ロスチャイルド財閥-386 アメリカの歴史ー30 移民制限後の移民https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/eae412452e7ba12618ea12dfc7c2aeea
からの続き
アメリカン・ドリームのメカニズム
アメリカはチャンスの国、成功の国といわれる。 成功には個人的努力が必要である。 一般に『アメリカン・ドリーム』とは、ボロから富へという成功神話だと考えられがちだが、社会の底辺に入った移民達の夢はもっと地味なものだった。
もっとましで安定した生活をしたい、平凡だが幸せな家族生活を築きたいというのが、彼らの『アメリカン・ドリーム』だった。このために彼らは堂々たる努力を重ねた。
この個人的努力による上昇の可能性が、アメリカ人の個人主義と楽天主義、資本主義是認の立場を強めたのである。
しかし、社会的上昇と成功の実現にはエスニシティが重要な役割を果たしていた。ヨーロッパ系の白人移民は、アメリカでまず白人社会の最底辺に入った。 黒人やインディアン、メキシコ系、そしてアジア系よりも上に入り、そこから出発した。
移民は後から後から流入したから、前に来た移民は押し上げられた。 そして、アメリカ産業の生産力は上昇していったから、移民、そしてその子孫の生活は絶えざる向上を示した。 このことが、アメリカを『夢の国』とさらなる移民の流入を誘ったのである。
北西ヨーロッパから来た旧移民は、押し寄せる移民の到来に押し上げられて、上方へと昇っていった。 旧移民系は、産業労働力のなかで熟練工として働き、また多くがホワイトカラー、専門職、経営職へと進出した。
南・東ヨーロッパ系は苦労したが、彼らも徐々に上昇していった。特に第二次大戦後、復員した兵士たちが大学で学ぶ奨学金としてのGIビルを獲得したことの意義は大きい。
ユダヤ系移民の上昇
新移民の中で驚くべき成功を達成したのがユダヤ人である。 東欧系ユダヤ人の第一世代の多くは衣料品産業などで働く貧しい労働者だったが、第二世代は多くの者が医者、弁護士、会計士、薬剤師、歯医者などの専門職になった。
そして第二次大戦後のアメリカ経済繁栄の中で、ユダヤ人の社会的上昇はさらに著しく進行し、カトリックはもちろん、プロテスタントをも上回る収入や地位を達成した。彼らが特に進出した分野は、衣服産業、娯楽産業、そして知的専門職の分野である。
二十世紀初頭には既製服製造業はユダヤ系の握るところになった。演劇と映画にもユダヤ系が大進出をした。 パラマウントも、MGMも、二十世紀フォックスも、ユニヴァーサルも、ワーナーブラザーズも、コロンビアも、すべて東欧系ユダヤ人が作った。
また驚くほどの俳優がユダヤ人である。トニー・カーティス、ダニー・ケイ、カーク・ダグラス、ピーター・フォーク、ダスティン・ホフマン、ポール・ニューマン。 そしてスピルバーグもビリー・ワイルダーもユダヤ人である。
学問に対する彼らの伝統的尊敬、中世以来の都市生活の伝統など、様々な伝統が彼らの上昇を助けた。 教育はアメリカにおける社会的上昇に決定的に重要だったし、彼らが家族として移住し、比較的安定した家族を維持したことも。こどもたちの上昇に役立った。
他の移民集団が帰国を念願したのに、ユダヤ人は最初からアメリカへの定着を考えていたのだ。 またユダヤ系は、プロテスタント的労働倫理と共通する価値観を強く持っていた。
エスニシティとモビリティ
イタリア系の経験はユダヤ系とは違っていた。 彼らは都市生活に不慣れであり、多くが出稼ぎだった。 カリフォルニア・ワインで成功したギャロ兄弟や、バンク・オブ・アメリカを創設したアマデオ・ジョニンニの例があるが、大部分の者の上昇は緩慢だった。
しかし今では大企業、金融、専門職で働くイタリア系も増えた。
スラヴ系も夫熟練労働者として出発し、上昇は緩慢だった。アメリカ諸都市の労働者階級地区は、ポーランド系、ハンガリー系、ロシア系が中心だった。
一九六〇年代の調査では、スラヴ系は一般にアイルランド系、ユダヤ系、白人プロテスタントよりも所得が低く、教育水準も低かったという。
エスニシティごとの上昇の差を決定した要因は多様だった。 早く来た集団でも、強い差別を受けたアイルランド系は上昇が遅れた。 また、二十世紀で最も成功した集団であるユダヤ系と日系は、最も強い差別を受けた。
注目すべきは、それぞれの民族集団がもってきた価値観や文化が重要な役割を果たしたことである。
都市的、中産階級的な性格こそは二十世紀に成功する資質だった。 ユダヤ人はまさにそのような文化を持って、アメリカに渡来したのである。 アイルランド系のように、家族、友情、客へのホスピタリティなど非経済的的価値を強調するエスニック集団は、上昇において立ち遅れたのである。
