日本史大戦略 Side-B 附 歴史を歩こう協会 ~日本各地の古代・中世史探訪~

『日本史大戦略』のB(Blog)面です。城・館・古墳・古道・官衙・国分寺・神社・寺院・民俗・エミシ・南部氏・後北条氏など

昼休みは有効に使おう!【大丸の城山公園・昭島市役所・まつり塚】

2017-01-25 13:03:13 | 歴史探訪
 仕事の昼休み(MAX1時間)を使ってコツコツと歴史めぐりをしていると、少しずつでも知識が身に付きますし、東国を歩く会やクラツーで皆さんをご案内するときに役に立つことがあります。

 先日の20日の午前は、稲城市のお客さんのところへ行ったので、お昼は城山公園の前のエフマでご飯をさっさと済ませ、城山公園を探訪してみました。

 今日は昼休みの1時間を使ってその日のレポートをアップしようと思います。

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 城山公園遠景。



 少し古ぼけた案内図がありますね。



 案内図の中にはどこにも歴史関係の記述はありませんが、ひとまず登ってみましょう。



 お、何か現代風の櫓のようなものが見えてきましたね。



 これはあきらかに戦国期のものには見えません。



 この櫓は「ファインタワー」というそうで、完全なる鏡面仕上げの説明板にスペックが記載されています。



 でも残念ながら登ることはできません。

 ファインタワーの麓からの眺望。



 この公園は普通の山ですね。



 尾根はウネウネと続いているようです。



 遺構はあるはずもないと思いますが、少し散策してみましょう。



 斜面を見下ろすと、人工的な平場があったり、竪堀のように見えるものもあったりしますが、これは城マニア独特の城が好きになるとなんでも遺構に見えるという症状を発症しているからに他なりません。



 今日は朝から時折雪が舞う感じで、気温もかなり低めなのです。

 鼻水を垂らしながら公園内を歩いていると、かろうじて犬の散歩をしている人とすれ違いました。



 まあ、何もなくて当たり前ですね。



 これは何でしょうか?



 製作した方には申し訳ありませんが、もはや何か分からなくなっています。

 入口の階段まで戻ってきました。



 まあ、なんとなく気が済んだので良しとしましょう。

 ちなみに最初に「城山公園」と紹介しましたが、この辺りには中世の大丸(おおまる)城がありました。

 現在は完全に破壊されて跡形もないのですが、多摩丘陵にはこのように破壊された城が沢山あったはずです。

 おそらくその多くは、多摩ニュータウンなどの建設によって人知れず破壊されていったのだと思います。

 ただ今でも多摩丘陵には高幡城、百草城、平山城などの中世城郭が残っており、私たちの東国を歩く会でもすでに歩いた城がありますし、今年歩こうと思っている城があります。

 興味がある方はこのブログで告知した時にどうぞ参加表明をくださいね。

 では、午後の現場へ向かいます。

 ※大丸城の説明板は別の場所にあるようなので今度見てきます

 追記:2月16日に写真撮ってきました!



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 午後の現場は福生市ですが、新奥多摩街道を福生方面へ向けて走らせていると、ふいに昭島市役所に寄りたくなりました。

 というのも、歴史に対する私の興味はもはや人類以外にも向いてしまって、昨年からは人類が日本列島に住み着く前に住民だった古代のゾウとかクジラとかそういった生物にまで関心が行ってしまっているのです。

 昨年、八王子の近畿日本ツーリストで八王子の歴史について、原始時代から近世初頭まで3回にわたって「通史」という形で話したのですが、その中の第1回目で、「八王子は昔海だったか?」という話をして、そのときの調査段階でゾウさんやクジラさんに興味がわいてしまいました。

 その時、昭島市役所のロビーには「アキシマクジラ」の化石が展示してあると話したのですが、正直話しますと、自身の目で確かめないまま話してしまったのです。

 なのでずっとそれが気がかりで、今日は急にそれを思い出して行ってみようと思ったわけです。

 はい、到着!



 中に入ってロビーを見渡すと、一角に何やらそれ風な展示コーナーがありました。

 総合受付のお姉さんに写真を撮影して良いか尋ねると、来庁している方が写らなければOKということです。

 さーて、アキシマクジラは見れるかなあ?



 満面の笑みを浮かべてショーケースに汗ばんだ額をくっつけ中を見ます。

 すると・・・



 えーーっ!!

 今は群馬県の方に行ってて展示していないんですね・・・

 昨年、私は講座で嘘を話してしまいました。

 皆さん、本当にゴメンナサイ!

 さて、気を取り直して展示を見てみることにします。



 あ、でもアケボノゾウの足の化石があって、これはこれで嬉しいじゃない。



 クジラさんには会えませんでしたが、ゾウさんに会えて留飲を下げました。



 「発掘調査報告書発売中!」みたいなことが書いてあるのですが、どこで買えるか書いていません。

 この辺がお役所らしいですね。

 さきほどの受付のお姉さんに尋ねると、2階の社会福祉課で売っているそうです。

 一筆、展示のところにそう書いておけばいいのにね。

 どこに売っているか尋ねることができない内気な少年に対するフォローは考慮されていないようです。

 2階にダッシュし、350円で『アケボノゾウ足跡化石の発掘調査報告書』を購入。



 これがなかなか良い内容ですよ。

 巻頭はカラーで多くのページが割かれているし、アキシマクジラについての記述もあります。

 なので、ゾウさんやクジラさんに興味がある方にはぜひお薦めします!

