日本史大戦略 Side-B 附 歴史を歩こう協会 ~日本各地の古代・中世史探訪~

『日本史大戦略』のB(Blog)面です。城・館・古墳・古道・官衙・国分寺・神社・寺院・民俗・エミシ・南部氏・後北条氏など

近年ないくらいのバテバテヘトヘト

2015-07-20 07:30:47 | 歴史探訪
 先週は極力睡眠時間を長く取るようにしたところ、週末に向かって少しずつ疲労が回復してきました。

 そして金曜日の夜にたかお食堂で建築関係の職人さんと新たにお友達になって、その方から麦焼酎「佐藤」をたらふくご馳走になり、その結果、昨日の朝はピンピンして滝山城の会のボランティアに行けるくらいに回復しました。

 さて、いつものように滝山城へやってきました。

 今日は梅雨も明けたらしく、天候は快晴。

 ここ数日雨が降っていたので、山の中はしっとりとした夏草の香りがします。

 朝礼や準備体操をした後、10時くらいから作業開始です。

 今日はこの下をやります。



 千畳敷の北側にある「弁天池跡」です。

 作業を開始して少し経ってから、ビフォアの写真を撮るのを忘れたことに気づき、写真に収めます。



 ここを丸裸にしようというわけです。

 しかし開始早々、40分でバテました!

 池跡と言われるくらいなので、湿気が凄く、風もゼロ。

 そして何より、強烈な直射日光。

 休憩時間を挟んで続きをやり、昼休憩になりましたが、もうヘトヘトなので千畳敷まで登る切岸を見てゲッソリ。



 でもこれを登らないとお昼ごはんが食べられない・・・

 ようやく千畳敷まで登り、皆でお昼ごはんを食べた後は続きをします。

 しかし、熱中症になりそうな勢いで、いつもより1時間以上早く終わりました。

 こんなに綺麗になったよ!



 しばし達成感を味わいます。



 この時に感じる感覚が、この作業に対する最大のご褒美なのです。

 さて、解散した後は本日体験参加していただいた方と八王子で軽く飲みました。

 しかし軽くと言っても、15時から18時まで居酒屋にいたので、酒量は少ないですが話は長かったですね。

 くだらない話を長々としてしまい済みませんでした!

 でもこうして体験参加でも良いので一人でも多く来ていただけると本当に助かります。

 高尾に戻ってくると、お腹が空いていたのでたかお食堂でカレーを食べて帰ろうと思い寄りました。

 そうしたら、いつものS谷さんと金曜日にお友達になった職人さんが飲んでいて、席に着くなりS谷さんからは瓶ビールが、職人さんからは焼酎が手渡されました。

 しかし私もヘトヘトなので、今日はお二人に付いて行けません。

 S谷さんとはもう何十回も飲んでいますが、「いつもは「疲れた」と言いつつ眼が生き生きしているけど、今日は眼が落ちくぼんでるね。あなたが疲れている顔をしているのを見るのは初めてだ」と言われました。

 そんなわけで20時半にはお店を出て、帰宅後はシャワーを浴びてすぐに寝ました。

 そして今日はゆっくり起きようと思っていたのですが、結局6時前には起きてしまい、仕事は午後からなので、午前中は歴史を楽しむことにします。

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【都筑郡家】想像を越える素晴らしい古墳【ツヅキの王墓】

2015-07-14 23:30:42 | 歴史探訪
 本日の疲れポンチは、118kmも走りました。

 もちろん、マラソンではなく、車でです。

 午後一で青梅市内の現場をやった後、横浜市港北区のお店までお遣いに行ったわけです。

 港北区へのお遣いはもう何度も行っていますが、同じ道を使うと飽きるので、今日はいつもと違う道で行ってみました。

 しかしそれでも、普通に2時間半掛かりました。

 さて、そそくさと要件を済ませた後は、ちょっと立ち寄りたい場所があります。

 詳細は後日レポートするので今日は簡単に済ませますが、港北区のお店と私のお店との間のルート上に、何と凄い古代遺跡があることを一昨日気付いたのです。

 今日は昼の休憩を15分しか取らなかったのですが、最近本社の人事部からきちんと休憩を取るようにしつこく言われるようになり、そのため就業規則で定められた1時間の休憩はなるべく取らないとなりません。

