(1)縄文の居住
「平地式住居」から「竪穴式住居・たてあなしきじゅうきょ」へと移っていく。
竪穴式住居とは、地表を50センチ程掘って床面とした半地下式の住居。
掘立柱によって支えられた屋根は、円錐屋根がつく。
それまで外にあった「炉」は住居内部の中央に設置され、定住生活を物語っている。
温暖化による食糧確保の安定により、定住化と人数の大規模化がすすんだ
と考えられる。
青森三内内丸遺跡では、500人を超える大集団で、中央広場、集会所、
貯蔵庫、ゴミ捨て場などが分離した初歩的なムラを作って、
機能的に暮らしていた跡がみれる。
(2)狩り
温暖化により、小型獣の狩猟が住居近くで、小規模に容易に出きるようになった。
狩猟道具が、動きの素早い中小動物に合わせて、弓矢などに変化していく。
北海道や東北では、落とし穴を利用した狩猟も盛んであった。
また、野生のオオカミなどを飼いならすか、大陸から飼いならされたイヌが入ってきたか、
縄文時代には、人とイヌが共存して、狩猟をしていたことが確認されている。
川を遡上するサケは、西日本でもみられ、縄文人の貴重なカロリー源であり、
漁法もいろいろ工夫され、追い込み漁法などもあったと言われる。
(明治頃までは、山口県でも鮭の遡上が見られていた。)
(3)漁業と海への進出
・旧石器時代の貝塚は発見されていないが、縄文時代に入ると巨大な貝塚が
全国でたくさん発見される。それは、この頃の温暖化の海面上昇により、
現在より3メートルも高くなり、干満の激しい入り江では、年中採集できる貝類が
よく採れた為だと考えられている。
・「丸木舟」で、沖まで漁に出ていた。(東京都遺跡)
東北、三陸海岸では、獣の角から、釣針を加工して使っていた形跡がのこる。
・東北~北海道では、アザラシ、オットセイなどの大型海獣猟も行われていた。
(4)抜歯の風習
成人の儀式や、婚姻の際などの人生の折りに、歯を抜く習慣があった。
男女や、部族、職種によって、抜く歯の場所に違いがあったと考えられている。
岡山県津雲遺跡の墓地から出た頭蓋骨は、そのほとんどが抜歯されていた。
最高で14本の抜歯が確認されている一方、上の犬歯しか抜歯していない男性の骨も
たくさん出てきた。
独身のまま一生を過ごした男性が多かったのかもしれない。
特に、特徴的なのは、前歯に切れ目をいれる「叉状研歯・さじょうけんし」で、
東海~近畿地方のでみられている。
一つのに、老若男女問わず、4~5人がいたので、叉状研歯を引き継ぐ有力者か
呪術師の家系があったのかもしれない。
(5)宗教
人々の生活は自然の脅威にさらされ、左右されていた為、
自然物や、自然現象の中に信仰を求める、アニミズムであった。
信仰の呪術的遺物に、
女性をかたどった「土偶」、男性をかたどった「石棒」がある。
(6)墓
墓は、集落の中央に墓地を作り、その周囲に円形に住居を配した。
全体に、呪術的な思想の発達によって、死者と生きる者とのつながりが見られるようになる。
また、死産や生後すぐに亡くなった子は甕に入れ、住居の入り口に埋葬し、それを日々またぐ
ことで、母親の胎内に魂が早く戻ることを願ったと考えられるものもある。
縄文時代は、膝を抱えるように体を折って土に埋める「屈葬」が多くみられる。
東日本では、墓穴の上に石を置いたり、並べる風習がみられ、
墓地全体が、大きな石の輪になった「環状列石」と呼ぶ墓もある。
「平地式住居」から「竪穴式住居・たてあなしきじゅうきょ」へと移っていく。
竪穴式住居とは、地表を50センチ程掘って床面とした半地下式の住居。
掘立柱によって支えられた屋根は、円錐屋根がつく。
それまで外にあった「炉」は住居内部の中央に設置され、定住生活を物語っている。
温暖化による食糧確保の安定により、定住化と人数の大規模化がすすんだ
と考えられる。
青森三内内丸遺跡では、500人を超える大集団で、中央広場、集会所、
貯蔵庫、ゴミ捨て場などが分離した初歩的なムラを作って、
機能的に暮らしていた跡がみれる。
(2)狩り
温暖化により、小型獣の狩猟が住居近くで、小規模に容易に出きるようになった。
狩猟道具が、動きの素早い中小動物に合わせて、弓矢などに変化していく。
北海道や東北では、落とし穴を利用した狩猟も盛んであった。
また、野生のオオカミなどを飼いならすか、大陸から飼いならされたイヌが入ってきたか、
縄文時代には、人とイヌが共存して、狩猟をしていたことが確認されている。
川を遡上するサケは、西日本でもみられ、縄文人の貴重なカロリー源であり、
漁法もいろいろ工夫され、追い込み漁法などもあったと言われる。
(明治頃までは、山口県でも鮭の遡上が見られていた。)
(3)漁業と海への進出
・旧石器時代の貝塚は発見されていないが、縄文時代に入ると巨大な貝塚が
全国でたくさん発見される。それは、この頃の温暖化の海面上昇により、
現在より3メートルも高くなり、干満の激しい入り江では、年中採集できる貝類が
よく採れた為だと考えられている。
・「丸木舟」で、沖まで漁に出ていた。(東京都遺跡)
東北、三陸海岸では、獣の角から、釣針を加工して使っていた形跡がのこる。
・東北~北海道では、アザラシ、オットセイなどの大型海獣猟も行われていた。
(4)抜歯の風習
成人の儀式や、婚姻の際などの人生の折りに、歯を抜く習慣があった。
男女や、部族、職種によって、抜く歯の場所に違いがあったと考えられている。
岡山県津雲遺跡の墓地から出た頭蓋骨は、そのほとんどが抜歯されていた。
最高で14本の抜歯が確認されている一方、上の犬歯しか抜歯していない男性の骨も
たくさん出てきた。
独身のまま一生を過ごした男性が多かったのかもしれない。
特に、特徴的なのは、前歯に切れ目をいれる「叉状研歯・さじょうけんし」で、
東海~近畿地方のでみられている。
一つのに、老若男女問わず、4~5人がいたので、叉状研歯を引き継ぐ有力者か
呪術師の家系があったのかもしれない。
(5)宗教
人々の生活は自然の脅威にさらされ、左右されていた為、
自然物や、自然現象の中に信仰を求める、アニミズムであった。
信仰の呪術的遺物に、
女性をかたどった「土偶」、男性をかたどった「石棒」がある。
(6)墓
墓は、集落の中央に墓地を作り、その周囲に円形に住居を配した。
全体に、呪術的な思想の発達によって、死者と生きる者とのつながりが見られるようになる。
また、死産や生後すぐに亡くなった子は甕に入れ、住居の入り口に埋葬し、それを日々またぐ
ことで、母親の胎内に魂が早く戻ることを願ったと考えられるものもある。
縄文時代は、膝を抱えるように体を折って土に埋める「屈葬」が多くみられる。
東日本では、墓穴の上に石を置いたり、並べる風習がみられ、
墓地全体が、大きな石の輪になった「環状列石」と呼ぶ墓もある。
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