日本史大戦略 Side-B 附 歴史を歩こう協会(旧東国を歩く会) ~日本各地の古代・中世史探訪~

『日本史大戦略』のB(Blog)面です。城・館・古墳・古道・官衙・国分寺・神社・寺院・民俗・エミシ・南部氏・後北条氏など

【対馬・壱岐】不可思議な古墳の数々と知られざる元寇遺跡【歴史好きには堪らない島】

2018-08-29 23:09:54 | 歴史探訪
 今日はお仕事がお休みでした。

 掃除も歴史もお休みで自宅に引きこもっていました。

 本当は、今週末の講座の資料作成をしたかったのですが、少しだけ作業が進んだものの、あとはほとんど寝ていました。

 私的には家で寝ているというのは珍しく、よっぽど身体が疲れていたんだなと思います。

 直近を振り返ってみると、2週間前の13日(月)が歴史も掃除もない日でしたが、朝から会社の健康診断に行って、その後、都心まで出かけているので、身体が休まったかどうかは微妙です。

 その前は7月29日で、その日は一日中自宅に引きこもっていました。

 しかしその日は1日中ブログの記事を書いていたのでそれはそれで疲れたかもしれません。

 このように、私は自分でも呆れるほど仕事ばかりしています。

 最近は、各方面から「稲用さんは働きすぎだ」と指摘されており、本音を言えば、週休2日で普通に暮らせたらどんなに楽だろうかと思います。

 ただ、現実はそう甘くはありませんね。

 ありがたいことに、9月と10月はクラツーの催行決定日がそれぞれ11日ずつあり(他の日は掃除をします)、クラツーの予定自体は来年1月までほぼパンパンになっています。

 これくらいやった結果、だいたい自分の能力の90%くらいまで来てしまったと判断したので、これ以上は仕事は増やさないつもりです。

 基本的に働くことは楽しいことなので普通であれば苦になることではありませんが、さすがに体力的にきつい状態が続くと、繰り返しますが週休2日で生活できたらいいなあと憧れます。

 さて、話を変えて、先週の対馬・壱岐歴史探訪ですが、まだレポートの途中でしたね。

 ブログの記事を書くのは私の中では一番の楽しみなのですが、その時間を確保することもできないため、ひとまずまだレポートしていない場所について簡単にお伝えしようと思います。

 やはり、歴史をやるうえでは現地に行くのが一番だといつも感じており、今回の対馬・壱岐ではとくにその思いを強くしました。

 というのも、対馬は国境の島ですから、現地に行ってみないと分からないことがたくさんあったからです。

 知られざる島の歴史をたくさん知り、大いに知的好奇心を刺激されてきました。

 両島とも海と緑の素晴らしい景色でしたので、歴史探訪以前に、景色を見るのもとても楽しく、都内ではせっかちな運転をする私が、両島では法定速度でのんびり運転しながら景色を楽しみ、スピードを出そうという気持ちにならなかったのです。

 壱岐は山ばかりの島というイメージがあると思いますが、深江田原(ふかえたばる)平野は長崎県で2番目に広い平野です。



 その深江田原平野の辺縁部のやや高い位置にある原の辻遺跡を遠望します。



 壱岐の5時45分。



 九州は東京よりも日の出が遅いです。

 壱岐の7時50分。



 対馬も壱岐も古墳王国で、とくに壱岐には長崎県内の古墳の6割が集まっており、現在確認できる数は280基と言われています。

 対馬の矢立山1号墳。



 対馬の在地豪族の墓ですが、こういった積石塚(のような塚)がもし関東地方で見つかったら、間違いなく渡来人の墓だと言われると思います。

 また、壱岐の壱岐古墳群に属する双六(そうろく)古墳は墳丘長91メートルを誇る長崎県最大の前方後円墳ですが、他では見たことのない異様なデザインの前方後円墳です。



 丘陵の上に立地。



 ヤマトを中心とした、いわゆる「前方後円墳体制」から見た場合、いったいこの形状の前方後円墳はどう判断すればいいのでしょうか。

 脳が刺激されっぱなしで、イッちゃいそうです。

 壱岐も対馬も古墳好きにはたまらない不思議ワールドですよ。

 つづいて、両島には元寇関連の遺跡も多いです。

 対馬の小茂田神社。

 
 
 この近くで元寇の合戦が行われました。





 元寇というと、教科書で習った印象では博多湾での戦いが頭に浮かびますが、当然ながら博多に侵攻する途中、対馬と壱岐を通過しているわけで、そこで戦いがなかったわけがないんですね。

 でも意外とそこまで考えをめぐらせる人は少ないかもしれません。

 壱岐にも古戦場跡があります。







 少弐公園も古戦場跡です。









 少弐公園からは宗像の大島が見えました。



 そして何と、沖ノ島も見えましたよ!



 壱岐には「千人塚」と呼ばれるものがあり、元寇で殺害された島民を葬ったとされています。





 元寇の際に、対馬と壱岐の人びとが大変な目に会ったということを私たち他の地域の人びとも知っておく必要があると思います。

 ただし、その反対のことを象徴する遺跡として、秀吉の朝鮮出兵の際に築城された勝本城跡もあります。







 こういった過去の歴史を正しく理解しつつ、お互い未来に向けて仲良くする必要があると思います。

 一方的にどちらかが悪いということはないですよね。

 国と国との戦いでも個人の喧嘩でも両者に原因があるはずなので、お互い、反省すべき点は反省し、謝罪すべきところは謝罪しましょう。

 近代の戦争遺跡もあります。

 壱岐の黒崎砲台に据え付けられた大砲は、戦艦土佐の40㎝砲でした。





 両島とも、素敵な神社も数多くありますよ。

 干潮のわずかな時間しか参拝できない壱岐の小島神社。



 以上、駆け足で代表的な遺跡を巡ってきたわけですが、実際に現地に行って再確認したのは、日本の古代人は船をかなり自由自在に使っていたことです。

 それはおそらく、縄文時代から現代までずっとそうで、対馬と壱岐の島の真ん中には国道382号線が縦断しているのですが、対馬ではその道ができる40年前までは、車を使っての移動がとても不便で、スクールバスならぬ「スクールボート」があり、島民は日常は船に乗って各地を行き来していたそうです。

 その風景は、丸木舟とモーターボートとの違いはあるかもしれませんが、古代も今も一緒ではないかと思うのです。

 もう一度、農耕民族や騎馬民族の視点からだけでなく、海洋民族としての日本人をよくよく検討しようという思いを強くしました。

 このように景色も素晴らしく、歴史の見どころも沢山あり、美味しい料理も食べられてのんびりと過ごせる場所が対馬と壱岐です。

 なにも海外まで行かずとも、福岡空港か長崎空港から至近で、博多港からジェットフォイルを使ってもすぐに行ける距離に素晴らしい場所がありますよ。

*     *     *


 壱岐の歴史スポットは、クラブツーリズムのツアーでもご案内しています。

 コース番号:C2041

 ⇒探訪箇所など、詳しくはクラブツーリズムの公式ホームページをご覧ください

 10月6日出発分は、私がご案内します!

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【対馬・壱岐探訪 1日目 その3】対馬の歴史探訪スタート!【万関瀬戸・西漕手・阿麻弖留神社・豊玉町郷土館】

2018-08-26 06:04:30 | 歴史探訪
 壱岐の朝。

 5時に起床しましたが、こちらはまだ真っ暗です。

 よく、感覚的には東京よりも1時間、日の出と日の入りが遅いといわれます。

 この記事を書いているうちに徐々に明るくなってきて、5時40分現在、こんなかんじです。



 それでは、対馬・壱岐探訪の続きをごくごく簡単にお届けしますよ。

 ⇒前回の記事はこちら

*     *     *


 生まれて初めてのプロペラ機は楽しかったー。



 そしてまた、長崎県に来るのも初めてですが、その初めてが対馬なので、古代史マニアとしては誇れることではないかと思います。

 台風の余波でまだ風は強いですが、天気は程よく晴れています。

 空港から周辺の景色を見渡してもほぼすべて緑の山。

 素晴らしい・・・

 それでは、さっそくレンタカーを借りて探訪を開始しましょう。

 空港の近くには「対馬の石屋根」があります。



 なんか、お馬さんも置いてある。





 南北82㎞、東西18㎞の対馬は、北から上対馬町・上県(かみあがた)町・峰町・豊玉町・美津島町・厳原(いずはら)町の6つに分かれ、2004年まではそれぞれ別個の自治体でしたが、現在は対馬市としてまとまっており、市役所は南側の厳原に置かれています。

 今回の旅では時間の都合上、上対馬町と上県町へは行けず、本日は峰町・豊玉町・美津島町の3町の史跡をめぐります。

 車を走らせてすぐ、赤い鉄橋が見えましたよ。

 万関瀬戸でしょう。

 駐車場があるので停めてみてみましょう。





 え?

 島左近の墓?



 気になる・・・



 万関瀬戸に架かる橋は万関橋です。





 万関橋の眼下は明治34年に旧日本海軍が開削した運河になっています。



 今日の車はトヨタのアクアですよ。



 次に西漕手(にしのこいで)。



 へー、初めての場所に来ると知らないことを知る喜びを味わえて楽しいですね。



 この地峡は最小時は160mほどしかない時期があったそうで、説明板にある通り、遣唐使はここで船を乗り換え、小さな船なら陸を曳いて東西を行き来したそうです。

 それに、応永の外寇って何だろう?