 そうしないと、上司が人事部からおしかりを受けてしまうのです。

 ですので、残りの45分を古代遺跡での休憩に使いました。

 もちろん、わざわざ遠回りして見に行くとなるとそれは問題ですが、偶然にも2件とも帰り道のすぐ脇にあるので、コンビニで休憩することを考えればまったく問題はありません。

 一つ目は都筑郡の郡家(ぐうけ)。

 かつて武蔵国内には21の郡があったのですが、その中の一つである都筑郡の役所跡です。

 現状は公園になっており、遺構は地下に保存されているのか、破壊されたのか、すいません、今のところ知らないです。



 この公園の横の道は、以前も通っています。

 そこがまさか郡家だったとは!

 駐車場が無いので、路駐して説明板付近を撮影していたのですが、近所の若いママさんたちが固まってこっちをジロジロ見ていたので、さすがに公園内の探索はせずにすぐに離脱しました。

 確か目で見られる遺構は一つも無かったと思います。

 そして二つ目は、稲荷前古墳群。

 15・16・17号古墳が現存しており、なかでも16号墳は、神奈川県下で最も古い古墳と思われる前方後方墳(墳丘長37.5m)です。

 前方後「方」墳ですよ。



 説明板には4世紀とありますが、私の推測では、もしかすると3世紀かもしれません。

 卑弥呼の時代の直後です。



 この古墳は本当に素晴らしいです。

 東京寄りの神奈川県(つまり旧武蔵国の範囲)内では、現存する古墳では間違いなくナンバーワンの古墳でしょう。

 って、実は他の古墳は見たことがありませんが・・・

 ここには古代の「ツヅキ」の王が眠っているのです。

 もちろん、もう遺骨はありませんが、魂は今なおここにいるはずです。

 今日は天気もバッチリで、真夏の日差しの下、墳丘の上でしばらく古代の風に吹かれていました。

 気分が上がるー!








 あー、もう疲れて文章打てない。

 寝ます。

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「発掘された日本列島 2015」で私は感じた、大いに感じた!

2015-07-11 22:35:41 | 歴史探訪
 さすがに週6ペースで肉体労働を続けると疲れますね。

 早起きが習慣になっている私ですが、昨日と今日は朝起きるのが辛かったです。

 でも今日で今週の仕事も終りなので、頑張って朝7時に現場に行きました。

 ところが、クッタクタで思うように身体が動かない。

 それでもようやく仕事を終わらせ、大勝軒でつけ麺を食べた後、両国へ向かいました。

 例のやつを見るためです。



 発掘された日本列島!!

 私は2010年から毎年来ているので、今年で6回目です。

 今回は先日お話した通り、歴史仲間のTさんからチケットをいただいたので、ものすごく助かりました。

 今年の展示は以下の通りです。



 だいたいいつも、入って正面の場所には目につく大きな遺物が置かれているのですが、今年の入場者を迎えてくれるのは大型埴輪です。

 なんと、栃木県下野市の甲塚古墳(全長80mの帆立貝形前方後円墳)から全国初の機織形の埴輪が出ました!



 そして復元図を見てさらにビックリ。

 当時の人は赤の水玉模様の服を着ていたんですね!



