日本史大戦略 Side-B 附 歴史を歩こう協会 ~日本各地の古代・中世史探訪~

『日本史大戦略』のB(Blog)面です。城・館・古墳・古道・官衙・国分寺・神社・寺院・民俗・エミシ・南部氏・後北条氏など

古墳と国造

2018-05-30 12:32:41 | 歴史コラム:古代
 今週の土曜日は千葉県の古墳ツアーをご案内するので、私の脳内は千葉の古墳のことで一杯です。

 現在レジュメを作成している最中なのですが、今現在の私の知識で千葉県の古代史についてまとめてみました。

 といっても、分量的にはほんの少しですよ。

 1.関東地方の国造と古墳との関係

 さて、古墳時代は一般的には3世紀半ばから7世紀までとされています。

 その間、400年くらいあるわけですが、もちろん400年間同じような社会がダラーっと続いていたわけではなく、各段階で歴史的な画期が存在し、古墳時代の始まりのころと終わりのころとではだいぶ社会は変化しています。

 古墳時代の最末期にようやく「日本」という国家は誕生したわけですが、それまでの間、奈良や大阪を本拠地とする中央政権(ヤマト王権)が地方の有力者たち(地方政権)を緩く支配、あるいは影響下に置いていました。

 中央による地方の支配は段階を経て進展していったわけですが、古墳時代後期には国造(こくぞう/くにのみやつこ)の設置という画期的な出来事がありました。

 国造とは何か、いつ設置されたのか・・・、などについては研究者によって様々な考え方が提示されています。

 私は「筑紫君磐井の乱」(527~28年)の後に、九州の支配をかなり進めた継体大王によってまずは西日本に置かれ、その目的は朝鮮半島を攻めるための軍事動員を容易にするためという説に賛同しています。

 もちろん賛否はあると思いますが、では、東日本にはいつ設置されたのでしょうか?

 これに関しては、関東地方では前方後円墳の築造が一斉に途絶え、一部の有力者が大型の方墳や円墳を築造し始めた時期(7世紀初頭)という説を支持しています。

 上毛野(群馬県域)においては、前方後円墳が築造されていた時代の最末期には20余りの政治勢力に分かれていたのが、前方後円墳の築造が終わり大型方墳を築くことができたのは総社古墳群の被葬者のみとなっています。

 総社古墳群では、愛宕山古墳(一辺60m)、宝塔山古墳(55m)、蛇穴山古墳(39m)というように相次いで大型方墳が築かれました。



 ※愛宕山古墳の横穴式石室(刳抜式の家形石棺が置かれた石室を見学できる)

 これらの方墳の被葬者が上毛野国造ということになり、総社の勢力は時代が下ると上野国府の誘致にも成功します。

 隣の下毛野(栃木県域の那須地方を除いた地域)の場合は、壬生町の車塚古墳(直径82mの円墳)の被葬者が国造となったと想定され、武蔵(埼玉・東京)の場合は行田市の八幡山古墳(直径80mの円墳)の被葬者が国造となったと想定できます。



 ※車塚古墳(3段築成の巨大円墳で横穴式石室も見学できる)



 ※八幡山古墳(墳丘は削られて無くなっているが「関東の石舞台」と呼ばれる見事な横穴式石室が残っている)

 上毛野や下毛野、そして武蔵はのちの令制国一国にまたがる巨大な国造ということになりますが、常陸や今週末にクラツーのツアーでご案内する下総・上総の場合は小規模な国造が乱立することになります。

 千葉県域の国造を『先代旧事本紀』から拾うと以下のようになります。



 ※『房総の古墳を歩く』を加筆転載

 これらのうち、4つの国造領域にて6世紀に大型前方後円墳が築かれています。

 すなわち、

 ・小櫃川流域の馬来田(まくた)国造領域(のちの望陀郡)には、金玲塚古墳(墳丘長100m)

 ・小糸川流域の須恵国造領域(のちの周淮<すえ>郡)には、三条塚古墳(同122m)

 ・九十九里沿岸の武社(むさ)国造領域(のちの武射郡)には、大堤権現山古墳(117m)





 ・当時広大な入海だった印旛浦(現在の印旛沼)沿岸の印波国造領域には、浅間山古墳(同78m)





 という具合です。

 これら4つの政治勢力は前方後円墳築造が終了した後はこぞって大型方墳や大型円墳を築造します。

 ・馬来田国造領域では、松面(まつめん)古墳(一辺44mの方墳)と鶴巻塚古墳(径44mの円墳)

 ・須恵国造領域では、割見塚古墳(一辺45mの方墳)

 ・武社国造領域では、駄ノ塚古墳(一辺60mの方墳)

 ・印波国造領域では、龍角寺岩屋古墳(一辺82mの方墳)



 ※岩屋古墳は方墳では国内で2番目の大きさだが、この時期だけを見ると国内で最も大きい方墳となる



 これらの古墳の被葬者が各地域の国造と想定されます。

 7世紀初頭というと、推古天皇という女帝が君臨し、若い聖徳太子がそれを補佐した時代とされていますが、私はそれを正直に信じることができず、倭国の舵取りをしていたのは蘇我馬子だと考えています。

 蘇我馬子は東日本に国造を置き、東北地方への進出を政策の重要方針の一つとしていたのではないでしょうか。

 ところで、先日武社国造および印波国造の領域を探訪してきましたが、律令時代の郡衙の跡を2ヶ所見てきました。

 武射郡衙跡である嶋戸東遺跡。





 近くには郡寺と考えられる真行寺(しんぎょうじ)廃寺跡もあり、真行寺は住所として残っています。





 両者とも説明板が残念な状態になっていますね。

 もう一ヶ所、埴生郡衙跡である大畑・向台遺跡群。





 こちらは説明板の設置は見当たりませんでした。

 2.武蔵には2つの国造がいたのか?

