小山-歴史・自然散歩-

栃木県南部に位置する小山市の歴史や史跡・自然を紹介しています。

発掘調査報告書『神鳥谷曲輪跡の調査Ⅰ』の新説について

2020-12-22 15:55:39 | ・仮称神鳥谷曲輪跡
◆『小山市文化財調査報告書第77集・第83集』を、ざっと読んでみました。
◆この報告書は、仮称神鳥谷曲輪跡の発掘調査報告です。平成22年3月28日、同23年3月28日の発行ですから、もう、新説と言えるかどうか分かりません。私の場合、歴史から、しばらく離れていましたので、情報に疎いです。したがって、ここでは、とりあえず、新説としておきます。
◆発掘・報告書作成の担当者は、小山市教育委員会、秋山隆雄氏です。
◆考古学は、全く素人ですので、読んでも、殆んど理解できませんでした。
◆それでも、この報告書で、新たな説が出されていたことが、何とか分かりました。
◆それは、従来、『小山市史』通史編Ⅰ・自然原始古代中世などで、同所は、小山義政の乱に登場する5城の内、宿城と比定されていたものを、新城と明確に位置づけたことです。
◆また、同所で確認された道路の延長が、仮称長覆寺城跡に至るものとし、同所を中心に天王宿が展開したとしています。
◆一読しただけで、画期的な新説であると思いましたが、これらは確実なのでしょうか。
◆歴史愛好家の素人判断ですが、ちょっと、疑問に感じました。
◆もう一度、読み直し、考えてみようと思います。

2020.12.22 平田輝明記

『第72回企画展 小山藩主 本多正純』について

2020-12-16 17:08:53 | ■ちょっと疑問
◆令和元年(2019)年、小山市立博物館で開催された『第72回企画展 小山藩主 本多正純』を、ちょっと読んでみました。
◆病気をし、退職してからは、歴史関係の本類は、全く読みませんでしたので、久しぶりで新鮮な感じがしました。
◆本図録は、とても素晴らしい内容で、小山市の歴史学の発展が十分理解できるもので嬉しく思いました。私の拙い研究ノートや『小山市史』の執筆部分を引用していただき、有り難いことです。
◆ただ、冒頭の「ごあいさつ」の一部、「史跡小山評定跡と小山御殿跡」などについては、ちょっと気になる部分が有りました。
◆さらに、図録の最後にある、佐久間弘行氏の「本多正純の藩庁をめぐって」には、新説が、とても親切に提示されていたので、本当に驚きました。
◆市村高男氏等や私の説は、否定され、もしかすると、佐久間氏、ご自身の考えまでをも否定しているのでは、と思われるのです。
◆今後、再読し、佐久間氏への質問もして、再掲したいと思います。

小山御殿跡説明板についての質問

2020-12-15 17:13:57 | ・小山御殿跡
小山御殿跡説明板についての質問


◆2020年12月8日、小山市長へのメールにて、下記の質問書を送信しました。
◆この質問は、城山公園=国指定史跡中世城郭小山氏城跡祇園城跡=小山城跡の南、小山市役所新庁舎北側に隣接する「小山御殿広場」と命名されてしまった場所に設置された説明板についてのものです。
◆この広場には、2か所の説明板があるのですが、今回は、新庁舎側の説明板に対してのものです。
◆実は、この「小山御殿広場」も、国指定史跡中世城郭小山氏城跡祇園城跡となっています。
◆しかし、説明板は、近世・江戸時代の小山御殿関係の説明が中心となっており、遺構・遺物の写真も同様です。また、整備と称して広場になった部分の表示も御殿関連のみとなっています。
◆つまり、中世城郭小山氏城跡祇園城跡の遺構・遺物の提示がなされていないのです。
◆これは、どのような理由によるものなのか、城山公園の樹木伐採事業との関連で同地を訪問した素人リハビリ散歩人は、疑問に思ってしまったわけです。
◆また、説明板には、「中心市街地に残された、自然空間として」とありますが、散歩人には、広場が自然空間であるとは、とても思えないのです。芝生を中心とした、ただの広場なのですから・・・。そこで、今回、質問をすることにしたのです。
◆小山御殿広場=小山御殿跡は、市教育委員会により、発掘踏査が行われ、平成13年『小山氏城跡範囲確認調査報告』が発行されています。同報告を見ると、中世~近世に至る墓・墓石・寺院関連遺構・遺物が多数出土していることが分かります。また、数回実施された現地説明会では、発掘担当の秋山隆雄氏から人骨も出土したとの説明がありました。にもかかわらず、江戸時代の将軍たちが利用した小山御殿の説明となっているのです。
◆これは、歴史の隠蔽・改竄です。さて、どのような回答が来るでしょう。回答があり次第、お知らせします。
◆皆様におかれましては、小山御殿広場を訪問する場合、地下に墓地などが存在したことを念頭にいれながら、散策されると宜しいかと思います。



