれないけど。
(2010年5月記)

横浜線相模原駅(ライオンズタワー相模原ステーショングランデ)

2011-02-15 06:12:41 | Weblog
国分寺駅から、中央線。
八王子駅で、横浜線に、乗り換える。
相模原駅で、下車。
それほど、遠回りしているわけではないけど、だんだん、相模原方面に、行くのが、面倒になってきた。
やはり、自分にとって、多摩丘陵の南側、というのは、遠い、異郷だからかな。
改札を抜け、駅南側へ。
ペデストリアンデッキに出る。
青い空が、明るいなあ。
なんとなく、開放的な感じだし。
多摩丘陵の南側、神奈川県に入ると、いつも、こうなのだ。
たぶん、ちょっと、離れているが、海に面しているからだろう。
ただ、海に面しているだけなら、千葉県、茨城県の、太平洋岸でも、いいはず。
実際、銚子に行ったとき、まだ、春先だったけど、ずいぶん、温暖な、感じがしたものだ。
でも、そういうのと、神奈川県とは、ちょっと、違う。
有体に言えば、神奈川県は、都心に対する、郊外なのだ。
郊外、ということは、街が、ある程度、豊か。
店も多いし、いろいろな、施設は、ある。
とすると、神奈川県は、海に面していて、気候に恵まれ、さらに、都心の郊外で、豊かなわけだ。
これで、明るくないはずはない。
そんな街に、今しも、高層住宅、ライオンズタワー相模原ステーショングランデが、完成したところ。(工事中はこちら
(2010年5月記)

りんかい線東京テレポート駅(第三台場跡の内部)

2011-02-14 04:32:06 | Weblog
第三台場の縁の部分を、上ると、ようやく、内部を、見ることができる。
江戸時代末期に作られた、敵艦船を、迎撃するための、海上要塞。
その、朽ち果てた、廃墟、のはずなのだが、内部は、青々と、草が、波打ち、片隅には、樹木も、生い茂っていた。
なにか、北欧あたりに、このような、美しい、景色、あったような気がする。
内部は、窪んでいて、平坦。まわりが、壁になっているので、風も、吹き込まず、穏やかな感じ。
こんな風に、なっているとは、思わなかったなあ。
ただ、窪み過ぎていて、底の分部は、ひょっとしたら、海面よりも、低いのかも。
内部に、下りてみると、水溜りが、あちこちにできている。
ひょっとしたら、その水溜り、海水が、沁み出して、できたのだろうか。
あるいは、ただの、降雨によるものだろうか。ちょっと、わからない。
例えば、他の、埋立地で、放棄されてしまっているような、場所では、一面、潅木が、生い茂っていたりする。
やはり、海水が、沁み出しているので、草ぐらいしか、生えないのかもしれない。
このような台場、江戸時代の末期、黒船の出現により、作られたわけだが、明治時代になると、もう、用はなくなってしまう。
黒船に対する、抑止力には、少しは、役に立ったのかもしれないけど。
後は、ずっと、余生、というところ。
いちおう、砲台跡、かまど跡、弾薬庫跡、陣屋跡、などは、残っているが、歴史的テーマパークのオブジェと、なんら変わらない。
でも、こうして、残ったのだから、いいような気もする。
レインボーブリッジを見て、かつての、帰らざる日々のことを、思い出してしまったからなのだが。
本当に、変わらずに、残るものなんて、ほとんど、あるわけじゃない。
(2010年5月記)

りんかい線東京テレポート駅(第三台場史跡公園)

