日本史大戦略 Side-B 附 歴史を歩こう協会 ~日本各地の古代・中世史探訪~

『日本史大戦略』のB(Blog)面です。城・館・古墳・古道・官衙・国分寺・神社・寺院・民俗・エミシ・南部氏・後北条氏など

【ゼラチン日報】東京都瑞穂町指定旧跡「加藤塚跡地」をチラッと見学しました【疲れポンチ度MAX】

2015-11-21 20:49:50 | 歴史探訪
 ひやー、ようやく一週間が終わって明日は休みです。

 帰りの電車の中で力尽きそうになりましたが、何とか今日の夕飯と明日の食料を買い込み、フラフラしながら家にたどり着きました。

 疲れポンチ度MAX。

 でも頑張って今日もゼラチン日報を書きます。

 いやいや、全然頑張る必要は無いよ、という声が聞こえてきそうですが、記事を書きたいという欲望を満たすために渾身の力を込めてキーボードをパンチします。

 今日の午後に行った瑞穂町の現場は以前も行ったことがあって、以前行った時に現場から見える場所に、『新編武蔵風土記稿』「巻之百二十 多摩郡之三十二 箱根ケ崎村」に記されている加藤氏を祀った神社と加藤氏の塚があることに気づきました。

 しかしその時は見学する時間がなかったのですが、今日は作業途中の休憩時間に、他のメンバーが車の中で休んでいる間に走って行って写真を押さえてきました(タバコ休憩って凄く無駄な気がしますが、私は私で休憩をこういうふうに使えるので別に良いです)。

 これが武田氏の旧臣・加藤丹後守景忠を祀る加藤八幡宮です。



 加藤氏は現在の山梨県上野原市の土豪で、武田氏の傘下に入り、上野原は多摩地域とも近かったため多摩方面の作戦にも出動していました。

 説明板によると、景忠は天正10年(1582)に勝頼が滅亡した後、入間郡を目指して逃げてきたものの入間郡に入ることができず、4月11日、ここで自害して果てました。

 景忠が入間郡を目指した理由は、今はまだ調べがついていません。

 村民は景忠の霊を慰めるために、直径11メートル、高さ1.5メートルの塚を築いたのですが、近年の道路拡幅工事のため、塚自体が現在地に移転されました。

 現在では瑞穂町指定旧跡「加藤塚跡地」となっています。



 『新編武蔵風土記稿』では五輪塔は3基とあり、説明板では2基は『新編武蔵風土記稿』に記されている3基のうちの2基というようなニュアンスで書かれています。

 見た感じでは、一部分ずつですが3基分ありますから、江戸末期に3基あったうちの2基が残って、1基はそれ以降の造立ということでしょうか。

 『新編武蔵風土記稿』によると、景忠の妻を祀ったと伝わる「姫塚」もあったそうですが、現在はどうなっているか分かりません。

 上野原の加藤氏は結構以前から気にはなっているのですが、まだ手が回っていないのです。

 地理的には郡内の巨頭・小山田氏の傘下にいそうなのですが、武田氏の古文書を読むと、小山田氏とは別個の勢力として武田氏は認識していたようなのです。

 小山田氏の大月市と加藤氏の上野原市は現在でも別の自治体になっており、私が以前、旧相模湖町(現在の相模原市緑区相模湖町)の測量事務所で働いていたとき、所長の友人の測量士が上野原から手伝いに来ていたのですが、飲み会の時にその人が「上野原は相模湖の仲間だが、大月は敵地」みたいなことを言っていました。

 もしかしたら、中世以来の「別勢力」という認識が今でも地元の人たちに残っているのかも知れませんね。

 さて、もう眠いけど、歴史もやりたい!
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【本町田遺跡公園】給料日まであと5日あるのに所持金は299円【町田市立博物館】

2015-11-20 21:11:42 | 歴史探訪
 ここ数日、稲用さんブログ更新しないなあ、死んだかな?と期待されている方もおられるかも知れませんが、どうやらまだ、肉体の感覚があるのでこっち側にいるようです。

 いやー、今週も忙しい!

