性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

日本建築学会賞・講演会

2007年07月11日 06時01分17秒 | こちら発行人です


昨年から今年春にかけて、
すっかりご同行させていただく機会に恵まれていた
早稲田大学の建築の先生である古谷誠章さんが、
今回、日本建築学会賞を受賞されました。
その記念講演会が札幌で開催されるということでしたので、
はじめて(?)、じっくりと先生の建築への考え方を聞かせていただきました。
同行させていただいたのは、東北住宅大賞での審査。
初めてお会いしたときに、
「建築は、どのような評価をも受け止めるべき存在です」と明確に話されて、
住宅建築の審査などという大それた仕事を無謀にも引き受けてしまったわたしを
勇気づけていただいた言葉でした。
そういう言葉に励まされて、審査では、わたしは「北方型住宅」という立場から、
自分なりの考えそのままに自由に発言させていただいた、という経緯があります。
東北住宅大賞・初代審査委員長として、
たいへん困難な仕事をされたこと、感銘を受けた次第です。

そんな旧知の方でしたので、
建築への考え方をじっくり聞かせていただいて、よりいっそう、信頼感を持ちました。
今回受賞された茅野市の複合施設や、それまでの建築作品への向き合い方が
わかりやすい平易な言葉で語られていました。
とくに、アンパンマンの記念館の仕事では、
建築着工前から7分の1の模型を現地に置いておいて、
地域住民のみなさんに、どんな施設が出来上がるか、
あらかじめ「使っていくイメージトレーニング」を仕掛けていった、ということ。
そうした実践の基底には、
建築は決して作って終わりなのではなく、
そこからの長い使用年月こそが実質的な意味なのだという考えかたが明確。
大所高所から見下すのではない、そういう建築への姿勢に、
建築家として、人間や社会のなかでの役割を
果たしきろうという姿勢に、たいへん深い共感を覚えました。

今度、機会があったら、
ぜひ、茅野市を訪れてみたいなぁ、という思いを強く持った次第です。
たいへん楽しい講演、ありがとうございました。
こういう講演を聴くことが出来る、若い建築学生のみなさんは幸せですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出窓

2007年07月10日 05時59分15秒 | 古民家シリーズ


北海道開拓の村、展示住宅シリーズです。

けっこう見に行っているので、これまであまり気をつけてみていなかった
建物を見ることにして、裏通り側の住宅を見学し始めて、
さっそく目が釘付けになってしまった写真。
武家屋敷風の造りの玄関を抜けて、
居間とおぼしき、右手の部屋に入ってすぐ、
ごらんのような「出窓」に出くわした次第。
なぜ、衝撃が走ったか、というと、
わたしが育った札幌での最初の家の造作とまったく瓜ふたつだったんです。
玄関を入ってすぐの部屋にある、という配置レイアウトがまったく同一。
わたしの家では、玄関は東側に面していたので、
この出窓の大きな開口は同じように東側に面していた。
きっと、朝のさわやかな陽光を室内一杯に取り込んで、
他の方位はあまり大きな開口を取らない計画だったのだと思います。

それにしても、窓の高さといい、
その下の収納上部のふたのような羽目板の感じといい、
まったくそっくりなんですね。
わたしの家は、当時、札幌で手広く不動産業を営んでいたという、
「木下藤吉郎」という屋号の商売人から建売物件として購入したそうですが、
どうも、この見学した住宅の建築業者と、流儀がそっくり。
同じ工務店か、もしくはそこから枝分かれした作り手か、
そういうことがどうも明らかな感じがいたしました。
考えてみたら、こういう札幌の建築業界の歴史、というようなことも
一度、きちんと整理して、記録として残していく必要があるかも知れません。
そんな印象を強く抱いてしまった次第です。

