retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

有楽町線月島駅(佃川支川船溜まり)

2009-12-21 04:52:57 | Weblog
佃島の北側と東側には、かろうじて、佃川支川があって、かつて、佃が、島だったことを偲ばせている。
さらに、さっき、歩いてきた道路には、佃川が、あったようだ。
ということは、佃島の四囲は、川だったわけである。
だが、明治時代の地図を見ると、佃島の南側は、すぐ、海、となっている。
だから、佃川、というのは、佃島の南側を、埋めた後、埋め残した、水路のような、部分だったのかもしれない。普通の川ではないようだ。
それに、そもそも、佃島は、島なわけで、四囲に水があるのは、当たり前だな。
今は、埋め立てが進んで、もう、島、という感じは、まったく、しないけど。
ところで、佃島、といえば、最も、有名なのは、佃煮だろう。
余った魚を煮しめて、保存食にしていたのだが、これが、案外、美味しかった、というのが、ことの起こりのようだ。
そういえば、両さんの実家は、佃煮屋さんだったな。
でも、たしか、実家の場所は、浅草だったはず。佃島とは、関係ない場所だな。
実は、佃煮発祥には、もう一つの説があるのだ。
今の浅草橋にある、鮒佐、というお店が、最初に、佃煮を開発したらしい、という説。たぶん、両さんの実家、佃煮屋さんが、浅草にあるのも、この、浅草橋の鮒佐から、連想したのだろうと思う。
つまり、こういうことだろうか。
佃煮の最初のレシピは、たしかに、佃島にあったのだろうが、そのレシピを、改良し、商品にまで仕上げたのが、鮒佐、だったのかもしれない。
もっとも、どっちが、発祥の地だとしても、特に、佃煮に思い入れがあるわけでもないので、どうでもいいのだが。
佃島テーマパークのお土産品には、なるだろうけど。
(2009年7月記)

有楽町線月島駅(佃小橋)

2009-12-20 07:27:54 | Weblog
陸橋の下を、さらに、北西に進む。
月島、という地名は、たぶん、築地、から考えると、もとは、「築」島、だったんだろうな。(月島は、明治時代から昭和にかけての、新しい埋立地なので、地名については、まったく、歴史はない)
築きあげた島、つまり、埋立てられてできた島、という意味かもしれない。
だとすると、今、向かっている、佃も、「築」田、だったのかな。
こんな場所に、田圃があったとは、思えないので、「田」の方は、怪しいけど。
陸橋の北側に出て、そのまま、街中を、北へと、入っていく。
だんだん、街並みが、古い感じになってくる。佃は近い。
佃も、月島と同じく、テーマパークとなっている。
こちらも、やはり、バブルの頃にそうなったのかなと、思ってしまうが。
そういえば、佃には、一度、来ているのだ。
リバーシティの工事を見に来たときだから、バブルの頃だな。
何棟か、巨大な高層ビル群が、姿を表し、新しい街が、できたころ、佃にも足を伸ばしてみた。
そのときから、もう、観光地然としていたなあ。
ところで、よく写真で、リバーシティ高層ビル群の未来的な情景をバックにした、江戸情緒溢れる、佃の風景、というのがあるけど。
その、対比で、興味を惹かせようとしているのだろうが。
でも、リバーシティが完成し、有楽町線が開通して、テーマパークとして、脚光を浴びるようになったとすれば、「対比」、ではなくて、むしろ、セットと考えたほうがいいかも。
あまり、観光地には、興味がないので、どっちでも、いいんだけど。
そんなことを考えているうちに、佃島への橋、佃小橋に着いた。
なんか、いかにも、江戸の昔、テーマパーク、という感じだな。
この、華やかな橋を渡ると、佃、ということになる。
(2009年7月記)

有楽町線月島駅(月島もんじゃ焼きストリート)

