性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
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【江戸期飛騨「材木伐り出し」村落収入 年間1000万円?】

2020年01月24日 06時30分23秒 | Weblog

北海道住宅始原の旅・スピンアウト版で江戸末期の林業構造の探究。
「官材川下之図」を見て研究していますが、すばらしい論文を発見。
茨木市立文化財資料館学芸員の高橋伸拓氏の研究論文
「飛騨幕領における御用木の運材と川下稼」を発見することが出来た。
江戸期の「村落共同体」経済構造の一端が明確に見えるすばらしい労作。
論文自体は「川下稼〜かわさげかせぎ」の「運材」経済研究が主体ですが、
その前段で「元伐(木材の伐り出し)」について具体的な金額記載があった。
幕領・飛騨は高山の奉行所支配であり山の所有権はもちろん「幕府」の公的資産。
その木を伐り出す作業は、周辺村落共同体が労役主体になる
「お救い」事業として作業料を交付する。その取り決め公文書が残されている。
公共事業でかなり村落共同体に対して撫民的対応で民への配慮が伝わってくる。
また1853年の京都御所焼失・再建という幕末政局を揺るがした歴史的事実も
飛騨からの木材で対応した痕跡。なぜ飛騨が幕領とされたかの理由も垣間見える。
天下の公共事業の貴重な資源が、特定藩の私権専横で左右されることは
公儀幕政全般にとって危険姓が高かったということでしょう。
江戸幕府時代というのは別に強権的な武力弾圧政治とはいえない。
しかも公儀権力として、山の資源管理にも十分配慮されていて、
乱獲で資源が荒廃してハゲ山にならないように「お休み」も定めている。
下の絵のように資源復元には細心の留意がされていた。
大断面の木を伐採すれば、その復元利用までには数十年の時間がかかる。

で、年間を通して元伐作業にあたる村落共同体はおむむね25ヶ村。
<上の2番目の図は村落の地図表記といまのGoogleMapの対比。>
それに対しての総事業支出は2,000両と書かれている。
この研究ではこの金額についての現代貨幣換算はされていないけれど、
お金の比較研究は強い興味を覚える(笑)ので日経と野村総研のHPなど参照。
その結果、江戸時代の物価を総合的に計算するとざっくり3億円弱という数字。
余談で、よく「千両役者」というコトバがあるけれど、
あれは実質も持っていたそうで、歌舞伎のトップスター役者はそれくらい
収入を得ていたのだと言う。今で言えば芸能人や野球選手か。
その意味では貨幣経済が浸透した地域とそうでない地域の落差が大きかった。
なんでも貨幣換算される消費都市経済と非貨幣経済地域・地方村落の格差。
まぁしかし現金収入に乏しい山村にとって、この収入は貴重だった。
村落共同体という経済単位も、江戸期までの社会の基本であって
その内部では自治が保たれ、秩序が整っていたといえる。
むしろ社会主義的生存共同体であって、個人というよりも
その共同体に深く根ざして生きてきたのがニッポン人なのだと気付く。
ムラ全体としての共助精神が支配的で「私有」概念は薄かったかも知れない。
私的所有欲よりも「村八分」の方が怖ろしかった社会。
で、山林からの木材伐りだしの1村あたりの収入は25で割ると1200万円相当。
ムラによってもバラツキはあったでしょうから丸めると1000万円くらいかなぁと。
そういう現金収入でムラ共同の経費に充てたと考えられる。
村祭りの費用だとか、水利維持の土木経費とか。
あるいは流通経済社会でしか入手できない物品の購入資金になったのでしょう。
村落共同体の経営中枢・庄屋層は生き残りを懸けた自治を生きていた。
幕府権力はそういう村落と対話しながら時代を運営していた。

まさに日本史と経済、ひとびとの生き様が生々しく伝わってきます。
歴史記録が残っている「内地」ではこういう探究も可能なことに羨望を憶える。

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