れら工房BLOG

2004年の夏に引っ越して、れら工房をオープンしました。
ブログを始めて10年以上が過ぎました。

季節の変わり目

2005-11-02 10:51:01 | 母と娘、家族
今日もよい天気!
天気予報は降水確率0です。

布団干し、洗濯日和!

秋冬もの衣類を出し、そう・・クリーニング屋から、冬ものをもらって来なければ・・・・・
季節の衣類がまだ用意できてなくて・・ああ~~~!
寒い日々を送ってたりしましたが、今日はかなり冬仕度がすすみそうです。

外では小さな子どもたちが遊ぶ声がします。
娘が2才のときにこの街に越してきました。約30年の歳月が過ぎ去りました。
娘は「お家に帰る!」と言ってよく泣きました。以前住んでいた家に帰りたがり私は当惑しました。
それで、お隣に住んでいたゆりちゃんに遊びに来てもらいました。

娘は「ゆりちゃんち」でよく遊んでもらっていたのです。
ゆりママは娘と同い年のゆりちゃんと2才年上のお姉ちゃんを保育園に通わせていましたが保育園は4時過ぎには終わってしまいます。土日祝もあります。
娘はよくお隣へ行ってました。

あの頃、お隣があったので、何とか生き延びれてこれたのだとシミジミ~~~

もちろん、引越し先で、娘はまもなく慣れてそのあたりの子どもたちと広場で遊ぶようになるのですが・・・
広場には砂場やすべり台があり・・・

あるとき、娘の泣き声がサイレンのようだと近所の方に言われました。お兄ちゃんたちと遊んでいて、いやなことがあると、すごい大声で泣きました。
だから、私は家の中にいても聞こえるのです。

もう、30才も過ぎてしまった娘なのですが、あの時サイレンのように泣きわめいていた記憶は懐かしく思い出され、自分の感情をそのままに出す大人になっていてうらやましくもあります。
(一見、おとなしく、落ち着いているように見える娘なのですけれど・・・)

子どもが小さかった頃、さまざまな方々のヘルプがたくさんありました。
娘が赤ん坊のころ住んでいた住宅の隣には公衆浴場があり、赤ん坊の衣服をきせてくれるおばさんがいました。私は年子の子ども二人を連れて、お風呂に行くのですから、とても助かりました。赤ん坊を先に上がらせて、上の子を洗ってやるという手順になってました。
その時代は赤ん坊をつれて公衆浴場に行く人が多かったのです。

近所の方々の世話になりながら、子どもたちが大きくなっていったことを此処に書いてくれと、娘の伝言です。
つまり、若かった私は赤ん坊をだいて、 親子3人で近所の定食やさんに行ったら、何か妙な顔されたとか、二人目の子持ちになった冬は「貸しオムツ」を利用するしかなかったんだとか、かなり手抜きをしていた話をしました。コロッケとか鳥のもも焼きをよく買ってたのですよ!

ほんとに、初めての体験でまったく、なれていないことばかりで、少し先に子どもを育てている方々の話を聞きまくりました。
それを井戸端会議とも言いますが・・・(^-^*)

このあたりは小さな子どもを持った家が多く、若いパパは朝、ゴミ捨てを日課にしてる。
今はパパがゴミ捨て当たり前になったんだなと感無量!
時間がある時は子どもの世話をしてくれたけれど、子どもたちの父親にゴミ捨てなど頼めるわけもなく、仕方なく私は息子が中学生の時はちょうど通学路なのでゴミ袋を持たせた。きっと、そんな風に育った少年たちが今パパになってゴミ捨てしてるんだろうか!

子どもたちの父親は祖母と母にかしづかれて、子ども時代を送っているので、家事手伝いを頼むのにものすごいエネルギーを消費した。
仕方ないよね!慣れないことは!
それでもその人にとってはすごい努力をしたんでしょう!