 多くのお父さんたちと同じく、忙しい!

 月曜は前回の記事の通り半ドンでしたが、火曜から今日まで過労です。

 明日行けばようやく日曜日は休みですが、完全休養日にするつもりです。

 もうクッタクタ。

 一部の方からは私は「エネルギーの塊みたいな元気な人」だと思われているようですが、そんなことはまったくなく、ただ言えるのは気だけは確かなので、「塊」とは言わなくても、「エネルギーのゼラチンみたいな人」と思われることに関してはやぶさかではありません。

 そういうゼラチンの今日の活動をご報告しますと、7時から病院の日常清掃をやった後、町田市内のお宅でエアコンを独りで5台やったのですが、4時間半で終わったので「掃除の仕事が遅い稲用さん」にしてはまあまあのタイムだったと思います。

 7時から15時まで休憩ほぼゼロでぶっ通したので、とりあえずお店に戻って1時間ゆっくりしようかなと思って車を走らせていたところ、ふと、前方に町田市立博物館を指し示す看板が見えました。

 もちろん以前から町田市立博物館の存在は知っていたのですが、まだ行ったことがありません。

 とっさにハンドルを切った私は、就業規則で定められている休憩の1時間を使おうと、駐車場に車をとめました。

 すると、博物館に隣接して、本町田遺跡公園というのがあります。

 おー、良いねえ。

 行ってみると、竪穴式住居が2棟復元されている公園でした。



 ここは、本町田遺跡という東京都指定史跡で、主として縄文時代前期と弥生時代中期の複合遺跡なんですが、面白いのは縄文時代の住居と弥生時代の住居がそれぞれ復元されており、構造の比較をすることができることです。

 まずは弥生時代。



 中身はこれ。



 といっても良く分からないと思いますが、つぎに縄文時代の住居。



 外観は弥生時代とクリソツですね。

 そして中身はこちら。



 こちらは自動的に照明も付きます。

 私の部屋よりも断然広い。

 ここでパーティーやりたいなあ。

 上の中身の画像を二つ見比べても違いがあまり分からないと思いますが、大きな違いは、縄文時代は栗の木などを伐採したら、加工せずに家の柱や梁として使っていたところ、弥生時代になると金属器が入ってきたので、木を加工することができるようになり、現在の住宅と同じように角材を建材にして家を建てていることです。

 これが大きな違いでしょうか。

 私もいずれこの家がぼろくなったら竪穴住居に建て替える予定です。

 そしてこの遺跡公園には、何と!ガイダンス施設もあるのです!



 すごーく小さな施設なんですが、施設の中には本町田遺跡から出土した土器などが展示され、無料で資料ももらえるので個人的にはこういう施設は大好きです。

 さて、次に町田市立博物館に行ってみましょう。



 建物の中に入ると、入館料が300円ということで、給料日前で困窮しているのにもかかわらず300円を支払って展示室に入りました。

 すると、能楽の面や着物などの展示をやっていました。



 職員の方がいたので、「常設展はどこですか?」と聴くと、驚いたことに、町田市立博物館では企画展のみをやっており、考古遺物などの常設展は無いということなのです。

 「ええ??興味がない”能”になけなしの300円を払っちゃったよ!」

 と思い、一瞬奈落の底に突き落とされた気分になりましたが、すぐに気を取り直して、「それじゃあせっかくだから、興味のない能の展示を楽しんでやろうじゃないか!」と思い定めました。

 能面や着物の面白ポイントを探すことにしたわけです。

 でですね、そもそも「能楽」というのは、江戸時代以降の呼称で、それまでは「猿楽」と呼ばれていました。

 元々は奈良時代に、中国から「散楽」というのが入ってきて、南北朝・室町時代に歴代の足利将軍がそれにはまっちゃって、猿楽が流行ったそうです。

 展示してある中で一番古い面は、14~15世紀の作で、それを見ながら「もしかしたら、足利義満とかもこれを見たのかなあ・・・」などと想いを馳せているうちに、何か能楽が面白くなってきました。

 ちなみに、能面を付けれるのは、「シテ」と呼ばれる主役のみなんですね。

 知らなかったなあ。

 さてそんなわけで、300円はペイできたと思ったので、受付に戻るとついついこれを買ってしまいました。



 700円!