 ※李氏朝鮮からすると対馬は倭寇の巣窟になっているということで、応永26年(1419)年に倭寇掃討の軍勢が差し向けられてきたということです。

 この先に何があるんでしょうか。



 古い説明板。



 潮の匂いが湿った空気に混ざって漂っていますよ。



 何でしょうか、この板状の岩は。



 お、水が見えてきました。



 ほー、ここまで浅茅湾が入り込んでいるんですね。



 しかし、風が強くて長居できない・・・



 あなた誰ですか?





 あそこにも居る!



 しかし岩が気になる・・・



 つづいて、すぐ近くに阿麻弖留神社があるので行ってみましょう。









 先の戦の名残でしょうか。



 石段を上がりますよ。

 あ、海だ。











 この近くには日本最古の寺院と称する梅林寺があるので寄ってみます。

 こちらですね。



 現在は曹洞宗の寺院です。

 道路端には説明板があります。



 では、北上して豊玉町に行きます。

 まずは豊玉町郷土館へ行って情報収集をしましょう。

 高台に登り駐車場までやってきました。



 観音像のようなものが見えますよ。



 でもちょっと趣が違うかな。



 ここが郷土館でしょうか。



 不思議なデザインの立派な建物ですね。





 おや、ドアに鍵が閉まっていますよ。

 どうやら別の場所に行って開けてもらうように伝えないといけないようです。

 全然人の気配がしませんが、窓口のようなところに行くと、職員の方がいらっしゃいました。

 郷土館の鍵を開けていただき、見学開始です。

 ここは写真撮影が禁止ですね。

 外見も立派な建物ですが中も立派で、バブリーな雰囲気があります。

 1階は考古展示で2階には朝鮮通信使関連が展示してあります。

 豊玉町にはとくに弥生時代の遺跡が他の地域と比べて多いです。

 なお、魏志倭人伝に登場する対馬国の具体的な王都の遺跡についてはまだ確定していません。

 20分ほどかけて見学し、再度さきほどの窓口に行って今度は閉めてもらうように頼みます。

 しかし、思っていたほど歴史関連のパンフレット類が置いてないなあ。

 さきほど、この郷土館のリーフレットと「対馬の自然と文化」という小冊子をいただきましたが、それ以外に「対馬 歴史の散歩道」というリーフレットが3種あるだけです。

 あんまり歴史に力を入れていないのかなあという印象を持ちましたが、厳原に博物館を建設中ですので、今後に期待したいです。

 唯一、『豊玉町の文化財』という書籍が有料販売していたので、窓口に戻るとそれを買おうとしました。

 ところが、郷土館では現金のやり取りができないので、役場の方で支払いをして欲しいと言われました。

 実はこういうことってたまにあるんですよ。

 なので、面倒くさいのは事実ですが、その場所のやり方には従わないといけませんね。

 さきほど郷土館がある丘へ登るときに、麓に市役所の支所がありましたが、そこで支払いするようです。

 車に乗って丘を下り、支所へやってきました。



 ここで無事、1000円を支払いましたが、つまり、支所が休みの土日はこの本は購入できないということですね。

 今日はたまたま金曜日で良かったですが、今後ツアーで来るときなどは注意が必要ですね。

 お、目の前にスーパーがある!



 対馬に渡る前の11時ごろに軽いお弁当を食べましたが、時刻は14時半をまわり、ちょうどお腹が空いてきたのであそこで何か購いましょう。

 初めて入るスーパーって楽しいですよね。

 お弁当コーナーに行くと美味しそうなお弁当がたくさん並んでいますが、カレーも数種類あります。

 よし、野菜のキーマカレーにしよう!



 「キーマン」と書いてありますが、細かいことは別にいいのです。



 ほどよい辛さのトマト味で美味しい。

 一息ついたので、後半の探訪に出発しますよ!

 ⇒この続きはこちら

ヤマトとカラの狭間で (対馬国志 第1巻)
永留 久恵
交隣舎出版企画






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【対馬・壱岐探訪 1日目 その2】香椎宮・仲哀天皇大本営跡【双発ターボプロップ、楽しすぎる】

2018-08-25 21:29:11 | 歴史探訪
 昨日は対馬で宿泊し、今日は昼過ぎにジェットフォイルに乗って壱岐へやってきました。

 対馬から壱岐、そして壱岐から博多はジェットフォイルならそれぞれ65分ですよ!



 卑弥呼が知ったら驚愕するでしょうね。

 対馬もいいところでしたが、壱岐もいいところです。

 今は潮騒の聴こえる民宿でブログを書いています。



 せっかちな私が、こちらに来るとのんびり屋さんになってしまいますから、島の雰囲気って不思議ですね。

 普段、セコセコしているのは一体何なんだろうか考えさせられます。

 というわけで、前回の記事の続きを今回も写真の羅列でごくごく簡単にお届けしますよ。

 ⇒前回の記事はこちら

*     *     *


 対馬行きの飛行機が欠航になったお陰で生じた4時間。

 まずは念願の那珂八幡古墳を見ることができましたが、もう一か所まわる時間があります。

 なので、香椎宮へ行ってみましょう。

 竹下駅から鹿児島本線に乗り、香椎駅で一旦おります。

 なにしろ土地勘がないので、ここで香椎線に乗り換えて隣の香椎宮駅まで行けば近いかしら。

 ところが、香椎線はあと30分も来ません。

 それなら歩いた方が早いと思い、改札を飛び出してみたものの、やはり今日は時間がシビアなので、滅多に使わないタクシーを使うことにします。

 タクシーでは1メーターの580円とは行きませんでしたが、680円ですぐに香椎宮に着きました。





 では参拝するぞ。



 門をくぐります。



 すると左手に境内社の武内神社がありました。

 場所柄、武内宿禰を祀っている神社でしょう。


 
 やはりそうでした。



 北部九州に来ると武内宿禰の影がチラつきますね。







 おや、こちらに武内宿禰が赤ちゃんをだっこしていますよ。



 なんと、赤ちゃんは応神天皇です。

 ということは・・・

 守り役ではなくお父さん?

 神功皇后をめぐる仲哀天皇と武内宿禰の三角関係をなにか示唆しているような意味深な像ですね。

 では、主祭神へ。









 香椎宮は縁結びの神様としても有名ですので、そのせいか若い女性のお一人様参拝を何名か見かけました。

 考えてみれば、神社で縁が結ばれる可能性は高いのではないかと思います。

 女性が一人で来ていた場合、こういったらおかしいかもしれませんが、男性に声をかけられる可能性は高いのではないでしょうか。

 しかも男性も神社が好きで来ていると思うので、男女とも趣味が合う可能性が高いですし。

 すみません、あまりにも考えが安直ですね。

 さて、香椎宮の本宮へ行きます。





 こちらは仲哀天皇が朝鮮半島を攻めたときの「大本営」の跡でもあります。





 北部九州に来ると、さきほどの武内宿禰もそうですが、神功皇后や仲哀天皇の話も良く出てきます。

 私は3名とも架空と考えているのですが、なんだかそう簡単に片づけてはいけないかな。

 3名のモデルとなる人物はいたでしょうし、朝鮮半島を攻めた話も荒唐無稽とは言えないかもしれません。

 10月からクラツーで日本書紀の連続講座を始めますので、講義をするまでによくよく再考してみるつもりです。

 さて、行きはタクってしまいましたが、帰りは歩いて香椎駅まで行く時間があります。

 テクテクと参道を歩き、鹿児島本線の踏切まで来ました。

 ここが参道入り口ですね。



 香椎駅へ戻ってきました。

 おいおい、また不意打ちかよ!



 急に来ても撮れないって!



 いいねえ、気動車。



 少し前に母の実家の宮崎に行ったときに鉄道写真を撮りまくりましたが、そのときの雰囲気に似ています。



 九州の鉄道もいいねえ。

 福岡空港へ戻ってくると、11時20分発の予定が遅延して、さらに20分遅れるとのことです。

 ちょうどよかった、この隙に昼飯が食べられる。

 さて、いよいよ搭乗です。

 搭乗ゲートをくぐるときにバスに乗ってくださいと指示されました。

 そっか、建物直結じゃないんだ!

 一旦滑走路側に出るとバスが待っており、それに乗せられて飛行機まで行くようです。

 バスの車窓からは滑走路側の様子がよくわかって楽しい。



 飛行機一杯。



 おそらくあれに乗るんですね。



 双発のターボプロップじゃん、ワクワクします。

 ボンバルディアか。



 YS-11が良かったな。

 ・・・古すぎるって。

 私以外にも大勢の人が写真を撮っています。



 実はプロペラ機には生まれて初めて乗ります。

 結局、YS-11も乗らないうちに無くなりました。

 1式陸攻の機内の幅ってどれくらいだったのかな?

