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浜田女子学生殺人事件に関する客観的事実

2016年12月21日 | 日記
まずは客観的事実から。

【浜田学生殺害事件】矢野富栄を被疑者死亡で書類送検

2009年10月に島根県立大1年の平岡都さん=当時(19)=が行方不明となり、広島県の山中で11月6日、切断された遺体が見つかった事件で、島根・広島両県警の合同捜査本部は遺体発見2日後に山口県美祢市の中国自動車道下り線において、交通事故で死亡した当時30代の男が事件に関与した疑いが強まったとして、被疑者死亡のまま書類送検する方針。

平岡さんは21年10月26日夜、島根県浜田市内のアルバイト先のショッピングセンター「ゆめタウン浜田」を出た後、行方不明になり、11月に広島県北広島町の臥竜山(がりゅうさん)で切断された頭部や胴体などが見つかった。

司法解剖の結果、平岡さんの顔に複数の殴打痕、首には指の圧迫痕があり、胴体に死後切りつけられた傷や火を付けられた形跡もあった。

矢野容疑者が母親と乗っていた車は、ガードレール3カ所に衝突して炎上、ブレーキ痕やスリップ痕はなかった。

警察は、容疑者を特定した経緯について「今年になって、当時付近で起きていた性犯罪事件などを調べ直したところ、今回の男が浮上した」と話している。

遺体に付着していたビニール片がNTTが電話帳の配達に使用するポリ袋の一部と判明し、矢野容疑者が住んでいた山口県下関市神田町に捜査に向かったが、その時は見逃していたことになる。さらに、矢野容疑者は当時、浜田市の隣の益田市に住んでおり、知人に「大変なことをしてしまった」などと、事件への関与をうかがわせる内容の話をしていたが、これも警察は関知していなかった。

矢野容疑者の実家は山口朝鮮初中級学校や韓国料理店が多くある街で米穀店を営んでいたが、数年前に弟が美容院を開店、現在は店に「一身上の都合で閉店することになりました」との張り紙があった。

事件直後にも、平岡さんが住んでいた大学の寮から300メートル離れた道路脇の側溝から、本人の靴を見逃しており、批判が集まったが、これは島根県、特に西部地方は犯罪発生率が低く、重大犯罪も数十年に一度あるかという地域で、事件慣れしていない島根県警の捜査能力の低さが浮き彫りになった格好だ。


そして以下もまた事実。

・下関 旧東大坪町

 この一帯を人々はトングルトンネ(糞窟村)とよぶ。ここに、朝鮮半島から渡って来た人々が住み始めたころ、各家庭にちゃんとしたトイレもなく、脇道などで用をたした。汚物が、三方が小高くなっている地形の、底の部分にたまり、においがただよっていたことをもって、このようないい方がされるようになったという。いささかオーバーな表現ではあるが、当時は各人が、勝手にとりあえず自分の住みかを作り、衛生状態にまで配慮が行き届かなかったことなどが想像される。
 ここに始めて来た、徐類順さん曰く、「ここは釜山にそっくり」と。確かに、釜山40階段界隈の雰囲気がある。朝鮮戦争当時、北から逃れて来た、多くの避難民が借りの宿を建てて暮らし、戦争が終わって無事だったら40階段前で再会しようと約束しあった、その場所である。同様に下関も、解放後、帰国を待ちわびる人たちであふれ、トングルトンネにも当然人は押し寄せ、いつ出るとも知れぬ船を待って、借りの生活をした。


状況証拠にはなるが、このような地域に好んで住もうという日本人はいないであろう。となれば、まあ、名前からして彼は在日なんだろう。