 さきほどお話しした中で、武蔵の国造は八幡山古墳の被葬者と想定できるとしました。

 ところが、『先代旧事本紀』によると、武蔵には无邪志国造と胸刺国造が記載されています。

 これについては、両者を同一とする説と別個とする説があり、いまだ決着していません。

 単純に古墳から探ってみると、6世紀末の段階では、のちの武蔵国の範囲には八幡山古墳の被葬者勢力しか国造になれるような強大な勢力はなく、東京都側の多摩川流域にはそれに匹敵する勢力はありません。

 そのため、武蔵国内には一つの国造しかなかったと判断することができます。

 ただし、もう数十年経ち、7世紀の半ばごろになると、多摩川流域では上円下方墳の武蔵府中熊野神社古墳や三鷹市天文台構内古墳が築造され、さらに多摩市には八角墳の稲荷塚古墳も築造され、かなり強力な勢力の成長を見ることができます。

 これら多摩川の勢力は、行田市の勢力を押さえて武蔵国府の誘致に成功しており、律令国家の建設にあたって国造を解体する過程で力を付けてきた勢力だと考えられます。

 多摩川流域の特異な形状の終末期古墳に関しては、クラツーでツアーも企画しますので、また別途考察しようと思います。

 3.なぜ東日本に国造が置かれたのか?

 話を少し戻して、なぜ東日本に国造が置かれたのか、その理由について考えてみます。

 設置の理由としては、西日本に置いたのだから中央政府としては東日本にも置くのは当然だと言われてしまったら身も蓋もありませんが、もう少し突っ込んで考えてみると、西日本での設置理由が朝鮮半島を攻めるための軍事的な政策の一環だとすると、東日本の場合はやはり、対東北地方政策の一環ということがいえると思います。

 岩手県域では、5世紀に角塚古墳が築造され、ヤマト王権の影響力が遥か北まで及んだことがわかりますが、その時代までは宮城県の大崎平野に流れる江合川までが強く影響が及ぶ範囲だと言えます。



 ※国内最北端の前方後円墳・角塚古墳

 一時的にヤマト王権の影響が及んだ岩手県南部ですが、6世紀になると集落数が激減してしまうので、もしかするとヤマト王権の影響下にあった当該地域の豪族の血統はここで絶えてしまったかもしれません。

 6世紀にはアイヌの二度目の南下が行われ、一関市辺りまで南下してきたことが、「ベツ」地名の分布により想定できます。

 アイヌが南下してきたために玉突きのように北東北のヤマト人が南に逃れてしまったのか、反対に気候の寒冷化によってヤマト人が西へ逃れた空白地にアイヌが進出してきたのか、どちらかはわかりませんが、7世紀にはまたヤマト人が北東北へ進出していきます。

 7世紀というのは既述した通り、東日本に国造が設置された時期で、東日本では前方後円墳は一斉に作られなくなり「選ばれた者 = 国造」が大型方墳や大型円墳を造った時代です。

 7世紀の北東北の人口増加は、彼ら東日本の国造たちが主体となって北東北へ進出していった結果ではないでしょうか。

 『日本書紀』では、637年に上毛野君形名が蝦夷と戦った記事が掲載されていますが、これなどはまさしく上毛野国造家が北東北へ進出した記録が『日本書紀』に取り込まれたものと思います。

 こういった東日本の国造たちの北東北進出がベースとなり、7世紀半ばの渟足柵(ぬたりのき)と磐舟柵(いわふねのき)および仙台市太白区の郡山遺跡が築造されたのでしょう。

 東日本の国造勢力が築いた古墳は、例えば既述した上毛野・下毛野・武蔵・下総・上総の古墳を見ると、当時の大王の墓よりも大きいものばかりなのです。

 これは東日本の豪族たちが無許可で大きな古墳を作ったのではなく、東北地方進出に協力してくれる見返りとして大王墓よりも大きな古墳の築造を許したものと考えられます。

 既述した巨大方墳を築いた印波国造ですが、その支配地域には6世紀までは大型古墳が築かれておらず、言ってみれば有力豪族の空白地域でした。

 それが6世紀以降急成長するのです。

 これなども、香取海を中継地点として東北地方に進出する政策を中央政府が打ち出したことと関係があるように思われ、かつ645年の乙巳の変以降の大化改新で活躍したとされる中臣鎌足が常陸出身という説とも絡んできて、なおかつ香取神宮や鹿島神宮の創建の問題も絡みあうのではないかと考えています。

 ただ、今のところはまだ考察が進んでいませんので、進展したらまたご報告します。



 ※香取神宮拝殿

 なお、先日香取神宮を訪れたときに人懐っこい猫ちんと遭遇しましたよ。









最後の前方後円墳 龍角寺浅間山古墳 (シリーズ「遺跡を学ぶ」109)
白井 久美子
新泉社


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【東国を歩く会】「第18回歩く日」は前回の続きで神奈川県座間市~海老名市【参加者募集中!】

2018-05-22 12:08:58 | 歴史探訪
 先週の土日(5月19~20日)はクラブツーリズムにて奈良の纏向遺跡ほかを歩いてきました。

 唐子・鍵遺跡は整備が進んで楽しい公園になっていましたよ。



 私は鉄道写真が撮れてご満悦。



 1日目の夕食はホテルのレストランでフレンチのコースでした。









 最大の売り(?)は、デザートの前方後円墳のケーキ!



 お客様には、この古墳についてきちんと解説しておきました。

 この古墳は前方部と後円部の高さが同じで、前方部がダイナミックに広がる形状を持つことから古墳時代後期、6世紀の古墳と思われます。

 段築は3段認められますが、現在は地表面からは不明瞭になっています。

 被葬者像としては、古墳時代後期になると2段築成が多いのですが、この古墳は3段になっていますので、中央の大王と懇意な地位の高い人物であったと考えられます。

 ・・・みたいな。

 鹿さんも可愛いですね。

 両日とも天候に恵まれ、暑くもなく寒くもなく、気持ちよく歩くことができましたよ。

 18名の皆様、ご参加ありがとうございました。

 邪馬台国はいったいどこにあったのか・・・

 今回は奈良を歩きましたので、北部九州をまだ歩いていないという方は、今度はぜひ、北部九州のツアーにご参加ください。

 今回と同等のツアー(細かい違いはあるかもしれません)や北部九州の古代史ツアーなど、私がご案内するツアーに関しては、クラブツーリズムの公式サイト内の稲用案内ツアーの検索結果ページを見ていただければ、いろいろと出てきます。

 ※6月2日(土)の千葉の古墳ツアーは今現在で残席2つです!気になっている方はお早めにどうぞ!