 あれ、外にはボンバルディアって書いてあったけど、機内の説明にはDHC(デ・ハビランド・カナダ)って書いてありますよ。



 ※後で調べたらDHCは1992年にボンバルディアに吸収されたんですね。最新情報は全然キャッチアップしていません。

 では、滑走路まで行きます。



 離陸のために加速すると、いつも乗っているジェット機よりも全然体感速度が速い!

 楽しい~。

 しばらく外の景色を楽しみますよ。





 すぐに雲の上。





 しばらく北部九州の沿岸地域が見えていましたが、やがて洋上に出ます。



 福岡と対馬は飛行機では近すぎるため、巡航する高度まで上昇したら5分で着陸準備に入りました。

 対馬が見えてきましたよ。





 人工物のほとんど見えない緑の美しい島です。



 着陸しますよ。





 はい、無事に到着しました。



 それでは4時間ばかり押していますが、いよいよ対馬の歴史巡りを開始します!

 ⇒この続きはこちら


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【対馬・壱岐探訪 1日目 その1】福岡市・那珂八幡古墳【対馬行きの飛行機が欠航!】

2018-08-25 06:40:14 | 歴史探訪
 さきほど記事を一本上げましたが、まだホテルの朝食の時間にならないので、もう一本上げました。

 なお、神武號で書いているため写真の編集ができませんので、写真は撮ってきたものを無修正で載せます。

 無修正といっても、いやらしい写真はないのでご安心ください。

 ただ、見苦しい写真もあると思いますので、その辺はご了承ください。

 ⇒前回の記事はこちら

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 さて、今日はいよいよ対馬へ渡りますよ。

 福岡空港を飛び立つ時刻は7時50分なので、余裕をもって6時20分にホテルを出ます。

 今回泊ったのは、東急ステイです。



 快適なホテルでした。



 博多駅から福岡空港駅までは2駅、260円です。

 空港に着き、手荷物検査を通ろうとして、チケットをリーダーにかざすと、係員に「このチケットでは入れません」と言われてしまいました。

 おかしいなあと思い、別の係員に尋ねると、まだ対馬行きが飛ぶかどうか決定していないということでした。

 そうか、台風の影響ですね。

 こちらは雨は止んでいるのですが、まだ強風が残っているので判断を保留しているようです。

 5分くらい待つと、係員がやってきて「欠航に決まりました」と告げられました。

 次の便は11時20分ということで、代替移動手段もないことから、それに振り替えてもらいました。



 というわけで、さあ4時間、どうしようかな。

 神社か何か、少しめぐってみようと思い、神武號を開きます。

 そういえば、那珂八幡古墳って近くじゃなかったかな?と思い調べると、博多駅から1駅隣の竹下駅を降りて歩いて数分の場所にあることが分かりました。

 しかも、竹下駅から一本道なので土地勘がなくても迷うこともないでしょう。

 よし、那珂八幡古墳へ行くぞ。

 福岡空港駅のコインロッカーにスーツケースを預け、身軽になったら博多へ移動です。

 福岡周辺の路線に関してはまったく知識がありませんが、鹿児島本線に乗ればいいようです。

 ホームに行くと私にとっては珍しい電車がいます。

 うーん、暗くてダメだな。





 電車に乗り込み、竹下駅まで移動。



 東口ですね。



 歩き出して5分ほどで前方左手にこんもりとした森が見えてきました。



 あれに違いない。



 那珂八幡古墳はその名の通り、墳頂に八幡神社があります。





 説明板に書いてある通り、九州では最古の古墳です。



 私は古墳マニアで、それに関連して縄文時代からのお墓の歴史に大変興味があります。

 弥生時代中期に北部九州では墳丘墓が出現しますが、一般的には古墳の第1号は3世紀半ばに築造された奈良県桜井市の箸墓古墳とされています。

 ただ、前方後円形の墳墓はそれ以前から現れており、それらの仲間に入るのがこの那珂八幡古墳なのです。

 墳形はだいぶ崩れていますね。





 墳頂に上がると、当たり前ですが社殿があります。







 あ、なんか拝殿の中にはたくさんの絵が掲げてある。





 なんで上杉謙信なんでしょうか?



 絵を見てみると、特段この地域に関係があるものではないようです。



 今まで、講座などで古墳の歴史を話すときは、よくこの那珂八幡古墳を引き合いに出していたのですが、実際に訪れたのは今日が初めてです。

 禍を転じて福と為すというと大げさですが、飛行機が欠航になってくれたおかげで、見たかった那珂八幡古墳を見ることができてとても嬉しいです。





 一瞬、葺石かと思ってしまいました。

 さて、まだ時間は大丈夫なのでもう一か所見たいと思います。

 香椎宮へ詣でましょう。

 まずは竹下駅へ戻ります。











 おっ、ダスキンさん!



 竹下駅から鹿児島本線で香椎駅まで向かいます。



 おや、向こうに電車がたくさん止まっていますよ。





 あ、特急!



 また電車来た。
 


 ベンチに座って神武號をいじっていると・・・

 何だよ!

 急に来るなよ!



 急に来ても撮れないじゃないか!



 竹下駅、楽しい。

 あ、写真撮っている場合じゃないですね。

 香椎駅へ向かいましょう。

 ⇒この続きはこちら


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【対馬・壱岐探訪 0日目】「兵は神速を貴ぶ」が口癖ですがようするにせっかちなのです

2018-08-25 05:46:47 | 歴史探訪
 今は対馬のホテルにいるのですが、4時過ぎに起床してブログを書いています。

 なんで「国境の島 対馬」に居るのかは追々ご説明しますが、先日の木曜日(8月23日)は、クラツーにて座学講座をやりました。

 昨年からずっと、月に1度の定期講座をやっているのですが、今までは土曜日に催行していたのをお客様の需要があるかもしれないと考え、平日にも催行することにしたのです。

 ですので、土曜日のものと平日のものは内容的には一緒です。

 午前は、東北地方の歴史講座でアテルイと田村麻呂についてお話ししました。



 午後は、邪馬台国時代の東アジア情勢についてお話しし、午前は8名様、午後は6名様のご参加をいただきました。

 皆様、ご参加ありがとうございました。

 初の平日開催でしたが、予想よりも多くの方々の参加をいただき、とても嬉しかったです。

 さて、15時に午後の講座を終えると、すぐに羽田空港へ向かいました。

 金・土・日の3日間で、対馬と壱岐をめぐるのですが、少しでも探訪時間を確保したいこともあり、孫子も「兵は神速を貴ぶ」と言っていますので、夜のうちに福岡まで行ってしまうというわけです。

 台風19号と20号がダブルで来襲し、地域によっては大変なことになっていますが、なんとか無事に予定通りの19時に福岡に着くことができました。

 地下鉄で博多まで移動。

 しかしお腹空いた。

 東急ステイの1階の居酒屋には定食や丼もあるようで、ホテル内にあるにしてはリーズナブルだったので、チェックインすると部屋に行く前に夕飯をいただくことにします。



 昼はステーキを食べたので夜は魚がいいな。



 漬け丼にしましょう。



 何種類かの魚が入っていて美味しい。

 味噌汁は九州独特の甘い味でこれまた美味しいですし、きゅうりの漬物も俊逸です。

 時間とお金があればゆっくりお酒を飲みたいですが、両方ないのでキッパリあきらめて部屋へ入ります。



 明日のこともあるので早く寝ようっと。

 ⇒この続きはこちら

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【クラブツーリズム】北東北の縄文ツアー 3日目【300円では冷麺は食べられないのだ】

2018-08-22 13:18:18 | 歴史探訪
 昨日(8月21日)は、クラブツーリズムにて群馬県の古代史ツアーをご案内してきました。

 天候は晴れ。

 まだ少し暑かったですが、我慢できないほどではなかったかなと思います。

 撮った写真は3枚だけです。

 肉づくしのお昼ご飯!



 前方部がくっきり見えた女体山古墳!



 いつ見てもでかい太田天神山古墳!



 今回はちょっと特殊なツアーだったのですが、何が特殊だったかは今のところはお伝えできません。

 10月以降に今回のツアーのその特殊性が明かされると思います。

 ということで、19名のお客様と特別参加の方々、皆様どうもありがとうございました!

 それでは、先週の北東北縄文ツアーの3日目の模様をごくごく簡単にご報告しますね。

 ※掃除の仕事の昼休み中に急いで書いたので雑でスミマセン!

 ⇒前回の記事はこちら

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 さて、あっという間の最終日の朝です。

 よし、今日も晴れだ!

