日本史大戦略 Side-B 附 歴史を歩こう協会(旧東国を歩く会) ~日本各地の古代・中世史探訪~

『日本史大戦略』のB(Blog)面です。城・館・古墳・古道・官衙・国分寺・神社・寺院・民俗・エミシ・南部氏・後北条氏など

【シュールなジョークが憎い!】毛野と一口に言うが上毛野と下毛野は昔から異国【ヒューレットパッカード】

2015-04-30 19:30:01 | 歴史探訪
 HP(ヒューレットパッカード)のプリンターを使っている人はご存知かと思いますが、純正のインクカートリッジを交換すると、以下の画面が表示されます。



 初めてこれを見た時は、「お、何がもらえるんだろう?」と楽しみにして右下の「お礼を受け取る」をクリックしました。

 するとしばらく経って、今度は以下の画面が表示されます。



 え、日本ではお礼はもらえないの!?

 これはなかなかHPさんもシュールなジョークを飛ばしてくれますね。

 ソフトを作ったことのある人間からすると、最初の画面自体を表示させなければ済むと思うのに、わざわざ日本語にローカライズされた画面を表示させ、しかも次の段階では、これまたきちんと日本語でお礼を出せない旨を伝えてきます。

 しかし良く見ると最初の画面には、小さく「地域によっては利用できない」と表示されています。

 だからさあ!

 それを明記した画面を表示するくらいだったら、その画面自体表示させるなっ!!

 あ、同じことをまた言ってしまいました。

 でも私はこういう世界に冠たる大企業が垣間見せる「おかしみ」に満足しています。

 さて、今日はお休みだったので、昼は香味屋で八王子ラーメンを食べ、一日中群馬関係の調査をしていました。

 群馬県は江戸時代までは上野(こうづけ)国と呼ばれ、もっとさかのぼると「上毛野(かみつけぬ)」と呼ばれていたことをご存知の方もおられると思います。

 一方、隣の栃木県は下野(しもつけ)国と呼ばれ、やっぱりこちらは「下毛野(しもつけぬ)」と呼ばれていました。

 ですので、通説では元々、群馬と栃木は那須地方を除いて「毛野」という一体化した地域で、毛野氏という有力者が治めていたとされています。

 しかし、古墳なんかを調べていると必ず気づくことは、上毛野と下毛野はかなり文化の様相が違い、どう見ても一緒の国とは思えないのです。

 ですので、両毛の古墳時代を解説した本の決定版である『古墳時代毛野の実像』の冒頭で右島先生が述べているように、元々は上毛野の地域が毛野であり、その勢力が東に進出した結果、西側が上毛野、東側が下毛野と呼ばれるようになったいうのが真相ではないかと思っています。

古墳時代毛野の実像 (季刊考古学別冊 17)
 
雄山閣


 数年前、当時小学校6年生の娘が日光に修学旅行に行ったときに、たまたま戦場ヶ原のいわれを知りました。


 ⇒その時の記事


 つまり、二荒山の神と赤城山の神が戦ったのが戦場ヶ原なわけで、これは昔、二荒山の神を祀る部族と赤城山の神を祀る部族が戦争をしていたという史実が伝承化されたものだと考えられます。

 上記の話では栃木県が勝ちましたが、その後、結果的に群馬県が勝ってしまい、毛野勢力は群馬と栃木を制覇したものと思われます。

 ところで、群馬の高崎には2年前のGWに訪れており、群馬県で最古級の前方後方墳(前方後円墳ではないですよ)である元島名将軍塚古墳をはじめとして、復元された古墳が満喫できる保渡田古墳群(さきたま古墳群と同時代の古墳群)を堪能してきました。


 ⇒その時の記事はこちらです


 今回はまず前橋の上野国府周辺から探訪を始める予定ですが、上野の国府はまだ決定的な遺構が出ておらず、範囲については研究者によって意見が違います。

 私も今日いろいろ調べてみたところ、どうも各説のなかでも一番有力と言われている説とも違った結果になってしまったので、あとは現地に行って実際に土地の空気を感じながら歩いて確かめてみようと思っています。

