ぺんぺん草のひとりごと

何気ない日々のこと、ふと気になったこと、
そんなこんなを、気負わず、気ままに、思いつくまま・・・

クリスマスの思い出 1997

2017年12月23日 19時09分10秒 | 思い出


最低最悪、悪夢のクリスマス。




あれからもう20年経ってしまった。

あの日のことは、昨日のことのように憶えている。

なんて・・・ 嘘。

段々と全てが薄れて行っている。

薄れると言うより、虫食い状態。

どのみち、あの日の記憶を、あの人との思い出を、

伝えるべき者は存在しないのだから、

それで、いっか・・・








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クリスマスの思い出 ~中学・高校時代~

2017年12月22日 20時01分01秒 | 思い出


中学・高校は、キリスト教系の女子校に通った。

地元のキリスト教系の幼稚園に通い、
小学生の時にも教会へは行っていたけれど、
そんな学校があることすら知らなかった。
小学校5年生になったばかりの頃、
教会の牧師先生に、
『あなたは是非あの学校へ行きなさい』
と、勧められたのだった。
当然、私立だ。
それなりの経済力が私の両親にあると、
確信の上でのお話だったのだろうと思う。
そんなこと、何にも考えていない子供の私は、
『ハイ、そうします』と、言ってしまった。
まるで、受胎告知されたマリアの気分?

中学、高校でのクリスマスの思い出と言えば、
やっぱり、これ、ハレルヤコーラス。

ヘンデル 『メサイア』第44番 ハレルヤ


1年生はメゾソプラノ、2年生はアルト、3年生はソプラノと、
各パートに分かれ、全校生徒で合唱するのだ。
素人の集まりとは言え、500人を超える人数での合唱。
中学時代に3回、高校生になっても3回やるのだから、
きっとあの学校の卒業生は、いくつになっても歌えると思うし、
今宵もどこかで、きっと誰かが歌っていることだろう。




今日は冬至。



早々に店じまいする夕日に、
さよならお日さま、また明日・・・と、呟いてみた。




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クリスマスの思い出 ~小学校時代~

2017年12月21日 18時17分43秒 | 思い出


小学校に入学してからも、教会との縁は切れなかった。
二人の弟たちも、2、3年おきに、
私と同じキリスト教系の幼稚園へ通っていたから。

日曜日は、通常の礼拝のあと、
子供向けの教会学校(日曜学校)なるものが開催されていて、
私たち姉弟は、ずっとそこに通っていた。
信者かどうかなんて問わないオープンな場だった。
信者になることを、強要されることもなかった。

聖書のお話を、子供にも分かりやすく話してくださったり、
みんなで讃美歌を歌ったりが基本だけれど、
他にもゲームをしたり、ハイキングに行ったり・・・
夏休みには、同じ系列の海辺の教会へ、
泊りがけでキャンプに行ったこともあった。

たぶん、忙しかった私たち姉弟の両親にとって、
日曜だからと、どこかへ遊びに連れて行くこともままならず、
教会が、安心して預けて置ける場所だったのかもしれない。

御用納め直前のクリスマスなんて、
両親は徹夜状態だったと記憶している。
自宅でクリスマスパーティーなんて、やったことは1度もない。
ケーキだけは、買って来てくれていたけどね。
バタークリームたっぷり(今じゃ無理、無理)で、
サンタクロースのローソクが乗っかったの。
それを食べてから、子供だけで教会へ出かけて行った。

クリスマスの礼拝は夜だった。
聖夜には照明はつけず、
祭壇や壁、そして各自が手に持つ蝋燭の灯りだけで、
礼拝は厳かに行われた。
これが、キャンドルサービス。
結婚式での・・・ じゃない。

礼拝のあとは、
その場に集うことのできなかった信者さんのお宅へ、
みんなで手に手に蝋燭を持って訪ね歩く。
そして信者さんのお宅の前で、
蝋燭に火を灯して、讃美歌を歌う。
そんな大声ではないけれど、
今にして思うと、近所迷惑だったんじゃないかと・・・
『うるさい!』なんて、怒鳴られたことはないけれど、
今はどうなんだろう?
世知辛い世の中だもんね~。
今でも、やっているのかな~?