 朝ご飯は6時半からです。

 昨夜はフレンチでしたが、朝は和食のビッフェ形式。

 数の子の入ったねぶた漬けにトロロ芋、それにせんべい汁で十分ですが、ついつい盛りすぎました。



 ご飯は2杯でおしまい。

 食べ過ぎたー。

 十和田湖が見えますよ。



 散歩をされている方もいますね。



 それでは、3日目のツアー、スタートです。 

 8時半に出発し、最初に向かったのは十和田湖の休屋地区です。

 まずは十和田神社に参拝しますよ。

 ここでは、十和田湖と八郎潟、そして田沢湖を包括して伝わる「三湖伝説」を話します。

 若干の自由散策時間を取り、つづいて新郷村の大石神ピラミッドへ向かいます。



 到着しました。

 でも大型バスはこれより上は行けないということなので、少し歩きますよ。



 坂道を数分登ると、前方に鳥居が現れました。







 歩くルートが表示してあり、迷うことはありませんね。

 それに沿って歩きます。







 ここだけ少し山歩きになってしまいましたね。

 つづいて同じ新郷村にあるキリストの里へ。





 これからキリストとその弟のイスキリの墓を詣でます。

 私も知らなかったのですが、キリストって若いころ、日本で修業したことがあるんですね。



 その縁もあってか、処刑をまぬかれた後はこの地へやってきて106歳の天寿を全うしたということです。

 こちらはキリストの墓。



 イスキリの墓。



 キリスト伝承館も見学します。





 民俗展示があり、奥にはキリスト関連の展示がありますが、考古展示も少しだけあります。







 では、次へ行きますよ。



 八戸へ移動です。

 お昼は八戸パークホテルで「ごぼう(牛蒡)麺」をいただきます。



 冷やしトマトがたくさんで嬉しい。



 これが牛蒡麺ですね。



 その名の通り、麺に牛蒡が練りこんであるそうですよ。

 あ、ウニが乗っているじゃないか!

 美味い・・・

 お腹いっぱいになった後は、不思議モードから縄文モードに戻ります。

 八戸市の是川縄文館です。

 いつもならここも館の方が案内してくださるのですが、今日は「縄文祭り」というイヴェントで大変混んでいるため、私が展示の案内をします。

 30分かけて、常設展と企画展をご案内し、あとはフリータイム。

 1階には「いのるん」がいますよ。



 縄文祭りの日は入館料が無料ということもありかなり賑わっており、ミュージアムショップのレジが激混みになっています。

 さて、残念ながら次でこのツアーも終わりです。

 青森県から岩手県へ県境を越え、一戸町の御所野遺跡へ行きます。

 お、私たちのことですね!



 ご丁寧にありがとうございます!

 こちらは現地のガイドの方が案内してくださいます。

 最初に遺跡を見学。



 栗の実がなっていますよ。



 次回、9月のツアーでご一緒される方々は、栗拾いができるかもしれませんよ。







 歩きながら私も補足説明をしますが、縄文時代の話だけでなく、遺跡内に中世の館跡があることや、終末期の古墳が見つかったことなどもついでに話します。

 さきほど、バスの中でも九戸政実の乱の話をしましたが、御所野遺跡のすぐ近くを蒲生氏郷以下の豊臣政権軍が進軍しているんですよ。

 博物館に戻り、今度は展示の解説をしていただいたあとは若干のフリータイムです。











 なんと、漆の実で蝋が作れるんですね!



 縄文時代の話ではないのですが、近世南部藩はこれを特産品にしていたそうです。





 早いもので以上で3日間の行程がすべて終わってしまいました。

 本当にあっという間でしたね。

 盛岡へ戻りますよ。

 今回は28名様のご参加をいただきました。

 ほとんどの方は私のツアーは初参加でしたが、3日間楽しめましたでしょうか。

 皆様、どうもありがとうございました!

 糠部から岩手郡に入り、しばらく進むと、ドライバーさんが「岩手山見えてますよ」と教えてくれました。

 バスの中で報告書を作成していて気づかなかったのですが、本当だ、岩手山が見える!



 ここ最近、何度も盛岡に来ていますが、すごく久しぶりに岩手山を見ます。



 特段、山登りとかはしない私ですが、山を見るのは好きなのです。



 姫神山も綺麗に見えますよ。



 盛岡駅に到着し、添乗員さんについて改札口まで向かっていると、通路に人が群がって外に向けてカメラを構えています。

 何だろうと思い、私も一緒になってカメラを向けていると、SLが走ってきました!



 C58ですね。

 というわけで、新幹線に乗るための集合時間の告知があり、少し時間があるので盛岡冷麺を食べに行こうと思います。

 ところがです。

 財布には300円しか残っていません。

 とりあえず、カードが使えれば大丈夫なので、ドライバーさんのお勧めの盛楼閣へ行ってみたところ、結構待っている人がいます。

 ダメだ。

 コンビニに寄ってお金を下ろしましたが、下ろせた金は1000円札1枚です。

 ただ、1300円あれば食べられるだろうと思い、時間の都合上、駅に近い冷麺屋に行きます。

 あー、でも、1300円じゃ冷麺は食べられても、ビールは無理だなあ・・・

 そう思い、念のため「カード使えますか?」と尋ねてみると使えるということだったので、安心して生を頼みました。



 

 岩手山も見れたし、冷麺も食べられたし、思い残すことなく帰宅できます。

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 さて、明日(8月22日)は西新宿のアイランドウイングにて講座を2本やります。

 それが終わったらそのまま羽田空港へ向かい、福岡空港まで飛んで博多で宿泊し、金・土・日は、対馬と壱岐を視察してきますよ。

 いま台風が2本来ているので心配なところはありますが、まあ、何とかなるでしょう、というか、何とかします。
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【クラブツーリズム】北東北の縄文ツアー 2日目【小坂小学校のチビッ子たちが作った観光冊子がグッドだ】

2018-08-21 07:19:46 | 歴史探訪
 先週の金・土・日(8月17日~19日)は、北東北の縄文時代ツアーをご案内し、昨日は皮膚科と歯医者の床掃除をして、その帰りにバーミヤンで夕飯を食べました。



 私はサイゼ好きですが、バーミヤンも大好きですよ。

 でも私にとってはバーミヤンも高級中華で、そう滅多に食べられないので、昨晩はご馳走だったのです。

 明けて今日は、群馬県の古墳ツアーをご案内してきます。

 今は集合場所の新宿へ向かう電車の中です。

 このタイミングで、先週の北東北縄文ツアーの2日目のルポルタージュを一本上げちゃおうかなと思います。

 なお、史跡についての説明よりもあんまり関係ない記事のほうが多いと思いますが、史跡については別のページで詳しく説明しています(あるいは、説明の予定です)。

 では行きますよ。

 ⇒前回の記事はこちらです

*     *     *


 昨晩は早く寝てしまったので4時過ぎに目が覚めました。

 早朝の津軽平野。



 あれ?

 雲海?



 朝食は6時45分からなので一仕事できますね。

 時間に合わせて朝食会場へ行きます。

 朝ご飯はバイキング方式。

 お、松前漬け!

 味噌汁にはあおさを大量に入れます。



 リンゴジュースも美味しくて、お替りしてしまいました。

 朝から食べ過ぎた・・・

 部屋に帰ってさきほどの雲海方面を確認すると、本来の姿に戻っていました。



 出発までにまだ少し時間があるので、リンゴ大観音像を参拝します。



 ここからの景色もいいですよ。





 おや、絵馬もありますよ。



 それでは、大変ユニークなホテルアップルランドを出発します。



 最初に向かうのは、岩木山神社です。

 岩木山神社は津軽の最高峰である岩木山の東南裾にあります。

 あー、今日は晴れてるから見れるかなあと思いましたが、まだ隠れてますね。



 岩木山神社は津軽藩の尊崇が篤かったので、津軽為信の話をしましょう。

 為信の津軽統一戦争や、秀吉との関係、三成の遺児を匿った話や、血筋では3代藩主の義信が三成の孫にあたること、津軽氏は幕末までずっと秀吉を祀っていた話などをしているうちに神社に到着しました。



 朝の神社は気持ちいいですね。

 岩木山神社は江戸時代までは百沢寺(ひゃくたくじ)というお寺だったのですが、そういった神仏習合の歴史なども簡単にご説明します。

 つづいて青森市の小牧野遺跡へ行きますよ。

 おっと、今回初めて岩木山の最高峰が姿を現しました!



 津軽からの去り際にようやく見せてくれました。

 よく青森県は南部地方と津軽地方に二分されがちですが、第三極としての(?)青森市(外ヶ浜)を忘れてはいけません。

 その第三極に近づきました。

 あれは海かな?



 小牧野遺跡に到着です。

 ここは遺跡と資料館が歩くには遠いくらい離れており、最初に遺跡を見ます。

 遺跡には2週間前に下見に来た時に案内してくださったOさんがいらっしゃいました。

 と、ここで私は腹痛に襲われ、Oさんにお任せしてトイレに籠城します。

 ようやく落ち着いたので皆さんを追いかけます。

 朝ご飯食べ過ぎたかな?