 (ピンボケしていてスミマセン。)

 甲塚古墳からは全部で24個の埴輪が確認されたのですが、それらのなかから上記の機織形の埴輪以外にも以下の人物埴輪と馬形埴輪がお越しくださりました。



 やっぱりどう見ても、自分の顔は埴輪に似ていると思う。



 昔から思っていたのですが、埴輪を見ていると他人とは思えないのです。

 次に私が強い興味をいだいたのが、岩手県滝沢市のけや木の平団地遺跡からやってきた人体文付深鉢です。



 うわー、これはかなり感じる。



 こういった人形の文様が付いた土器は全国でも50例ほどしかありません。

 人体の真ん中に縦に点線が入っているので、女性の正中線と考える人もいますが、顔の下まで刻印されているためどうも私は違うような気がします。

 それにしてもこれには見入ってしまい、しばらく観察していました。

 やはり何かを感じます。

 富山県富山市の日本海側で最大級の貝塚である小竹(おだけ)貝塚から出た髪針は、かんざしのようなものでしょうか。



 女性は大昔からおしゃれに余念が無かったのです。

 現代人の私が見てもなかなか素敵な品だと思いますがどうでしょう。

 そして、私の大好きな縄文遺物2連発。

 まずは、宮城県大崎市の北小松遺跡出土の石棒!



 そして土偶!



 良いねえ。

 大好き。

 石棒の写真の左側にはチラッと独鈷石が写っていますが、今日は独鈷石にも魅力を感じました。

 でも独鈷石って何に使うの?

 そもそも、石棒も土偶も実際のところどうやって使われたかは推測の域を出ません。

 うわ、凄い銅鐸!



 と思ったら、参考出展でした。

 左が穴ノ谷遺跡出土の近畿式銅鐸で、右が前原Ⅷ遺跡出土の三遠式銅鐸です。

 以上が私がとくに注目した原始時代の遺物で、やっぱり原始時代の遺物は最高ですね。

 以降は古代・中世・近世と続き、地味な感じになってしまいますが、その中でも面白遺物がありましたので引き続きご紹介します。

 まずは大宰府関連遺跡群から国内最古の戸籍木簡!



 685~701年までに書かれた木簡ということですが、残念ながらレプリカでした。

 でも凄いね。

 ちょうど今、私は上記の時代が熱いので嬉しいです。

 ちなみにこれは戸籍の記された木簡としては最古ですが、年紀が書かれた木簡全体で一番古いのは大阪市の難波宮から出た木簡で「戊申年」と記されたものだと推定されています。

 「戊」というのは十干、「申」は十二支で、それらを組み合わせて「干支」と呼び、60年間を表しますが、「大宝」の元号が制定される以前は、干支で年を示しており、「戊申年」は648年と推定されるわけです(『飛鳥の木簡』市大樹著)。

 つぎは千葉県八千代市の上谷遺跡から出た温石(おんじゃく)。



 いわゆる古代のホッカイロですが、重さが1180グラムもあるので、ちょっとしたモバイル機器を身に付けているくらいの重さですね。

 重くても少しでも温かい方を選択したわけです。

 こちらは、高橋克彦さんの小説「炎立つ」(大河ドラマにもなりました)でもなじみ深い、後三年の役関係ということで、秋田県横手市の大鳥井山遺跡の展示パネルです。



 遺物よりもパネルの方が興味深いと思うのでパネルの写真を載せました。

 さて、ここからは一気に時代が飛んで、豊臣秀次の供養塔です。



 京都市の大雲院跡から見つかったもので、左が秀次の供養塔で、右が秀次の母・日秀か最初の正室である若御前(池田恒興の娘)の供養塔です。

 秀次は昔は無能な武将というイメージがありましたが、どう考えても非は秀吉にありますし、秀次自身もそれなりに優秀な武将だったのではないかと思っているので、今の私は秀次びいきです。