私が教会に通っていた理由のひとつに、
年上の人たちに会いたかったから、
と言うのがあったかもしれない。
たぶん、弟しかいない長女の私は、
お兄ちゃん、お姉ちゃんが欲しかったのだと思う。
おぼろげな記憶の中で、
一人だけハッキリと憶えている人がいる。

牧師先生のお孫さんで、私より3つ年上だったY君。
当時、牧師先生は、教会の裏手の牧師館にお住まいだった。
牧師館とは言っても、普通のこじんまりとした質素な民家。
そこでY君は、祖父母である牧師先生ご夫婦と暮していた。
なぜ両親とではなく、祖父母と暮しているのか?
あの頃は、そんなこと気にもしなかったけれど、
なにか事情があったのだろう。

Y君は、とても親切で優しい男の子だった。
彼が骨折して入院した時、
母に頼んで、お見舞いに連れて行ってもらったことがある。
ある時、幼稚園の隅っこで見つけたと、
四葉のクローバーをくれたことがあった。

当時はまだ男子校だった熊本のキリスト教系の中高一貫校。
Y君は、そこの中学校へ進学し、寮に入った。
会えなくなることが、とても悲しかった。
あれが、私の初恋だったのかな~。




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クリスマスの思い出 ~幼稚園時代~

2017年12月20日 06時23分02秒 | 思い出


何故だか、キリスト教系の幼稚園に通っていた。

両親がキリスト教の信者だった訳ではない。
あの頃、地元にあった幼稚園は、2ヶ所だったと思う。
仏教系の古くからあった大きな幼稚園と、
ルーテル教会のまだ歴史の浅い小さな幼稚園。
仏教系の幼稚園の方が、自宅から近かったのに、
あえてキリスト教系の遠い幼稚園に行かせた両親。
(いや、父親は口出ししていないと思うが・・・)
どんな思惑があったのか・・・
未だ聞いたことがない。
そのうち聞いてみようと思う。

私が自ら選択したことではないけれど、
たぶんあれが、私の人生の最初の岐路だったのだろうと思う。
仏教系の幼稚園に通っていたならば、
私は全く違う人生を歩んでいただろう。

さて、幼稚園でのクリスマスの思い出と言えば、キリスト降誕劇。
マリア様の受胎告知から、ベツレヘムでのキリスト誕生。
祝福に訪れる羊飼いたち、そして東方の3人の博士たち。
それを、讃美歌とともに、園児総出で行うのだ。

もちろん主役はイエス・キリストなのだけれど、
そこは生まれたての嬰児(みどりご)、
劇中では人形が務めるのが常。
花形はマリア様であることは明白だ。
まあ、普通の幼稚園での劇でありがちな、
白雪姫やシンデレラのようなお姫様と同格だろう。
当然、女の子たちはマリア様役をやりたいと願っている。

あの当時、配役は全て先生方が決めていた。
今ではどうなんだろう?
『なんでうちの子じゃないんですかっ!?』
そんなモンスターの出現で、お姫様が何人も乱立。
なんてコトがあるとか、ないとか、聞いたことはあるけれど・・・

セリフを伴う主要な役は年長さん。
年中さんは羊飼いや、天使。
年少さんはお星さまの役。
小さな幼稚園で、園児の数もそう多くなかったけれど、
マリア様役をやれるのは、たった一人なのだ。

あの時、私自身はどうだったのだろうか?
マリア様役をやりたいと切望していたのだろうか?
その記憶はほとんどない。
たぶん、別のことで、
そのあたりの記憶が上塗りされてしまったのだろう。

マリア様に決まったのはエリちゃん。
一見ハーフに見える可愛い女の子だった。
残念ながら、他の役を誰がやったかは、憶えていない。

私の名前は・・・ なかなか呼ばれない。

最後の最後、やっと呼ばれた私の名前。
そして、与えられた役は『朗読』だった。
劇の進行、場面展開などを、舞台の端っこでしゃべるのだ。
みんながそれなりの衣装を身に付けて、
それなりに演技している横で、
私だけ幼稚園の制服のまま、
ただ直立不動で突っ立って、しゃべるだけ。

少し、悲しかった。
私だけ、なんの衣装もない。
それなのに、憶えなければいけないことは膨大だ。
幼稚園児にとってはね。

練習、練習、練習、そして本番と怒涛のごとく過ぎ、
これまたあまり記憶がないけれど、
ひとつハッキリ憶えているのは、
本番当日、私の短い髪に、母がリボンを結んでくれたこと。
幼稚園の制服の胸のリボンと、同じ色のリボンだった。

ほんのちょっとだけれども、子供心に、この時ひとつ悟った。
上手く言えないけれど・・・
ん~、なんて言ったらいいんだろう・・・?