 最新の週間予報だと、何とか天気は大丈夫そうなので、予定通り4~6日で行ってきます。 

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【マイナーだけど歴史が面白い】「くにたち郷土文化館」チラリズム【東京都国立市】

2015-04-28 21:42:23 | 歴史探訪
 今日の夕方、2週間に1度行く現場の駐車場で車を止めて準備をしていると、側面から何者かが寄ってきて、気がついたときには「すみません」と声を掛けられていました。

 見ると上品そうなご婦人で、私は道でも聴かれるのかな?と思い「はい、なんでしょうか?」と答えると、「お掃除をお願いしたいのですが、電話番号を教えていただけませんか?」と言われました。

 正直ビックリしましたが、すかさず名刺を差し出しながら「どうもありがとうございます。どういったお掃除でしょうか?」と尋ねると「お風呂をやってもらいたいと思いまして」と言われました。

 駐車場に車を止めているだけで仕事が取れるとは!!

 私は自分の会社のブランド力の凄まじさを改めて思い知らされました。

 さて、そんなわけで、今日は休憩時間に国立市の「くにたち郷土文化館」に行ってきました。

 くにたち郷土文化館の存在は以前から知っていたのですが、なかなか行く機会が無かったところ、明確な目的が発生したことと、今日の午後の現場が国立だったこともあり、一瞬だけ訪ねてみたと言うわけです。



 さて、その目的ですが、先日からお話している古代の道について調べていたところ、東京都教育委員会が『道路遺構等確認調査報告』という資料を出しており、それが多摩地域のどこの図書館にも無いのにもかかわらず、くにたち郷土文化館には所蔵してあることが分かったのです。

 そのため、それをコピりに行ったというわけです。

 くにたち郷土文化館には資料室があって、かなり歴史関係の蔵書が豊富です。

 とくに多摩地域の各自治体の発掘調査報告書がたくさん並んでいて、ここは良い場所を見つけてしまった、と思わず本棚の前でほくそ笑みました。

 でも、今日はほとんど時間が無いので、『道路遺構等確認調査報告』のコピーに専念します。

 しかし、ここはコピーはセルフではなく、職員の方がやってくれます。

 でも、値段は普通の10円です。

 ただ、法律の関係で一冊丸ごとはコピーできないので、今日はとりあえず半分だけコピーしていただき、また後日再訪してみようと思います。

 そういえば先日、高尾駅の近くでハクビシンを見たお話をしましたが、たまたま館内にハクビシンとタヌキの剥製が並んで展示してありました。

 うわっ、超タイムリー。

 なるほど、タヌキよりも少し小さいですが、そっくりな姿ですね。

 職員の方が言うには、ハクビシンはこの館の裏にもいるらしいです。

 そんなわけで、常設展すら見る時間がなかったのですが、取り急ぎ興味のある図録だけは購入して、次の現場へ急行しました。



 くにたち郷土文化館は、想像よりも綺麗でおしゃれ、というか可愛らしい感じの施設でした。

 また近いうちに、国立の古墳を訪ねつつ、じっくり見学しに行きたいと思います。


 くにたち郷土文化館のURL → http://www.kuzaidan.com/province/


 ちなみに国立市は、知らない人は「こくりつし」と読むみたいで、多摩地域の人たちは多分想像つくと思いますが、市の名前の由来は、国分寺と立川の間だから国立にしたという、とんでもない名前の自治体です。

 元々は明治の初めに谷保村(今は「やほ」と発音する人が多いですが、本来は「やぼ」)と青柳村、それに石田村の飛地がくっついて谷保村ができ、大正15年(1926)に中央線の「国立駅」が開業し、戦後の昭和26年(1951)に、駅名をまんま自治体名にして国立町に改名してしまいました。

 「しまいました」って何だか残念そうな表現ですが、谷保も青柳も両者とも古い由緒があるかなり強力な地名なので、そういうところの場合は、どうしても妥協案として新しい名前を付ける傾向が全国的にありますね。