 しかし、それにしても「多摩川足跡化石調査団」気になる・・・

 おっと、現場へ急ごう。

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 今日も一日のお仕事が終了。

 帰宅しようと思いますが、お昼に上述の調査報告書を買ったため、財布の中にバス代を払うほどのお金が残っていません。

 SUICAも残額僅少で支払えません。

 なので駅まで歩きまーす。

 まあ、25分くらいなので大したことないです。

 あ、でも仕事で疲れているときは25分歩くのは大変ですよ。

 江戸期の甲州街道から稲城へ向かう稲城道を歩き、豊田駅まで向かっていると、「まつり塚」という塚の説明板が立っていたことを思い出しました。



 今この看板の向こうは富士電機の敷地内なので確かめられず、外からのぞいても良く分かりません。



 ここの交差点、左へ行くと豊田駅ですが、右へ行くと(直進すると)平山橋を越えて、現在の川崎街道へ出ます。



 まつり塚についての情報は上の説明板以外分からないです。

 この近所には「泉塚」という交差点があるので、それも以前から気になっているのですが、まだ真相は不明です。

 ちなみに、民俗学者の柳田國男は、一時期「十三塚」にハマって、しょっちゅう「十三塚、十三塚」と言っていたため、考古学者たちから「十三塚男」と呼ばれていたそうですが、柳田の気持ちは私も良く分かります。

 塚って本当に魅力的ですよね!

 3世紀から7世紀の高塚古墳はその最たるもので、それ以前の墳丘墓や方形周溝墓もいいし、今の私は江戸期の一里塚にも異様に興奮します。

 一里塚は江戸期に造られ始めたと一般的には思われているようですが、どうやらそれ以前の戦国期に各地の大名によって同じようなものが作られていたのではないかと、私は睨んでいます。

 それと、私の興味はまだそれほどでもないですが、江戸期の富士塚は結構マニアが多いですね。

 お財布の中は相変わらず寂しいけど、歴史と触れ合うことによって脳内と心の中はこうやって日々満たされ続けています。
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清瀬市郷土博物館◆下里本邑遺跡◆鈴木遺跡

2017-01-24 21:44:45 | 歴史探訪
 先日の土曜日は、新宿のクラブツーリズム本社にて、「さかのぼって学ぼう 東北の古代史・中世史」という全12回の講座の第1回目として「豊臣秀吉の天下統一と東北の戦国領主」をお話ししました。



 8名様のご参加、ありがとうございました!



 東北地方と一言で言ってもかなり広大なので、そのすべての戦国領主について話すことはできず、どうしても私のもっとも得意な範囲(地域)に絞って話すことになったため、参加された方によってはあまり興味がない内容だったかもしれません。

 しかも範囲を絞っても、なおも沢山の氏族の名前が出るため、それを上手に整理して話すことができたか心もとないです。

 感想等がございましたら、ぜひ私まだお知らせください。

 また、次回の2月18日は、東北の城館跡についてお話ししますので、よろしければまたお越しください。



 さて、今年になっても相変わらずバタバタしており、今週の土曜日には別居中の妻を高尾幕府に迎え入れることになっており、その準備も佳境に入り、殺人的変態的スケジュールもさらにエスカレートしてきました。

 しかしそれでも、仕事の昼休みを使って史跡を訪れたりして、歴史活動にはできる限り時間を割いています。

 フェイスブックの方では適宜レポートしていますが、先週もいろいろと発見がありましたのでこちらでも最近の成果をレポートしたいと思います。

 【1月19日(木)】

 私のお掃除の仕事は多摩地域全域が活動範囲なんですが、その中の自治体で最も遠い雰囲気を醸し出しているのが清瀬市です。

 清瀬市の仕事は本当にごくまれにいただくのですが、この日の午後は清瀬市のお客様のところにお見積りに伺うことになっていました。

 昼休みにご飯を食べながら何となくこれから向かう清瀬の地図を見ていると、「清瀬市博物館」と書かれているのを発見し、これはゆっくりご飯なんか食べている場合ではないと思い、急きょ大事な昼休みの1時間を有効に使うべく、午後のお客さんのお家へ向かう途中にある清瀬市郷土博物館へ急行しました。

 お、清瀬市の案内図だ!



 あまり土地勘がないからピンとこないけど、探せばいろいろありそうだな。



 清瀬市郷土博物館は清瀬市民文化センターと同じ建物のようですね。



 中に入ると、とくに受付のようなものはありません。

 入館無料のようです。

 展示コーナーは、原始時代から江戸時代までと近代の二つに分かれています。

 まずは、原始時代から江戸時代まで!