私って、そう言うキャラなんだ。
中央でスポットライト浴びるより、
どちらかと言うと、縁の下の力持ち的な・・・
大人は私に、そう言うものを期待しているんだろうな、って・・・

この時思ったこと、感じたことが、
後の私の生き方を決めた、なぁんて言うのは大袈裟かな~。



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大分 原尻の滝 & 沈堕の滝

2017年04月07日 17時01分17秒 | 思い出


ちょうど1週間前の新聞記事。



あ~、ここ行ったな~と、
昔の写真を引っ張り出してみました。

大分県南西部の豊後大野市には
『原尻の滝』『沈堕(ちんだ)の滝』
という二つの大きな滝がある。
幅はそれぞれ約120mと約100m、
高さは共に約20m。
         (毎日新聞記事より抜粋)

《 原尻の滝 2009年3月撮影 》

この時は、あまり水量がなく、
滝の上に行くことが出来ました。





一方、原尻の滝の下流約7kにある沈堕の滝は、
メインの雄滝のほかに
小さな雌滝(幅約10m、高さ約18m)もある。
雄滝は水量が常に多く、
かつて水力発電に利用されるなど
地形に人の手が加わったためか、
原尻の滝に比べて知名度は低い。
           (毎日新聞記事より抜粋)


《 沈堕の滝・雄滝 2009年3月撮影 》

確かに、休日だったはずなのに、
他の観光客とは、ほとんど出会いませんでした。



近くに、かつて『沈堕発電所』だった石造りの建物が、
ひっそりと残されていました。



明治42年に竣工され、大正12年まで稼働。



今は、近代化遺産に認定されているそうです。


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沈丁花の香りに・・・

2017年03月28日 00時04分09秒 | 思い出




沈丁花の香りが路地に漂うと、
イトコのことを思い出す。
高校2年生になれずに逝ってしまった、
三つ年上のイトコのお兄ちゃん。

私が初めて接した人間の『死』だった。

彼は高校のワンダーフォーゲル部に所属していた。
春休みを利用しての部活動だった。
九州の、とある山の縦走。
そこで春の嵐に遭遇して、彼だけ、命を落とした。



お正月とお盆、
1年に2度ほどしか会わないイトコだったけれど、
私にとっては、優しいお兄ちゃんだった。
私は長女で、弟しかいなくて、
お兄ちゃん、お姉ちゃんが欲しかった。
彼は、お姉ちゃんが2人の末っ子。
彼も、もしかしたら、
妹、弟が欲しかったのかも知れない。
私たち姉弟と彼とで、いつも遊んでいた。

そのお兄ちゃんが死んだ。

部の顧問の先生が、
伯父たちの前で手を着き泣いていた。

誰が悪いわけでもない。
たまたま彼にだけ、悪い条件が重なったんだ。
だって、他の生徒たちは、
みな無事に帰って来ているのだから・・・

イトコの家は、私の父の生家で本家だ。
今はどうかは知らないけれど、
あの当時、その地域には、
葬式饅頭を隣近所に配る風習があった。
お葬式の終わった日の夜、
葬式饅頭を配って歩く彼の二人の姉たちに、
なぜか私もついて行った。