小山御殿跡説明板
小山御殿跡=同広場南側・新庁舎側に設置された説明板





                                            2020.12.8

 小山市長 浅野正富様

                                        小山市西城南7-8-11
                                               平 田 輝 明


先日は、ご多忙のところ、ありがとうございました。有意義な時間を過ごすことができました。感謝致します。
翌日、質問書を提出させていただきましたが、今回は、別件で質問をさせていただきます。回答は、担当課ではなく、市長名で、お願い致します。
新庁舎の北側には、小山御殿広場なる芝生とコンクリートらしきもので造成された、広場が確かにあります。そして、その説明の看板が2か所設けられています。今回は、その内、新庁舎側の看板「整備と発掘調査について」の質問をさせていただきます。

○この場所は、中世城郭小山氏城跡祇園城跡として、国指定史跡となっているはずですが間違いありませんか。
○「中世小山氏の重要な遺構を保存」とありますが、「小山御殿広場」は、中世の遺構なのでしょうか。
○「中心市街地に残された、自然空間として」とありますが、広場の自然空間とは、どこでしょうか。
○御殿広場は、「小山氏時代の遺構を埋め」とありますが、その遺構とは、どのようなものでしょうか。
○広場に「後北条氏が曲輪を造営した」とありますが、その曲輪とは、どこでしょうか。
○広場の「15世紀の大規模な城の区割り」とは、どこでしょうか。
○広場の「16世紀後半の後北条氏による城の整備・強化」とありますが、どこでしょうか。
○広場は、中世城郭として国指定史跡のはずですが、広場には、全く、その表示がされていないのは、なぜでしょうか。
○その指定の位置づけから、先ずは、中世の遺構を表示すべきではありませんか。なぜ、表示されていないのでしょうか。
○発掘調査の成果として、堀跡・井戸跡・硯が写真で紹介されていますが、なぜ、小山氏・後北条時代の遺構・遺物の写真がないのでしょうか。
○なぜ、近世、江戸時代の御殿跡の遺跡表示、遺物説明に終始しているのでしょうか。

字数制限がありますので、今回は、上記のみの質問にさせていただきます。回答につきましては、何らかのかたちで公開することになるかと思います。宜しく、お願い致します。難しい質問ではありませんので、早急な回答を、お願い致します。

2020.12.9 平田輝明記

復活

2020-12-14 17:50:30 | ★お知らせ
皆様、お久しぶりです。
本日より、タイトルを「小山-歴史散歩-」から「小山-歴史・自然散歩-」と名称を変更し、復活することにしました。
諸事情で、歴史から全く離れていましたが、少しずつ再開してまいりますので、宜しく、お願い致します。


なお、記述等に間違いなどがありましたら、遠慮なく、コメント欄に、ご記入下さい。お詫びして訂正いたします。ご意見も、どしどし、お寄せください。

小山評定の碑

2012-12-23 18:49:05 | ・小山評定跡
◆本日、小山市にある須賀神社の前を通ったところ、新年の松飾が目につきました。同時に『徳川家康公小山評定之碑』と記された立派な碑も・・・。
◆以前、新聞各社が、慶長5年(1600)、関ケ原の戦いを前にした小山評定が、同社境内で行われたとする碑を、同社が建立するという内容で報道していました。気になっていましたので、一読してみました。読んで安心しました。碑には、「神社に参籠して戦勝を祈願」と有りましたが、評定が行われたとは、刻まれていませんでしたので・・・。
◆しかし、その隣にある『須賀神社略記』には、「当神社境内で小山評定(軍議)を開き」と、明確に記されていました。この記載の部分は、内容的に碑と非常に関連がある部分です。何故、同じ内容の記述にしなかったのでしょうか。興味の有るところです。
◆小山評定跡については、すでに小山市が、市役所の前に碑を2基建立して、「小山評定跡」として、市の史跡に指定しています。こちらとの関係は、どうなるのでしょう。
◆いずれにしても、そもそも、小山評定跡を明確に特定できる史料は、存在するのでしょうか。私の場合、評定跡関連の史料を調査中です。ご存知の方、おられましたら、ご教授、お願い致します。〔2012.12.23〕