 ところで話は変わりますが、前回の東国を歩く会の「歩く日」では、午後から雨になって途中で中止にしたため、予定していた探訪個所の目玉である秋葉山古墳群と相模国分寺跡を訪れることができませんでした。





 そのため、例年ですと梅雨の時期は玉川上水歩きとなるところを、今回は前回の「歩く日」で歩けなかった座間市・海老名市の史跡を歩くことに決めました。

 詳細は以下の通りです。
 
 ■6月10日(日)

 ■9時に小田急/JR相模線「厚木」駅 改札出たところに集合(改札は小田急・JR共用で1か所のみです)

  ※相模線は本数が少なめですのでご注意ください

 ■探訪ルート(予定)

 厚木駅 ・・・ 有鹿神社(式内社。前回訪れた有鹿神社の本宮) ・・・ 海老名市郷土資料館(小さいながらも素敵な展示内容) ・・・ 相模国分寺跡(伽藍配置が分かる) ・・・ 相模国分尼寺跡 ・・・ 秋葉山古墳群(東日本最古級の前方後円墳など) ・・・ 星谷寺とのその周辺(北条氏照陣場跡)・・・ 解散(最寄駅は相模線入谷駅か小田急線座間駅)

 ※いつものごとく、時間切れで最後まで歩けないかもしれません

 ■歩行距離は10km(予定)

 ■昼飯は臨機応変(お弁当持参の方には食べられる場所を探します)

 ■参加費は500円(ただし、初参加の方は1000円)

 ※開催日はすでに梅雨に入っていると思うので微妙ですが、あからさまな雨の場合は残念ながら中止とします。

 今回も初参加の方も大歓迎です。

 ただし、本会は趣味の集まりですので、お客様待遇ではなく仲間待遇となり、ホスピタリティの至らない点があると思いますが、その辺はご了承ください。

 それでは、参加表明お待ちしております!

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【東国を歩く会】第17回歩く日 相模野台地の古代史探訪 その2【相模川・勝坂遺跡ほか】

2018-05-16 12:31:16 | 歴史探訪
 昨晩は夜中のお掃除があったため、あらかじめ今日はD社をお休みにしていました。

 なので、今度の千葉の古墳ツアーの下見に行こうと思っていたのですが、このところ睡眠不足気味なので、25時半に寝て4時に起床はきついと思い、今日は断念して自宅で休養しています。

 私は精神が弱いので無理ができないのです。

 一応は、月のうち29日くらいはD社かクラツーかのどちらかで働いているので、これ以上は無理しない方がいいかなと思っています。

 再来月で46歳になりますが、今年はちょっと大きな生活の変化を起こそうと考えていますよ。

 それでは、先日(5月13日)の東国を歩く会の探訪の続きをお伝えします。

 ⇒前回の記事はこちらです

*     *     *


 相模原市立博物館の見学を終え、つぎの勝坂遺跡までは電車を使ってショートカットしようと思います。

 と言っても、相模線の上溝駅まではそこそこの距離があります。

 中世以降、ほとんど人が住んでいなかったような雰囲気を醸し出している整然と整備された住宅街を西へ向かって歩きます。

 歩きながらも皆さんは会話を楽しんでいますね。

 面白みのない平坦な道を30分ほど歩くと、ようやく前方に下り坂が見えてきました。



 久しぶりに見る坂道は嬉しいですねえ。



 私は地形マニアですが、東国を歩く会の皆さんも地形好きです。

 相模川の段丘を1段降りると、目の前に今までの面と同じくらいの標高で相模線の線路があり、初めて見る上溝駅は高架駅となっていました。



 歩いてきた面を振り返ります。



 駅に入るにはいったん下まで降りなければなりません。



 電車が来るのは11時20分。

 少し待ちます。

 ところで、相模線は単線ですよ。

 電車が来ました!



 いいねえ。

 下溝駅まで番田、原当麻(はらたいま)を経て3駅という短い間ですが、ローカル線の旅を楽しみます。

 途中、どうしても「原当麻に1000点」とか言いたくなる・・・

 下溝駅で下車し、すぐに相模川を見に行きます。

 おー、いつ見てもダイナミックな景色ですね。

 下流方向。



 上流方向。



 相模川をよく見たこともない方は、この景色でも喜んでくださっています。

 しばし相模川を眺めた後は、勝坂遺跡を目指して歩きますよ。

 鳩川分水を渡ります。



 踏切を渡る時、先ほど降車した下溝駅が遠くに見えました。



 もうすぐ勝坂遺跡と言う所で、石仏群を発見。



 皆さん、こういうのも好きなんですよね。

 こっちが旧道か?