 今の時点で700円は巨額・・・

 でも欲望が抑えられないので買ってしまったわけです。

 ちなみにこの記事を書いている時点で財布にある現金は299円です。

 ほぼ全財産です。

 給料日は5日後です。

 給料日までどうするのかとか、そういう難しいことを考えるのはやめましょう。

 まあ、何とかなります。

 あ、話がずれたので元に戻すと、こういう感じで今日も有意義な休憩時間をエンジョイすることができたのでした。

 そして家に帰ってくると、母にもらってくるようにお願いしていた「多摩のあゆみ」がありました。



 いつも「多摩のあゆみ」を読んでいる人は気付いたかもしれませんが、今号は分厚いですよね。

 今回の160号は、40周年記念号で、274ページもあるのです。

 特集は「多摩地域の文化財」です。

 多摩地域の自治体ごとに考古遺物や仏像や民具や、それはもう様々な文化財を紹介しています。

 これは凄く良い企画ですね。

 早くもらいに行かないと無くなっちゃうかもしれないので、来週になったらすぐ、たましんへ走りましょう。

 そして最後にもう一点。

 「自治体史のソムリエ」のコレクションがまた一つ増えました。



 標準的な市価の半額以下で購入できて、しかも購入を申し込んだ後に古書店がチェックしたら、函に破損があったため、送料を無料にしてくれたのです。

 これはラッキー!

 私はこういった書物の場合は中身が読めればOKなので、外観にはこだわりません。

 しかしそれにしても眠い。
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【中東の歴史や宗教も面白い!】峰岸純夫さん講演「中世多摩の戦乱と城郭」【若い白人男性との異様な会話】

2015-11-16 19:48:07 | 歴史探訪
 今日はお昼過ぎにお店を退社して、昨日お伝えした通り八王子にて、都立大学名誉教授で日本中世史の研究で著名な峰岸純夫さんの講演を聴いてきました。

 お題は「中世多摩の戦乱と城郭」で、2時間の講演時間の前半は主として今まであまり講演の題材になることは少なかった大石氏について、後半は多摩地域の城郭について楽しい話を聴くことができました。

 峰岸さんは「先生」と呼ぶと「もう僕は先生じゃないから」と仰るので、いつもさん付けでお呼びしているのですが、私も含めて周りの人たちもなかなかさん付けで呼ぶのは抵抗があるようです。

 でも逆に私は大学を出ていないので、あまり教授とか名誉教授とかそういった凄い肩書きの人に対して変な抵抗はないのです。

 頭が悪くてスミマセン。

 さて、今日は講演が終わった後、峰岸さんが「お茶して行こう」と仰ったので、合計5名で近所のファミレスに行ってコーヒーを飲みました。

 そのメンツが面白かった!

 峰岸さん、私、そして滝山城の会で八王子城めぐりをやったときに参加していただき、その時に知り合ってその後も講演会などで何度かお会いしている方、そして初対面の方2名です。

 初対面の2名のうちお一人は、以前私を某所で見かけたことがあったけど声を掛けづらかったそうです。

 私は「話しかけるな!」オーラは発していないつもりですが、まだまだ人から親しまれる雰囲気に達していないことが分かったので反省しました。

 そしてこのブログも見ていただけているとのことでしたので、私が結構細々と記事にすることを知っているためか「私のことは記事に書かないでくださいね」と釘を刺されてしまったので、記事には書きません。

 あ、そう言いながら書いちゃった。

 もうお一方は、峰岸さんの大学時代の教え子の方で、大学を卒業後、中東の某国で貿易の仕事に携わっていたところ、危険度がかなり増してきたので最近日本に戻り、今は日本で起業しアラビア語の翻訳の仕事などをしているそうです。

