性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

英賀という土地、神社

2011年05月29日 12時31分39秒 | Weblog







江戸期には、わが家は「阿賀屋」という屋号を名乗っていたということ。
丸にあの字のマークも使っていたのだそうであります。
そういうことで、商家や庄屋を伝統的に営んでいた。
たとえばきのう触れた神埼郡のお宅のように
一国庄屋的な、そういう機能を果たしていたようなのです。
各藩には支配者としての武家がいたけれども、
実質的には、経済は民衆が営んでいた。
江戸期の政治経済は、そういう構造の上に立っていた、といわれます。
さて、民衆の真実の歴史というものは興味深い。

写真は、「阿賀屋(あがや)」という屋号の機縁と言われている
兵庫県の英賀(同じく、あが、と読む)にある神社の本殿建物であります。
英賀神社ということなのですが、
そのキッチュさは、ちょっと信じがたい。
一応、本殿は奥の建物であって、手前側のは、
どうもお神楽でも奉納するときの舞台のようなしつらい。
四面が開放された屋根だけの建築が、本殿手前にくっついている。
しかも、その内部の柱と梁の天井空間は、
たぶん、毎年の奉納と思われる立派な絵馬が、
これでもかと豪華絢爛というように飾り付けられている。
テーマは、それこそなんでもアリであって、
一般的には武家の戦記物が多いようだけれど、
その時代の雰囲気を表すかのように
実にさまざまな絵柄のものがあふれかえっている。
統一的なデザインと言うよりも、まさに素朴な民衆的なパワーが
見るものを圧倒するかのように迫ってくる。
どうも、こういうタイプの神社を見たことは初めてで
まったく圧倒されておりました。
同じく播州出身の家系伝説をお持ちの司馬遼太郎さんの調査記述によれば、
英賀というのは、戦国期には石山本願寺の後方兵站基地的な
本願寺門徒の一大根拠地であったそうなのですが、
どうもそうした雰囲気を感じる宗教施設だなぁと言う実感です。
これは一体どういうことを意味しているのか、
民衆の側から見る歴史というか、民俗について、
大変興味深いテーマになってしまった次第です。
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