2009-12-19 07:07:39 | Weblog
晴海通りを南東へ。豊洲駅に向かう。
高層住宅群は、あと1棟か2棟竣工すれば、いちおう、完成だ。
今のところ、次の予定はないみたい。
一面の工場地帯が、高層住宅街になってしまったな。
もっとも、もう、今となっては、感慨は、沸かないけど。
豊洲駅で、有楽町線に乗る。
次の、月島駅で下車。
月島、といえば、もんじゃ焼きだ。
だが、ちょっと前までは、豊洲のように、あちこちに、高層住宅が、次々と、建っていった、という記憶もある。
今は、ずいぶん、落ち着いてきたけど。(あと1棟、大規模な計画はあるらしい)
考えてみれば、もんじゃ焼きブーム、というのも、この、高層住宅の建設と、連動していたのかもしれないな。
たとえば、そもそも、月島駅そのものも、そんなに古くなく、バブルの頃だし、高層住宅も、北側の、リバーシティは、同じく、バブルの頃だ。
それ以前に、月島を訪れる、なんて、特に、考えられないな。
もんじゃだって、あちこちにあるわけだし。
そういえば、寅さんの映画に、一瞬だけ、月島が出てくる。
その場面に、今、駅の上空を覆うように伸びている、陸橋が、映っているのだ。
高度成長期の終わり頃には、この巨大な陸橋は、できていたわけか。
市街地に、このような、大規模な橋梁は、昔だからこそ、できたのかもしれないけど。
月島駅から、その陸橋の下を、北西へ歩いていく。
途中、もんじゃストリートの入口。
まだ、時間が早いためか、景気がよくないためか、あるいは、天気がぱっとしないためか、閑散としているように見えるが。
やはり、テーマパークは、不景気だと、厳しいのかな。
ちょっと、もんじゃストリートに入ってみようかと思ったが、やめた。
さっき、ちょっと、触れたが、近くで、高層住宅を建てるらしいので、月島を訪れる機会は、あるだろう。
ということで、もんじゃストリートは、また今度、ということにしよう。
(2009年7月記)

有楽町線豊洲駅(豊洲3-2街区ビル計画)

2009-12-18 06:09:41 | Weblog
有明テニスの森駅から、ゆりかもめに乗る。
車窓から、下を見ると、まだまだ、三沢光晴を悼む、行列は、続いている。
この、行列の長さは、悲しみの深さを、表しているのだろうな。
どこまでも続く行列。果てしもなく深い悲しみ。
走るゆりかもめから、ずっと、下を見ていたら、結局、行列は、豊洲駅近くまで、続いていた。
終点、豊洲駅で下車。
相変わらず、賑やかだな。
商業施設やテーマパークみたいな施設があるからだろう。
さらに、高層住宅も、揃ってきたので、人口が多くなった、ということもある。
もっとも、昨今の、相次ぐ訃報に、なんだか、虚しい気持ちになってしまうが。
気を取り直して、メインストリート、晴海通りを、北西に歩いていく。
この大通りの、北東側に、高層の業務棟が3棟、建つ予定だ。
最も東側、豊洲駅近くの、豊洲3-1街区ビル計画は、すでに、着工している。
次いで、着工したのが、真ん中の、豊洲3-2街区ビル計画だ。
住宅が完成すれば、その後は、オフィス棟も建てる、というわけかな。
職住近在、を目指すのだろうか。
本当に、たいていのことが、この区域内で、賄えてしまう、というになったら、便利なんだろうけど。
といっても、自分は、職住近在、というと、地場産業の、小さい工場を思い浮かべてしまうのだが。
そっちの方が、楽しそうだな。
工場、といえば、ちょっと前まで、この場所、一帯には、広大な工場の敷地があったんだっけ。
今は、すっかり、変わってしまった。
変わってみると、実に、あっけないくらい。
あまりに、あっけないから、虚しくなってしまうのかな。
ひょっとすると、そういうことを、虚しいと思う気持ち、悲しいと思う気持ちは、永遠なのかもしれない。
そして、未来を夢見る気持ちも。
せめて、そうでないと、救われないな。
(2009年7月記)

りんかい線国際展示場駅(三沢光晴選手を悼む弔問の列)