 そして最後は、「復興のための文化力」というコーナーから、蕨手刀に登場願って終了とさせていただきます。



 岩手県野田村の平清水Ⅲ遺跡から出たもので、鞘に収まっていますが、レントゲン撮影したところ、きちんと刀身も残っていました。

 このようなほぼ完形の蕨手刀は大変貴重です。

 さて以上、「発掘された日本列島 2015」の展示遺物を紹介しましたが、もちろん上記のものがすべてではないので、他の人が見たらまた違うものに興味を持つでしょう。

 ですので、江戸東京博物館での開期は7月20日(月)までになってしまいますが、興味のある方はぜひ足をお運びください。

 なお、展示はこの後、

 ・富山県埋蔵文化財センター 8月1日~9月6日
 ・栃木県立博物館 9月19日~11月1日
 ・岡山県立博物館 11月13日~12月23日
 ・岩手県立博物館 来年1月14日~2月28日

 と経巡ります。

 ところでこの後、同時に開催している「花燃ゆ」の展示を見ましたが、かなり盛況でしたよ。

 でも私は5分で出てきましたが。

 私は日本史好きを標榜している以上、幕末もやるべきなのですが、私の感覚からすると幕末は最近の話で、あまり歴史っぽくないのです。

 だからといって幕末が嫌いというわけではありませんよ。

 幕末の研究は娘がどんどんやってくれていますので、私は安心しています。

 PS.

 私が原始時代について熱く語っているので良かったらどうぞ。

 ■歴史のいったい何が面白いのか?①旧石器時代


 ■歴史のいったい何が面白いのか?②縄文時代


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【東京都日野市】ちょろっと七ツ塚古墳群

2015-07-10 23:17:14 | 歴史探訪
 今日の現場は、たまたま日野市の七ツ塚古墳のすぐ近くでした。

 七ツ塚古墳の前の道はしょっちゅう通るのですが、そういえばまだ一度も写真に収めていないなあと思い、昼休みにちょろっと行ってきました。

 

 ご覧の通り、非常に小さな塚のようなものが七ツ塚古墳です。

 しかし実はこれは古墳かどうかは分からないのです。

 というのも、『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』によると、地元の伝承として、明治時代に古墳を2基発掘して、その時の土で塚を築いたのが上記の「古墳」だということなのです。

 頂上には古刀毘良宮が祀られていますが、その時に祀られたそうです。

 ただ、前掲書を読むと、古墳かどうか分からないと記しておきながら、発掘して石室が出てきたとも書いてあるので、そうであるならば古墳ですよね。

 何か矛盾した文章で、何度も読み直してしまいました。

 「七ツ塚」というくらいなので、往時は多数の古墳があったと思われますが、前掲書が刊行された1995年の段階で、5基の古墳と1基の発掘跡の窪みが残っていました。

 立地的には、日野台地の先端近くにあり、北方で多摩川と谷地川が合流しています。 

 さて、古墳の横では重機で土を掘っていたので、「あ、発掘やってるな」と思い、担当者の方々がちょうど休憩をしていたので、「何か工事でもしているのですか?」と聴いてみました。

 そうしたら、公園を作るために発掘をしているとのことでした。

 重機で掘っている穴は、浄化槽を収めるための穴だそうです。

 「何か出ました?」と尋ねると、担当者の方は笑っていましたが、もちろん何か出たとしてもその場でベラベラと喋るはずはありません。

 ただ私が見たところ、何か出ている感じはしませんでした。

 上述の写真の古墳を含む七ツ塚古墳群は、現地の説明板によると6~7世紀くらいの築造ということです。

 七ツ塚古墳群のある場所は谷地川の右岸なのですが、谷地川を少し上流へ行くと、八王子市大谷町に北大谷古墳というやはり同じころの多摩地域の「王」の墓があります。

 通常、地域の「王」の墓は単独で築かれることが多く、七ツ塚古墳群のように古墳がたくさん集まっているのは、それよりも下位の支配者であったと考えられます。

 ただ、古墳時代の後半はそういった群集墳が普通になりますので、この点に関してはもう少し考えてみたいと思います。

 ところで話は全然変わりますが、北大谷古墳の名前が出たついでにお話しますと、今日の夕方は町田方面へ行きました。

 町田市には「南大谷」という住所があります。

 八王子には昔、北大谷村がありました。

 両方とも元々は「大谷(おおや)」という地名なのですが、明治11年(1878)に郡区町村制が施行されたときに、神奈川県南多摩郡内で両者を区別するために北大谷村(現八王子市大谷町)と南大谷村(現町田市南大谷)と命名されました。

 こういったケースは他にもあって、例えば西寺方村(現八王子市西寺方町)と東寺方村(現多摩市東寺方)とか、北平村(現八王子市平町)と南平村(現日野市南平)とかがあります。

 さ、明日は半ドンで、午後は「発掘された日本列島」を見てきますよ!