新移民系の生活が大幅に改善されるのは、まさに現代になってからである。 一九七〇年代初頭、スラヴ系やアイルランド系は低賃金の職種に集中していたが、八〇年代半ばには、南・東欧州系人は、北・西欧州系と同等の教育、および所得の水準を達成していた。第二次戦後に成人した第三世代が、古くからの白人に追いついたのである。ユダヤ人以外の南・東欧州系もよくやったのである。
しかしながら、八〇年代は、差別されていたはずの日本人が、科学技術・産業・金融、すべてにおいて、はるかに世界をリードした。
ちなみに世界N0.1の預金額を誇ったのは住友銀行で、住友銀行がガバメント・サックスとも称されるゴールドマン・サックスの大株主であったし、アメリカの富の象徴であったロックフェラーセンター・ビルを買収したのは、三井地所であった。
スペクテーター・スポーツとエスニシティ
チャンスの国アメリカでも、社会的上昇には教育や金やコネがものを言う。 そういう条件のないエスニックの若者、一つの道に一つの道となったのがスポーツである。 社会的地位よりも個人的力量がものを言う世界だからだ。
とくにボクシングは、スラムの若者たちに向いていた。 彼らはいつも喧嘩をしたし、腕っ節の強い若者はヒーローだった。 十九世紀のボクサーたちは最初はイギリス系労働者階級の出身だったが、次第にアイルランド系のボクサーが多く現れた。 後には、黒人がボクシングの世界で力を発揮するようになる。
社会的地位」野球を発明したのはイギリス系の中産階級だったが、彼らは野球のプロ選手にはならなかった。十九世紀末には、アイルランド系とドイツ系が野球選手をほとんど独占していた。 球団は社会的地位のいかんに関わらず、優れた選手を捜し求めたが、しかし最下層の者がすぐに球界に入れたのではなかった。
一八七〇年代のナショナル・リーグの選手のうち、外国生まれは六%だった。 南北戦争直後のニューヨークで、選手の六五%はホワイトカラー出身で、三五%がブルーカラー労働者出身だったが、それもほとんどは職人や熟練労働者だった。 野球が提供する社会的上昇の機会も最底辺には及んでいなかったのである。
二十世紀初頭、野球選手は主に下層階級の出身で、アイルラン ド系が多かった。 が、次いでドイツ系が進出し、ルー・ゲーリックやベーブ・ルースは文字通り国民的英雄となった。
当時の新移民の息子たちには、まだ野球選手への道はほとんど閉ざされていたのである。 実際、スラムには野球をやる十分なスペースがなく、良いコーチもおらず、時間的余裕もなかった。
しかし、移民の子供たちはアメリカへの忠誠を示すために野球の熱狂的ファンになった。そしてやがて新移民系統の選手が目立ち始める。特にイタリア系選手の進出は著ジョージョー・ディマジオが最も有名になった。一九四一年には、選手の八%がイタリア系だった。
黒人選手についてみると、年代には年代にはメジャー・リーグにいたが、人種差別主義の高まりのために排除されるようになった。 そのため黒人は黒人チームを形成し、黒人観客を相手にした。 職業野球におけるこの人種障壁を破ったのは、一九四七年、ブルックリン・ドジャーズにジャッキー・ロビンソンが迎え入れられた時である。この時以来、現在にいたるまで、黒人選手の活躍は著しい。
こうしたことからも分かるように、ある特定の民族が特定のスポーツに適しているのではない。 プロ・スポーツの民族的パターンの変化は、社会的機会のパターンの変化を反映しているのである。
その集団が中産階級化するにつれて、地位の低い人種・民族集団にバトン・タッチされるのである。
アメリカ的生活様式としての犯罪
エスニシティと犯罪との間にも重要な関係がある。有名な社会学者ダニエル・ベルに『アメリカ的生活様式としての犯罪』と題する論文があり、犯罪はアメリカ社会で出世の階段登りに利用される奇妙なハシゴの役割を果たしてきたと論じている。
それによれば、旧来のアメリカ人が有利な地位を支配しており、移民とその子孫たちの昇進の機会を阻(はば)んだので、新しい集団はWASP(ワスプ)支配の隙間を狙って進出することになった。
だからスラムに居住する民族集団が代わるにつれて、警察の逮捕者リストの名前も代わったのである。
十九世紀には、アイルランド系がニューヨーク市をはじめとする大都市の暗黒街を支配してきた。 彼らはプロテスタント的アメリカ人が悪徳として嫌悪する物品やサービス、つまり賭博や酒類、売春などを提供し、必然的にギャングと結びついた。