わが家では、窓下の上ふたのような羽目板は釘を抜いて、
可動式にして、内部を収納として利用していましたが、
この家では、手前の立ち上がり部分の面が、収納の引き戸になっていました。
このあたりは、庶民向けの簡易な仕様と、
この家のような、立派な武家屋敷仕様で、仕上げ方を変えていたと思われます。
いきなりこういう「出窓」というキーワードを
向こうから飛び込んでくるように発見してしまい、
以降、いろんな建物でも注意してみていると、まさに出窓がデザインポイント。
きっと、「擬洋風建築」という札幌の住宅デザインの流れのなかで、
この出窓は、みんなが着目したものだったような気がします。
わたしと同年代の読者のみなさんで、
こういう室内デザインについて、記憶のある方、いらっしゃいませんか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北の古民家たち

2007年07月09日 06時15分06秒 | 古民家シリーズ


きのう、久しぶりに「北海道開拓の村」に行ってきました。
札幌の中心地から車で30分ほど。野幌の森の中にあります。
ここは、開拓当時のさまざまな建築・古民家を復元建築しているところ。
昔から好きで、ちょこちょこと行っています。
構内には馬車鉄道が走っていたり、人力車もあったり、
「昔の遊び方工房」みたいなのもあります。
きのうは、天気が良かったので、屋外で竹馬乗りをしたりしている様子も見られましたね。

何度見に行っても、ふしぎといろいろな発見が出来る。
建物についても、こちら側の知識や経験が深まってきたので、
昔の建築の、さまざまな工夫や合理精神が理解できて、
その度に、目が覚めるような体験をすることが出来ます。
わたしの古民家好きも、この開拓の村体験が一番大きかったかも知れません。
やはり、昔の人々の暮らし方や、考え方が、
住宅や建築を通して、まるで、近しい隣人のように感じることが出来るのが楽しい。

写真は正面玄関を兼ねている、旧札幌駅舎。
デザインは、北の首府としての札幌の街のエキゾチズムを表現しています。
色合いも、たぶん創建当時の駅舎の雰囲気を復元していると思われます。
日本の首都、というのは奈良の都が顕著なように、
歴史的に国家意志をまるで博覧会的に表すものといえる、
というような記述が司馬遼太郎さんの著作にありますが、
その意味では、この札幌の街って、
明治政府の脱亜入欧という基本姿勢を明確に表していた、と言えると思います。
白い外壁と赤いトタン屋根という構成は、
明治の初年の頃の風景としては、まことにモダンなものだったのでしょうね。

明日以降、ときどき写真でシリーズをやっていきたいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間の止まった札幌点景_2

2007年07月08日 07時18分29秒 | 古民家シリーズ


札幌市の南方面には、石切山という
果たした機能そのまんまの名前の山があります。
明治初期、札幌の街の建築をいろいろに作ろうとしたとき、
地元にある、使える良い材料、ということで探したのだろうと思うのです。
そういうときに、たとえば野幌という近郊の地域の土を焼いて作った
煉瓦だとかが、産業化もしたのです。
ご存知のように、北海道庁旧本庁舎、いわゆる赤煉瓦庁舎は
それ自身、殖産振興のために建てられたものとも言えるのですね。
その後の煉瓦産業の進展と、モデルハウスとしての庁舎建物は、
「近代産業」創造のひとつのモデルだったとも言えます。
そういう、アメリカ的な「組石造」の建築文化が根付き、
その流れのなかで、石切山の石、「札幌軟石」も
札幌の街の代表的な素材として使われていったのですね。
建築的には、完全な組石造ではなく、
木造で基本構造を作って、その外皮として使用する「木骨造」だったようです。
現在残されているものでは、郵便局舎など、ある程度公共的な施設、
堅牢性と、長期的な耐久性・耐候性が考慮されるべき建築に
多く利用されてきていたのがわかります。

そういう札幌軟石が、このお宅では、塀に利用されていました。
「ウチはこんなところでも、札幌軟石使っているんだぞ」
というような建て主さんの誇りを刺激する目的だったのか、
あるいは、この当時は価格が下がって、利用しやすい条件があったのか、
いまとなっては、想像の域を出ませんが、
札幌に育ったものにとっては、この石壁の陰影間・質感というのも、
忘れがたく、DNAに刻み込まれるような視覚記憶の世界。
いろいろな地域で建物が建てられるときに、
結局最終的に愛着のよすがになっていくものは、
こういう素材の部分が大きいと思います。
また、それをいかに印象的に、残り続けるように使えるかが、
「建てるプロ」たちが問われ続ける部分なのでしょうね。