 さて、ちょうどお昼です。

 今日のお昼はコンビニでお弁当を買って、勝坂遺跡のベンチで食べますよ。

 せめてお昼ご飯を食べるまで天候が持ってくれれば・・・

 それぞれ食料を買い込むと、まずは勝坂遺跡のハケの下にある谷戸をお散歩。



 ここは先日来た時にも歩きましたが、なかなか良い道ですね。



 こういう場所を歩くのも楽しいので、皆さん歩みが遅くなります。



 でも私は一向に構いませんよ。

 クラツーのツアーでしたら時間を気にして歩きますが、「東国を歩く会」はむしろその逆、目の前に現れたものをじっくり見て、最終的に予定通りに消化できなくても諦めるというスタンスです。

 有鹿神社。



 勝坂遺跡公園へ登り、ひとしきり散策した後、皆でお昼ご飯。

 よかった、まだ雨は降ってこない。

 ランチを済ませた後は、たまたま管理棟が開いている日でボランティアの方も詰めていたのでお邪魔してみます。



 中には勝坂式土器の展示がありますよ。





 勝坂式土器というネーミングがされた記念すべき土器は、空襲で大山柏さんの研究室が焼かれてしまったの現存しません。

 写真はこれ。



 レプリカが展示してあります。



 ここはパネル展示も豊富で楽しいですよ。





 皆さん積極的にガイドの方々に質問して、話が盛り上がっていますね。

 私的には鳩川と有鹿神社が気になっていたので、それについて教えていただき楽しかったです。

 また、地元の方しか知らないような話はどこへ行った時も大変興味深いので、そういう話も楽しいですね。

 ※勝坂遺跡についてもう少し詳しく知りたい場合は、5月3日に訪れた時の様子を本ブログにアップしていますので、こちらでご覧ください。

 時刻は13時40分。

 もう少し歩きましょう。

 あー、ついに降り出したか・・・

 勝源寺(しょうげんじ)。



 曹洞宗のお寺で金澤山と号します。

 創建年代は不明ですが、開山の笑山充誾が寛永5年2月7日に卒しているので、戦国末期から江戸初頭の創建でしょう。

 そういえば、S源寺さんは前回の第16回まですべて参加しており皆勤賞を維持していましたが、今日はついに欠席となりました。



 もし雨のために今回が流れればS源寺さんの皆勤賞は保たれるため、N島さんがS源寺さんの呪いで中止になるかもしれないと恐懼していましたが、催行はできたものの、やはり雨には見舞われてしまいました。

 私は「S源寺さんは少し遠慮して呪いをかけたので、今降り出したんですよ」とか適当なことを言いますが、S源寺さん、居ないところでいろいろ言ってスミマセン。





 池上さんが、着色されているのは珍しいですねと言います。

 池上さんは私と同じく、クラツーでナビゲーターをやっており、仏教関連のツアーをやっているので詳しいのでしょう。

 つづいて、石楯尾(いわだてお)神社へ行きます。

 うわー、石段高い。



 数えてみたら120段ありました。

 社殿。



 それにしても石楯尾神社って珍しい神社ですね。

 ※帰宅後調べてみたら、相模国に13社ある延喜式内社の一つですが、論社が多く存在し、ここ磯辺の岩楯尾神社もそのうちの一つとなっています。

 ここは丘陵の突端部分のような地形になっていて、社殿の右手は落ちています。

 人工的な土塁のようなものもあって気になりますねえ。



 では石段を降りますよ。



 今度は勝坂遺跡のA区を見ます。

 と、ついに雨が本降りになってきました。

 惰弱な私はここで「中止」を宣言しました。

 ところが、中止にしたとしても、最寄駅が遠い・・・

 雨に降られながら相武台下駅を目指して歩きますが、手元に地図が無かったため、A斉さんがスマホを見て道を調べてくれました。

 お、なんかありますよ。



 この道も古そうだ。



 30分ほど歩き、14時半に相武台下駅に到着。



 「滅多に来れない駅だから」と言って、皆さん駅舎の写真もバンバン撮ります。

 他の人たちからしたら奇妙な集団でしょうね。

 橋本駅行きの相模線に乗り込み、橋本駅で一旦解散です。

 本日の参加者!

 ・K林さん
 ・加藤さん
 ・岸本さん
 ・N島さん
 ・A斉さん
 ・金子さん
 ・池上さん
 ・しげきさん
 ・ゆうこさん
 ・S根さん
 ・稲用

 以上、11名でした。

 皆さん、ご参加ありがとうございました!

 今回は雨に降られたこともあり、あまり歩けずに面白くなかったかもしれませんが、また次回もご参加お待ちしております。

 さて、つづいて八王子の日高屋で「お茶会」です。

 まだ15時過ぎなので「飲み会」ではなく「お茶会」ですよ。



 中ジョッキに入っているのは黄色いお茶です。

 餃子とよく合いますねえ。

 黄色いお茶を4杯飲んで、〆は油そばです。



 私はお酢を異常にたくさんかけます。



 日高屋での「お茶会」、安くて美味しくていいですね。

 お茶会参加者。

 ・K林さん
 ・岸本さん
 ・金子さん
 ・池上さん
 ・しげきさん
 ・稲用
 
 以上、6名でした。

 次回は6月ですが、梅雨なのでどうしましょうかねえ・・・

 ところで話は全然変わりますが、今回は勝坂遺跡という関東地方では超有名な国指定の縄文時代の遺跡を訪れました。

 縄文時代の遺跡は関東地方とともに東北地方にも面白い遺跡が沢山ありますよ。

 クラツーではこんなツアーをやります。



 6月と7月は紺野洋子先生がご案内し、8月と9月は私がご案内します。

 興味がありましたら紺野先生でも私でもお好きな方をチョイスしてご参加ください。

 私も私なりに精一杯やりますが、それでも「稲用先生のツアーは二度と来ない」と面と向かって言われたこともあるので、万人受けは不可能だと重々承知しています。

 なので、お客様と相性が良い先生を選んで頂くのが一番かなと思いますが、初参加の場合はそれもできませんので、まずは日程の都合が合う催行日をチョイスしてくださればいいかなと思います。



 

 
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【東国を歩く会】第17回歩く日 相模野台地の古代史探訪 その1【鹿沼公園のD52と相模原市立博物館】

2018-05-15 13:25:05 | 歴史探訪
 いやー、今日も暑いですねえ。

 完全夏日です。

 この記事はお昼休みにDeathK!Nの車の中で書いているのですが、なんと私の「天正十七年號」はエアコンが故障中なのです。

 なので、熱中症になりかけながらブログを書いています。

 本当はファミレスにでも寄ろうと思っていたのですが、ついつい節約癖が出てしまいました。

 まあ、夏は暑いのが当たり前だ。

 ジタバタせず、冷静を装いつつ汗ダラダラの赤ら顔でブログを書きます。

 ていうか、まだ夏じゃない!