2011-02-13 07:32:42 | Weblog
砂地の回廊を、西に、進んで行くと、石垣でできた、四角形の島、第三台場に、辿り着く。
いちおう、第三台場史跡公園、という公園になっているようだ。
お台場海浜公園の、一部ではない。
一部ではないどころか、お台場海浜公園のあたりが、海だった頃から、あったらしい。
完成は、大正時代。(もう少し、細かく、言うと、史跡なったのが、大正時代、公園として、オープンしたのが、昭和の初め頃)
完成、といっても、最初っから、存在するので、危険がないように、整備するぐらい、だったんじゃないかな。
それにしても、どうやって、第三台場史跡公園を、利用したんだろう。
まわりは、海。孤島なわけだし。
屋形船が、接岸したり、あるいは、釣を、楽しんだのだろうか。
昔のことが、わからないので、なんとも、いえないなあ。
ひょっとすると、他にも、点々と、芝浦まで、台場は、あったので、台場伝いなら、それほど、移動は、難しくなかったのかも。
つまり、小舟でも、行けたのかもしれない。
とすると、他の、台場も、セットで、公園に、なっていたのだろうか。
実際は、第三台場と、近くにある、第六台場だけ、らしい。
他の、台場は、どうなったのだろう。
第二台場は、航路に、あたるため、撤去。
それ以外は、天王洲、あるいは、品川埠頭に、呑み込まれてしまっている。
埋立予定地だったので、公園にするわけないのかな。
もっとも、本当に、公園らしくなったのは、やはり、お台場海浜公園が、完成してからだと思う。
さらに言えば、こうして、来訪者が、多くなったのは、バブル以降、臨海副都心が、開発され始めてから、ということだろう。
(2010年5月記)

りんかい線東京テレポート駅(お台場近く レインボーブリッジ)

2011-02-12 07:37:51 | Weblog
さらに、砂浜を、北へ。
第三台場への回廊を、今度は、西へ向かう。
この、回廊、砂州、ではなくて、防波堤なんだろうな。
でも、松並木があって、砂地で、本当に、砂州が、小島まで、伸びたように、見える。
その、回廊から、北側を見やると、巨大な、レインボーブリッジ。
映画「バブルへGO」のシーンを思い出してしまった。
バブルの時代へ、タイムスリップする、という話。
主人公(広末涼子)が、バブル期の都心に、降り立ったとき、まず、目にするのが、工事中のレインボーブリッジなのだ。
たぶん、芝浦の倉庫街からの光景。
芝浦、といえば、ウォーターフロント、バブルの最前線。
はるか、北側には、大川端リバーシティ、竹芝桟橋の再開発。ちょっと、離れて、南側では、天王洲再開発が、始まろうとしていたっけ。
天王洲再開発には、けっこう、足を運んだものだ。
大川端リバーシティもそうだが、隅田川沿いも、よく、行った。これから、どうなるんだろうと、夢、膨らませて。
たしかに、街並みは、変わったけど、なぜか、生活は、下降する一方。夢なんか、とうの昔に、消滅してしまった。
ところで、そういえば、レインボーブリッジは、行ったのかな。
たしかに、完成した後、芝浦に、見に行ったことはある。
でも、工事現場は、見に行った記憶がない。
もしかすると、ひょっとして、工事中の、レインボーブリッジを見に、芝浦に、行っていれば、泡だらけの、ウェットスーツに、身を包んだ、広末涼子に、出くわしたかも。
そうだったら、バブルは、崩壊せず、自分も、こんなに、貧困ではなかったかな。
そんな訳ない。
(2010年5月記)

りんかい線東京テレポート駅(お台場海浜公園の浜辺から第三台場を臨む)