 

 順路は江戸時代から始まってどんどん時代を遡って行くようです。



 おおっ、こういう地図大好き!





 こちらは高札。





 府中駅の南口にも同じような掲示板(?)の跡がありますね。



 この写真を見ると、高札の前に立った人は高札の字は小さくて読めないような気がしますが、一応、お役人さんが市民に言い聞かせたということです。

 江戸時代は一般庶民の御伊勢参りも盛んに行われました。



 室町時代の鏡と天目茶碗。



 中世コーナー。



 文明10年(1478)造立の板碑。



 清瀬には板碑が多く見つかっているようで、解説にも力が入っています。





 中世の村の説明。



 そして清瀬市と言えば、戦国ファンにとっては「清戸三番衆」じゃないでしょうか。

 清戸三番衆着到状!



 レプリカですが、こんなに長い巻物だったんですねえ。



 つづいて古代コーナー。

 こういう地図は堪りません・・・



 下宿内山遺跡から豪族居館跡が見つかっているそうです。



 はい、時代はどんどん遡って行きますよ。

 縄文時代!



 勝坂式土器ですね。



 石棒もあるよ!



 先端部分だけかな?

 おっ!この機械はいいねえ。



 初期の頃のコンピューターグラフィックスの動画が見れるのですが、ズバリ、東京の地形の成り立ちを分かりやすく説明してくれます。



 これはじっくり時間をかけて見たいですが、あまり時間を使えなので、もう一つの展示コーナーへ行ってみます。



 清瀬市域も養蚕が盛んだったようですね。



 グルッと一回りして廊下に出ると、先ほどは気付かなかったのですが、地層に関する展示があるじゃないですか。



 いいねえ・・・



 おっと、そろそろ行かないと!


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 お見積りを終えたらお店まで戻ります。

 少し走らせていると、左手に「○×遺跡」と書かれた看板が一瞬目に入りました。

 すぐに車を通行の邪魔にならない場所で止めて、急いで確認しに行きます。

 お、看板!



 へー、この辺りは下里本邑遺跡だったんですね。





 道路から見えたのはこの看板だ!









 いやー、こういう偶然の出会いっていいですね。


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 新小金井街道を甲州街道へ向けて走らせていると、鈴木小学校のフェンスに鈴木遺跡の説明板発見!

 写真に押さえなければ!



 ここは何回も通っているはずですが、説明板は初めて気付きました。



 鈴木遺跡は鈴木小学校を建設するにあたり発掘調査がなされ、都内はおろか全国でも屈指の旧石器時代遺跡であることが分かりました。

 鈴木小学校から新小金井街道を挟んだ反対には鈴木遺跡資料館があるのですが、やっているのが土日と水曜日だけで、今の職場に入ってここ3年以上の間、もしお昼に行けるチャンスがあれば行こうと思っているものの、いまだそのチャンスに恵まれません。

 以前、多摩センターにある東京都埋蔵文化財センターの方と話していて、当時私はまだ旧石器はきちんと見たことがなかったでの、どこの博物館がお勧めか尋ねたところ、明大の博物館と鈴木遺跡資料室を勧められたため、それ以来ずっと気になっています。

 その後、明大の博物館へは何度か行っているのですが、こちらはまだなので見てみたいですねえ。

 はい、それではお店へ向かいます。
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【東国を歩く会】2017年新年会【町田市三輪南遺跡探訪】

2017-01-12 10:10:07 | 歴史探訪
 昨日、午前中の現場を終えてその近所のコンビニでランチをしたあとに、午後の現場へ移動するルートを考えていると、以前通ったことがある道に確か遺跡と書かれた看板が建っている場所があったことを思い出しました。

 せっかくなので寄ってみよう!

 確かこの辺の公園みたいになっているところに建っていたよなあと思いながら運転していると・・・

 あった!

 数分間の探訪になると思うので邪魔にならない場所に車を止め、急いで探訪です。



 公園に入ってまっさきに飛び込んできたのが説明板です。



 おーーっ、古代の窯跡だったのね!



 住居跡もあります。



 道路から見えたのはこの説明板でした。



 三輪南遺跡っていうんですね。

 仕事の移動途中でも常に神経をとがらせて史跡がないかアンテナを張っているので、こういった看板が建っているのを見逃さないのです。



 三輪南遺跡は奈良・平安時代の遺跡で、住居跡のほか、上述した通り瓦を焼いた窯跡が見つかっています。



 ここで焼いた瓦は岡上廃寺という奈良時代の寺院に使われたと想定されているそうです。

 普通の集落跡の遺跡ではなく、窯跡という希少価値のある遺跡に出会えていつもよりも気分が上がりましたよ。 

 ちなみにここ町田市三輪町という場所は、江戸期は多摩郡三輪村だったのですが、都筑郡に大きく食い込んでいる地域なのです。

 西隣の岡上村は都筑郡でした。

 さて、話は変わりますが、先日の1月8日(日)は、東国を歩く会の「第8回 歩く日」が開催される予定でした。

 ところがです。

 雨のために延期になってしまいました!

 しかし、歩くのは天候に左右されても仕方がないですが、飲むことはできる!