 ところで、先日の土曜日(5月12日)はクラツーにて月に1度やっている講座でお話してきました。

 午前は東北地方の歴史で、奥州平泉藤原氏100年についてです。



 11名の皆様、ご参加ありがとうございました!

 昼はよく行くたかまる鮮魚店。



 このヴォリュームで1,080円!

 続いて午後は飛鳥の宮や、聖武天皇の宮、そして国分寺についてお話ししました。



 こちらは19名様のご参加をいただきました。

 皆様、どうもありがとうございました!

 という感じで月に1度、土曜日にやらせていただいている講座ですが、夏以降は、同じ内容で平日にも開催させていただく予定です。

 土日は時間ないけど平日だったら行けるのになあ・・・、と思っていた方は、ぜひ平日のご参加をご検討ください。

 私の講座やツアーについては、クラツーの私の講座の検索結果ページをご覧ください。

 ※まだ講座の平日開催日については反映されていないです。

 さて、講座の翌日の日曜日は「東国を歩く会」の「第17回歩く日」を催行しました。

 今回歩いた場所は相模野台地です。

 本日はこの日の模様をごくごく簡単にお伝えします。

*     *     *


 天気予報によると、昨日の段階では今日の夜から雨になると言っていましたが、どうも雲の巡航速度が速まったようで、今日の午後から雨になりそうな感じです。

 でも、中止にするには忍びないので、歩けるところまで歩いてみようと思い、催行しました。

 集合場所は横浜線の淵野辺駅です。

 私たちの会は多摩の人間が多く、都心や埼玉県の方が少数います。

 その関係上、実はあまり相模野台地は土地勘がないのです。

 淵野辺駅で初めて降りた来た方もいらっしゃいます。

 あ、私もそうだ!

 9時過ぎに早速歩き始めます。

 最初は相模原市立博物館を目指しますが、駅を出発してすぐの鹿沼公園にSLが置いてあるのを見かけてしまいました。

 見かけた以上は近接して確認しないと気が済みません。

 今回初参加のS根さんには、この会は予定通りに歩かないことが多く、途中何かを見つけてしまった場合は引っかかってしまう旨をご説明しました。



 D52ですよ!



 いいねえ。



 我が会には結構鉄道マニアが多いのです。

 そんなこともあり、皆さんこういうのも好きです。

 いや、SLの後ろ姿もいいですねえ。



 私は飛行機もそうなんですが、後ろ姿を見るのが好きなのです。

 女性の場合は(以下自粛)。

 ひとしきり、SLを眺めた後は本題に戻りますが、鹿沼公園は交通公園にもなっている関係上か、行きたい方向に出口がない!

 なんか、いきなり遠回りになってしまいました。

 そしてテクテクと歩いていくと、着きました。



 相模原市立博物館!

 意外と素敵なエントランスですね。

 入館は特別展以外は無料です。



 ここは歴史関係以外にもプラネタリウムもありますよ。

 地形や地勢の展示も豊富で面白い。

 みんな大好きジオラマ。



 私を含め、皆さん、相模川が山中湖を出発して、グルーッと回って相模湾に注いでいることを知って驚いています。

 へー、知らなかった・・・

 今日は相模川のダイナミック姿も皆さんに見ていただきますよ。



 今日は勝坂遺跡にも行く予定ですが、ここには勝坂式土器が展示してあります。





 やったー、人面把手!



 ミニチュア土器って可愛いですよね。



 土偶もあります。



 いやー、楽しい。

 この会の特徴をもう一点お伝えすると、皆さんこういった博物館とか資料館が大好きなので、かなり長居することがあります。

 というわけで、展示に満足したので次へ行きましょう。

 ⇒このつづきはこちらです
 

*     *     *


 クラブツーリズムの「歴史への旅」の最新号(5月10日号)が出ました。

 今号にはいつもの古代史以外にも「関ヶ原合戦」のツアーや宗像のみあれ祭ツアーなど私のツアーや講座は6ページに渡って点在していますが、今日は古代史ツアーについてご案内します。

 まずは私だけのページ。



 4本掲載されていますが、下段の左側はご好評いただいている太田天神山古墳や岩宿遺跡などをめぐるツアーです。

 私が企画した一連の古墳ツアーの中で最初に企画したツアーになります。

 今号で発表となったためまだ催行はついていませんが、他の3本はすべて催行させていただきます。

 直近では、下段右側の千葉の古墳ツアーがありますが、もう少し席に余裕があるようなので、最近古墳が気になり始めた方はこの機会にぜひどうぞ。

 つづいて隣のページ。



 こちらは阪南大学の来村教授が企画したツアーのページですが、上段と中段の邪馬台国関連のツアーの関しては、私が担当する回もありますので、私でも来村先生でもお好きな方をチョイスしてください。

 壱岐にも行きます!

 おっと、東国を歩く会のN島さんみたいなことを言ってしまった・・・

 既述しましたが、私の講座やツアーについては、クラツーの稲用の講座の検索結果ページをご覧ください。

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【東国を歩く会】第17回歩く日 相模台地の古代史探訪【参加者募集】

2018-05-06 10:59:10 | 歴史探訪
 昨日(5月5日)は、クラツーにて滝山城跡と津久井城跡をご案内してきました。



 絶好の歴史散策日和の下、爽やかな風に吹かれながら20名のお客様と歩いてきました。

 皆さま、ご参加ありがとうございました!