 明日も7時就業開始なので今日も早く寝ます。

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江戸城近辺の中世を知る上で必読の埋蔵文化財発掘調査報告書が出ました

2015-07-08 22:05:30 | 歴史探訪
 好きだ、好きだと思ったり、また発言していると、好きなものや人がどんどん集まってくるというのは、どう考えても真実です。

 これは以前から私がしつこく、しつっこく言っていることなので、もう耳タコの方もおられると思います。

 先日、このブログで「今週の土曜は江戸東京博物館に「発掘された日本列島」を見に行きます」と書きました。

 そうしたら、歴史仲間のTさんから、「チケットが1枚余っているので送りましょうか?」と電話をいただきました。

 そのチケットが今日届きまして、今月もいつものごとく困窮しているのでものすごく助かりました。

 これで土曜日は大いに楽しんでこようと思います。

 さらに一点。

 今日のお掃除の現場は、某遺跡発掘調査会社でした。

 私はご存知の通り歴史が好きなので、休憩時間に社員の方とお話をさせていただきました。

 以前、某研究会が毎年出している報告書のような本に、私が非常に興味があるテーマの論文(実際は講演趣旨)が多数掲載されていることを知り、どうしてもそれが読みたくて都内の図書館を探したところ、どういうわけか、ほとんどの図書館に置いて無くて、辛うじて私の行動範囲では東大和の図書館にあることが分かりました。

 そのため、東大和方面の現場の時に、休憩時間に図書館に寄って、特に興味があるものだけコピーしました。

 その後、パルテノン多摩の博物館で売っているのを発見しましたが、人気のある号は売り切れでした。

 それ以来、その研究会には密かに興味を持っていたのですが、今日お話した上述の社員の方は、何とその研究会の事務局をやられている方だったのです。

 しかも嬉しいことに、入会を誘っていただけたので、是非ともお願いしますと返答しました。

 そして雑談の中で、「武蔵文化財研究所のH田さんってご存知ですか?」と尋ねたところ、「H田くんなら良く知ってるよ」と仰り、世間は狭いなあと思いました。

 さて、その武蔵文化財研究所のH田さんですが、初めて会ったのは昨年の終わりごろで、場所はたかお食堂です。

 ちょうどその頃、H田さんは「有楽町一丁目遺跡」の報告書の編集が大詰めを迎えている時期だったのですが、確かその日は4時間くらい芋焼酎を飲みながら歴史話をしました。

 お忙しい時期に、私のつまらない話を聴かせてしまって、後から非常に恥ずかしい思いをしたのですが、その時作っていた報告書が完成して、先日H田さんからいただきました。



 そして何と、嬉しいことに「Special Thanks」のところに私の名前があるのです。



 酔いが醒めてから思い出すと、3つくらい間違ったことを言ってしまい申し訳なかったと思ったのですが、それでも「参考になったので」と仰ってくださり、また貴重な報告書に名前まで載せていただいたので、私の宝物がまた一つ増えました。

 ところで、この報告書は445ページもある大作で、これを編集したH田さんの苦労を想像するに、相当大変だったと思います。

 しかし内容は我々歴史好きにとっては堪らない資料や論文が載せられており、こういった本は、もちろん専門的な内容ではあるのですが、もっと一般の歴史好きの方が手に取れるようにしてもらえたらなあと思います。

