昔のバスの写真

昔の東武バスなどを中心に不定期に書いております。

昔の東武バスの写真(神明町車庫にて)

2013-03-26 08:23:29 | 日記

こんにちは。rest2012です。

今から30年くらい前に撮影した東武バスの写真をご紹介します。

今回は川越の神明町車庫ですが、おまけになりますが

今は無き国際興業バスの神明町車庫の写真もあります。

東武バスと国際興業バスの車庫はお互い正面というめずらしい場所です。

計5枚ご紹介します。

神明町車庫(その1)

 神明町車庫(その2)

 

 神明町車庫(その3)

 

 神明町車庫(その4))

 神明町車庫(その5)

 

国際興業バスは、この頃、川越から高萩駅や高麗川団地まで運行してました。

また志木管内は、志木駅前に志木分車庫といって、川越営業所の出張所のような

扱いだったと思います。また私は残念ながら行けませんでしたが志木の協和住宅

付近にも車庫があったと聞きます。時代は変わり、西浦和車庫に統合となっています。

この頃のいすゞ車が一番すきですね。地方に行けばまだ乗れるのでしょうかね? 


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4 コメント

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Unknown (farewell song)
2013-04-08 02:13:10
2枚目のRE120ですが、廃車寸前の頃に路線減便で余剰となった栃木県や群馬県の営業所からまとまった数の車両が埼玉県内の営業所に配転されていました。
47年前期導入分、富士重R13車体までは後部方向幕を装備しない為後付け改造を行ったようです。
車内の暖房が強化されていて窓際床下に太いカバーがあり場所をとっている為、
そこに足を乗せないと狭い思いをするというのが難点でhした。
国際興業の川越営業所ですが、その年の新車は池袋営業所から順に番号が与えられ、飯能か川越志木がその年の最後の番号があてがわれるケースが多く(例外的に平成3年の最若番が大宮配属になったケースがあります)、
大体の社番の流れが掴めれば予想がつけられたものです。
逆に川口や鳩ケ谷の社番になれていると一見して違和感があったりしましたが…。
東武も原則はあったのですが(岩槻→(吉野町)→上尾→坂戸または川越)、多く導入された年は簡単に崩されていますし、最近は完全にバラバラになっています。

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Unknown (rest2012)
2013-04-08 08:27:13
farewell song様、コメントありがとうございます。2枚目の写真ですが、他所からの転属だったんですね。また確かに地方のバスは後ろ側の方向幕がないことが多いですよね。なぜなんでしょうね。後ろの方向幕がないのは寂しいデザインですし、お客さんもわかりにくい気がします。また後ろの方向幕がなく、広告だったりすることが何とおおいことか。ただ、この2枚目のバスが走っていた光景がほとんど記憶にありません。運転手さんはみな新車に走ってしまうのでしょうかね?(笑)
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Unknown (Unknown)
2013-05-05 23:54:20
神明町車庫といえば、専ら東武バスの川越営業所とばかり思ってましたが、国際興業の営業所もあったんですね。

志木協和住宅付近の国際興業バスの留置場は幸町4丁目の交差点を柳瀬川方向に入った場所に細い道の十字路があり、その角にありました。

新座団地から志木駅方面に自転車で行くときによく前を通ってました。
今は戸建が並んでます。
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Unknown (Unknown)
2013-05-06 07:40:11
Unknown様、コメントありがとうございます。そうなんですね。国際興業バスが川越にあるなんて想像つきませんよね。また協和住宅付近のこと、よくご存知ですね。本当にうれしく思います。写真にもあるとおり、以前親戚が新座団地に住んでいましたので、新座団地はもちろんのこと、周辺地域は今も車で通ります。ローカル話ですが例えばPOWERSとか行かれますか?(笑)また柳瀬川にも思い出があり、子供のころカセットビジョンというゲーム機を買いに志木ニュータウンまで行ったのですが、当時できたばかりの町できれいで私には夢のような町に見えました。
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