傘が要るか要らないかぐらいの雨の中、
路地のそこかしこに漂っていた沈丁花の甘い香り。
雨のせいか、むせかえるほどの香りを放つ沈丁花。
その中を、3人で歩いた。

あれからもう40年以上経つけれど、
今でもあの甘い沈丁花の香りがすると、
あの日、あの夜のこと、
そして、少年のままのお兄ちゃんを思い出す。



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7年前の春の連休のこと

2017年03月20日 11時00分00秒 | 思い出


7年前、2010年の春のことです。

連休を利用して、
大分の長湯温泉へ出かけたのです。

しかし、行の道中で、カエルちゃんの車が故障。



車載車で、福岡まで持って帰ってもらう羽目に・・・
長湯まで、あと少しだったのにね~
宿の方が迎えに来てくださいました。



車がなくなったおかげで、
長湯温泉の外れの方まで、プラプラと散歩。



とても良い立ち寄り湯があるのです。



いつもだったら、車でピュ~と行ってたのにね~。





その夜の議題は、どうやって福岡に帰るか?です。

タクシーで最寄りのJRの駅まで行き、
由布院へ行って、
そこから特急で博多へ帰ろう、と・・・
で、せっかくだから『ゆふいんの森号』に乗ろうと・・・



翌日、由布院でチケット購入。



まだ午前中。
発車まで、かなり時間があります。

荷物をコインロッカーへ預け、
駅前の商店街で、
缶ビールなんか買って、街はずれへ。
由布院の中心部は、観光客が多いので避けます。



菜の花に埋もれて、
真昼間からビール飲んで・・・
ちょこっと昼寝なんかして・・・



車が故障したおかげ(?)で、
春を満喫した休日になった、ような・・・
そんな春の連休の思い出話です。

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結婚記念日だった日

2017年03月18日 00時45分07秒 | 思い出


今日3月18日は、私の結婚記念日。
今となっては、『結婚記念日だった日』だけれど・・・
入籍は、たぶん翌日か、翌々日だったと思うから、
『結婚式を挙げた日』でしかない、か・・・



写真は、ほとんど処分したけれど、
コレは、なんとなく捨てられない。



夫との思い出、なんかではない。
私にも、こんな時があったんだ。
どちらかと言うと、ソレ・・・
若かりし頃への未練?



『へえ~、おばあちゃんの若い時って、
 こんなだったんだ~』

そんなことを言う孫なんて存在しないし・・・
どうせ私が死んでしまえば、
ゴミになるだけのモノ。
どこかで区切りをつけて、処分しなきゃね。



今にして思うと、
襲名披露みたいな結婚式だったな~。

白無垢の着付けの時点で、
貧血起こして、倒れそうになるし、
お腹はペコペコなのに、
なぁんにも食べられないし・・・

引き出物や料理、すべて義母が選んで、
私は、なんの口出しもできなかった。

日取りは、義父が決めた。
おかげで、友人の結婚式と被ってしまった。

いい思い出は残っていない。



この日、『グリコ森永事件』が起きた。
それだけは、ハッキリ憶えている。


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思い出の写真 ~雲仙の霧氷~ 

2017年01月19日 18時41分41秒 | 思い出


明日は『大寒』なので、寒そうな写真を引っ張り出してみました。



2006年1月22日撮影、長崎県、雲仙・妙見岳の霧氷です。
地元では『花ぼうろ』と呼ばれています。



条件が揃った時にしか見られない絶景。



この場所へは、ロープウェイで上がれるのです。




ふもとの『雲仙地獄』の温泉たまご売り場にいた猫ちゃん。



地熱のせいなのか、石がホンワカとあったかでした。


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冬至・・・ とうじ・・・ 湯治!?

2016年12月21日 17時50分04秒 | 思い出


すみません。
オヤジギャグみたいに、なってしまいました。

でも、冬至  柚子湯  お風呂  温泉  湯治
まぁ、全く的外れでもない、と、お許しくださいませ。



そういう訳で、今日は、昔行った思い出の温泉、
九州の『湯治場』を、少しご紹介したいと思います。




《2009年5月 撮影》

この温泉、何かのCMに使われていたと記憶しています。
ご覧になった方も、いらっしゃるのでは・・・?



鹿児島県、霧島温泉郷『旅行人山荘』の1番人気『赤松の湯』
こんなに広いのに、貸し切り湯なんです。




《2009年11月 撮影》

こちらは、同じく『旅行人山荘』の『もみじの湯』

入口に・・・



え~っ、何これ~?と、思ったのですが、次の日の朝・・・



客室から見える庭に・・・



野生の鹿たちが・・・



『湯治』と聞くと、いつもあることを思い出します。
5、6年前、地元福岡のFMラジオで、
長崎の雲仙小浜温泉の話題が・・・

旅行情報雑誌として有名な『じゃらん』の女性社員の方が登場、
いろいろと説明、紹介をなさっていたのですが、
何度も聞こえる『ユジ』と言う言葉。
『ユジ』・・・???
それって、もしかして、『湯治(とうじ)』

進行の女性パーソナリティーも、生放送の中で、
その間違いを指摘することが、はばかられたのか、
そのまま番組終了。

あの女性社員、まだ若い感じだったけれど、新入社員?
あとで、上司から叱られただろうな~?



