大空襲下 庶民がどのように生きているか?をメインに書いた巻。
といっても ほぼほぼ小説であり「歴史の本」と言ってよいのか
考えるところであるが 小説としては力不足。
今 並行して五味川純平の「戦争と人間」を読んでいるがそちらの
圧勝である。
ちょっと飽きてきたので 昭和二十年は一旦置く。
大空襲下 庶民がどのように生きているか?をメインに書いた巻。
といっても ほぼほぼ小説であり「歴史の本」と言ってよいのか
考えるところであるが 小説としては力不足。
今 並行して五味川純平の「戦争と人間」を読んでいるがそちらの
圧勝である。
ちょっと飽きてきたので 昭和二十年は一旦置く。
20 の続き。
21のような しっかりした証拠に基づいた本を読むと「昭和二十年」シリーズの
空想 (妄想?)の多さが気になってくる。
天皇や 首相、重臣に関する内容は あまり参考にならないなあ。。。
「小説」と認識して読む必要がある。
他の本ではあまり読むことができない 疎開や勤労動員などの一般人のお話
が面白いね。
NHKの戦争ドキュメンタリー取材 を元に書かれた本。
著者の考えは プロローグ「終戦という名のフィクション」に記載がある。
「戦争の歴史は誰かが自分に都合の良いように書いた部分がかなりあるんじゃないか?」
という 考えで調査している。
例えば「陸軍の暴走に 他の人々が引っ張りまわされたーーというのが通説になっているが 本当か?」
戦争というのは すべての人に甚大な影響を及ぼしたから その経験をした人、経験者が
まわりにいる人が 冷静に見ることができず”俺は悪くない。悪いのはあいつらだ”と
悪者を作らなければやってられないというのは理解できる。 今 やっと 戦争が”歴史”に
なりつつあるのだなあ。
本の項目としては
プロローグ:「終戦」というフィクション
第一章:「ソ連参戦」を日本は知っていた
第二章:日本陸軍 終焉の実態
第三章:東郷茂徳の「ロードマップ」
第四章:なぜ決断できなかったのか
終戦時の偉いさんが すべて リーダーではなく「優秀なフォロアー」であった
ことが 悲劇であった 。終戦については「陸軍の暴走でできなかった」というのは
かなりの部分 後付け、関係者の戦後の責任逃れ。 というのが本書の結論
久しぶりのブログとなった。
16番が まあまあ面白かったので 図書館で1巻から借りてきた。
アメリカ、中国と戦って ぼろぼろに負けつつあるのに
「陸軍の面子」「海軍の面子」を最も重要視して考えているのが
非常に悲しい。
また 人間関係だけで 物事が動いていくのも悲しいなあ。。。
ただ この本はどこまで事実なんだろうか?
16番 にも書いたが「???と言ったのかもしれない」
「???という会話が交わされたのだろう」 というような
文章が多く よくわからない。作者が「陸軍・海軍は面子ばかりを考えていた」
という予断を持って 本を書いている可能性がかなりある。
「かもしれない」「おかしくはない」などのことばを連発されると
しらけるので 「これは かなり事実に基づいた小説です」と最初に
宣言してしまった方がよかったかもなあ。 内容自体は面白い。