 ということで、たかお食堂での新年会は無事執り行うことができました。

 今回は、フェイスブックでふみちゃん経由で友達になった遠藤さんが初参加です。

 今回の日本酒ラインナップ!



 銘酒が揃いましたよ!

 古河に居る探題の義父から頂いてきた酒やS源寺さんとヒラさんが持ってきてくれた酒です。

 ※なお、ここには写っていませんが、あゆみちゃんが白ワインをカバンからそっと差し出しました。



 昨年の今頃、「第1回 歩く日」を実施し、その時は午前中に津久井城に登った後、高尾まで歩いてきて、たかお食堂の秘密の部屋で打上げをやりましたが、今日は通常フロアでの開催です。



 遠藤さんが非常にご機嫌な私を撮影してくれました。



 でも実はもうこの時点で記憶がないんです。

 泥酔しました。

 日本酒が美味しかったのと、この仲間で飲むと最高に楽しいので、ついつい日本酒を飲み過ぎてしまったようです。 



 しかも、当然最初はビールを飲んでますし、ワインも飲み、かつ日本酒が無くなった後は上の写真によると、黒霧島(芋焼酎)を美味しそうに飲んでいる様子が伺えます。

 これじゃあ、どうなっても保証はありません。

 もちろん、探題がいたために油断したというのも原因の一つです。

 というわけで、本日の参加者!

 ・S源寺さん
 ・ヒラさん
 ・岸本さん
 ・あゆみちゃん
 ・遠藤さん
 ・探題
 ・ヤマセミさん
 ・稲用

 以上、8名!

 東国を歩く会の名うての酒豪が集まっております(私を除く)。

 後半私は、たまたま居合わせた常連のO野さんと飲んだりもしました。

 22時に終わった後、探題に介護されつつ高井戸探題まで帰りましたが、その間、ほぼ記憶がなく、覚えているのは探題の最寄駅を降りて、千鳥足で歩いている自分の足元の映像です。

 翌日探題から聴いたところでは、あまりにもフラフラしているのでタクシーを呼ぼうと思ったほどだったそうです。

 そして探題が今まで見た千鳥足のなかではトップクラスの足取りだったということで、探題には心配をかけてゴメンね。

 まあでも、無事に帰れて良かった。

 で、気付いたのは26時半で、マンションの玄関付近にダウンを着たまま伸びていました。

 でも探題の優しいところは、伸びている私にヒーターを当ててくれていたところです。

 そして翌日は何と12時まで起きれないという、前代未聞の酔い様でした。

 というわけで、参加してくださった皆さん、そしてたかお食堂のマスターとママ、どうもありがとうございました!

 次回の歩く日は、2月12日(日)に開催しますのでよろしくお願いします!

 あと、前日に参加表明をしてくださった村越さんもどうもありがとうございました!

 今回は天候不良のために中止となりましたが、またタイミングがあえば来てくださいね。




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【2016年最後の歴史めぐり】古河公方館&東京タワー【茨城県古河市&東京都港区】

2017-01-07 13:09:13 | 歴史探訪
 今年も早いものでもう1月7日ですね。

 なのに、まだグダグダと昨年の出来事をブログに書こうとしているわけですから、過ぎ去った過去に未練タラタラな心境が看取できるわけです。

 あ、今打ち込んで気付いたのですが、「過ぎ去った過去」という字面は、見た目も悪いし意味的にも重複甚だしい、カッコ悪い表記ですね。

 なるほど、駐車場から眺める限り、普通の公園ですね。

 ここは犬もOKみたいなので、ヴェリーをリードにつないで一緒に歩きます。

 何かあります。



 英語で書いてあるので読めませんが、ユネスコって書いてありますよ。

 裏を見ます。





 だそうよ。



 ヴェリーは老犬ということもあり探題は余り外に出しません。

 なので私は一緒にお散歩するのは初めてです。

 私の感覚では人間の場合も年を取っても外を歩いたほうが健康に良いわけなので、犬もそうじゃないかと思うのですが、ヴェリーはだいぶ身体が弱っていることもあり、あまり歩かせない方が良いということです。

 ヴェリーは久しぶりの散歩が嬉しいのか、快調に小走ります。



 でもすぐに疲れるようで、トボトボ歩きになってしまいます。

 そうなったときは抱っこしますよ。

 さて、まずはこの公園の全体像を知りたいので、案内板を探しましょう。

 おや?



 おぉー、古河公方館跡って書いてあるーーーーっ!!

 やっぱりこの公園には何かあるんだ。

 広い駐車場を抜けて、ようやく案内板を発見。



 いろいろあるようですね。

 お花の時期はこれでチェックだ!



 もう一つ案内板発見。



 いくつか歴史スポットがありますが、今日は私のソロプレイではなく、家族同伴ということで場所を絞って、古河公方館のみを訪れることにします。

 途中から未舗装になったので、ヴェリーを抱っこ。

 お、視界が開けた。



 探題とヴェリーはベンチで休んでいるそうなので、チョロッと見てきます。

 古民家がありますね。





 でも今日は開いていません。

 さらに進むと・・・

 みーっけた!