 なにしろ、少し前の報告書と違って、カラー写真が豊富なのです。

 さきほど、H田さんにお礼を含めて電話でお話を伺ったのですが、最近はカラーの印刷のコストも以前と比べて安くなってきたので、「やり過ぎだよ」と言われつつも、何とか実現できたそうです。

 有楽町一丁目遺跡は、その名前の通り、千代田区の有楽町の遺跡で、古代は海だったところです。

 「日比谷入江」と呼ばれる東京湾の入江があって、中世の頃には徐々に陸地化してきて、実際に遺跡からは16世紀初めの人骨や板碑を始めとして、近世・近代の遺物が出ています。

 この報告書はカラー写真を多用したため、近世の陶磁器の写真なんかは非常に素晴らしいです。

 巻頭図版に載せられた、明暦の大火で罹災した沢山のお皿の写真なんかはとてもカラフルで、見る人が見たら堪らないのではないかと思います。

 さて、この遺跡で私が一番注目しているのは、おそらくこの報告書を読んだ人の多くと同じだと思いますが、一家と思われるような16世紀初めの人骨群です。

 そしてその中で、7歳くらいの子供と思われる人骨は、驚くべきことに、両手を合わせた形(右手の甲に左手の手のひらをつける)でその手を木杭で貫通されているのです。

 しかもまだ肉が柔らかい時に刺されているので、もしかすると生きている状態でそうされた可能性も残っています。

 これには私も驚きました。

 こういう例は私は聴いたことがないからです。

 多分これに関しては、この報告書をもとに偉い先生が論文を書くと思いますので、私ごときがあれこれ言えませんが、年代的には1524年に北条氏綱が扇谷上杉朝興から江戸城を奪った時期に当たります。

 そしてその後、朝興は本気を出したので、氏綱は逆に江戸近辺どころか、本拠の相模まで朝興に蹂躙される有様となります。

 つまり、江戸城をめぐる戦いが10年以上続いたその時期に、上記の子供は亡くなっているのです。

 考えられるのは、ムラが裏切ったことによる大名側の報復とか、そんな平凡なことしか思いつきませんが、何しろ見たことのない遺体の様子なわけです。

 これは尋常ではありません。

 呪術的な意味もありそうです。

 まあ、今のところは私もなんとも言えない状態です。

 さて、そんな感じで今日も非常に有意義な一日を過ごすことができました。

 あと3日、お掃除頑張ります。

 そして土曜の午後は、Tさんにいただいたチケットで国内最高峰の考古遺物を見てきますよ!

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ラーメン店が少ないJR中央線豊田駅北口に日高屋がオープンしたよ!

2015-07-07 21:43:28 | 雑談
 梅雨なので毎日傘が必要ですね。

 ところが本日、傘が壊れてしまいました。

 骨が一本折れたとか、そういうのではなく、開いた瞬間に見事に骨組みがバラバラになったのです。

 こんな壊れ方は見たことがありませんが、500円で買って1年半持ったので、良く頑張ってくれました。

 傘は盗まれたりどこかに置き忘れたりするリスクが高いので、私は高価なものは買いません。

 前回の傘は図書館で盗まれ、さらにその前の傘は歯医者に置き忘れて無くなりました。

 ですので、今日もグルメシティで600円の傘を買ってきたので、これからしばらく活躍してもらおうと思います。

 さて、本日は豊田駅北口に「日高屋」がオープンしました。



 豊田駅北口には、松屋、吉野家、すき家、てんやがあって、定食を食べる分にはまったく問題がないのですが、ラーメンが貧弱なのです。

 花月嵐と個人店が一つあるだけです(中華屋だったら他にもあります)。

 ただ、花月嵐は私は大好きなので、それだけでもありがたいですが、今回は日高屋ができたことで選択肢が増えました。

 ちなみに個人店のラーメン屋は1回入りかけたことがあったのですが、扉を開けた瞬間、タバコを吸っているおじさんが数人見えたので、「うわっ」と声を発して、すぐに扉を閉めて退散しました。