以前に、実家にあったこの札幌軟石のリンゴ倉庫を
そのまま、自分の住む家にしたいという願いを持った施主さんがいて、
縁あって、お手伝いしたことがあります。
そのとき、こういう視覚記憶の部分が、
人間の成長のプロセスで、いかに大きな部分を占めているか、
まざまざと、実感できたときがあります。
いま、作られているものは、そんなものを伝えられるような建物・住宅建築として
果たして、機能し続けていけるのだろうか、
大企業の工場生産で、日本全国ほぼ均一な素材が流通する、
いまの状況は、「地域らしさ」を消し去り続けているだけなのかも知れません。
考えていかねばならないポイントだと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間の止まった札幌点景_1

2007年07月07日 06時06分22秒 | 古民家シリーズ


最近よく、車で通る札幌の街の点景です。
木造下見板張りにトタン屋根、さらにその上には、木製の雪止め。
だいたいが切り妻屋根で、1部2階建て。さらに煙突が付いている。
わたしは昭和30年代に少年期を過ごしていたので、
街の原風景として、こういう建物が目に焼き付いています。
当時は、木造低層のこういう建物が連続している街並みだったのですね。
路面電車が縦横に通っていた中心街でも、
ほぼこんな建物ばかり。ほんの一部にコンクリートの建物が
これみよがしに建っていた、そんな印象。
こういう建物で、厳しい冬を過ごしていたわけですが、
室内では沸かした風呂の湯が、一晩で氷になっていたような
そんなのが当たり前という、状態だったと思います。
だから、ひとしお、同じ境遇を耐えている同士のような
連帯感のようなものが、強かった印象があります。
いまの性能が向上した住宅同士では、ありえないような
親密な隣近所との助け合いが存在していた気もします。

雪が多い年には、三角屋根のごらんのような軒先に
うずたかく積もった雪が建物を埋め尽くし、
その雪山の連なりの上を、ひとびとは通路としていたものでした。
めったに車も通らないなかで、
その雪山からソリ滑りをするのも、子どもたちの楽しみでしたね。
ひとびとはおしなべて貧しく、
サラリーマンという、本州企業の「勤め人」のこどもたちが、
子ども社会のなかでのあこがれの存在。

っていうような雑感が、どんどんとわき上がってきます。
みるところ、この建物、現在は使われていない様子。
以前は、立地的に商家だったものと思われますね。
角地のこういう立地は、ふつう、商家があった。
2面が道路に面していて、客を呼び込みやすいのでしょう。
たぶん、建てられてから50~60年は経過しているものと思います。
こういう建物は、とくに保存されるものでもないでしょうが、
わたしたちの年代のものにとっては、
なにかを訴えてくる、機縁を持った存在です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目も楽しませる懐石

2007年07月06日 05時46分46秒 | おとこの料理&食


写真は、ちょっとお行儀が悪く箸を付けちゃった状態の会席膳。
暑い時期に行った京都のお店で食べたものです。
ちょうどいまは、雨が落ちてきていますが、
この時期、北海道はほぼカラッとした晴天続き。
一方で、梅雨とジメジメした暑さが、本州以南を覆い始めますね。
毎日、ああいう状態が続くのはやはり食欲とかに影響するだろうと思います。
本州以南がそういう状態の時に、北海道に来たら、
空気がさわやかにカラッとしているので、
よけい、食べ物がおいしいと感じる部分があるかも知れませんね。

で、やはり、懐石なんかでの、器と食べ物の関係って、
こういう暑さに対する食欲増進の工夫も込められている感じがいたします。
写真に見る、卵豆腐と、そのお皿なんか、
色取りとか、ちょっと絵に描いたようで取り合わせが妙。
敷かれている紙が水面を表現して、その上に葉っぱが流れているような印象の
上の器も、面白くてつい箸が伸びてしまう感じ。
こういうディテールまで、心配りされているのが、
日本料理の基本的な方向性なんでしょうね。

