WoodSound~日綴記

山のこと、川のこと、森のこと、その他自然に関することをはじめ、森の音が日々の思いを綴ってみたいと思います

魂を受け継ぐもの

2008-12-03 | Books
学生時代、ヨーロッパを旅したのはかつて
このブログでも書いた。
先日読んだ「ガウディの伝言」(外尾悦郎著、光文社文庫)が、
この遠い思い出に火をつけた。

外尾悦郎氏。
京都市立芸大を卒業して、講師の職を得ていたが、
そんな日常に物足りなさを感じ、
石を彫りたいという禁じえない衝動に駆られる。
そして単身ヨーロッパへ。
パリを訪れてみるが、ここには情熱をぶつけられるものなしと感じる。

そこへ偶然やってきたバルセロナ行きの列車。
これに飛び乗った彼は、そうしてガウディの建築物と対面する。
彼とガウディの出逢いはこんな全くの偶然が引き寄せたものだった。

いやひょっとすれば、それは最初から決まっていたことなのかも知れない。
そう思われるほど、彼は今ではサグラダ・ファミリア聖堂に
とってなくてはならない存在となった。

サグラダ・ファミリアの工事現場の傍らに無造作に積まれた石を指差して、
「それを一つ彫らして欲しい」と当時の建築主任のプーチ氏に訴える。
最初はスペイン語も話せない若造がと、相手にもされなかったが、
その情熱が伝わったのか、試験をうけさせてもらえ採用が決まった。

当時まだそれほど有名ではなかったこの聖堂は資金難に苦しみ、
なんとかかんとか食いつなぎながらその建築を前に進めていった。

驚いたことにガウディ亡き後、
この建築はその設計図を基にして造られているのではない。
もともとガウディの曲線美極まる生物的な建築は、
図面に書けるような代物ではなかったし、
基本となった模型や資料も、
スペイン内乱によってことごとく散逸してしまった。

現在は残ったわずかな資料を基に、
外尾氏をはじめとする建築家や職人が、
アイデアを湧出しながら造り続けているのだ。

石の彫刻を主として任せられている外尾氏は、
何度も壁にぶちあたり迷ったことがある。
何日も苦しみに苦しみぬき、
そのときに聖堂の地下に眠るガウディに一人問いかけてみるという。
まるで神の前にたたずむ敬虔な信者のようだ。

余談だが、私がバルセロナを訪れたときに、
聖堂の「生誕の門」の前でポーズをとっている写真がある。
そこには外尾氏の彫られた天使像がしっかりと写っている。
その頃は聖堂の建築に日本人が一人携わっているということくらいしか知らず、
その像を外尾氏が彫ったなんてことは全く知らなかったが・・・


ガウディの建築を見て少しでも「すごい」と思われたことのある方は、
ぜひこの本をぜひ読んでいただきたい。
するともっとすごいガウディの側面が鮮やかになる。
ガウディがいかに素晴らしいアイデアと豊富な知識もそして信仰を持っていたか。
外尾氏の彼に対する気持ちが全ての文章に溢れている。
そして外尾氏自身の、謙虚でかつ温厚な人柄が文章から伝わってくる。

使命を与えられた一人の建築家の抱いたものを造り継ぐ人々の姿。
それはもはや個人やガウディのためだけではなく、
世代を超えて神の魂を受け継ぐものたちにかせられた運命だと感じずにはいられない。

バルセロナ、もう一度行きたいな。

2 コメント

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旅はいいですね (GLマウンテン)
2008-12-07 23:05:14
私はバルセロナへ行く機会はきっとないだろうけど
でも、もし行く事があったとしたらこのブログの
記事を思い出しきっとここに行く事でしょう。

ガウディの魂を懸命に受け継ごうとする外尾氏や
建築家、職人さん達、そしてそれを見られる
素晴らしい人生の時間。(味わいたい!
何かがきっと確かではないけど伝わってくるような
気がします。(私では無理かもですが...そんな気が

いつもながら森の音さんブログはほんの少し
心がその世界や場所に行けて癒されます。
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GLマウンテンさんへ (森の音)
2008-12-09 08:02:53
いつもありがとうございます。

この本の中で、
外尾氏がプーチ主任に向かって問う言葉があります。
「芸術とは何でしょうか」
プーチさんは迷わず
「芸術とは人を幸せにするものだよ」

壮大な仕事に携われることの、
責任感と苦悩、そして喜び。
私はそこに羨望を感じながら読みました。

子育てが終わって、
一段落ついたら(お金もあったなら)、
バルセロナをはじめカタルーニャの辺りを、
まわってみたいなと思っています。

GLさんも
行く機会がないなんていわないでぜひ!
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