 「史蹟古河公方館址」の石柱もありますねー。

 これ空堀じゃない?



 興奮が高まります。

 説明板を読みましょう。





 ※読みづらくてスミマセン!

 私は普段、関東の戦国時代を語るうえで外せない古河公方について話していますが、実は細かいことまで知らないのです。

 成氏が鎌倉を出た後ここに2年間いたということは初めて知りましたが、こうやって知らないことを知るって最高に楽しいですね。

 さらに奥に行けばまだ何かあるかもしれません。



 でも今日はここで引き上げです。



 向こうのベンチでは探題とヴェリーが待っています。



 ヴェリーはずっとこちらを見ていますが、探題はスマホを見てますね。



 ヴェリーちゃん、品が良いねえ。

 では帰るとしましょうか。

 お、立派な木ですね。





 さて、図らずも予想外の史跡を訪れることができて私はとてもご満悦ですが、探題は「ふーん」という感じです。

 まあでも、ここまで付き合ってくれるだけでも嬉しいことですね。

 しかも今日は、ヴェリーとは初の歴史探訪だよ。

 ヴェリーは”推定歴女”だからきっと喜んでくれているはず!

 雷電號に乗り込み、東京を目指します。

 ひとまず高井戸探題に着到しましたが、今日は大晦日で多分都心は道路が空いているだろうと予測し、普段は都心のドライヴなんてしませんから、せっかくのこの機会に都心まで雷電號を飛ばしてみることにします。

 ナヴィに設定した場所は、探題が大好きな東京タワーです。

 予想通り道は空いていて、スルスルと東京タワーの下まで来ました。

 久しぶりに東京タワーを真下から見上げますが、こんなに大きかったっけ?



 私は「スカートをはいて足を広げた女性を下から見上げているようだねえ」と、率直な感想を述べた後に「あ、また変態呼ばわりされる」と思いましたが、私は心根が素直ですから、美しい表現にこだわっているのです。

 最初は周りから眺めて帰ろうと思っていたのですが、せっかく来たので上に登ってみましょう。

 実は白状しますと、私は東京タワーに登ったことがないのです。

 近くにあるのでいつでも行けると思っているのですが、意外と行かないですねー。

 探題と出掛けると初体験のことが良くあるのですが、東京タワーも初体験です。

 今日は一番上の特別展望台が工事中と言うことで、大展望台まで上がります。

 おーっ、夜景が綺麗だねー。

 私は夜景好きなのです。

 そしてこの暗い中、必死に目をこらして眼下にあるであろう、芝丸山古墳を見ようとします。



 見えない・・・

 ※探題があとで、場所をマーキングした写真を送ってくれました。

 おや、東京タワーには神社があるんですね。







 ところで、ここから下を見ると、下を走っている車が意外と大きく見えます。

 そんなに高くないなあ。

 昔、小学生のころに父にサンシャイン60の60階に連れて行ってもらったことがあったのですが、そのときの印象ではもっと車は小さかったと思います。

 ※帰宅後調べてみたら、大展望台は比高120m(海抜150m)で、サンシャイン60の展望台は比高226.3m(海抜269.8m)ということで、全然高さが違いました。

 職業柄、この窓を拭くのは大変だろうなあと思いますが、そもそも私はぶら下がりつつビルの外窓を拭くのはやったことがないので、想像もつかない仕事内容です。

 そしてここでも探題はソフトクリームを食べてご満悦。

 都心の夜景を堪能したので下に降ります。

 トイレに行くと、何と洗面台にジェットタオルがビルトインされてるじゃないですか!

 たまたま誰もいなかったので激写。



 ところが、シャッター音がしたと同時に若者が入ってきたので、私はいかにも怪しい人のように、目線を下にしながら小走りで退去。

 エントランスには正月飾りもあります。



 あ、走ってきた走ってきた。

 さて、帰ろう。
 
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生涯初の茨城県歴史歩きは古河市の古河城でしたよ!

2017-01-03 16:48:52 | 歴史探訪
 2016年お掃除最終日の前日(28日)は、7時45分から26時半まで拘束で、休憩は1時間でした。

 掃除しまくり。

 私はIT業界に長くいたせいか、長時間労働をそれほど悪いことだと思っていない一種の変態です。

 例えば、プログラマーという職種は、入社後ある程度長時間働かないと仕事ができるようになるまで時間がかかり過ぎます。

 もちろん、本人のセンスに負うことの多い職種ですが、センスが多少なくてもそれは努力でカヴァーできるのです。

 ですから、その人が自分の道を選んだら、一人前になるまでの最低3年間は死ぬ気で働くのは当然のことだと思っています。

 ただし、これが万人に当てはまるわけではないことも充分に理解しています。

 人によって体力や精神力の差がどうしてもありますから、その辺は上司や仲間がよく理解してあげるべきですね。

 どうも日本人は、「皆同じであるのが良い」という考えが古来からありますから、結局は長時間労働が悪なのでなく、日本人固有の「みんな一緒でみんないい」というものの考え方が諸悪の根源なのではないかと思います。

 野郎ども、もっと欧米化しようぜ!