まぁ、少しは暑さにバテて食欲が落ちるくらいになって欲しいのが
実は本音ではあるんですが(笑)、
わたし自身は、どんな状況でも食欲はあります(笑)。
困ったものですが、こういう器と食べ物のハーモニーを見せられると、
また一段と、箸が進んでしまう次第です。やれやれ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

挫折の履歴書

2007年07月05日 06時43分19秒 | 住宅取材&ウラ話

こういう種類の興味というのは、どういうことなのか?
自分でもよくわからないのですが、
いろいろな土地を訪れるたびに、崩壊寸前のような建物を見るのが、
習いのようになっています。
素晴らしい建築を見るのとはまったく違う意味合いで、
こういう種類の、いわば挫折の履歴書のようなものが、
その土地のさまざまなことを語ってくれるように思えるのです。

写真は、6月のはじめに赤井川村を通過したときに
以前から気になっていた、うち捨てられた家屋を撮影したものです。
赤井川村は、札幌市に隣接する村ですが、
札幌からのアクセスは、高い山々が遮っていて、
峠越えの、急峻な道を通って約1時間くらい掛かる地域。
この道が通る前には、小樽や余市を回ってしか行けない村。
産業らしいものがあるわけでもなく、
この家の持ち主は、たぶん開拓農家として入植したのでしょう。
どのような経緯があったかは、知るよしもありませんが、
結果は、こういう崩壊する家屋がすべてを語ってくれています。

最近の小泉改革以降、
地方という経済基盤は大きく揺らぎ、
その打開方向というのも、まったく見えてこない現実があります。
首都圏や、中京、関西といったメガシティ以外の地域は、
中核的な都市部という、ごく一部を除いて、
生き延びていく方向性をなかなか持てない。
というような雑感を、どうしても感じてしまう次第です。
そういうなかで、どのように地方に生き延びていく仕事や、
地域社会を作っていけるのか、
地方零細企業としては、勇気を持って取り組まなければならない課題ですね。
ま、しかし、みんなで知恵を絞るしか、ないのでしょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フリーペーパーの状況

2007年07月04日 06時26分31秒 | こちら発行人です


先日、東京で業界関係のセミナーがあって、
マスコミ業界の動向を概観する機会に恵まれました。
図は、日本の状況を表したものですが、
世界的に、フリーペーパーが大きく伸張しています。
スウェーデン発祥の、都市交通駅のラックスタンドから無料で供給される
日刊ニュースメディア「METRO」が、世界21カ国で総数800万部超の
マンモスメディアに成長してきています。
世界的には似たモデルも含めて2100万部発行されているそうです。
そもそも、欧米では新聞を宅配するという習慣はないなかで、
これまでは、駅など人が移動する機会を捉えて
スタンド販売で新聞メディアが販売されてきた経緯があります。
こうした状況に対して、フリー新聞がほぼ同様な流通手段で、
配布されていけば、そちらに流れていくのは理の当然。
流通に配慮して、交通機関の運営会社の1ページ広告を
これも無料で提供する、という手を使っているのですね。

ところが、日本ではこの「METRO」は上陸の気配がない。
日本でニュース配信を行っている通信社が
「絶対にニュース配信をしない」と、宣言しているという現実があります。
韓国も自由主義国であるはずですが、
メディアや報道に対して国の管理が厳しい国で、なかなか自由ではない。
中国はもちろん、体制が体制なので、自由には行かない。
どうも、アジアの主要国家では、障碍が多いようです。
ただ、日本の状況は、なんとも「日本的」。
業界的で談合的な社会の体質表現だ、といわれても仕方ないような現実。
日本でフリー新聞が成立するとすれば、既存メディアが変化する
という形式が予想される、ということのようです。

インターネットは、検索型に進んでいくなかで、
紙のメディアの一覧性、携帯性の高さなどで生き残っては行くのでしょうが、
しばらくは混乱した状況が続いていくものなのかも知れません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニセコひらふのリゾート建築

