今日は一年ぶりに自然大学の例会。
長岡京を探索するということで、興味津々参加する。
京都の出身でありながら、長岡京に下り立ったことはほとんどない。
というよりも20数年も京都に住んでいながら神社仏閣をはじめ、
いわゆる京都の名所旧跡をあまり訪れたことがない。
都落ちして初めて思うのだが、
なんと無為に幼少青年期を京都で過ごしたのかと悔やむ。
もっとも住んでいるときは都で、そんなものなのかもしれない。
恥ずかしながら、日本史に明るくなく長岡京というのがいつの時代に、
造られたのかさえ今回初めて知った。
10時に阪急長岡天神の駅に集合。
八条ヶ池から、天満宮を抜ける。
昨日とはうって変わってあたたかな陽射し。
梅がちらほら咲いている。
市街地に入り少し迷ったが、
途中の埋蔵文化財センターに入り、
発掘された埋蔵物と職員さんの話を聞く。
いつものように路傍の草木や野鳥に、
「あれはなに?」「これはなに?」と
問答を繰り返しながらの歩みはとてものろい。
常照院をやり過ごし、体育館の屋上で昼食。
長岡京と京都市街が一望できる。
長法寺を経て、浄土宗総本山光明寺へ。
ここはさすがに立派なお寺だった。
門前にあった竹材屋さんの主人を捕まえて、
竹細工に凝っていらっしゃるHさんが、ひとしきり質問。
さすが道を究めていらっしゃるご主人の言葉、含蓄は深い。
民家の間を縫う様に走る道を歩き乙訓寺に。
わずか10年で桓武天皇が長岡京を平安京に
遷都した理由の一つとされる、相良親王の怨念。
この寺で幽閉されたと言われている。
どこかおどろしい。
菜の花の咲く田んぼが連なる道を通り、
もと来た駅の方角に帰ってきた。
今度は線路を超えて勝龍寺城公園へ。
明智光秀の娘、玉(のちの細川ガラシャ)が嫁いだ城の跡。
今は見る影もなく、城の形をした資料館が建つ。
そして最後に空海の開いた勝龍寺へ。
約6時間、14~15キロはあるいただろうか。
みな大分疲れてきた。
高槻まで戻って居酒屋で反省会。
たっぷり歩いた後のビールに勝る反省はなし。
長岡京を探索するということで、興味津々参加する。
京都の出身でありながら、長岡京に下り立ったことはほとんどない。
というよりも20数年も京都に住んでいながら神社仏閣をはじめ、
いわゆる京都の名所旧跡をあまり訪れたことがない。
都落ちして初めて思うのだが、
なんと無為に幼少青年期を京都で過ごしたのかと悔やむ。
もっとも住んでいるときは都で、そんなものなのかもしれない。
恥ずかしながら、日本史に明るくなく長岡京というのがいつの時代に、
造られたのかさえ今回初めて知った。
10時に阪急長岡天神の駅に集合。
八条ヶ池から、天満宮を抜ける。
昨日とはうって変わってあたたかな陽射し。
梅がちらほら咲いている。
市街地に入り少し迷ったが、
途中の埋蔵文化財センターに入り、
発掘された埋蔵物と職員さんの話を聞く。
いつものように路傍の草木や野鳥に、
「あれはなに?」「これはなに?」と
問答を繰り返しながらの歩みはとてものろい。
常照院をやり過ごし、体育館の屋上で昼食。
長岡京と京都市街が一望できる。
長法寺を経て、浄土宗総本山光明寺へ。
ここはさすがに立派なお寺だった。
門前にあった竹材屋さんの主人を捕まえて、
竹細工に凝っていらっしゃるHさんが、ひとしきり質問。
さすが道を究めていらっしゃるご主人の言葉、含蓄は深い。
民家の間を縫う様に走る道を歩き乙訓寺に。
わずか10年で桓武天皇が長岡京を平安京に
遷都した理由の一つとされる、相良親王の怨念。
この寺で幽閉されたと言われている。
どこかおどろしい。
菜の花の咲く田んぼが連なる道を通り、
もと来た駅の方角に帰ってきた。
今度は線路を超えて勝龍寺城公園へ。
明智光秀の娘、玉(のちの細川ガラシャ)が嫁いだ城の跡。
今は見る影もなく、城の形をした資料館が建つ。
そして最後に空海の開いた勝龍寺へ。
約6時間、14~15キロはあるいただろうか。
みな大分疲れてきた。
高槻まで戻って居酒屋で反省会。
たっぷり歩いた後のビールに勝る反省はなし。
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