 今日は晴れていて本当に気持ちいい。





 配石遺構の中でも小牧野式と呼ばれる縦と横に順番に並べていくのがよく分かりますね。



 遠くの眼下にキラキラと水面が見えますが、あの川から配石遺構の石を運んできたのです。



 北の方を見ると海が見えます。



 左手の山並が津軽半島、右手の山並みのうち奥の方が下北半島で、その間には北海道が見えます。

 ※写真だと分かりづらいですね

 Oさんが言うには、北海道が見えるのは年に6回くらいということです。

 宗像の大島から沖ノ島が見える確率よりも低いですね。

 今日のお客様はラッキーです。

 ちょっと角度的に厳しいですが、八甲田山もくっきり見えます。



 そして次はいよいよ、今回の多くのお客様が一番楽しみにしている三内丸山遺跡です。



 見学の前にレストランで腹ごしらえ。

 私と添乗員さんとドライバーさんはお客様と別メニューになっており、麺類とおにぎりのセットです。

 好きな麺が選べるということで私はホタテラーメン(醤油味)をチョイスしました。



 ラーメンも美味しいですし、おにぎりがヴォリュームがあってゴージャスです。

 ちなみに、JAFカードを持っているとアイスをサーヴィスしてもらえますよ。

 お腹いっぱいになった後は、ガイドの方に1時間ほど遺跡のご案内をお願いします。



 前々回来た時は、地元の方も驚くほどの強風の下案内していただき、それはそれで面白い経験でしたが、今日は本当に素晴らしい歴史探訪日和です。



 竪穴住居の中は涼しいのです。



 もちろんエアコンはありませんよ。

 今日のガイドの方は若い女性で言葉もハキハキしていてとても分かりやすかったです。

 何度も言いますが、私は活舌が悪いですから、見習わなければと思います。

 つづいて、館内の展示はガイドがつかないということで、私が三内丸山遺跡から出土した遺物についてご紹介します。

 やはり、土器の編年と土偶には力が入ってしまいますが、お客様も土偶は好きですね。

 しばらく自由行動。

 限定品を見ると買ってしまう・・・





 以上で、2日目の歴史めぐりが終了です。

 今晩のお宿は十和田湖の西岸ですので、青森市内から秋田県小坂町へ向かいます。

 岩木山展望所で休憩。



 うーん、クッキリとは見えませんね。



 バスの車窓からは八甲田の綺麗な山並みが見えるので、車内から窓越しに撮影。





 ドライバーさんのお勧めで、無料で温かいお茶が飲める場所でトイレ休憩です。



 暑い日に飲む温かいお茶も美味しいですね。

 このお団子、美味い!





 傘松峠を越えますよ。



 気持ち良い高原地帯をバスは走ります。



 前回来たときは、レンタカーでこの道を反対側から青森へ向かったのですが、すごくドライヴに適した道ですよ。

 歴史云々ではなくても、普通のドライヴ旅行にも来たいです。





 ようやく奥入瀬渓流に入りました。



 石ヶ戸で休憩です。







 今度はソフトクリームだ!



 なお、コーヒーも評判が良いようです。

 ここからは添乗員さんの方が詳しいので、走りながらポイントの紹介をしていただきます。





 宿泊地は十和田湖の西側にある十和田プリンスホテル。



 綺麗な部屋ですよ。





 さすがにリンゴはありませんが、ここ小坂町の小坂小学校のチビッ子たちが作成した「いいとこたくさん小坂町~歴史・食べ物・文化~」という小冊子にグッときました。



 子供たちが一生懸命書いたであろうページを見ていると、自分の娘が小学生だった頃を思い出して涙が出そうになります。



 ブルートレインの「あけぼの」が列車ホテルになっているのを初めて知り、泊まってみたいなあと思いました。



 夕飯は、フレンチのコース。

 まずはお疲れ様の一杯。



 でも2杯目は無いですよ。

 なぜならば、この1杯がたかお食堂での中瓶2本分という高価格だからです。

 いやいや、ホテルなんだから文句言わないの。

 では、いただきましょう。



 おや、ここのフレンチは美味しいですぞ!



 十和田湖で捕れたヒメマスもあります。







 2時間ほどかけてゆっくり食べた後、露天風呂へ向かいます。

 ちょうど良いタイミングで、私が露天風呂に入った瞬間、入っていた方数名が去って行って貸し切り状態になりました。

 別に変質者のような人が入ってきたので気持ち悪がって他のお客さんが逃げていったわけではないと思います。

 もちろん裸体は裸体ですが。

 しかしそれにしても星が綺麗!

 22時になるとお庭の照明が消えてさらに夜空が良く見えるそうですが、さすがにあと1時間半は入っていられませんね。

 でも10秒浸かって出てしまうようなタイプの私が珍しく長く浸かっていました。

 こうやって仕事で温泉に入ると、いつもお客様やクラツーに対して感謝の念がこみ上げてきます。

 美味しい食事をいただき、温泉にも入らせていただけるのは皆様のお陰です。

 ⇒この続きはこちら

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【クラブツーリズム】北東北の縄文ツアー 1日目【ホテルの宿泊客が包丁を握って蜂起する可能性は?】

2018-08-19 22:35:53 | 歴史探訪
 ここ最近は色々とやることが立て込んでおり、自分でも何をしたのかあまり覚えていないので、完全に忘れてしまう前に記事にしておこうと思います。

 まず、8月11日(土)は、月に1度やっているクラツーの座学を催行しました。

 午前中は、東北地方の古代史講座で、アテルイと坂上田村麻呂についてお話ししました。



 といっても、アテルイについて分かっていることはほとんどないので、田村麻呂メインになってしまった感があります。

 17名様のご参加、ありがとうございました。

 午後は、邪馬台国時代の東アジア情勢についてです。



 中国の歴史メインなため、ほとんど三国志の話になってしまいました。

 むしろ、三国志の講座を全120回くらいでやりたいですが、現実味がありませんね、ゴメンナサイ。

 こちらは21名様のご参加をいただき、ありがとうございました。

 ※これと同じ内容の講座を8月23日(木)にやりますので、興味のある方はクラツーのこちらのページをご覧ください

 ⇒東北の古代史講座はこちら

 ⇒邪馬台国時代の東アジア情勢講座はこちら

 そしてその翌日の12日(日)は、クラツーが毎年夏にやっている「歴史・街道Day」というイヴェントの1コマをいただきました。

 お題は「ヤマト王権と関東・東北」で、古墳を素材としてヤマト王権と地方(とくに東国)との関連をお話しました。



 40名以上のご参加をいただき、どうもありがとうございました。

 また、東国を歩く会のメンバーのS根さんもお友達を連れて受講してくださり、とても嬉しかったです(なお、昨年聴いてくださったヤハトさんは、それがきっかけで東国を歩く会に加入してくださいました)。

 ところで、DeathK!Nは、会社としての休みが土曜日から翌週15日(水)までの5日間になっていたわけですが、土・日はD社が休みでも上記のようにクラツーのお仕事をし、13日(月)も完全な休日とはならず、朝一で会社の健康診断に行き、16年ぶりにバリウムを飲みました。

 血圧は低い。



 でも、健康診断が思いのほか早く終わり、ようやくお休みらしいお休みになりました。

 午後からは遠方から来ていた妻の友人家族を秋葉原でお迎えしてお茶(というか、ビール)を飲んだ後、妻と上野の国立博物館に「縄文」を観に行ってきました。



 特に土偶に力を入れていて楽しい展示でしたよ。

 つづいて火・水はD社のお盆休み期間だったわけですが、定期的にお伺いするお客様はいらっしゃるわけで、誰かしら出勤して行かなければならないということで、普段はあまり会社に協力できていない私が出勤して現場をこなしました。

 そして木曜日もお掃除をして、金・土・日(本日)は、クラツーの北東北の縄文ツアーのご案内に行ってきたというわけです。

 あー、なんか「一週間の歌」みたいだ。

 さて、今現在ツアーから帰宅する途中の中央線の中ですが、3日間の行程のうち、初日の様子をごくごく簡単にレポートしたいと思います。

*     *     *


 1日目は盛岡まで新幹線で行くため、まずは東京駅に集合です。

 いつもの通り、ホームでは新幹線の撮影大会。



 8時20分発の新幹線に乗り、盛岡に到着して外へ出ると、結構肌寒い。

 バスに乗り込み、まずは早めの昼ご飯です。



 岩手のお弁当も美味しいねえ。

 デザートにお餅が入っているのが岩手らしくて好きです。

 まずは秋田県鹿角市の大湯環状列石(ストーンサークル)です。

 ここは現地のガイドの方がついてくださります。

 初めに簡単にストーンサークル館を案内していただき、つづいて遺跡へ。

 一瞬、パラパラと弱い雨が降りましたが、すぐに止みました。

 前回来たときは強い雨が降っていましたので写真を撮り直します。



 つぎに、田舎館村埋蔵文化財センターへ向かいますが、高速道路の浪岡ICを通過した時点で、浪岡御所について話し、その関係上、南北朝時代の奥州小幕府の話をしました。

 今回のテーマは縄文時代ですが、私は躊躇なく他の時代の話もします。

 田舎館村埋蔵文化財センターは高樋(3)遺跡という弥生時代の水田跡の上に建てられており、遺構が見れるようになっています。

 ここも職員の方に説明していただきますが、私のような活舌の悪いおっさんの声と違って、ナレーターのような美声の女性でしたので、ガイディングレシーヴァーで聴いているお客様も心地よいのではないでしょうか。

 隣接して有名な垂柳遺跡がありますが、田んぼアートを見学します。



 ついでに垂柳遺跡の石碑だけ見ていただき次に移動です。

 岩木山の見える範囲が広まりましたが、頭は雲に隠れています。



 現在「しゃこちゃん広場」となっているつがる市の亀ヶ岡石器時代遺跡にやってきました。



 しゃこちゃん広場ではあまり解説することはないのですが、重要な遺跡なので来る価値はあります。

 つづいて木造駅へ向かいます。

 実は結構これが評判いいのです。



 といっても、見るべきものはこの遮光器土偶だけですが、たまたま汽車が来ましたので、私のように鉄道が好きな方は一緒に撮影です。















 これで本日の歴史めぐりは終了です。

 それでは宿に向かいますよ。

 宿泊したのは平川市にある南田温泉ホテルアップルランドという面白いホテルです。

 その名の通り、リンゴを大幅にフィーチャーした宿で、屋上には「りんご大観音像」というリンゴの豊作と良縁にご利益のある観音様がいらっしゃいます。



 ※この写真のみ翌朝撮影

 部屋に入るとホテルというよりかは旅館のたたずまい。

 畳部屋のほうが好きなのでありがたいです。



 でも12畳は広すぎるなあ・・・

 結局部屋の隅に座っちゃうんですよね。

 ホテルの部屋に入るとまずは冷蔵庫の電源をチェックする癖がついていますが、冷蔵庫を開けると、なんと冷えたリンゴと包丁が!