と言うことで、次は、その時の話題だった雲仙小浜温泉から・・・




《2009年1月 撮影》

長崎県、雲仙小浜温泉の海上露天風呂『茜』
小浜温泉の海岸にある立ち寄り湯で、大人300円です。
本当に海のすぐそばなので、波が高い時は入れないとか・・・
『茜』と言う名前のとおり、
きっと素晴らしい夕日、夕焼けが見られるのだと思います。




《2009年1月 撮影》

こちらも、小浜温泉。
お宿の名前は忘れてしまいましたが、
立ち寄りで入った温泉です。
お宿の4階か5階に作られた、眺めの良い露天風呂でした。



森の中の温泉では、木漏れ日を浴びながらがいいかな。
夕日を眺めるのは、やっぱり海辺の温泉かな。
あ~、どちらも捨てがたい。
悩ましい問題です。

日本に生まれて良かったと、つくづく思います。



冬至の今日の、日没前のお日様。
今日は、綺麗な夕焼けは望めないだろうな~と思いつつ、
マンションの最上階の通路から眺めていたら、
お日様の左側の雲が、輝き始めました。



1年で1番、昼間の時間が短い今日。
お日様が、名残を惜しんでいるように思えました。



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9・11

2016年09月11日 00時00分00秒 | 思い出




20年以上前、ニューヨークへ行った。
『自由の女神』のある島へは、マンハッタンの端っこから、船で渡る。
その船の上から、マンハッタンを撮った写真が手元にある。



あの頃、マンハッタンの象徴だったツインタワーが、
まだ、そこには、そびえ立っていた。



あれから15年目の今日、甥っ子が、アイルランドへ旅立つ。
1年間の語学留学。

どうかテロなどに遭遇せず、無事に過ごせますように。



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K‐9

2016年09月03日 20時55分14秒 | 思い出



もし、ワンコと暮らせる環境にあるのなら、シェパードを飼いたいな~



子供の頃、おじいちゃんの家にいたドーベルマンも魅力的だったけれど、
やっぱりシェパードがいいな~

小さい時から、
「シェパードが1番賢くて、強いワンコなんだ
と、刷り込まれているんだろうと思う。




ずいぶん昔の話。
DVDもまだなく、インターネットも普及していない時代。
何かで知ったアメリカ映画が見たくて、レンタルビデオを探した。


1989年に制作されたアメリカの映画『K-9/友情に輝く星』
原題が『K-9』で、アメリカでの警察犬の呼称だ。



『ジェリー・リー』という名の、人間嫌いで凶暴な麻薬捜査犬と、
はみ出し刑事がコンビを組む、アクションコメディ映画。


最初にのぞいた近所のレンタルビデオ店、
隅から隅まで探したけれど、見つからない。
カウンターで尋ねてみたら、
「うちには、置いてないですね~」と・・・

ちょっと離れた2軒目にも、なかった。

ある日、普段あまり通らない道で、レンタルビデオ店発見
自分で探すより、聞いた方が早い、と、カウンターに直行。

    「あの~、『K-9』というビデオ、置いてありますか?」
    「・・・・・・?」
    「警察犬が出てくるアメリカ映画なんですけど・・・」
    「あ~、うちは、アダルト専門なんで~」
    「・・・・・・

まわりを見回して、唖然
確かに、ピンク系

だったら表に、『エロ・ビデオ』と、大きく看板出しといてよ~


結局、その映画を見たのは、DVD時代になってから。
単純に楽しめる、面白い映画だったな~

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おじいちゃんと ワンコ

2016年09月02日 19時00分00秒 | 思い出



子供の頃、おじいちゃんの家に行くと、いつもワンコがいた。



中でも印象に残っているのは、ド―ベルマン。
残念ながら、私の手元に、そのドーベルマンの写真はない。
当時、おじいちゃんと同居していたイトコに探してもらったら、
古いアルバムの中にあるのかもしれないけれど・・・