二十世紀になると、今度はユダヤ人ギャングが出てくる。 ニューヨーク賭博を支配した『アーノルド・ロートシュタイン』というユダヤ人は、一九二〇年代には、ニューヨーク暗黒社会の『皇帝』(ツアー)と呼ばれ、市長以下の政治家や判事と密接につながっていた。
映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』は、そのようなユダヤ系ギャングの世界を描いている。
イタリア系ギャングの盛衰
アメリカで犯罪と言えば、イタリア系が悪名高い。 実際にはイタリア人移民が特に犯罪率が高いということはないのだが、『アル・カポネ』などイタリア系ギャングは有名である。
特に禁酒法時代の一九二〇年代、イタリア系が犯罪の世界でのし上がった。 一九三〇年、シカゴの暗黒街支配者についての調査では、三〇%がイタリア系、二九%がアイルランド系、二〇%がユダヤ系であった。
犯罪の世界へのイタリア系の進出は、第二世代の台頭と関係していた。 一世は下積みの生活を覚悟していたが、アメリカ化した第二世代が社会的昇進の意欲に燃えた時、それがさえぎられて犯罪に向かったのである。
『カポネ』は二世ではなく、ナポリ生まれだったが、その下に二世の若者が集まった。彼らは敵に対して自動車とマシンガンを駆使した機動力に富む攻撃を行い、容赦なく殺害した。
特に、一九二九年の『聖バレンタイン・デーの虐殺』は有名である。 『マリリン・モンロー』と『トニー・カーティス』主演の喜劇『お熱いのがお好き』は、この虐殺事件から薬師二人が逃げ回ることから始まっている。
一九三〇年代以降、ニューヨークでは『ファミリー』と呼ばれるイタリア系ギャング組織が抗争をを繰り返した。 一九五〇年代初頭には、賭博その他の違法産業の大部分は、ほとんど完全にイタリア系の手中に入っていた。
そもそもイタリア移民の故郷である『シシリー』と『南イタリア』は、スペイン・フランス・オーストリアによって征服され、法律、権威、政府に対する不信が文化の一部になり、法律の外部で紛争を解決する傾向があり、職業的な犯罪活動が発展していた。
『マフィア』という言葉は、シシリーにおける保護・被保護関係の特有のシステムに起源し、そこから生じる犯罪行為や犯罪者を指すようになったものなのである。
今日では、イタリア系は社会的にも上昇するようになって、イタリア系ギャング組織の基盤は崩壊しようとしているという。
イタリア系に言わせれば、「今度は奴らの番なのさ」というわけである。 『奴ら』とは、黒人、プエルトリコ系、キューバ系、そして最近では香港系の中国人ギャングのことである。
(アメリカの歴史シリーズ 関連資料)
・ロスチャイルド財閥ー354 アメリカの歴史ー13 イギリスからの移民
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e5289fee1607bb74cb694de8ea18408c
・ロスチャイルド財閥-383 アメリカの歴史-29 移民問題 規制から制限へhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/cd6bf223b619e7071b35fcb55fed1eb1
・ロスチャイルド財閥-384 神王TV:世界のラスボスを暴露しました。ハプスブルク家の、歴史と裏話
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/5b9c96a3cd0d583fb28b06dc50e33bff
・ロスチャイルド財閥-385 世界の覇者ロスチャイルド ゆっくり解説シリーズ
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・ロスチャイルド財閥-386 アメリカの歴史ー30 移民制限後の移民https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/eae412452e7ba12618ea12dfc7c2aeea
・ロスチャイルド財閥ー387 神王TV:神王TV:ハプスブルク家の、歴史と裏話【令和に繋がる、カール5世の野望】世界を裏で牛耳る支配者とコロンブスとアステカインカ
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・ロスチャイルド財閥-388 アメリカの歴史ー31 社会的地位の上昇 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e3277c60e6a761f571e651e7a1a22469