2009-12-17 06:09:41 | Weblog
有明コロシアムの北側の道路を東へ歩いていくと、ゆりかもめの手前あたり、長蛇の列ができている。
さるプロレス団体が、主催した、お別れの会のためにできた、弔問の列だ。
もっとも、プロレスについては、実は、よくわからない。
深夜に、たまに、テレビに映っているのを、見るぐらいだったな。
そのとき、いつも、出ていたのが、三沢光晴選手なのだが。
ただ、そのためだけに、自分が、この場に、やって来た、というわけでもない。
心が折れそうになることが起こったのだ。
始まりは、忌野清志郎、だったろうか。
忌野清志郎の、突然の訃報の衝撃が、まだ、残っている中、今度は、栗本薫。
さらに、三沢光晴。
最後の止めが、マイケルジャクソン。
自分と年齢が近しい、オピニオンリーダーが、こうまで、相次いで、鬼籍に入ってしまうとは。
正直、かなり、打ちのめされてしまったな。
そういうわけで、いてもたってもいられず、どうしても、この4名のうち、誰でもいいから、このような、催しに、参加したかったのだ。
それにしても、この、粛々と進む、重々しい雰囲気の、行列を見て、彼らが、背負ってきた、時代の重さを、改めて感じる、というのは、本当に、悲しい。
そういえば、マイケルジャクソンのコンサートに行ったんだった。たしか、東京ドームだったかな。
当たり前だけど、あの頃は、こんな風な、終わりが来るとは、考えても見なかった。
今は、もう、皆、天に召されてしまって、この世にはいない。
マイケルジャクソンは、エモーショナルなものを、音楽に表現する、天才だったのだろうなあ。
ただ、皆が、賞賛するのは、その、表現だけ。その、源になった、エモーショナルな部分は、誰も、見向きもしなったのかな。
だから、表現すればするほど、孤独になっていったのかもしれない。
なんて、今さら、考えてみても、彼は、もう、いないのだ。
時代は、動いていく。たぶん、ずっとこの先、どこまでも。
だが、人生には、かくのごとく、終わりがある。
そんなことは、判りきってるんだけど。
時に、その現実の前で、狼狽し、うろたえてしまうことがあるのだ。
今が、そんな時かな。
(2009年7月記)

りんかい線国際展示場駅(Brillia Mare有明Tower&Garden)

2009-12-16 05:04:28 | Weblog
濃い緑を湛えた、有明テニスの森公園の、道路を挟んで、北側には、Brillia Mare有明Tower&Gardenがある。(工事中はこちら
最近、竣工したようだ。
ビルの形が、立方体みたい。高さばかりではなく、幅もあるのだな。
高層住宅なので、それだけ、多くの住民の暮らしの場になるのだろう。
目の前には、よく整備された、広大な公園があるし。
荒れ果てた埋立地だったのだが、変われば変わるものだ。
最初、ここに来たときは、こんなところに、高層住宅なんて建てて、大丈夫なのかな、と思ったものだが。
余計な心配だったようだ。
たしかに、埋立地なのだが、交通の便から見れば、りんかい線、ゆりかもめ、が通っているし、都バスも頻繁に走っているので、とてもいい。
あとは、ショッピングセンター、なんだろうけど、臨海副都心があるから、別に、不便はないのかな。
そういえば、昔、よく、ここから、東へと、歩いたものだった。ずっと、歩いていくと、東雲に辿り着くのだ。
まわりを見渡しても、何もなくて。今でも、何もないけど。
とにかく、砂埃がすごかったなあ。
歩いていると、都バスが、追い抜いていくのだ。
そのたびに、次の、バス停で、乗ろうかな、と思ったりした。もったいないので、やっぱり、歩くことになるのだけど。
途中に、コンビニが、一軒あって、その裏手が、古ぼけた、工場だった。今、その場所にも、高層住宅を建てている。
昔のことを、思うと、時代は、流れているのだ、と実感してしまうな。
この先は、どうなっているのだろう。
倉庫や工場は、すっかり、なくなって、緑の公園と、集合住宅が点在する場所になるのだろうか。
まったくわからない。
わからないし、そもそも、そんな先のことまで、知ることなど、できないのだ。
それは、それで、いいのかもしれないけど。
(2009年7月記)

りんかい線国際展示場駅(有明テニスの森公園)

2009-12-15 06:09:46 | Weblog
高田馬場駅で山手線に乗り換える。
大崎駅で、さらに、りんかい線へ。
今日も、相変わらずの、曇天だ。
一頃は、一時的に、夏らしくはなったものの、最近は、再び、空が、雲に覆われる、毎日が続く。
このまま、秋になってしまうのかと、思ってしまうな。
景気もよくないし。こちらも、曙光すら、見えない状態。
この先、どうなってしまうことやら。
そんなことを、考えているうちに、りんかい線は、静かに、動き出し、やがて、地下へ。暗黒に閉ざされた車窓の風景に気が滅入るばかり。
品川シーサイド、天王洲アイル、そして、トンネルの先には、臨海副都心。
トンネルの先には、未来、だったのになあ。
国際展示場駅に着き、ホームへ。
長い長いエスカレータを登っていく。
あまり天気がよくないからだろうか、それほど、来訪者はいない。
改札を抜け、駅舎を出ると、駅前広場。
なんか、ポツポツ、来たかな。小雨だ。傘、持ってくれば、よかったな。
それほど、ひどくはならないだろう、とは思うけど、どうだか。
最近は、こんな目に遭っても、特に、心が動かなくなってしまった。
いつもの事だと、達観してしまうのが悲しい。
芝地を西へと、歩くと、湾岸線を越える、コロシアムブリッジへの階段。
東側に、幅広な道路が、開通したので、この歩道橋、いらないといえば、いらないのだが。
以前なら、湾岸線の北側に行くのには、唯一の、橋だったからだ。
今は、有明コロシアムのためだけの、歩道橋かな。
渡り終え、階段を降りると、その有明コロシアムは目の前だ。
今は、バレーボールかなんかの試合をやっているのかな。
いちおう、テニス以外にも、活用されているみたい。
せっかくの施設なのだから、有効に活用するのは、いい事だ。
有明コロシアムの西側には、有明テニスの森公園が広がる。
思っていたよりも、緑が多くて、きれいな公園だなあ。
こんな陰々とした天気なのに、木々の緑は、なぜか、色褪せない。
かえって、水を含んで、その緑は、生き生きとして見えるのだ。
いろいろな事どもが、この緑の葉、一枚にも、若かないのかもしれない。
一瞬、そう、思ってしまった。
(2009年7月記)