ド―ベルマンはメスで、名前は、リリー。
一見怖そうだったけれど、とても従順で、優しかった。

今にして思うと、
「なんであんな田舎で、ドーベルマン飼ってたんだ?」
と、ちょっと不思議。



あの頃、飼える、飼えないは別にして、人気があったのは、コリー。
そう『名犬ラッシー』の世代だもん。



コリー飼っているオウチって、お金持ちなんだと思っていた。



小学校への通学路に、スピッツを飼ってるお宅があった。
マミーと言う名の、メスだった。
白くてフワフワで、でもキャンキャン鳴いて、うるさかったな~



今のスピッツは、飼いやすいように(?)改良されているらしい。



高校を卒業して、車の免許を取った頃、
おじいちゃんが、ワンコを拾ったという話を母から聞いた。
近くの中学校の校庭に迷い込み、そのまま居ついてしまっていたらしい。

その話を聞いた私は、さっそく見に行った。

そのワンコは、オスで、すでに成犬だったけれど、
まだあどけなさが残る顔だちで、
私を見て、シッポをビュンビュン振って歓迎してくれた。

「おじいちゃん、この子、私にちょうだい

そして、そのまんま車に乗せて帰って来てしまった。



当時、実家にはマルチーズがいた。
母のお気に入りの、お座敷犬。

いきなりワンコを連れて帰って来た私に、母はあきれてはいたが、
そのワンコを飼う許可はくれた。
ただし「面倒は、アナタが全部見るのよ」との、条件つき。

『ジュン』と名付けた。



どんなに夜遊びして遅く帰っても、散歩は私。
真夜中の1時、2時に、嫁入り前の年頃の娘が犬の散歩って・・・

私が結婚して実家を出たあとは、両親の趣味の山登りに同伴。



いい子だったけれど、ちょっと天然で、可愛い子だったな~
今は、実家のヒマラヤ杉の根元で眠っている。



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おじいちゃんと 夏休みの宿題

2016年08月27日 19時43分32秒 | 思い出


昨日の続きのような思い出話。


小学生の夏休みには、よく母方のおじいちゃんの家に行ってた。
おじいちゃんの家までは、4kmほど。
年子の弟と自転車で、車の多い国道を避け、
田舎ののんびりした道を、ひたすら走った。



両親が一緒に仕事をしていたせいもあるが、
小学生の私たちにとって、おじいちゃんの家に行くのは、
夏休みの宿題を片付けるのに、とても好都合だったのだ。

今はどうなのかは知らないけれど、
あの頃の小学生の夏休みの宿題には、
『図画工作』というものがあった。
絵を描くなり、オブジェを作るなり、しなければいけなかった。

おじいちゃんは、学校の美術の先生をしていた。
退職後は、陶芸や木彫、表装など、
自宅でいろんなことを楽しんでいた。
だから、いろんな道具、材料に事欠かない。

つまり、同級生たちより、ワンランク上の作品ができるってわけ。
今、考えると、ズルイことしてたな~と、ちょっと思う。


ある夏休みに、私は弟と『焼き物』に挑戦した。

土もある。
釉薬もある。
もちろん窯もある。
ロクロもあったけど、これはちょっと難しい。
そしてなにより、おじいちゃんという先生つき。

私の作品は、行方不明。
実家を探せば、どこかにあるのだろうとは思うけれど・・・
弟は、意外にも手元に持っていた。




「なに、これ?」



「ん、灰皿?」



「へ~、ちゃんとタバコ置く所まで作ってるんだ~」



「でもさ、これ、吸い殻、どうやって捨てるの?」


もう40年以上も前の昔の話。
弟が何を作ったのかなんて、すっかり忘れていた。
当時、愛煙家だった父のために作ったらしい。
ま、小学生の『工作』だもの、こんなモンだろう。




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おじいちゃんと 夾竹桃

2016年08月26日 19時00分00秒 | 思い出




意識して探してみると、意外に見当たらない夾竹桃。
高速道路の脇や、流通倉庫のまわりなどでよく目にしていたから、
どこにでもあると思い込んでいたけれど、
今朝、運転中の1時間に見かけたのは2ヶ所だけ。
毒のある植物だから、嫌厭されるのだろうか?



夾竹桃を見ると、母方のおじいちゃんを思い出す。

いい歳した大人なんだから、『祖父』と書くべきだろうけれど、
『おじいちゃん』と呼ばないと、なんか別の人みたいなので、
あえて、『おじいちゃん』と書かせてもらいたいと思う。


これは、母から聞いた話。

戦後まもなく、母に弟が生まれた。
母は7人きょうだいの長女で、14も歳の離れた末の弟だ。
学校で先生に、「弟が生まれました!」と報告したら、
「またか!?」と言われたそうだ。




まだ、物資が乏しい時代、
おじいちゃんは、ヤギを飼って、そのミルクを末っ子に与えていた。
そのヤギが、夾竹桃の葉っぱを食べて、死んでしまったのだ。
怒ったおじいちゃんは、庭にあった夾竹桃を切り倒した。

夾竹桃に、毒があることを知らずにいた自分に対して、
おじいちゃんは、腹立たしさが抑えられなかったのだろう。


この話を聞いて以来、夾竹桃の赤い花をみると、
優しかったおじいちゃんを、思い出す。
おじいちゃんにとって、私は初孫だったから、
余計に可愛がってもらったのかもしれない。

おじいちゃんの、怒った顔は見たことなかったけれど、
きっと赤鬼みたいに、真っ赤な顔して怒ったんだろうな~







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