 果物ナイフのような甘っちょろい刃物ではなく、普通に包丁です。

 斬新でいいねえ。

 食後にいただこうっと。
 
 でも、宿泊客がこの武器を手に取って蜂起したら大変なことになりますね。

 夕飯はハーフバイキング。







 地元の料理が加味されていて嬉しいです。

 日本酒もありますよ。



 お勧めは純米の「安東水軍」です。

 プレゼントで鈴をいただきました。



 クマ避けには小さいかな。

 ではこれまた楽しみな大浴場(温泉)へ行きます。

 さすがリンゴ尽くしのホテルらしく、湯船にリンゴが浮かんでいるリンゴ風呂です。

 あー、気持ちよかった。

 部屋に戻り、冷やしていたリンゴをいただきます。



 ユニークで楽しいホテルですね。

 ⇒この続きはこちらです

 ※Mitskiは椎名林檎も好きだそうですよ。

 「Nobody」/Mitski

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【北東北の縄文探訪 1日目その4】是川縄文館・八戸市縄文学習館・是川中居遺跡・風張1遺跡【いのるん様の留守番はこの私にお任せあれ!】

2018-08-07 12:55:24 | 歴史探訪
 ⇒前回の記事はこちら

 一里塚3連発でニコニコしつつも近世モードから縄文モードへ脳内を戻します。

 13時40分、是川縄文館に到着。



 こちらにも4月に来ており、事前下見の必要はそれほどないかもしれませんが、展示されている素晴らしい遺物を見たいので立ち寄りました。

 ⇒4月に探訪したときの様子はこちら

 おや、向こうのほうに動物の姿が見えますよ。



 あとで行ってみましょう。

 まずは見学です。



 今は企画展をやっていますよ。



 海を渡る縄文人。



 以前から、「環津軽海峡文化圏」のようなものに興味がありましたが、まさしくそれの企画ですね。





 普通であれば北海道に行かないと見ることのできない遺物がたくさん展示してある!

 やったー。

 軽く下見をして出ようと思いましたが、これは長くなりますぞ。

 見たことのないような遺物があります。





 え、イカちゃん?



 面白いですねえ。

 ※註:展示物すべての写真を撮ってきましたが、その中の一部分を掲載します。

 北海道の土偶!



 3人グループで活動しているのですか?



 もしかして、ネコ科の方ですか?



 ごきげんよう。



 この太い脚は、いつも見ているあの人のようだ。



 あなたー、またいい顔してるねえ。



 今現在、是川縄文館の土偶セクションのトップにいらっしゃる合掌土偶さんが長期の出張に出ているので、ナンバーツーの頬杖土偶さんがトップ代行を務めています。



 そして普段の合掌土偶の居室には、こちらの赤漆塗の壺形土器が代役としていらっしゃいます。



 この方は是川中居遺跡で出土した縄文時代晩期の土器ですが、重要文化財に列されていますよ。

 もちろん合掌土偶のレプリカも展示されているのですが、面白いことにレプリカの場合はいつもの定位置には置かれないんですね。

 部屋の入り口付近の置かれています。

 これを差別と呼んではいけませんよ。

 それだけ国宝は凄いのです。

 チョロチョロッと見て、館の方にご挨拶してすぐに行こうかと思っていましたが、結局50分も使ってしまいました・・・

 いやー、面白かった。

 前回来たときは1階の食堂でカレーとせんべい汁のセットを食べて、美味しかったので今日も食べたい気分ですが、時間がないので今日は我慢。

 資料だけ購入します。

 それでは、今回は是川縄文館に展示してある遺物が実際に出土した遺跡を見に行ってみますよ。

 まずは、是川縄文館の分館である「八戸市縄文学習館」へ行きます。

 歩いても行ける距離ですが、向こうにも駐車場があるということなので車で行きますよ。

 分館の駐車場に車を停めて歩き出すと、竪穴住居が現れ、遺跡の解説板もありました。









 何を隠そう、分館の敷地は是川中居遺跡なのです。



 分館を見学します。



 多分、ツアー当日はここへ寄る時間はないんじゃないかと思うので、せめて私が見てきた内容をお客様にお話ししようと思います。

 建物を出て再び敷地内をプラプラしてみます。

 お、この建物が是川縄文館の前身であった是川考古館ですね。



 敷地内をもう少し散策してみましょう。



 ああでも、ちょっと草ぼうぼうですね。

 しかも「マムシに注意」の看板があるので、大丈夫だろうとは思いますが、やはりちょっと警戒してしまいます。









 それでは、さきほど見た動物のいる場所に行ってみましょう。

 そっか、ポニーさんだったのね。



 向こうにヤギさんもいます。



 二人とも暑さのせいか、かなりヘバッているように見えます。

 声をかけても振り向いてくれません。



 ごめんね、昼寝の邪魔して。



 説明板は他にもあるようですが、時間も時間なので、記念碑を見に行きましょう。
 
 記念碑のある場所は距離的にみて車で行った方が良さそうです。

 山に向かって坂道を上がっていくと、駐車スペースもきちんとありました。

 思っていたより立派な一画です。




 記念碑はこちらですね。





 観音様がいらっしゃいます。



 おー、いい景色だ。







 あの山は階上岳でしょうか?



 つづいて、国宝の合掌土偶さんが眠っていた風張1遺跡へ行きます。

 車に乗り込み、長生園というグループホームを目指します。

 確か、正門のところに説明板があるはず・・・



 お、あった!



 路駐させて車から降り、説明板に駆け寄ると、ちょうど敷地内からもスーツを着たお父さんが出てきて看板を眺めはじめました。

 施設の方だったら一言断らないとと思い、「こんにちは、看板の写真を撮らせてもらってもいいですか?」と声をかけると、「私も初めて来たんだけどね」と言ったので施設の方ではないようです。

 看板の前で少し立ち話をしましたが、話題はどうしても最近の暑さの話になります。

 八戸でも市街地は37℃くらいは行くそうで、「昔はこんなに暑くなかったんだけどな」という言葉に相槌を打ち、「東京はついに40℃行っちゃいましたよ」と他愛のない話をして別れました。



 さて、この時点ですでに15時を過ぎています。

 予定ではこのあと、八戸市立博物館を見学して、最後においらせ町の阿光坊古墳群へ行こうと思っていましたが、時間的にみて八戸市立博物館は割愛します。

 それでは、本日最後の探訪個所である阿光坊古墳群を目指します。

 (つづく)
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【北東北の縄文探訪 1日目その3】市野沢の一里塚ほか【上り街道の一里塚3連発!】

2018-08-06 21:30:32 | 歴史探訪
 ⇒前回の記事はこちら

 二戸市埋蔵文化財センターを見学した後は八戸へ向かいます。

 時刻はもう12時45分ですが、どこかに寄ってゆっくりご飯を食べている時間はありません。

 カーナヴィは高速道路ではなく下道を指示したので、それに従いましょう。

 二戸を出て、軽米町を通ります。

 軽米も懐かしいなあ。

 やがて県境を超えて青森県に入りました。

 昔、館跡めぐりをしていた頃は独立した南郷村でしたが、今は八戸の一部ですね。

 2001年に初めて糠部の館跡めぐりにやってきたときに、たぬさんと蕎麦を食べた「道の駅なんごう」の近くを通ります。

 あれから17年も経ったのか・・・

 走っている道路から江戸期の街道の雰囲気を濃厚に感じるので、「一里塚出てこないかなあ」と思わず独り言を発してしまいます。

 「いちりづかー、いちりづかー」と口ずさんでいると、あら、本当に出てきちゃった!



 やっぱりこの道は古い道だったんですね。





 でも、ただ単に「一里塚」とだけしか書いてないのでよく分かりませんね。





 説明板もとくにありません。



 ※後日註:帰宅後調べたら、こちらは大森の一里塚でした。

 あれは久慈平岳でしょうか?



 では出発。

 このまま走っていけば、4㎞先に次の一里塚が現れるな・・・

 そう期待しつつ走っていると、予想通り現れました!

 しかもここはちょっとした史跡公園のようになっていて、駐車場まであるのです。

 本日の愛車、スズキのワゴンR。







 ここは市野沢の一里塚って言うんですね。



 南郷村時代に整備したようです。



 すごい!