常磐線亀有駅(亀有駅北口の亀有公園)

2009-12-14 04:39:51 | Weblog
駅前を東側に歩き、街中に入っていくと、すぐに、道路の北側に、亀有公園がある。
両さんの交番は、この公園に面して、あることになっているのだが。
もちろん、両さんは、空想の世界なので、亀有公園は、変哲もない公園にすぎない。
ただ、駅前に、銅像を立てるぐらいだったら、この公園にも、交番を模した、両さん博物館ぐらい、あっても、よさそうな気がする。
テーマパークとしては、面白いと思うけど。
そういえば、両さんのマンガで、最も、好きなのは、この亀有公園を、中川君の財力で、人工の海辺リゾート地に、変えてしまう話。
壮大な無駄、というところだが、主眼は、別のところにある。
つまり、職場である、交番のすぐ近くに、リゾート地を作ってしまう、というところが、話の中心、なのだろう。
なぜなら、海辺リゾート地なら、わざわざ作らなくても、何らかの、交通手段を使えば、いくらでもあるからだ。
このコンセプトを実現したのが、バブルの終わり頃に、オープンした、ワイルドブルーヨコハマやスキードームSSAWS、なのかもしれない。
両さんのマンガの方が先かどうか、忘れたが、たぶん、先だと思う。
ただ、このような施設は、もう、跡形もなく、消えてしまったな。
今の世の中、仕事で、へとへとになっていて、そんな近くに、人工のリゾート地など、あっても、目障りなだけかもしれない。余計、くたびれるだけなのだ。
勝ち組なら、どう考えても、人工のではなく、本物の、リゾート地に行くだろうし。
ちょっと話は変わるけど、それにしても、スーパー金持ち、中川君と、下町の両さんが、なんら、違和感もなく、行動を共にしている様は、本当に、安定期の頃やバブルの頃を、象徴しているように思う。
あの頃は、マンガではなくとも、実際、世の中が、そんな感じだったな。
つまり、金持ちと下町が、等価だったのだ。種類の違いでしかなかった。
両さんのマンガ、最近は、見ていないから、わからないけど。今も、そのままかな。
ちょっと前に、ちらっと、見たのだが、スーパー金持ちの中川君が、ただの、イケメンになっていたように、感じたのだが、気のせいだろうか。
どちらにせよ、自分にとっては、もう、過去のマンガだ。
それに、こんな風に、銅像になっていること自体、過去のもの、ということを、表しているようにも思えるし。
そんな時は、寅さんの映画でも見るしかないのかな。
寅さんが夢見る、過去ではなく、寅さんが愛された、時代を、懐かしむために。
(2009年6月記)

常磐線亀有駅(亀有駅北口制服姿の両さん像)

