今話題の「憲法9条を世界遺産に」(集英社新書)を読んだ。
爆笑問題の太田光氏と思想界の巨人中沢新一氏との対談。
「日本国憲法は無邪気なまでに理想社会の具現を目指したアメリカ人と、
敗戦からようやく立ち上がり二度と戦争を起こすまいと固く決意した日本人との、
奇蹟の合作というべきものだった。」
その奇蹟が今や色あせようとしている。
そうして太田の言う「憲法9条を世界遺産に」という言葉になるわけだが、
その発想はお笑い芸人ならではのセンスが光って面白い。
今、北朝鮮の核実験で一気に世論が右からの風になびこうとしている。
平和にボケている日本人も危うさに気づきつつある。
しかし私を含め多くの日本人は、心の奥底の方で、
「戦争はまずないだろう」と思い込んでいる。
何故か?
それは憲法9条があるからである。
表面的には意識してはいないかもしれないが、
日本人の精神的支柱に、いくばくかの影響を与えているのは否めない。
これを今どんな形にせよ、現実に即したものに改憲することは、
国民の全体的な同意を得ないまま、建前だけで本質をすりかえることになるのではないか。
人間は放っておくと俗な方向に流れるものである。
常に聖なるものに接しておく必要が絶対ある。
人が自然に魅かれるのも、聖なるものに触れていたいからではないだろうか。
そういう意味では、9条は日本の平和を象徴する圧倒的に“聖なるもの”である。
ここを崩したら俗に流されて、知らぬうちに軍靴の音が響き渡っている・・・
ということにならないか。
この本の対談の途中に挟まっている太田の書いた、
桜の持つ死に関する恍惚と憲法9条を持つ日本という国の恍惚の類似を、
指摘したコラムもなかなか鋭いものがある。
興味ある方は一読していただきたい。
中沢は言う。
「国家を生命体に例えれば当然免疫機能を備えていなければならない。
ところが日本は9条によって、その免疫機能を自ら解除しようとしている。
このように免疫機能を排除したものが二つある。
それは一つは母体であり、
もう一つは動物を人間として同胞であると捉えた神話である。
つまり憲法9条は女性の生む能力が示す生命の「思想」と、
神話の思考に表明されてきた深エコロジー的「思想」と同じ構造である。
ここに憲法が世界遺産に推薦されてしかるべき理由がある。」
我々は今大きな岐路にさしかかっている。
私自身法律が何たるや、憲法が一体どういう意義を持つかとか、
真剣に考えたことはなく、自分の中では未消化なままである。
知らないから政治家や法律家に任せておくというアパシー(無関心)から抜け出し、
皆がもっと憲法9条の改憲について意見を持ち、
議論をぶつけあい、し尽くすべき時であると思う。
さもないととんでもない間違いの遺産を、
後世に遺すことになりはしまいか。
爆笑問題の太田光氏と思想界の巨人中沢新一氏との対談。
「日本国憲法は無邪気なまでに理想社会の具現を目指したアメリカ人と、
敗戦からようやく立ち上がり二度と戦争を起こすまいと固く決意した日本人との、
奇蹟の合作というべきものだった。」
その奇蹟が今や色あせようとしている。
そうして太田の言う「憲法9条を世界遺産に」という言葉になるわけだが、
その発想はお笑い芸人ならではのセンスが光って面白い。
今、北朝鮮の核実験で一気に世論が右からの風になびこうとしている。
平和にボケている日本人も危うさに気づきつつある。
しかし私を含め多くの日本人は、心の奥底の方で、
「戦争はまずないだろう」と思い込んでいる。
何故か?
それは憲法9条があるからである。
表面的には意識してはいないかもしれないが、
日本人の精神的支柱に、いくばくかの影響を与えているのは否めない。
これを今どんな形にせよ、現実に即したものに改憲することは、
国民の全体的な同意を得ないまま、建前だけで本質をすりかえることになるのではないか。
人間は放っておくと俗な方向に流れるものである。
常に聖なるものに接しておく必要が絶対ある。
人が自然に魅かれるのも、聖なるものに触れていたいからではないだろうか。
そういう意味では、9条は日本の平和を象徴する圧倒的に“聖なるもの”である。
ここを崩したら俗に流されて、知らぬうちに軍靴の音が響き渡っている・・・
ということにならないか。
この本の対談の途中に挟まっている太田の書いた、
桜の持つ死に関する恍惚と憲法9条を持つ日本という国の恍惚の類似を、
指摘したコラムもなかなか鋭いものがある。
興味ある方は一読していただきたい。
中沢は言う。
「国家を生命体に例えれば当然免疫機能を備えていなければならない。
ところが日本は9条によって、その免疫機能を自ら解除しようとしている。
このように免疫機能を排除したものが二つある。
それは一つは母体であり、
もう一つは動物を人間として同胞であると捉えた神話である。
つまり憲法9条は女性の生む能力が示す生命の「思想」と、
神話の思考に表明されてきた深エコロジー的「思想」と同じ構造である。
ここに憲法が世界遺産に推薦されてしかるべき理由がある。」
我々は今大きな岐路にさしかかっている。
私自身法律が何たるや、憲法が一体どういう意義を持つかとか、
真剣に考えたことはなく、自分の中では未消化なままである。
知らないから政治家や法律家に任せておくというアパシー(無関心)から抜け出し、
皆がもっと憲法9条の改憲について意見を持ち、
議論をぶつけあい、し尽くすべき時であると思う。
さもないととんでもない間違いの遺産を、
後世に遺すことになりはしまいか。
憲法九条の議論を深め、恒久平和という理念は残してもらいたいですね。
今回の北朝鮮核問題で世論も軍備増強に動きつつあるようですが・・・
森の音様のブログ、遡って見させて頂きました。
きれいな詩のような文章と鮮やかな写真、自然を愛する気持ちがほっと和ませてくれるすばらしいブログだと思います。
今後もご継続ください。また伺わせて頂きます。
今の世論というのは、マスコミの報道いかんによって、
手を加えて作られているような気がします。
もっと大きなうねりが起こる、
可能性があるのならネットからでしょうね。
拙なるブログに、
お褒めの言葉までいただきまして、
恐悦至極に存じます。
そちら様のブログは、
自治会で作ってられるのですね。
そういう形態もありなんだと感心しました。
内容も地域の問題だけでなく、
時事問題をかなり掘り下げられており、
考える材料を与えてくださっています。
とても勉強になると思いました。
これからもちょくちょく、
寄らせていただきます。
どうぞ、よろしくお願いします。
9条の出だしは「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」とあります。これは見事な文章です。こうした精神を基本とする限り国際平和を乱すことはないのです。日米安保を含め9条を考え検証することは時機を得ているのでしょうが、武力行使をすることは限定的であろうと許してはならないと思います。護憲で国が守れるのか、改憲で国が守れるのか大変難しい判断です。
最も重要なことは平和のうらづけが何であるのかということだと思います。
この9条のような憲法を持っていれば、
話は済むのでしょうが、
そんな訳にはなかなか行きません。
相手との関係性において国を護るために、
武力ではない手段がなんなのか。
自衛隊をも含んだ完全非武装、
これも一つの手段なのかなと。
夢物語ですかね。
平和の裏づけ。
それが今の憲法9条になっていると、
私は信じたいのですが。