 その方が翻訳した本がこれです。

イスラーム国
アブドルバーリ・アトワーン
集英社インターナショナル


 その方、と言っても上のリンクをクリックしたら名前が分かってしまいますというところの春日さんからは、中東の政治情勢やイスラム教の歴史など、非常に興味深い話が聞けて、他の人たちも身を乗り出して聞いていましたし、私は以前世界史には手を出さないと決めたものの、湧き出る興味をどうすることもできない状況になりました。

 ただ、今は経済的に非常に苦しいので上の本を買わせていただくのはもう少しお預けになります(春日さん、スミマセン!)。

 日常的に爆発音が聞こえる町で暮らしていた生々しい話は、平和ボケしている我々にとってはとてもショッキングな話でした。

 実は今日の講演では峰岸さんが先日のフランスでの同時多発テロについて言及しており、峰岸さんも今朝、10年前に中東に行った春日さんについて、奥さまと「彼は無事かな」と話をしていたところだったそうです。

 何かこういう偶然って面白いですね。

 さてそんなわけで、お茶会を終えて皆と別れた後は、大勝軒でつけ麺を食べ(実は講演を聴いているときから今日は大勝軒を食べようと決めていた)、高尾まで帰ってくると、初沢踏切のところでファンキーな感じの若い白人男性が少し離れたところから私に向かって手招きをしています。

 私は「はい?」と大声で言って近づいて行くと、ファンキーさんもスマホを見せながら近づいてきて「Takao station、なんたらかんたら」と言っています。

 なので、「Station?」と聞き返すと、行き方を教えてくれみたいな感じだったので、「えー、そこの細いRoad, straight・・・station」と答えると、ファンキーさんは「アリガトウ」と私に合掌して、駅の方向へその長身を揺らしながら飄々と去っていきました。

 高尾ってご存知の通り高尾山があるので、外国人にたまに道を尋ねられるのですが、そのたびに上のような異様な言語を発してお茶を濁しています。

 でも通じるから笑える。

 多分、英語とか中国語とかをマスターして外国人観光客に高尾を案内する仕事をやったらかなり儲かりますね。

 ・・・やろうかな。

 嘘ぴょん。

 あー、何か今日はインターナショナルな日だったな!
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毛野探訪の続きです

2015-11-04 22:47:08 | 歴史探訪
 昨日は泊まったホテルの窓から太田天神山古墳が正面に見えることをお伝えしました。

 実はそっちの方角は東なのです。

 ということは、この窓からは日の出が見れるじゃないか!と思った私は、今日の朝は5時に起きてカメラを構えてスタンバイしていました。

 5時15分くらいから徐々に明るくなってきました。











 遠くに見える山は筑波山っぽいと思いますが、違いますかね?





 6時5分、思っていた方向とはちょっと違いますが、わずかながら輝度が高い部分が。





 出てきた。









 ここから眩しくなるので注意!









 まさに旭日の勢いで、あっという間に朝になりました。









 朝の天神山古墳。



 今日はあなたに会いに行くよ。

 というわけで、この続きは後日にして、昨日の午後の部をご報告します。

 太田駅から2駅、治良門橋(じろえんばし)駅に移動します。



 治良門橋駅で下車して、まずは亀山古墳。



 円墳ということですが、微妙に前方部があるような気が・・・

 鶴山古墳。



 畑の中にポツンとあります。

 墳丘長約95mの前方後円墳で、前方部はだいぶ崩されています。

 おっと、道端に普通に五輪塔。



 新田郡衙。



 今も発掘中のようですよ。

 国史跡なので公園整備をするのかな?

 そして、瞬く間に時間がなくなってしまったので、新田荘遺跡関連は諦めて、方向を指し示す看板が出ていた二ツ塚古墳に思い付きでGO!

