昨日は研修で姫路に行った。
思いのほか、早く研修が終了したので、
研修会場から、すぐ間近に見えていた姫路城へ。
姫路には何度か足を踏み入れているが、
世界文化遺産に登録された姫路城へは、
小学校のお別れ遠足で一度行った以来。
その美しい姿から、別名白鷺城と言われるこの城は、
1333年に赤松則村がこの地に砦を作ったのに始まり、
その後転々と城主を換え拡張に至ったという歴史が、
入り口でもらったリーフレットには書かれている。
日本史に疎い私には、馬の耳に・・・だが、
現在も天守閣を備える城は、あまりない。
私自身は京都二条城が家の窓から見える場所に育った。
入場料を払って入場したことはほんの数回だが、
小さな頃から正門まで散歩したり、その周りをジョギングしたりして、
二条城のお堀で産湯を使い・・と言っても過言ではない。
従って城の風景と言うのは至って私にとっては、
ごく日常的な風景の一つで、ある種の郷愁に耽りながら見学した次第だ。
一つ改めて感じたことは、
悲しいかな、戦争によって文化というものは発展すると言うことだ。
築城のための建築技術、戦争のための武具や武器の技術。
それらは機能のみを優先した人類の技術の結晶として、
足早に発展していく。
もちろん城下町と言うコミュニティの頂点に、
君臨する建造物としての見方もできないではないが、
やはり外敵から身を守って戦うためのものという要素が優先する。
かつてスコットランドのエジンバラ城を見学して
中世の多数の武器や鎧を見学したときも、
同様の感想を持った。
私は文化というのは人間が生きていく上において持つ、
余裕によって生まれるべきものだと思う。
戦争や防衛にかける費用は現在も莫大で、
そのため科学技術や軍事産業が最も発達する分野なのだろう。
昔も今もその構図には変わりないと思うが、
人間の尊厳を謳って発展した、
ルネッサンスのような方向性の文化の発展は、
今となっては興りえないものなのだろうか・・・
などと天守閣の最上階から、暮れゆく姫路の街並みを見て思った。
こうしてブログを書くインターネット環境でさえ、軍事目的の技術ですからね。
カーナビだってそう、軍事衛星があるからこそ、道に迷わず目的地に辿り着ける。
科学技術は、”科学的知識を各個別領域における実際的目的のために工学的に応用する方法論。”だそうです。
お金を掛ければ何かしら出来るでしょうね。
アートは・・・金ではなく人の感性が生み出すもの。その感性。今の時代ではなかなか伸びていくものではないのかな・・・。
ありがとうございます。
科学と文化はニュアンス違いますよね。
この記事を書いたあと、
自分で混同しているなぁと反省していました。
インターネットが軍事産業から派生した、
最近の最も大きな成果ですね。
これには世界の人々がもちろん大きな恩恵を、
こうむっているのですが、
文化の世界的な画一性を、
促進しているような気がしてなりません。
どこでも見かけるマクドナルドの看板と、
同じように・・・
そういう言葉を飲み込んで書かれているのではないかなと推察申し上げます・・・
ルネッサンスは奇跡だったのかもしれないとも思います。
一時の平和に酔う金持ち貴族の酔狂の果て、とも解釈できるでしょうか。
二条城、子どものころよく通りがかりました。当時、七本松下立売に住んでおりまして、日曜になると丸太町通をずっと歩いて御所まで遊びに行っていたのです。
随分と町並みは変わりましたが、今でもよく通りがかるたびに懐かしく眺めております。
もやっとした気持ちで書くと、
あきませんねぇ。
最近、ネタも尽きてきて、
自分でも何を言いたいのやら分からなくなる。
そんな投稿が目立ちます。
七本松下立売ですか。
小さなお寺が固まってあるあたりですね。
通りの名前でだいたいの見当がつくのが、
京都人の会話ですね。
二条城はお金を払わないと入れませんが、
御所はただですものね。
私もよく行きました。
京都人の心のオアシスです。