 それと、自分でいくら強靭だと思っていても、やはり長時間労働をずっと続けていると身体や精神に何かしらの異常をきたすことが多いようなので、皆さんも自身の体力や精神力を過信するのは気を付けた方が良いですね。

 あれ?何の話でしたっけ?

 正月ボケで意識が朦朧としていますが、何とか気を確かにして述べますと、翌日29日の仕事納めの日は出社の道すがら、2016年最後のラーメンを食べるべく大和家八王子店に行きました。



 2015年はラーメン・つけ麺を300杯食べましたが、2016年は100杯も行っていない体たらくです。

 前年比33%以下ですか。

 でも、ラーメンでもなんでもそうですが、たまに食べると凄まじく美味しいですね!

 八王子に来たついでに、近畿日本ツーリスト八王子営業所にお伺いしてM井さんにご挨拶しようと思い店に入ったところ、所長さんに「今日から休みを取っています」と言われてしまいました。

 M井さんからは、「いつでも顔を見せてくださいね」と言われていますが、その甘い言葉に乗ってしまうと完全にストーカーとしてマークされ、「講師なのに出禁」という奇妙な事態になると思うので、仕事の時以外では滅多に来ることはないのですが、たまーに来ると、なぜか不在が多いのです。

 なのでご挨拶はメールでするとして、バスに乗って出社し、今年最後の現場をチョロッとやって帰社、事務所で早々に帰る気配を撒き散らしていると、I井さんが「稲用さん、もう帰るよね?」と聴いてきたので、「とっとと帰ります」と答えると、I井さんが事務所の外へ走って行きました。

 私の職場も仕事納めの日の夕方は納会とまではいかないまでも、若干の飲食物が従業員に供されます。

 I井さんはそれ用の寿司を1パック持ってきてくれたのです。



 さすがI井さん、気が利きますねえ!

 こういう人がいらっしゃるから我々現場の人間が安心して仕事ができるのです。

 一年間、ありがとうございました!

*          *          *


 明けて30日(金)。

 しかしながら、超寒い。

 気温もそれほど高くないですし、風も冷たく、内心「高尾より寒いかも」と思いました。

 それでも探題は健気に一緒に歩いてくれます。

 ちなみに、彼女はとくに歴史が好きというわけではないですよ。

 今日はまったく予備調査なしで来たので、まずは現在地が分かるものを探します。

 これは何でしょう?



 へー、篆刻美術館だって。

 マニアックだねえ。

 篆刻美術館の前の道は古い街道かもしれないね。

 左を見まーす。



 右を見まーす。



 古河ってレンガが好きなのかな?



 歴史散策マップのような看板があれば助かりますので、歴史博物館へ向かいます。

 石畳の路地を歩きます。



 おっと、歴史案内っぽい看板発見!



 地図も載ってますぞ!



 古河って意外と「館系」(博物館とか美術館とか)が多いね。

 永井路子が子供のころに住んだ家もあるよ。

 では、完全な住宅街と化したような古河城跡に遺構を探すべく、歴史博物館を目指します。

 おっと、今度は古河文学館。



 そしてすぐ南には、これ堀跡でしょう?と思われる窪みが・・・



 往時の堀跡に間違いありません。



 だいぶデコレーションされているけど遺構発見!



 ところで、探題は私がカメラを構えているのを見つけると、遠くから走って近づいてきて必死に画面に収まろうと努力することがあります。

 一応、機を見て跳躍はするのですが、身長の都合上、だいたいこんな風に写り込むことが多いです。



 こういった半ば心霊写真のようなものは結構枚数が溜まってきているので、いずれは写真集にして探題にプレゼントしようかと思っています。



 鷹見泉石博物館は休館!



 歴史博物館ももちろん休館!



 やっていれば館内で資料を入手することができるはずですが、看板を参考にしながら気になるスポットへ行ってみましょう。

 私は地図上にある「子ノ権現神社」が気になります。

 おっと、猫ちん!



 ダメだ、撮れない。

 で、「子ノ権現神社」。



 本殿の脇にはまるでアラハバキのようにワラジが奉納されています。



 正面に回り込みます。



 拝殿は普通の家みたいですね。



 名前が気になる神社ですが、由緒書きもないので詳細は不明です。

 私が神武號で調べ、西側に行くと何かありそうだなあと思っていると、どうやらその様子を探題に盗撮されていたようです。



 我々夫婦は結構お互いを盗撮することが多く、先日も私は非常に恥ずかしい写真を撮影されて、何かあると探題に「ネット上にばらまいて良いのか?」と脅される始末です。

 でも私も探題の恥ずかしい写真はきちんと押さえているので、それが抑止力の効果にもなっているわけです。

 さて、それはそうとして、長谷観音に来ました。



 まったく予備知識がないため「日本三大長谷観音」と染められた幟を見て感心します。

 境内の参道にはたくさんの出店がスタンバイしていますね。

 今日の夜から営業かな?