 島守館跡まで書いてある!

 時代は変わったものですねえ。
 






 本当にちょっとした史跡公園だ。



 一里塚としては破格の待遇のように思えますがいかがでしょうか。

 再び車に乗り込み、次の一里塚を注意深く探しながらハンドルを握っていると、またまたありました!

 あ、でもここは駐車場がないし路駐スペースもあまりない・・・

 ま、とりあえずここに停めて見に行くか。



 位置的には是川縄文館にほど近い場所なので、先日こちらに来た時に見そびれた一里塚ですね。



 もう片側は高い位置にあります。



 路駐して眺めるだけで次へ行きます。

 車を発進させると、反対車線側から上に登れる小道があるのが見えたので、もしかすると上に登れば説明版か標柱あたりがあるかもしれませんが、もう止まるには遅いです。

 ※後日註:こちらは小峠の一里塚で、説明板は無いそうです。

 偶然ですが、大好きな一里塚を一気に3か所も見ることができました。

 すべて塚がちゃんと2つありましたね。

 自然に溢れ出る笑みを浮かべつつ、是川縄文館へ向かいます。

 ※後日註:2つ目の市野沢の一里塚から次の小峠の一里塚までの間は4㎞以上走った感覚がありちょっと距離があるなあと思っていました。走行中、道路両脇を注意深く見ていたのですが、市野沢と小峠の間に頃巻沢・十文字の一里塚があったようで、見逃していました。

 ⇒この続きはこちら

海をつなぐ道―八戸藩の海運の歴史
三浦 忠司
デーリー東北新聞社




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【北東北の縄文探訪 1日目その2】二戸市埋蔵文化財センター【九戸城と縄文の展示が豊富】

2018-08-06 20:29:27 | 歴史探訪
 今週の土日はクラツーで合計3本の講座をやるので、その準備をしないといけませんが、北東北の縄文探訪の記事もアップしないと気が済みません。

 こういうときは自分がもう一人いたら便利だなあと思いますが、考えてみれば食費も2倍になるし、私がもう一人いたら面倒くさそうなので一人で結構です。

 それでは行きますよ。

 ⇒前回の記事はこちら

*     *     *


 御所野遺跡を見学した後は、今度のツアーには入っていないのですが、この地域の縄文時代をもっと知るために、一戸町の隣の二戸市にある二戸市埋蔵文化財センターへ向かいます。

 下道を走り、30分ほどで到着。



 ここの3階にあるようなので行ってみましょう。

 入館は有料で、展示室の隣の部屋で受付してもらうようです。

 おっと、スミマセン。

 係のお嬢さんはちょうどお弁当を食べている途中でした。

 有料といっても50円なので良心的ですね。

 展示室に入ると、いきなり地面の剥ぎ取り展示が現れました。



 へー、九戸城跡のものか!



 地層はもう一つ展示してあり、九戸城のジオラマもあります。





 二戸周辺の代表的な城跡のパネル展示がありますよ。



 浄法寺城があるのが嬉しいですねえ。



 浄法寺城跡の出土遺物!



 私が昔、この辺りの城館跡めぐりをしていたころは浄法寺地域はまだ二戸市に合併する前の独立した浄法寺町でした。

 秋田の鹿角から浄法寺や安比にかけての中世城館跡はスケールがでかいんですよね。

 巨大な城郭が数多く残っていますが、城主不明の城跡も多く、昔お付き合いのあった地元の研究家の方もその「謎」をとても強調していました。

 しかしそれにしても、ここは九戸城関連の展示が充実しているなあ。

 なんで昔、糠部の城館跡を探訪していた頃にここに来なかったのでしょうかねえ。

 実は当時は実際の城の遺構を見るのは大好きでしたが、遺物を博物館でじっくり見ることにあまり興味がなかったのです。

 まあ、若かったですからね。

 おー、四戸城跡から出たサイコロが展示してある!



 レプリカか・・・



 四戸城跡もたぬさんと一緒に行ったなあ。

 パネル展示では、九戸氏を南部氏の傍系とする昔からの説に対して、近年では別の家(南部氏ではなく小笠原氏)であった可能性が見出されていることをきちんと書いてあります。

 いいことですね。

 ミニシアターがあるので見てみましょう。



 九戸政実の乱を分かりやすく説明していますが、こちらでもテロップで旧説は関する補足説明が流れます。

 ヴィデオ自体は結構昔に作ったのだと思いますが、後からそういった説明をきちんと入れているわけですね。

 また落ち着いたら九戸城跡を含め、この辺の館跡めぐりをしたいなあ。

 九戸城跡出土の遺物がたくさんある。



 九戸政実の乱の調査は昔かなり没頭しました。



 また調べ直したくなってきましたよ。



 展示室を進んで行くと、今回のテーマである縄文時代のコーナーが現れました。



 ワクワクしてきますねえ。



 この土器は二戸市内の中曽根遺跡から出土したものです。



 さきほど、御所野縄文博物館で円筒上層式土器を見ましたが、それよりも古い、縄文時代前期の円筒下層式土器です。

 外見の違いを比べてみると面白いですよ。

 おっと、珍しい狩猟文土器。



 でもレプリカですよ。



 そうですね、レプリカでも喜ぶ習慣を身につけましょう。

 人骨だ。





 家族を襲った悲劇が想定されているんですね。



 この遮光器土偶はガチャピンかな?



 このクマの土製品も可愛い。



 イノシシに見えますが、腹部に三日月の形の模様が描かれているので、ツキノワグマだということが分かるそうです。

 横から見てみます。



 いいねえ。

 中世の展示も少々。

 東北地方の板碑は関東地方(とくに武蔵)の画一的なデザインと違って、石本来の形を上手に生かしているような気がするのですがいかがでしょうか。





 ※ちなみに武蔵の板碑はこんなんです(協力:S源寺さん)。



 ※これは特別でかいですが・・・

 多くの方々がルーツを知りたがる「戸(へ)」が付いた名前の地名についても説明があります。



 というわけで、岩手県の歴史については中世は自分なりにもそれなりにやったと思っているのですが、縄文時代はまだまだ知らないことが多いため、こうして見るものの多くが新鮮でとても楽しいです。

 人間はいろいろな喜びの感情を感じることができますが、知識欲が満たされるときの喜びは三大欲求に匹敵すると思います。

 おや、あの遠くに見える山は名久井岳かな?



 標高615mの名久井岳も昔はよく見ていたなあ。

 登ったことはないんですけどね。

 今度機会があれば、糠部地方の「昔よく見ていた山々」を片っ端から登ってみたいです。

 名久井岳といえば、名久井氏(東氏)の館跡も昔行きました。

 さて、次は八戸に向かいますよ。

 ⇒この続きはこちら
 
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【北東北の縄文探訪 1日目その1】御所野縄文博物館/御所野遺跡【岩手県一戸町】

2018-08-06 10:48:59 | 歴史探訪
 今月(2018年8月)の17日(金)から19日(日)にかけてと、来月の7日(金)から9日(日)にかけての2度、クラブツーリズムにて北東北の古代史ツアーをご案内してきます。

 ただし、古代史と言っても縄文時代の遺跡を中心にめぐるツアーです。

 4月にも岩手・青森の縄文遺跡は少し見てきたのですが、先日の8月3日(金)から2泊3日の行程で、直前の状況観察および新たなツアーづくりのための未開拓地の下見を兼ねて北東北に出張ってきました。

 初日は新幹線で盛岡まで行きレンタカーを借り、一戸・二戸と北上して八戸に入り、おいらせ町から十和田市に入り十和田湖畔の民宿に宿泊。

 2日目は津軽地方に出張り、津軽の遺跡を見た後、秋田県鹿角市まで南下し宿泊。

 最終日は2日目に時間切れで行けなかった岩木山神社に参拝するために再度、鹿角から津軽に出張り、返す刀で北秋田市へ寄り、最後にまたまた鹿角で大湯環状列石を見学して盛岡へ戻ってきました。

 道中、様々な方々との出会いがあったり、秋田では偶然遭遇したテレヴィ番組の取材に協力させていただいたりと、大変有意義な3日間でした。

 というか、いつものことですが、沢山まわりすぎてどこへ行ったのかすぐには思い出せません。

 結局、軽自動車で840㎞走りましたよ。

 ちなみに、東京から福岡まで直線距離で880㎞なので、まあまあ走ったかなと思います。

 それでは、本日は探訪の1日目の様子をごくごく簡単にお伝えします。

*     *     *


 東京発の新幹線は6時32分発なので、高尾駅発の中央線は2番電車で間に合うのですが、3時過ぎに目覚めてしまったので4時23分発の始発電車で行くことにします。

 まあ、何があるか分かりませんので、早めに出るに越したことはありませんね。

 しかも今回は、えきねっとで予約した切符の受け取りをすっかり忘れていたので、今日受け取らなければならず、万が一手間が掛かることもあるかもしれませんので早いほうがいいでしょう。

 高尾駅の券売機で切符を受け取ろうとしたところ、券売機での発売は5時半からということなので、とりあえず東京へ向かいます。

 早朝の中央快速線はまったく「快速」ではなく、なんと高尾駅から東京駅まですべての駅に止まるのです。

 なので、東京駅まで1時間15分以上も掛かってしまいます。

 それでも乗り換えがないため、安心して眠っていけるのが利点といえば利点ですね。

 東京へ着き、券売機にて無事に切符を受け取りましたが、まだまだ時間はたくさんあります。

 こなったらもちろん、新幹線の撮影!