 新緑の季節の山城もなかなかいいものですね。

 私はクラツーでは古代史関連のツアーをやることが多いですが、もともと20年前に歴史歩きを始めた当初はお城ばかり行っていました。

 そのため、今後はお城のツアーも増やしていただく予定ですので宜しくお願い致します。

 さて、次の日曜日は「東国を歩く会」の「第17回 歩く日」をやります。

 今回は相模台地の上の古代遺跡をめぐりますが、いつものごとくある程度はインプロヴィゼーションで歩きます。

 ■5月13日(日)

 ■9時にJR横浜線「淵野辺」駅 南口改札出たところに集合

 ■探訪ルート(予定)

 淵野辺駅 ・・・ 相模原市立博物館 ・・・ 上溝駅 =(相模線乗車)= 下溝駅 ・・・ 勝坂遺跡公園(縄文時代中期の勝坂式土器が出土) ・・・ 秋葉山古墳群(東日本最古級の前方後円墳など) ・・・ 相模国分尼寺跡 ・・・ 相模国分寺跡(伽藍配置が分かる) ・・・ 海老名市郷土資料館(小さいながらも素敵な展示内容) ・・・ 海老名駅で解散

 ※場合によっては途中バスに乗るかもしれません

 ※いつものごとく、時間切れで最後まで歩けないかもしれません

 ■歩行距離は14km(予定)

 ■雨天中止

 ■昼飯は臨機応変(お弁当持参の方には食べられる場所を探します)

 ■参加費は500円(ただし、初参加の方は1000円)















 こんな感じの谷戸も歩きますよ。



 というわけで、参加者を募集します。

 もちろん初参加の方も歓迎しますが、本会の場合は「趣味志向」ですので、「お客様待遇」と言うよりかは「仲間待遇」となりますので、ホスピタリティの至らない点はご了承ください。

 といいつつも、メンバーはフレンドリーな人たちばかりなので、初参加で打ち解けなかった方は(多分)今まで一人もいないと思います。

 参加表明は、このブログの「メッセージを送る」からでもいいですし、フェイスブックからでもメールでも伝書鳩でも軍用犬(ただし土佐犬)でもなんでも構いませんので宜しくお願い致します。

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【勝坂遺跡公園】大山巌元帥の息子が本格的に発掘調査【縄文時代中期の集落遺跡】

2018-05-03 20:32:59 | 歴史探訪
 一昨日(5月1日)に探訪した勝坂遺跡公園の記事はすでにアップしましたが、つい先日、岩手・青森の縄文世界をめぐってきたこともあり、私の脳内では縄文ブームになっています。

 というか、縄文時代はここ数年、ずっと静かなブームが持続しており、明後日は滝山城と津久井城を案内する関係上、戦国時代に集中するわけですが、今のうちにもう少し詳しく勝坂遺跡について書いておこうと思います。

 ⇒前回の記事はこちらです

*     *     *


 田名向原遺跡を出て、25分ほどで勝坂(かっさか)遺跡公園の駐車場に到着。

 駐車場を見つけるのにてこずった・・・

 駐車場は遺跡公園から少し離れた場所にあるんですね。



 「復元集落」と書かれているので、そこを目指してみますよ。

 おや、急崖が出現。



 なるほど、勝坂遺跡も丘陵上にあるんですね。

 崖を上がると管理棟が現れました。

 職業柄、史跡に来るとトイレの場所を確認してしまう癖が付いています。

 あ、職業柄で「トイレ」というと、ツアーの仕事も掃除の仕事も両方関係ありますね。

 ここにも説明板があります。



 ここに出てくる大山柏という考古学者は、あの明治の元勲・大山巌の二男です。

 柏も父の跡を継いで軍人の道を歩んだのですが、どうやらあまり向いていなかったらしく、40代からは今まで軍人生活の傍らで研究していた考古学の世界に本格的に没入して、軍人を辞めその道の専門家になってしまいました。



 「D区」というところにやってきたんですね。

 それでは公園内を散策してみましょう。



 おっと、柄鏡形敷石住居跡だ。







 これは生活するには狭すぎますね。

 何か呪術的な行為が行われた建物と推測する人もいますが、その可能性もあるかもしれません。

 しかし、関連は無いと思いますが、前方後円墳の形をしているのがどうしても気になってしまいます。

 埋没谷も見つかっているようです。



 見たところよく分かりません。



 樹木が屋根のように覆う道が素敵。

 振り返ります。



 またまた振り返ります。



 竪穴式住居が復元されているのが見えますね。



 こっちが3号住居。





 先日、岩手の御所野遺跡と青森の三内丸山遺跡を見てきて、竪穴式住居の屋根に土を塗っていたのを知ったのですが、関東でも同じようなことをしていたようですね。

 また、夏の生活に向いていないという説明は面白いですね。

 私は縄文時代の人は平地建物(テントのようなもの)にも住んでいたのではないかと考えていますが、平地建物は遺跡としてはまず残らないのです。

 この説明の通り、竪穴式住居を冬の住処とするのなら、夏はやはりテントのような簡易的な住処に住んでいたと思うのですが、いかがなものでしょうか。

 そしてこっちが1号住居。





 廃絶住居についての説明があるのがユニークです。





 勝坂遺跡公園は復元建物が2棟しかなく、寂しい感じも否めませんが、竪穴式住居の復元および維持管理ってお金が掛かるんですよ!



 ですから、もし現代人で竪穴式住居に住んでいる方がいたら、その方は間違いなく富裕層です。

 ここにも説明板。



 以上で勝坂遺跡公園の見学は終わりですが、ついでなので「A区」の現況を確認しつつ、勝坂式土器が見つかった場所へ行ってみましょう。

 住宅街をお散歩。

 石仏が集まっていますね。





 この鳥居の前を右折だな。



 お、いい道だ。



 視界が開けました。

 ここが「A区」ですね。





 勝坂式土器発見の地を発見!