 ここも由緒書きがないので良く分かりません。

 長谷観音を出ると、またもや歴史案内板があり、これを見るとまだまだ古河城の遺構が残っている場所があるようです。

 よし、それを探そう!

 寒風吹きすさぶ中40分も歩いていますが、探題は健気に歩いています。

 おーっ、前方に何やらありそうな林が見えます。



 おや?これは土塁じゃないか?



 回り込むと確かに土塁です!



 しかも向こう側には水を湛えた堀までありました。



 いえーーーーいっ!

 ここには詳細な説明板がありますよ!



 でもだいぶ薄くなってる・・・

 一部分拡大。



 もう一枚!



 古写真を載せたりしてかなり良い内容なので作りなおしてもらえないかな・・・

 はい、拡大。



 いやー、これが残っているだけで私はとても嬉しいですぞ。



 と、感動ひとしおの私を見ている探題は、果たして遺構に焼きもちを焼くのでしょうか。

 向かいのお宅の門が立派だなあと思ったら、「御成御門」でした。



 それではさらに遺構を探しましょう。

 国道354号線を越えて旧道らしき道が続いています。



 国道方面を振り返る。



 何か、良い感じの道ですよー。



 これは今の国道354号線の前身の道じゃないでしょうか。

 東国を歩く会のメンバーが喜びそうだなあと思っていると、「史蹟古河城桜門址」の石柱を発見!



 そして次は馬頭観音!



 ヤマセミさんと歩くようになってから馬頭観音が気になって仕方がなくなりました。



 やっぱりこの道は歴史のある道だったんですね。

 またもや馬頭観音。



 でもちょっと向いている方向が変ですね。



 往時は街道に向かっていたはずです。



 はい、県道に出ました。



 頼政神社を探します。

 ここが入口ですね。



 参道に入ってすぐに右側がこんもりとしているのが分かります。



 自然の地形だとは思いますが、ここだけ小さな山があるのはちょっと不自然ですね。







 おーっ、ここのに掲示されている図が実は一番良かったりして。



 探題はこの神社の雰囲気が気に入ったようでご機嫌です。





 神社に登って周囲を観察すると、本当にここだけ小さな独立丘阜になっていますね。



 反対方向に降りてみます。

 麓にも違う神社が。







 そしてここにも馬頭観音!



 いいねえ。

 向こうにも何かあります。



 こちらは渡良瀬川関連の記念碑のようですね。



 せっかくなので渡良瀬川の土手に上がってみます。

 ところがです。

 土手からはすぐに川は見えず、ゴルフ場が展開していました。

 上流方向の遠くに見える山容が特徴的ですね。



 下流方向には国道354号線に架かる三国橋が見えます。



 土手から先ほどの頼政神社を見ます。



 もう1時間半くらい歩いていますが、寒くてたまらないためこの辺で古河駅方面に向かうことにします。

 日光街道との交差点。





 探題が通っていたという喫茶店「Ocha-Nova」に寄って休憩しましょう。



 すごい、ほぼ満席。

 中は古民家風で私もこういう店は好きです。

 温かい豆乳ラテを飲んで生き返りました。



 16時半、古河駅まで戻り、義母の車にピッキングされて家に戻りました。
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東京都昭島市の歴史3連発!昭島の歴史も面白いよ

2017-01-03 12:02:30 | 歴史探訪
 あっという間に2016年が過ぎ去り、気が付けばすでに2017年1月3日になっていました。

 皆さん、明けましておめでとうございます。

 さて早速ですが、お知らせが2点あります。

 まず一つ目として、「東国を歩く会」の「第8回 歩く日」を1月8日(日)に開催します。

 京王線高幡不動駅に9時集合の予定です。

 歩く場所は、高幡不動をスタートに、その裏山の高幡城に登り、ついで百草城、聖蹟桜ヶ丘駅近くの小野神社、そして関戸城などを予定しています。

 山城をいくつか歩きますが、そんなにハードな山城ではないのでハイキング程度の気分でご参加いただけばOKです。

 そして「懇親会」は、たかお食堂です!

 通常フロアにてやりますよ。

 参加者は直前まで募集しますので、気になった方は私かヤマセミさんまで何らかの手段を講じてご連絡ください。

 背後から近づいて耳元でそっと囁いていただいても結構ですし、夢枕に立っていただいても構いません。

 詳細は後日またご連絡します。

 もちろん、懇親会のみの参加も大歓迎です!