2011-02-11 07:39:21 | Weblog
お台場海浜公園の砂浜、北側へ、視線を、移すと、こちらも、なかなか、興味深い。
沖合いに、第三台場があり、そこに、細長く、回廊が、伸びているのだ。
自然の作り出した、風光明媚な、造形、と言われれば、信じてしまうだろう。
このような、公園、いかにも、バブルの勢いで、造成したのかと思ってしまうが、実は、もっと、古いらしい。
ちなみに、バブルの頃の、地図を見ると、まだ、臨海副都心は、姿も形もなく、お台場海浜公園だけがある。
そんな、お台場なのだが、埋立自体は、高度成長期を達成した頃、完成したようだ。
ちょうど、同じ時期、もっと、南側、沖合いの埋立地には、船の科学館が、オープンしている。
さらに、しばらくして、東側に、夢の島公園。
おそらく、お台場海浜公園も、同時期なんじゃないかな。
高度成長を達成して、安定期。世の中、のんびりしてきて、こういう、行楽地が、次々に、登場したに違いない。
それにしても、当時、ゆりかもめ、りんかい線、あるいは、レインボーブリッジが、ないわけで、どうやって、ここまで、来たのかな。
クルマ、そうでなければ、バス、だろう。
とすると、リゾート地ではあっても、近場、では、ないわけだ。
クルマで、のんびりと、この、砂浜に、やってきて、ゆっくりと、時間を過ごす。
それだけで、当時は、よかったんだろうなあ。
(2010年5月記)

りんかい線東京テレポート駅(お台場海浜公園の浜辺から臨海副都心を臨む)

2011-02-10 06:10:18 | Weblog
センタープロムナードを東へ。
といきたいところだが、ちょっと前から、工事をやっていて、通れなくなっている。
もう、工事、終わっている頃かな、と思ったけど、まだだった。
センタープロムナードは、臨海副都心に来たときは、けっこう、楽しみにしているんだけど。
公園の割には、庭園のように、整備されているわけでもなく、まるで、自然の、草原のような感じ。
打ち捨てられていたから、そうなったまでのことかもしれないが。
でも、埋立地で、このような、長閑な、自然の光景が、見られるのは、いいことだ。
残念だが、工事中なら、仕方がない。
先を、急ぐことにする。
センタープロムナードを降りて、東へ。東京テレポート駅へ、戻る。
そこから、テレポートブリッジで、北へ。
湾岸道路を越えて、テレポートブリッジを降りると、台場。
さらに、北へ、歩くと、お台場海浜公園。
目の前には、砂浜が、広がっている。
もちろん、天然ではなく、人工の砂浜なんだけど。
そんな、砂地を、北へ北へと、歩いていく。
かなり、歩いてきたところで、台場の方を、振り返って、見てみると、海と、白い砂浜、そして、その向こうには、高層ビル街。
まるで、リゾート地だ。
こんな、都心で、リゾート地の風景を見れるとは、思わなかったな。
(2010年5月記)

りんかい線東京テレポート駅(青海Q街区計画工事現場)

2011-02-09 06:11:38 | Weblog
高田馬場駅から山手線。
大崎駅で、りんかい線に乗り換える。
今日は、初夏の陽気、行楽日和、とあって、けっこう、賑やか。
それもあるが、景気もよくないので、近場が混む、ということもあるのかな。
臨海副都心、東京テレポート駅で下車。
地上に出ると、暑いくらい。
今年は、春先、とても寒かったので、この初夏のような陽気、感慨深いものがある。
西に向かって、歩く。
しばらくすると、南北に伸びる、大通り。
大通りの南側には、出会い橋が、架かっている。
この橋は、南側を、東西に、細長く、伸びる公園、センタープロムナードの橋だ。
公園は、尾根のように、なっていて、大通りが、その下を、潜っている感じ。
さっそく、出会い橋の下から、センタープロムナードへ、登ってみる。
尾根の上に立つと、他に、遮るものがないので、眺めがいい。
北側には、ちょっと、離れて、フジテレビ本社ビルが見える。
そして、フジテレビ本社ビルとセンタープロムナードの間には、青海Q街区計画の工事現場。
臨海副都心は、今でも、こうして、少しづつ、変わっているようだ。
もう、バブルの時代は、はるか、過去のもの。
なのに、バブルの産物、臨海副都心は、今でも、わずかづつ、成長を、続けている。
実に、不思議な感じがする。
今回は、もう一つ、不思議な場所に、行ってみるつもりだ。
(2010年5月記)