 何度も言いますが、私は決して撮り鉄ではありませんよ。



 単なる電車好きに過ぎません。



 しかも、撮っている新幹線の形式すら知らないのです。



 新幹線のホームでは私のような普通のおっさんから撮り鉄の方、そして家族連れの若いママや子供たちまでみんなで撮影大会をしています。



 なので、誰憚ることなく撮影できるからいいですね。



 連結部分は大変な人気。



 ここのホーム部分にはちょうど売店の建物があって、あまり後ろに引けません。



 今日はこの「はやて」と「こまち」が連結されているのに乗りますよ。



 ようやく発車時刻の6時32分になり、新幹線は無事に出発。

 今回は「こまち」の座席にしました。

 もしかしたら、初めてかもしれない。

 しかしまあ、毎回思うのですが、新幹線のスピードといったらとんでもないですね。

 鉄のレールの上で鉄の車輪が超高速回転をしているのは、むしろ飛行機が飛ぶよりも凄いと思います。

 気づけば仙台、ここまで来たら盛岡はあと少しです。

 車窓から外を見ていると、アテルイと朝廷軍が戦った巣伏の古戦場跡を通過し、あっという間に国見山が見えてきました。



 この辺は江戸期の南部藩と伊達藩の境界線ですね。

 国見山には古代の山岳寺院跡である「国見山廃寺跡」があるのですが、昔、ここ北上市に頻繁に訪れていたころは、まだ古代史にはそれほど興味がなかったので山には行ったことがあるものの寺院跡を歩いたことはありません。

 ここは奥州平泉との関連も考えられますし、北上市周辺には古代遺跡はたくさんあるので、この辺のツアーも作ってみたいと思っています。

 そしてすぐに、北上川が湾曲している部分にある、中世和賀氏の本城であった二子城跡(地元では飛勢<とばせ>城と呼んでいる)の横を通過しました。



 飛勢城にも何度も行きました。

 そうこうしているうちに、標高1124mの姫神山も見えてきましたよ。



 特徴的な山容の姫神山が見えてきたら盛岡はもうすぐです。

 反対側の車窓からはもしかしたら岩手山が見えているかもしれません。

 8時45分、盛岡駅に到着。

 さっそくレンタカーを借りに行きます。

 あ、ダスキンさん!



 今日は金曜日なので普通に稼働日ですね。

 お仕事頑張ってください!

 たまにレンタカー屋さんの店頭が混雑していることもありますが、なんとか9時15分には出発することができました。

 お、今日は軽自動車だぞ。

 いつもはトヨタのヴィッツのような小型車が多いのですが、今日は珍しくワゴンRです。

 でも、走行距離が2万キロほどの最新のワゴンRなので問題ないでしょう。

 じゃあ行くよ!



 ナヴィにセットしたのは岩手県一戸町の御所野遺跡です。

 御所野遺跡には先日、たぬさんと訪れていますが、念のためツアーの直前にも確認したいので、今回の旅にも盛り込みました。

 ⇒4月に訪れた時の記事はこちらです

 盛岡ICから高速に入ります。

 今日は晴れているから岩手山が見えるはずですが、まだ見ていません。

 高速を走りだすと、視界の左側に岩手山がチラチラしているのが気になって仕方がありません。



 運転中の撮影は危ないのでやめましょう!

 一戸ICで降ります。

 予定通り、10時半に到着。



 今日は晴れていて気持ちいいぞ。



 バスもあるぜ!



 きききの吊り橋もいいですねえ。



 入ります。



 御所野縄文博物館の展示は素晴らしいので今回も一通り見ますが、前回来た時に見落としてしまった展示もきっちり見ようかと思います。



 床の一部がガラス張りになっていて下に遺構が見えますが、焼失家屋を復元したものです。



 前回の御所野遺跡の探訪記事に書いたと思いますが、こちらでは焼失家屋が見つかっており、その成分を調べた結果、屋根の上に土が被せてあったことが判明したのです。

 御所野遺跡は縄文時代中期後半の遺跡ですが、当時の東北地方の南部には大木式(だいぎしき)土器の文化が展開しており、東北北部と北海道西部には円筒式土器の文化が展開していました。

 その中で北東北だけを見ると、北上川流域は大木式の文化圏で馬淵川流域は円筒式の文化圏となり、御所野遺跡のある一戸町は馬淵川流域にはなるものの、両文化が交じり合った場所でした。



 大木式土器。





 この立体的な造形は素晴らしい。



 なお、その後は大木式文化が北へ勢力を伸ばし、この周辺から円筒式文化の影響は薄れていきます。

 石器が綺麗に並べられています。



 石器というと縄文時代よりも前の旧石器時代のスター的存在ですが、縄文時代も石器はバリバリ使っていました。

 戦前までは縄文時代のことを石器時代と呼んでいたんですよ。

 羽付き縄文人と呼ばれているこの造形も面白いですねえ。







 2階へ上がります。



 今日はレプリカ!



 なぜならば、いま本物は東京の上野に出張中だからです。



 レプリカが展示してあるとガッカリすると思いますが、実はこのレプリカを作る技術も凄いですし、結構なお金がかかってしまうのです。

 ですから、もしレプリカが展示してあったら、それはそれで喜んでもいいと思います。

 前回見なかった展示として、2階の廊下部分の展示があります。



 縄文時代早期から順番に遺物が並べてあり、縄文土器の変遷を知ることができますよ。

 縄文時代早期の土器。



 縄文時代前期の土器。



 そして縄文時代中期。



 バブル崩壊後(?)の縄文時代後期。



 このころは呪術的な遺物がバラエティーなんですが、青龍刀型の石器も最近気になっています。



 というわけで、展示の見学は以上になります。

 弊社製品をお使いいただき誠にありがとうございます!



 マットは外見でも他社との違いがだいたい分かるのですが、念のためめくって裏を見てみました。



 多分その様子は角度的に監視カメラに写っていると思うので、絶対不審者として映っているでしょうね。

 それでは、遺跡を見ますよ。



 ちょうど盛大に草刈の作業を行っています。

 暑い中、こうやって整備してくださっているお陰で、私たちは快適に見学ができるわけです。



 竪穴住居をお宅拝見。



 高床の掘立柱建物の中はこんな感じです。



 前回来た後、今度のツアーは配石遺構(いわゆるストーンサークルなど)が一つのテーマになっているので、配石遺構について勉強しています。



 なので、今回は御所野遺跡の配石遺構をよくよく見ておこうと思いますが、まずは遺跡の突端部分まで行ってみます。

 おや、これはもしや古墳?



 ※中央ムラには後に古墳が築かれたことが分かっているのですが、あとで職員の方に聴いたところ、これは降雪から配石を護るために冬場に被せる土を置いてあるものだそうです。

 西ムラまで来ました。



 大型竪穴住居の中は広いです。





 そしてやはり涼しい。



 外気温によると思いますが、この室温ならエアコンはいらないですね。

 したがって、縄文時代にはエアコン掃除のサーヴィスは必要ないので掃除屋さんは閑散期になるということです。

 今回はもう少し奥まで行きます。

 台地の突端部分には中世の館跡が見つかっているそうですが、この辺でしょうか。



 遺構は見えません。



 なお、館の持ち主や館の名前などは伝わっていないとのことで、『岩手県中世城館跡分布調査報告書』にも掲載されていません。

 近くには一戸城がありますので、南部一族一戸氏の家臣の可能性が考えられますね。

 ちなみに、天正19年(1591)に豊臣政権の再仕置軍が姉帯城を落として九戸城へ向かう途中、このすぐ近くを通過しているはずですよ。

 では引き返します。

 比高差は結構ありますよ。



 中央ムラの配石遺構を見てみます。



 こちらも大湯環状列石と同じように、ストーンサークルの輪の中に掘立柱建物が建っていたゾーンがあります。



 配石を一つずつ丹念に見ていくと、日時計じゃないかと思われるものもありますね。







 この大きな石は花崗岩ですが、産地も分かっています。



 遺跡から北西方向3㎞にある茂谷山の可能性が高いそうです。

 茂谷山と遺跡との間には馬淵川が流れています。

 ところで、御所野という地名は以前から気になっており、「御所」と付いているからには、中世の室町将軍家の誰かがここの住んでいたという伝承でもあるのではないかと思っていましたが、職員の方に尋ねたところ、遺跡内には中世にも墓があり、地元で「後生」と呼んでいたのが、いつの間にか「御所」になったとの説があるそうです。

 ただ、確かなことはわからないようです。

 下見は手短に終わらせようと思っていたのですが、やはり予定を少しオーヴァーしてしまいました。

 急いで次へ向かいます。

 次は一戸町の隣の二戸市にある二戸市埋蔵文化財センターへ行ってみますよ。

 ⇒この続きはこちら

縄文のイエとムラの風景―御所野遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
高田 和徳
新泉社
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