 これを機にたかお食堂に来てみたい方はどうぞご参加ください。

*          *          *


 今年のお掃除も残すところ3日となった12月27日(火)、現場間の移動途中に、昭島市大神に残る五日市鉄道(五鉄)の形跡を見てみました。

 新奥多摩街道は今の会社に入ってから3年以上、しょっちゅう走っており、以前から線路の終端が道路端にポツンと展示してあることは知っていました。

 しかし車を停めて確認する行為に及ぶことは今までなく、ようやくそれを実行してしまったのです。

 こちらが問題の物体。



 でも、説明板などは一つもありません。



 ポイント切り替え機の方は、「株式会社服部製作所」と書いてあります。



 この新奥多摩街道から分岐する道は「五鉄通り」って呼ぶんですね。





 反対方向を見ます。



 新奥多摩街道を横切って西の方向に道路が伸びていますが(画面中央やや右から奥へ向かっている細い道)、五鉄の線路跡ですね。

 その先は多摩川の砂利運搬のために河原へ向けて分岐した方の線路跡がそのまま道路になっているようです。

 なお、五日市鉄道は、立川とあきる野・日の出町方面を結ぶために1922年に設立され、25年に一部開業した鉄道会社で、大東亜戦争中の1940年に南武鉄道(現・JR南武線)と合併して消滅しました。

 しかしそれにしても、スペース的には余裕があるのですから、説明板の一つくらいは設置した方が良いと思うのは私だけではないでしょう。

 つづいて、もう少し立川方面に走り、墓地の隅っこにあるこちらのお堂を訪ねました。



 この古ぼけたお堂が実はこの辺りの歴史を知る上では重要なお堂なのです。



 というか、重要というより、ロマンを秘めているんですよ。

 このお堂については歴史はこちらを!



 まあ、お読みいただければそれで終わりなのですが、一応、郷土史研究家としての側面も持つ掃除のおっさんが少し補足します。

 現在、大神3丁目にある観音寺は大上山薬王院と号する天台宗のお寺で、高月の円通寺の末ですが、ここの墓地はその観音寺の墓地です。

 観音寺は元々は東勝寺と称し、この場所にあったらしいのですが、永禄12年(1569)に武田信玄が小田原城遠征の途中、滝山城を攻める際に兵火にかかって焼失してしまいました。

 その後、上の説明板にも書かれている通り、尼僧がこの場所に東勝庵という庵を結び、慶長8年(1603)には徳川家康の庇護を受け、観音寺として現在の観音寺の場所に再興しました。

 一方、東勝庵もこの地蔵堂としてその形跡を留めているというわけです。

 東勝寺の創建年代に関しては、『昭島市史』によると、東勝庵の境内から文明年間(1469~86)などの板碑が発見されているそうなのでその時代までは遡れそうです。

 また、『新編武蔵風土記稿』によれば、この近辺に「浄土」という小名があり、そこにはかつて浄土寺という天台宗のお寺があったと伝わっており、その近辺からは貞治元年(1362)や永和4年(1378)などの板碑が数十基発見されていることから、南北朝時代末にはこの近辺には人が多く住んでいたのかもしれません。

 すぐ東側の宮沢の阿弥陀寺も南北朝時代の創建と伝わっています(当初の寺地はもう少し東側です)。

 ところで、なぜ私がこの地蔵堂に惹かれるのかというと、以下に述べる歴史背景があるからです。

 おそらく現代の人はこの土地が戦略上の要地であることは想像つかないと思いますが、戦国時代、小田原から北上した道は、現在の八王子市街地に入り、大横町の大義寺南西の交差点を直進し、暁橋を渡って宇津木の龍光寺の近くを通り、そこから「平の渡し」で多摩川を渡っていました。

 このルートを八王子以北では「古川越道」と呼び、その名の通り、多摩川を渡った後は一路川越へ向かっていたのですが、八王子から平の渡しを渡り段丘に上がった先がちょうどこの場所になります。



 (↑クリックすると別ウィンドウで拡大表示されます。)

 昭島市内に入った古川越道は、この東勝寺跡地で右(東)に折れ、阿弥陀寺の横を通って北上して行ったようです(一方で、東勝寺跡地を西に行くルートもあったと思います)。

 ですので、東勝寺というのは、幹線道路のT字路の部分に当たる戦略上非常に重要な場所に建てられたお寺で、お寺というのは場合によっては軍事用の砦になることもあるので、この場所に立つと戦国時代へとイメージが飛躍するわけです。

 ちなみに、上述した古川越道は龍光寺より北は現在の都道162号線となっているのですが、面白いことに多摩川には橋が架かっておらず道が分断されているのにもかかわらず、渡った先も都道162号線として繋がっているのです。

 でも、上の明治の地形図だと多摩川の上に道が描かれていますね。

 おそらく、昔は普段は歩いて渡ることができたのでしょう。

 あと、昭島市の歴史を紹介したついでにもう一点オマケ。

 こちらは11月14日に訪れたお客さんの家の近くにあった御地蔵さんです。





 こちらは「新」ではなく普通の奥多摩街道沿いにあるのですが、面白いのはここから道が90度曲がっていることです。



 (↑クリックすると別ウィンドウで拡大表示されます。)

 明治の地形図を見て思うに、この屈曲は地形には制約されていないので、完全に意図的に作ったものと思われます。

 その時代についてはまだきちんと調べていないので分かりませんが、上の説明板にあるように、拝島宿を形成した際に町の西側のゲート部分としてこの屈曲を故意に作ったのではないでしょうか。

 昭島の歴史について詳しい方がおられましたら、ぜひご教示くださいませ。

 あ、もっと続きを書きたいのですが、ちょっとこの辺で一旦アップします。
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