れきしぱうち

日本史を、まんが入りでノートにしました。
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縄文時代 3章-2 「縄文時代の生活」☆

2013-03-02 | 縄文時代
(1)縄文の居住
「平地式住居」から「竪穴式住居・たてあなしきじゅうきょ」へと移っていく。

竪穴式住居とは、地表を50センチ程掘って床面とした半地下式の住居。
掘立柱によって支えられた屋根は、円錐屋根がつく。


それまで外にあった「炉」は住居内部の中央に設置され、定住生活を物語っている。

温暖化による食糧確保の安定により、定住化と人数の大規模化がすすんだ
と考えられる。
青森三内内丸遺跡では、500人を超える大集団で、中央広場、集会所、
貯蔵庫、ゴミ捨て場などが分離した初歩的なムラを作って、
機能的に暮らしていた跡がみれる。


(2)狩り 
温暖化により、小型獣の狩猟が住居近くで、小規模に容易に出きるようになった。

狩猟道具が、動きの素早い中小動物に合わせて、弓矢などに変化していく。
北海道や東北では、落とし穴を利用した狩猟も盛んであった。

また、野生のオオカミなどを飼いならすか、大陸から飼いならされたイヌが入ってきたか、
縄文時代には、人とイヌが共存して、狩猟をしていたことが確認されている。


川を遡上するサケは、西日本でもみられ、縄文人の貴重なカロリー源であり、
漁法もいろいろ工夫され、追い込み漁法などもあったと言われる。
(明治頃までは、山口県でも鮭の遡上が見られていた。)


(3)漁業と海への進出
・旧石器時代の貝塚は発見されていないが、縄文時代に入ると巨大な貝塚
全国でたくさん発見される。それは、この頃の温暖化の海面上昇により、
現在より3メートルも高くなり、干満の激しい入り江では、年中採集できる貝類が
よく採れた為だと考えられている。

・「丸木舟」で、沖まで漁に出ていた。(東京都遺跡)
東北、三陸海岸では、獣の角から、釣針を加工して使っていた形跡がのこる。


・東北~北海道では、アザラシ、オットセイなどの大型海獣猟も行われていた。

(4)抜歯の風習
成人の儀式や、婚姻の際などの人生の折りに、歯を抜く習慣があった。
男女や、部族、職種によって、抜く歯の場所に違いがあったと考えられている。
岡山県津雲遺跡の墓地から出た頭蓋骨は、そのほとんどが抜歯されていた。
最高で14本の抜歯が確認されている一方、上の犬歯しか抜歯していない男性の骨も
たくさん出てきた。
独身のまま一生を過ごした男性が多かったのかもしれない。
      

特に、特徴的なのは、前歯に切れ目をいれる「叉状研歯・さじょうけんし」で、
東海~近畿地方のでみられている。
一つのに、老若男女問わず、4~5人がいたので、叉状研歯を引き継ぐ有力者か
呪術師の家系があったのかもしれない。

(5)宗教
人々の生活は自然の脅威にさらされ、左右されていた為、
自然物や、自然現象の中に信仰を求める、アニミズムであった。

信仰の呪術的遺物に、
女性をかたどった「土偶」、男性をかたどった「石棒」がある。


(6)墓
墓は、集落の中央に墓地を作り、その周囲に円形に住居を配した。
全体に、呪術的な思想の発達によって、死者と生きる者とのつながりが見られるようになる。

また、死産や生後すぐに亡くなった子は甕に入れ、住居の入り口に埋葬し、それを日々またぐ
ことで、母親の胎内に魂が早く戻ることを願ったと考えられるものもある。


縄文時代は、膝を抱えるように体を折って土に埋める「屈葬」が多くみられる。

東日本では、墓穴の上に石を置いたり、並べる風習がみられ、
墓地全体が、大きな石の輪になった「環状列石」と呼ぶ墓もある。



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