 ここで見つかったんですね。

 関東の縄文時代に興味を持つと、自然と中期の勝坂式土器の存在が気になるようになります。

 なので、ここに来ることができて、ジンワリとした感慨が湧いてきます。

 「長年、何となく好感を持っていた人と初めてゆっくり話ができて、幸せな気分に浸ったような感覚」と言ったらご理解いただけますでしょうか。

 なお、東京都内では多摩センターにある東京都埋蔵文化財調査センターで勝坂式土器などの関東の縄文土器を見ることができますよ。



 縄文中期というと、北陸地方では有名な火焔型土器が作られたりして、縄文時代の中でも一番華やかなバブリーな感じの時代ですが、勝坂式土器もこのように派手目の土器です。

 勝坂式土器は、意外と縄文を使った装飾は少ないのですが、特徴としては立派な把手が1つ付くものが多いことです。

 ただし、考古学者が便宜上「把手」と呼んではいるものの、見ての通り把手としての実用性はないと思われるので、おそらく実用性のない装飾でしょう。

 よし、車に戻るぞ。

 この地域の縄文時代人も現代人と同じで大山に見守られながら生活していたのでしょうね。



 ところで、手元のパンフレットには有鹿(あるか)神社について書かれており、海老名市にある式内社・有鹿神社の奥宮だそうなので気になりますが、どうやらこの脇道から行けるようです。



 行ってみよう。

 おーっ、何か良い雰囲気だぞ。



 これが参道かな・・・

 と思いつつ歩いて行っても社殿が見当たりません。

 何気なく崖の下を見ると鳥居と小さな祠が見えます。

 え、こんな場所にあるの?



 ここは「D区」の崖の下にあたります。



 ここは鳩川の氾濫原では?

 今でこそ氾濫の心配はないとは思いますが、崖の下からは水が湧いて鳩川にそそいでいますし、歩いていても、ところどころに湧水を見つけることができます。



 いやー、なんか異空間に迷い込んでしまったみたいだぞ。



 少し心細くなってきましたが、歩いているとちゃんと駐車場に出ました。



 戻れて良かった・・・

 時刻は16時10分。

 40分ほどの散策でした。

 よし、今度こそ家に帰るよ。


縄文研究の新地平―勝坂から曽利へ (考古学リーダー (6))
小林 謙一,セツルメント研究会
六一書房
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奥三保の名城・津久井城跡&日本最古の住居跡・田名向原遺跡

2018-05-02 23:00:46 | 歴史探訪
 ⇒前回の記事はこちらです

 1.川尻石器時代遺跡

 滝山城跡の下見を終え、津久井城跡へ向かっている途中、川尻石器時代遺跡の標柱を発見!



 存在自体は以前から知っていますが、まだ訪れたことはありません。

 車止めれる場所ないかなー?と探している間に通り過ぎてしまいました。

 今回は割愛。

 なお、川尻石器時代遺跡は、発見当時は縄文時代中期から後期にかけての遺跡で、最近の調査では旧石器・古墳~平安時代の遺物も見つかっているようです。

 「○×石器時代遺跡」という国史跡は例えば八王子市の船田石器時代遺跡などいくつもあるのですが、それらは戦前に見つかった遺跡で、当時はまだ縄文時代の住居跡が見つかること自体が珍しかったのです。

 遺跡名が紛らわしいので旧石器時代の遺跡のように見えるのですが、戦前の日本ではまだ旧石器時代の遺跡は見つかっておらず、縄文時代は世界史的には新石器時代に当てはまりますので、縄文時代の遺跡を「石器時代遺跡」と呼んでも間違いではありませんね。

 ややこしいなあ。

 2.津久井城

 津久井城は今日で4度目ですが、過去3回はすべて北側の苑池から登っています。

 津久井城は純然たる山城ですから、北側からの登り坂は滝山城の比でなく結構きついのです。

 ところが最近、南側のパークセンター側から登ると楽だという情報を仕入れたので、今日はパークセンターへ向かってみます。

 ツアーに参加される方は全員が健脚とも限りませんので、できるだけ楽なルートで登りたい。

 この山を登りますよ。



 施設の中に入ってみると、ミニ展示室がありました。

 なんだー、早くこちら側にも来ていればよかった。

 みんな大好き、ジオラマ!



 よくできていますね。

 では登りますぞ。

 山の南側は日当たりが良いので、内藤氏の屋敷跡などもあります。

 三増峠方面の眺望。



 パークセンターの裏から、なだらかな坂を10分ほど登り、つづいて直登10分。

 この直登はややきついですが、それでも北側から登るよりマシです。

 ここで曲輪の下をグルッとめぐっている歩道に到達したので、ここからは直登せず、巻いて登る道を歩きます。

 途中、竪堀も見えます。

 以前来た時に降りた曲輪が歩道から見えますが、これを降りられるのは上級者です。

 もし頑張って降りると貴重な石積遺構が見られるのですが、当日そこまで案内するかはその場で決めようと思います。

 20分ほどダラダラと歩き、ようやく曲輪に到着。



 あとは以前来た時のコースを踏査して再確認です。



 帰りは、麓まで一直線に降りますが、さすがに急斜面をずっと下っていると足にきますね。

 これでルートの確認は完了しました。

 当日はもう一つ、三増峠の古戦場を案内するので、石碑が立っている場所を確認に行きます。

 3.三増合戦場







 ここはバスを止める場所がないですね。

 どうしようかな・・・

 さて、時刻はまだ13時20分です。

 せっかく相模原に来ているので、田名向原(たなむかいはら)遺跡を見に行きましょう。

 途中、セブンに寄ってランチ。

 14時20分に田名向原遺跡に着きました。

 4.田名向原遺跡
 
 田名向原遺跡は旧石器時代の住居跡が見つかった遺跡で、その時代は約2万年前で、もし住居だとすると日本最古の住居ということになります。

 遺跡公園と道路を挟んだ反対側には「相模原市立 史跡田名向原遺跡 旧石器時代学習館」という長い名前の施設がありますが、ニックネームは「旧石器ハテナ館」といいます。



 いいねえ。



 写真撮影は許可制なのですが、個人使用の場合は撮ってよいそうです。

 ということなので、あまりブログにバンバン載せてしまうのはちょっと気が引けるので、ぜひ実際に足を運んで見学してみてください。

 ハテナ館を見学した後は、実際の遺跡を見てみましょう。





 まず目に付いたのは古墳?