2007年07月03日 06時34分16秒 | 住宅取材&ウラ話

先日のオージー企業によるニセコ訪問時の写真。
いちばんスキーゲレンデに近い位置の滞在型物件です。
このデザインは、オーストラリア人の基本構想に踏まえてまとめられたもの。
手前側がゲレンデ側。片流れの屋根で手前側に高窓が開けられています。
なので、一見、3階建てなんだけれど、
メゾネットタイプの2階建て。
外観の色合いは黒っぽい、シンプルなもの。

一方、こちらは内部の様子。
2階の大きな居間空間に、ごらんのような太い梁が走っています。
無垢の材料だったのですが、長さも太さもちょっと、規格外っぽい。
どうやってこんな材料、仕入れられたのか、
このあたりがポイントになっていましたね。
当然、日本国内では難しいでしょうから、外材でしょうけれど、
それにしても太さが半端ではないものでしたので、
ロシアなどから探してきたものでしょうか。
長さも大型トラックでギリギリっぽい。
まぁ、こういう素材だけで、ドーンと見せてしまおうというインテリア。
この居間空間を持つ部屋はベッドルームが4つくらいあったので、
8人くらいでシェアする滞在型の造り。
大きめのキッチン設備などもあって、居住性が高い。
1週間以上、2週間程度の長期休暇を取ってスキーリゾートを利用する
こういう、かれらのリゾートスタイルにとっては、
温泉観光型の日本人型のリゾート施設は、価格も内部空間も適していないんですね。
どうしても、既存のホテル群や、民宿などは、
1泊2日の短期滞在型にあわせて、盛りだくさんの据え膳、っていうスタイル。
価格も、1週間分を土日で稼ごうとするものになる。
どうも、スキーリゾートというのは、そうではないようなんですね。
オーストラリア観光客は、絶対に地元の施設を利用しない、
ということの理由が明白でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴァーチャルジャンプ

2007年07月02日 10時32分44秒 | こちら発行人です


みなさん、札幌の街で来客を連れて観光に行くとしたら
どんなところに行きますかね?
わたしのところには、よく本州以南の来客の方が
だいたいはビジネスがらみで来られるので、
時間がない中、ちょっとしたスポットで
とびっきり札幌らしい場所って、考えてここに良く来ます。
札幌・大倉山ジャンプ場。
ラージヒルジャンプ場では国内でいちばん有名で、
札幌オリンピックや、国際大会の開催がひっきりなしのメッカ。
今の時期には、てっぺんの展望台までロープウェイが通っていて、
「これなら、滑ると言うより、落ちる、だわ」
っていう恐怖の滑走路を望んでもらい、札幌から石狩湾、石狩平野の
大パノラマが視界一杯に開いています。
ジャンプの選手は天気がいいときには、
この大パノラマに体を投げ出すように飛躍するんですね。
ものすごいカタルシスだろうな、と感心いたします。
大概のみなさんが、目を丸くしてジャンプ場にたまげてくれます。

きのうは、家族連れで訪れまして、
ごらんの写真のようにヴァーチャルジャンプを楽しみました。
って、これは簡易な方でして、
本格的な方はヘルメットを付けて、実際に高低差のレールを滑り降りて、
助走、飛び出し、スキー開脚、着地というヴァーチャルジャンプなのです。
準備からなにから、全部で5分以上かかるもの。
親子3人、みごとな失敗ジャンプの連続でございました。
なかでも最悪はわたしでして、なんと、ランディングバーンで塀にまで
激突しておりました(笑)。
なかなか、むずかしいんですよね。
昔、高校の時に飛ばされたジャンプの悪夢を
再度、思い出してしまった次第です。
まぁ、簡易な方では、一応、136mの飛距離をマークしまして、
若干、溜飲を下げさせてはもらいました、が。
ここの施設では、ヴァーチャルジャンプの本格派も含めて、
入場料以外は無料なんですね。
こどもは入場料もかからない。
これは、オススメできるスポットだと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする