性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

【現代住宅のルーツ? 「江戸期中級武家」屋敷】

2019年09月22日 06時49分46秒 | Weblog



写真は江戸東京たてもの園の「八王子千人同心組頭の家」。
秋田の設計者・西方里見さんから、よく
「現代住宅のモデルは江戸期の中級武家住宅」と言われる。
氏と本格的にこのあたりの「どうしてなの?」というところは
ヒアリングは出来ていません。
しかしまぁ、なんとなくこういうイメージなんだろうなぁ、
というのを感じている部分はある。

江戸期までの日本では「庶民の都市戸建て住宅」概念は乏しかった。
社会の基本のムラでは職住一体機能の「農家住宅」はあった。
そのなかでも支配階層の土地持ちの庄屋たちの住宅は
内部空間の大きな家で、たくさんの小作たちを組織する屋敷。
それらでは集団的農事作業の広大なスペースが用意されていたり
大人数での「寄り合い」集合も可能な広間もあったりする。
なかばは「半公共」的な家屋敷だったことが見て取れる。
実際に領主からの年貢のとりまとめ、請負機能も持っていたので、
社会的にもそういう側面を持っていたと思われます。
古民家として残されている一般小作層の住宅というのはごく少なく
例外的に見ることがあるけれど、土間主体のもので、
大家族が身を寄せ合う様子がその圧倒的な「貧しさ」として偲ばれる。
わが家系は商家でうまくいかず広島県から北海道に移住したのですが、
同郷の知人が農地地主でその小作として家族が生き延びた住宅は
時代は明治期ではあっても、ほぼ同様の「小屋」だった。
身分制というよりも、階層的分化が明確な住形態だったといえる。
一方で都市の「町家」は独立自営の商家の職住一体住宅。
税の基準が「間口」の寸法でおおむね計量されたという
そういう社会的制約に対応した建築群だった。
中庭の工夫など、規制制約の中での自由探究もオモシロい。
それ以外の都市集住者たちは「長屋」形式の賃貸住宅に暮らしていた。
その「長屋」のなかにも一部には成功者の戸建てタイプも
見られたようですが、しかし基本のくらしは長屋共同体生活。
大枠としては土地持ちの「旦那」に賃料を払う賃貸が大半の庶民住宅。
いわゆる都市での独立的「戸建て住宅」は概念自体がなかった。
というか、そういう社会的階層自体が存在していなかった。

明治維新以降、産業革命が徐々に日本に根付き始め、
そういう産業会社に勤務する勤労者という「階層」が成立して
大正期にいたって、そういう少数階層が戸建て住宅を都市に持った。
大正デモクラシーを生み出した都市居住者の生活文化。
こうした階層は、徐々に拡大していって、
戦後社会の高度成長に伴った地方からの大量の都市移住に結果して
「都市で勤労し戸建の独立的持ち家を持つ」というスタイルが作られた。
そういう時代になって住の歴史的なモデルとなり得るとすれば、
この写真のような江戸期での「階層とその住宅形式」が想起される、
ということだったのだろうと理解したのです。
そんな住宅の具体的なイメージで思い浮かんだのがこの家。
あらためて見てみると、間取り形式は3.5間×6間程度。
土間と座敷空間に大きく分かれている。
武家としてのしつらいと半農的な暮らしようも見て取れる。
まぁ、武士だから菜園仕事とか内職は別にして、
いわゆる生活の仕事の匂いというのは感じられない。
他の同時代住宅と比べて「職住一体性」がきわめて希薄。
たしかに現代住宅の仕様・形式への近縁性は強く感じられますね。
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