 古墳でした。

 谷原古墳群というのがあって、谷原12号墳という円墳が移築復元されています。

 そして目玉はこれです。



 通常、旧石器時代はまだ定住生活になっていないので、今まで旧石器時代の住居跡は見つからなかったのですが、これはどうやら住居であろうということで、「住居状遺構」という微妙な呼び方がされています。

 直径10mほどの円形の周りには丸い礫が散らばっており、中央に炉が2箇所あり、柱の跡も12箇所あります。

 この住居が建てられた約2万年前は、ナイフ形石器から尖頭器という石器へ移り変わる時代とされ、事実、見つかった石器のほとんどは尖頭器でした。

 ところで、相模川ってダイナミックですよね。



 いつも見慣れている多摩川中流域よりも段丘の比高差が大きいような気がします。

 さて、予定ではこれにて帰宅するはずでしたが、ハテナ館で勝坂遺跡公園のパンフレットを見てしまい、この近くにそれがあることを思い出してしまいました。

 こうなったら、ついでに見ていくか!

 ⇒この続きはこちら
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【クラブツーリズム】滝山城跡ツアーのために歩くルートを確認してきました

2018-05-02 21:08:08 | 歴史探訪
 先日の日曜日(4月29日)は、新宿駅東口を出てすぐの中村屋ビルの3階にある近畿日本ツーリスト新宿旅行サロンにて、「邪馬台国・卑弥呼を知る講座」という座学をやらせていただきました。

 この会場での講座の取り組みはまだ始まったばかりのようで、今のところはここで講座をやっていること自体があまり知られていないようですが、それでも4名様にお集まりいただくことができました。



 皆様、ご参加ありがとうございました。

 以前何度かやらせていただいた近ツーの他の営業所も同じなんですが、やり方を工夫すると同時に周知さえ上手くできれば、さらにお客様が来るのではないかと思います。

 講座が終わった後は、せっかく新宿駅東口に来ているということで、沖縄そばの「やんばる」でランチ。



 超久しぶりに食べましたが、美味かったです。

 実は20年くらい前はそれほど好みの味ではなかったのですが、今の私にはストライクな味になっていました。

 味覚は変化しますからね。

 というわけで、次回のお仕事は5月5日(土)に催行される、滝山城跡と津久井城跡のツアーです。

 両城とも何度も行っていますが、そろそろ下草も茫々になってきていると思うので、念のため探索コースがきちんと歩けるかどうか確かめるために、昨日確認してきました。

 本日はその様子をごくごく簡単にご報告します。

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 滝山城跡の観光駐車場は8時オープンなので、それに合わせて家を出ます。

 今日は妻がサンドウィッチを持たせてくれました。

 お昼用ということで作ってくれたのですが、出発直後にまずは一つ。



 途中、D社の用事を済ませ、8時10分に滝山観光駐車場に到着。



 これは「NPO法人 滝山城跡群・自然と歴史を守る会」(滝山の会)の理事・中田正光先生の画です。

 最近私は滝山の会に顔を出すことがなくなり、次第に忘れられた存在になっているのではないかと思います。

 何しろ生活が困窮していますので、働ける日はすべて働きたいのです。

 富裕になったらまた下草刈りに参加しようと思いますのでお許しください。

 滝山城の大手口に関しては諸説あるのですが、そのうちの一つである天野坂。



 滝山城は加住北丘陵に乗っかった比高差60mほどの山城ですが、丘陵へ登るために最初はちょっと息が切れます。

 でも、丘陵に登ってしまえば歩くのが楽になりますよ。

 まずは小宮曲輪の外側の空堀から見るのがいいでしょう。



 滝山の会の皆さんが下草を刈ってくれているのでとても歩きやすい。

 小宮曲輪西側土塁状の最大櫓台跡から北側は、少し前までは藪化していましたが、きれいになってる。



 神の山曲輪から来る道との合流点まで来ました。

 振り返るとこれまた素晴らしい景観。



 ここから曲輪へ登りますが、上には櫓台があってこの地点を防御しています。



 この櫓台へ登るための道は、途中柵が切れて左に別れている道がありますが、そちらが本来のルートでしょう。

 そうすると桝形へ入って行きます。

 さて、あとは当日ご案内するのでそれを楽しみにしていていただきたいので詳しくは語りませんが、こういった「伏兵」が木の枝からぶら下がっていることがあるので注意してください。



 滝山城の重要ポイントの一つは守りの要である二の丸とそれを取り巻く馬出群です。



 これは超面白いので、実際の物を見て感動を分かち合っていただきますよ。

 全体の説明。



 城内で唯一トイレのある中の丸。



 中の丸からの眺望。



 コイツには注意だ!



 本丸からの眺望も素晴らしいの。



 そして城めぐりをするうえではぜひ搦手も見て欲しいです。



 搦手に面白ポイントがある城は多いですが、滝山城もそうです。

 当日は搦手もできる限りご案内しますよ。



 名所「天狗の鼻」。



 おや、ここに堀を塞ぐように倒れていた大木がなくなっていますね。



 滝山の会のメンバーが切ってくれたのでしょうか。



 しかし、滝山城はいつ来てもいいですねえ。

 季節がら、下草が繁茂してしまうのは仕方がありませんが、歩こうと思っているコースは一部を除いてほとんど歩けたので安心しました。

 これも滝山の会や関係者の皆さんのお陰です。

 ツアー当日は2時間確保していますが、もう15分くらいは延長するかもしれません。

 滝山城は全域をじっくり見ようと思ったら丸1日必要ですが、主なポイントだけなら2~3時間で見れます。

 ただ、1時間で見よう!というのは暴挙ですので止めたほうがいいかもしれません。

 つづいて、津久井城跡へ向かいます。


 ⇒この続きはこちら



 ■HONEY/大橋トリオ


 

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