 日高屋は廉価な中華チェーンなので、どうしても麺に関してはそれなりの味なのですが、個人的には担担麺が好きで、今日も坦坦麺と半ライス、それに生中を頼みました。

 担担麺が食べられるお店って意外と少ないので嬉しいですね。

 今日もスープを全部飲み干してしまいました。

 そしてこれもまた嬉しいことに、生中(キリン一番搾り)が310円なので、今日は上記の料金がピッタリ1000円でした。

 しかもサービス券をいただいたので、次回からは味玉が付けられます。

 19時くらいに入店したのですが、さすがにほぼ満員状態でした。

 新規オープンに当たってアルバイトを大量に雇ったようで、接客経験ゼロみたいな若い男の子や女の子が、店長(かな?)の見事な采配の元、頑張って働いていました。

 なんかとても初々しくて良いですね。

 なので多少ミスがあったところで、客としては温かく接してあげたいですね。

 あれ、もうこんな時間か。

 明日も早起きさんなので、今日も帰宅して風呂に入った後の自由時間は1時間だったのでした。

 その1時間をたっぷり楽しんだあとは、1日の最後の楽しみが待っています。

 それは、寝ること!

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自治体史のソムリエも絶賛!待望の『新八王子市史 通史編1 原始・古代』、ついに刊行!

2015-07-06 22:02:43 | 歴史探訪
 掃除の仕事をやるようになってから、ホームセンターや100円ショップが異様に楽しくなりました。

 さらにボランティアを始めたことにより、それが加速しています。

 私の普段の行動範囲内では府中のコーナンが一番品ぞろえが良くて、今日も最後の現場が終わった後に立ち寄って、エアコンで使うペンライトや屋外作業用の携帯蚊取り線香などを買いました。

 そしてこのお店に来ると、さらに楽しみなものがあります。

 それは、1階の入口脇で売っているたい焼きです。



 私は基本的に生地が厚めのしっとり系のたい焼きが好きなのですが、ここのは生地がパリパリ系です。

 でも、あんこが程良い甘さでとても美味しいので、必ず140円もの大金を叩いて買ってしまいます。

 うまー。

 さて、会社の帰りは、いつもと違うバスに乗り、八王子駅北口のくまざわ書店に行きました。

 なぜリアル本屋に行ったのかというと、7月1日に『新八王子市史 通史編1 原始・古代』が発売されたからです。



 いえーい。

 『新八王子市史』は全14巻の刊行を目指し、毎年少しずつリリースされています。

 すでに私は、

 ・資料編1 原始・古代
 ・資料編2 中世

 も手に入れています。



 この『新八王子市史』は本当に素晴らしい内容なので、八王子市民だけでなく、広く関東地方の歴史に興味がある方にはぜひ読んでいただきたいと思います。

 ところで、こういう本のことを「自治体史」と呼ぶのですが、残念ながらほとんどの市民はこういう本が出ていることすら知らないような気がします。

 それは八王子市だけでなく、全国的傾向です。

 ただ、私のような趣味の人には必携資料になっており、ある地方を調べようとしたら、まずはそこの自治体史を読むことから始めます。

 多摩地域だと府中の図書館(通称「パラダイス」)に都内だけでなく、関東地方全域の多くの自治体史が集まっています。

 広尾の都立中央図書館に行けば、全国の多くの自治体史が集まっており、棚を見渡しただけで気分が異様に上がります。

 私は自治体史も本物かコピーで収集しており、「自治体史のソムリエ」を自称しています。

 ・・・自称しています。

 さて、これからゆっくりと読みたいところですが、今週も金曜日までフルフルMAXで働きますので、ほとんど読む時間はありません。

 しかも重い本で持ち運びが厳しいので、会社に持って行って休憩時間に読むのも難儀です。

 まあ、いずれにせよ、また楽しみが増えましたよ。

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