2009-12-13 07:10:08 | Weblog
亀有駅の北口に出てみる。南口に比べて、再開発はされていず、まだ、昔のままだ。
こちらには、制服姿の両さん像がある。
実は、この像が建つよりも、ずっと前、両さんが気になって、一度、行ったことがあるのだが。
駅前にたしかに交番があるのだが、もちろん、両さんとは、関係なかった。
その頃は、南口の再開発はまだで、金町ほどではないにしろ、寂れた感じの駅前だったなあ。北口の方は、今でも、そうなんだけど。
そんなわけで、亀有駅に来てしまうほどに、両さんの登場は、とても、印象的だったわけである。
今でも、覚えているのが、中川君が配属されてきた時、拳銃に対する、ガンマニア的な講釈が、続く場面。
警察官としては、とても、不謹慎な感じなのだが、マニア心の方が優先されてしまうのだ。
もう一つ、江戸川で、両さん、中川君が釣りをしている時、橋で、交通事故が起こる。
クルマが、江戸川に落ちそうになっているのだが、橋の上が、千葉県と東京都の、境になっていることに気付いた両さん、事故処理をしたくないので、そのクルマを、千葉県側に落として、その処理を、千葉県警にさせようとする。
こちらも、釣りの方が、優先されている。
ちなみに、釣りの最中、両さんが、鯉こくを食べたければ、柴又の川魚、云々、という、言葉があるけど、これは、柴又の川甚、のことだろうな。
実際の警察官が、こんなことを、しているわけでは、ないのだろうけど。
ただ、非番の日、たまたま、モデルガンの趣味があったり、釣りが趣味だったり、そういうことは、あるかもしれない。しかも、実生活では、そのような趣味が、主、だとしたらどうだろうか。
つまり、両さんのマンガは、そういうことを、いっているわけかな。
生産(職業)よりも、消費(趣味)の方が、重視される、ということだ。
ここで、寅さんの映画に戻るけど、その世界は、家族と地域社会と労働、から成り立っていた、と思う。両さんの世界とは、異質なのだ。
とすると、ひょっとしたら、寅さんの映画の世界を思い浮かべ、夢見る、視点、場所、というのは、両さんのいる世界、なのかもしれない。
なんか、だんだん、寅さんと両さんが、結び付いてきたかな。
(2009年6月記)

常磐線亀有駅(亀有駅南口お祭り両さん像)

2009-12-12 06:14:38 | Weblog
南口駅前広場の西端には、お祭り両さんの像がある。
お祭り、と言えば、両さん、なのかな。
寅さんかと思ったが、そういう時代では、ないのかもしれない。
もっとも、両さんは、ただ、お祭りを楽しんでいるだけだし、寅さんも、的屋、ということで、お祭りに関わっているだけだが。
両者とも、地域のお祭りを、取り仕切っているわけではない。
そういう点は、かろうじて、同じなわけか。
でも、寅さんを見て、なんで、両さんを連想したのだろう。
そもそも、寅さんの後継者が、両さん、であるわけもないし、特に、似ているわけでもないし。
だが、今回、柴又の寅さんの地を訪れた後は、亀有の両さん、という流れが、自然にできていたのだ。
ところで、両さんの登場は、高度成長期が終わって、安定期に入った頃だが、その強烈な印象は、今でも、よく覚えている。
絵のタッチなど、現在の両さんとは、まったく別物だが、存在感自体は、変わっていない、と思うのだが。
このマンガを初めて見て、まず、驚いたのが、両さんは、設定が、警察官なのだが、まったく、その職務を、果たしていない、ということだ。
職務を果たしていないけど、制服を着て、拳銃を持って、交番にいれば、警察官なのだろう。(ちなみに、この作品に影響を与えたらしい、こまわり君は、逆に、警察官とは思えない姿、言動なのだが、いちおう、職務を果たそうとしていたように記憶している)
しかも、絵が、デフォルメされていず、劇画調なので、リアル。これでもかというぐらい、警察官を表現しつくしている。
なのに、警察官の仕事を、まったく、やっていない。
では、何をやっているのか、というと、ひたすら、自分の好きなこと、興味のあることしか、やっていないのである。
仕事道具である、拳銃も、好き放題に撃ちまくるし、ガンマニア的な興味の対象でしかない。
天才バカボンのお巡りさんも、やたらと、発砲するけど、いちおう、威嚇射撃だ。
両さんの場合、やたらと発砲しても、その射撃は、威嚇射撃ですらない。
つまり、両さんは、格好だけ警察官で、後は、ひたすら、好きなことをしている。
これが、パン屋さんや、あるいは、サラリーマンなら、あり得るのだろうか。
実は、あり得るような気がするな。
ようするに、パン屋さんなら、最低限、パンだけ焼いて、後は、ひたすら、好きなことをやっていれば、両さんなのだ。
サラリーマンだとしても、同じ。
つまり、このマンガによると、職柄は、二の次、三の次、好きなこと、趣味的なこと、が第一であり、それが、アイデンティティを決定する、というわけだ。
そういう両さん的な世界が、高度成長期を達成した後、安定期からの時代、というものかもしれないな。
(2009年6月記)