 2号墳。



 墳丘長約45mの前方後円墳です。

 辺りには懐かしい堆肥の香りがしていました。

 良い匂いと臭い匂いは化学的に見ても紙一重ですが、久し振りに嗅いだらなかなか良い香りでしたよ。

 ついで1号墳。



 墳丘長約74mの前方後円墳。

 ここで「五墳休憩(こふんきゅうけい)」。

 墳丘の上で5分休憩することを「五墳休憩」と呼びます。

 あっという間に16時を過ぎてしまいました。

 治良門橋駅に戻りましょう。

 おっと、寺井廃寺出土瓦の説明板を偶然発見!



 さらに、強戸村役場跡の石碑発見!



 私は古代の国府や郡家などの役所に興味を持つようになってから、近代の役所にも興味が出てしまいました。

 「30年前まではここに市役所があってねえ」みたいな話も異様に楽しいです。

 というわけで、明日も7時から仕事なのでもう寝ます。

 ちなみに今日行った金山城の面白さと言ったら、とんでもなかったです。

 詳しくは後日アップしますが、ガイダンス施設で楽しい話を聴けたこともあって、金山城周辺に4時間くらい滞在してしまいました。

 山城好きなら堪らないと思います。
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足利探訪ダイジェスト

2015-11-03 22:02:10 | 歴史探訪
 このページに書いてあった一部を別のページに移しました。

 ⇒女浅間神社の探訪記事はこちら

 ⇒緑町八雲神社の探訪記事はこちら

 ⇒足利公園古墳群の探訪記事はこちら

 途中、織姫神社に引っかかってしまった!

 今日は例大祭。





 本格的な紅葉はこれからですね。



 ちなみにこの神社の裏山を1時間ほど歩くと足利城跡がありますが、今日はもちろん行きません。

 やばい、9時40分。

 10時10分の電車に乗って移動する予定ですが、もう絶対間に合いません。

 いいや、今日の午前は足利市探訪に費やそう。

 岩宿は今回は諦めよう。

 ついで、足利藩の陣屋跡。



 そして鑁阿寺に到着!

 いや、ここは凄すぎる!



 本堂は国宝だよん。



 凄すぎて私には簡単に説明できないので、彼にお願いしましょう。

 お、来た来た。



 あれ、行ってしまわれるのでござるか?



 あ、また来た。



 説明をどうぞ。



 「まあ、一言でいえば古い建物が多いニャ。鎌倉時代の建造物とか」



 随分だれた説明ですが、これで許してあげてください。



 さ、足利学校へ急げ!



 「ザ・学校」



 ボランティアガイドさんに45分くらい案内していただき、足利学校にも異様に興味を覚えました。



 まず、創立年は不明なんですが、奈良時代説と平安時代説があり、確実に古文書で分かるのは室町時代前期です。

 江戸期までは国内で最も権威のある学問所で、最大時は3000人も学生がいたそうです。

 しかしなぜ、こんなにすごい学校が足利に創られたのか?

 これを考えるだけでも古代史のロマンが凝縮されていますね!



 うわ、もうお昼。

 歩道橋の上って意外と良い撮影ポイントになるのです。



 ついで、朝見るのを忘れた「渡良瀬橋」の歌碑に急行します。

 あったよん。

 歌碑と渡良瀬橋。



 ボタンを押すと、歌が流れます。



 森高は足利の出身ではないのですが、なぜか今日こうして実際に足利の空気を吸いながら歩いて川や山や町を眺めたら、この曲がより一層好きになりました。

 多分、車で通る人は「あーまた森高ファンのキモイ中年が来てるよ」と思ったでしょうね。

 いや、まったくその通りです。

 さ、足利ではもう一つ見ておくものがある。

 足利郡家の可能性の高い国府野遺跡です。



 足利学校は最初ここにあったとも言われています。

 というわけで時刻は12時50分。

 あれ、10時10分の電車に乗るつもりが倍以上滞在してしまった!

 いやー、足利は良いところですね!

 山城である足利城を含めて丹念に回るとしたら、1日コースが設計できます。

 さて、岩宿はもう無理なので、午後は群馬県太田市へ移動しましょう。

 (画像を大量に貼りつけたためか神武号の動作が異様に遅くなってきたので今日はここでやめておきます。)
 
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