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コラム シティを歩けば世界がみえる 特集一覧 ロンドンの金融街、シティの歴史パブ再発見

2024-06-29 23:12:57 | 世界経済と金融

「我思う、故にパブあり」シティの歴史パブ再発見

 

国際金融都市シティの昼間人口は40万人以上、話される言語も300を超えるという。最新鋭ビルの隣に中世の教会やギルド施設が立ち、ローマ時代の遺跡も混在。

ここは異質なものが隣接し、躍動的に発展し続ける街だ。

キリスト教布教の施設から宿屋、情報や文化の発信点、コミュニティーの憩いの場へとその役割を変え続けるパブの存在も、歴史の核心を衝く。

グラスの水滴に映し出される歴史の彩り、光と影、そして息遣い……。シティの歴史パブの扉をそっと開けてみた。

 

 

ヴィクトリア時代の銀行がそのまま絢爛豪華なパブに
ジ・オールド・バンク・オブ・イングランド
ザ・カウンティング・ハウス

The Old Bank of England

パブに繰り出したいなら、銀行を丸ごとパブにすればいい ──誰のアイデアか知らないが、地下の金庫にあるのは昔、金塊、今は酒。

安全に守られたお酒を豪華な店内で嗜むことができる。オールド・バンク・オブ・イングランドは1888年から1975年まで営業したイングランド銀行の支店。

ジョニー・デップ主演映画で知られる「スウィーニー・トッド」では、理髪店と人肉パイ店を結ぶ地下道がこの建物の地下にある設定だ。

店のメニューにはさりげなく「最高の自家製パイ」と書かれている。一方のカウンティング・ハウスは、1893年からプレスコット銀行として営業。

その後、ナットウェスト銀行に買収され、1997年にパブとして生まれ変わった。2階からカウンターを見下ろしながら飲めば、銀行経営者の気分に浸れる。

 

エリザベス1世がその周りで踊ったという桜の幹が残る歴史パブ
イー・オールド・ミター

 

Ye Olde Mitre


ビール・ファンならご存知、CAMRA(真のエール保存消費者団体)の東ロンドン / シティ地区2014年パブ・オブ・ザ・イヤー賞を獲得したパブ。

エール・ビールとチューダー朝建築の雰囲気をたっぷり堪能できる。マゼランに続き世界一周を成し遂げたフランシス・ドレイク船長のパトロンだったクリストファー・ハットン卿はエリザベス1世のお気に入りとなり、13世紀から存在したイーリー司教の土地の多くを割譲してもらった。

彼の邸宅とイーリー司教区の境界には桜の木があり、それを囲むように1546年、このパブが出来た。1970年代までこのパブの営業許可証はケンブリッジのイーリー当局が発行し、イーリーの治外法権区域だったという。司教の帽子がパブ・サインなのは伊達じゃない。

 

 

中世の世界へ、時間旅行のファンタジー
シティ・オブ・ヨーク


Cittie of Yorke


1430年に宿屋として開業以来、この土地に500年以上存在しているパブ。チューダー様式の入口を奥に進むと、中世の木組み天井のホールに出くわす。

1000ガロンのワイン樽、イングランド最長のバー・カウンター、ヨーク家の白バラを象ったガラス細工、19世紀前半リージェント時代の三角ストーブ、そして木彫りのコンパートメントが7つ。

肘掛け椅子に座れば、時間旅行のファンタジーが始まる。何を飲むかって? もちろん、この店はヨークシャー最古の醸造所、オーガニックが自慢のサミュエル・スミスの経営だから、ヨークの名酒OBB (Old Brewery Bitter)に決まりだ。

周囲は法曹関連オフィスが多いので、コンパートメントで飲みながらの個別法律相談もあるのだろう。隠れて飲みたいときは地下のセラーも充実している。

 

 

16世紀前半まで実在した修道院をモチーフに
ザ・ブラック・フライアー


The Black Friar

 

中世、ドミニコ会の托鉢僧は黒いローブを着用したので、ブラックフライアーと呼ばれていた。

当時の修道院(1276~1538年)は、先端技術と知識を誇る数百人の僧侶が共同生活を送っていた場所。特にこの地にはローマ教皇と英王室の外交関係を取り持った枢密院が置かれ、ヘンリー8世とアラゴン王女との離婚調停裁判も行われた。

宗教改革で解体されたが、その跡地から屋内演劇場、薬局ギルド、王立印刷所(後の「タイムズ」紙本社)が生まれ、知識の発信所という点に変わりはなかった。

1875年、旧修道院の南西門にこのパブが登場し、1905年に修道院をモチーフに改装された。店内に溢れる托鉢僧の彫刻や、奥の壁に飾られた修道院の教訓「急がば回れ」「勤勉がすべて」が説法を続けている点も昔のままだ。

 

 

名酒は人生の応援歌、ロンドン最古のアイリッシュ・パブ
ザ・ティペラリー

 

The Tipperary

 

この懐かしい雰囲気は何だろう。古びたカウンターで名酒ジェイムソンをストレートで飲む。一瞬、時間が止まり、透明で芳醇な香りが広がる。

「命の水」(ゲール語で「ウィシュケ・ベアハ」。ウイスキーの語源)は、自然の恵みがぎっしり詰まった人生の応援歌。

琥珀色の魔法が腹の奥底まで染み渡ると、不意に出てくるのがポエジー(詩情)だ。この店をさかのぼれば13世紀の修道院の醸造所に行き着く。

18世紀初頭、アイリッシュ・パブとして開店。以来、時代の先端を走るシティにあって、こぢんまりとしたこの店は何も変わらず、アイリッシュの詩と心をずっと温めてきた。

床下のシャムロック(クローバー)が微笑み、棚に置かれたイエイツが囁く──「ときが果てるまで摘み取ろう、月の銀の林檎を、太陽の金の林檎を」。

 

 

ロンドン初のコーヒーハウスは砂糖貿易の情報中心地
ザ・ジャマイカ・ワイン・ハウス

 

The Jamaica Wine House

 

1652年、東方貿易商の召使いだったパスカ・ロゼがロンドン初のコーヒー・スタンドをここで開いた。

その後、コーヒーハウスは交流の場として瞬く間にシティに広まり、ロンドン証券取引所、バルチック海運取引所、ロンドン金属取引所、ロイズ保険などへとその姿を変えていく。

ジャマイカの貿易商人が集まるようになったこの店は、砂糖やラム酒、そして奴隷貿易の情報拠点になった。

1869年にワイン・ハウスに改称、1885年にヴィクトリア建築に改装されたが、今でも「Jampot」という愛称で親しまれ、シティのビジネスマンが盛んに情報交換を行っている。

甘い商売の話に群がる姿は300年過ぎた今も変わらない。なお、店内には当時のコーヒー販売法や壺が展示され、お酒を片手にコーヒー博物館としても楽しめるのがうれしい。

 

 

英国ニュースダイジェスト記事 2024.06.29より引用

 

 



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