 もしかしたら明治の時に「谷保村」にしたことを旧青柳村の住民はずっと根に持っていて、せめて「谷保優位」だけは解消したいと思い、苦肉の策で駅名を自治体名にする作戦に出たのかもしれません。

 もちろん妄想。

 青柳に関しては、1000年以上も前の文献である「和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)」に多摩郡内の10個の郷の一つとして挙げられている「小楊(おやぎ)郷」が、青柳の元の名前だと考えられています。

 そして、学問の神様・菅原道真を祀る谷保天満宮は多摩地域でもかなりのビッグネームな神社で、私も娘が高校受験をする前に、ひそかに現場移動の途中に立ち寄って合格祈願をし、菅公さん霊力を借りて見事合格しました。

 国立市には古墳もたくさんありますし(ただし首長級の大型のものはないですが)、武蔵野地域では超珍しい城跡もあって、意外と歴史が面白い町なのです。

 でも意外と市民はそのことを知らないかも。

 ところで、GWの群馬めぐりですが、5月4・5・6日で行ってきます。

 昨日、ホテルの予約を入れました。

 GWなので、どこのホテルも空室が無い状況で、ようやく4日には前橋駅前のホテルが、5日には伊勢崎市内のホテルが取れました。

 天候も大丈夫そうなので、とりあえず2泊3日で歩けるだけ歩いてきます。

 さて、明日は祝日ですが、でっかい現場が入ったので、5人で行ってきます。

 その代わり、明後日の現場が飛んだので、有休にしてもらったの。

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お店で富裕層の遊びをしてきました&再開発中の高尾駅周辺

2015-04-24 15:19:05 | 歴史探訪
 結局今日は午前11時過ぎまで掃除をしました。

 今日は月に一度の「富裕の日」なので、仕事が終わると、以前からやってみたかった「富裕層の遊び」をしてみることにしました。

 街には可愛い女の子がたくさん歩いています。

 よし、それじゃあ「お店」へ行こう!

 金にモノを言わせる富裕層の遊びとは・・・

 

 カラオケボックス!!

 これこそ富裕層の遊びの定番でしょう。

 独りでカラオケ。

 私はソロプレイを好むので、独りで居酒屋で飲めますし、こうして独りで歌いに来ることもできます。

 しかし今はお金が無いので、大好きなカラオケもほとんど行けません。

 なので、いつもは車の中で歌っているのですが、平日の昼は30分80円(+税)ということなので、今日は奮発してカラオケにやってきたというわけです。

 ずっとサカナクションを試してみたくて6曲くらい歌ってみましたが全滅です。

 高くて出ない。

 結局、普通に歌えたのは昔から歌っている歌と、アニメソング、それに演歌です。

 アニソンは、サイボーグ009(新しい方)とベルサイユのばらが歌ってみたかったので、歌ってみるとさすがに古い歌は歌い易い。

 演歌では「津軽海峡冬景色」を初めて歌ってみましたが、石川さゆりは音高が高いのでしょうか、オリジナルのキーで、男でも歌い易いです(もちろんオクターブは下がりますが)。

 結局2時間歌って、会計に行くと2900円とか言われたので、「え?そんなに行きます?」と聞いたら、「あ、すみません」と言って訂正され、1000円くらいでした。

 前もこのブログでお伝えした通り、コンビニで2回もお釣りを間違えられて、今日も危うく法外な金額を取られるところでした。

 いやー、街には危険が一杯ですね。

 いや、もしかしたら私が富裕層だということを知っていて、特別料金にしてくれようとしたのかもしれません。

 カラオケ屋から出ると、「田田」でニンニクたっぷりの二郎系ラーメンを食べて帰路に着きました。

 ところで、高尾駅北口では再開発が徐々に始まっています。



 高尾駅は北口と南口をつなぐ通路がなくて、間違って改札を出てしまうととんでもないことになります。

 なので、住民は昔から南北連絡路を作って欲しいと言っているのですが、そろそろ本格的に動き出した感じです。

 上の駅舎は「関東の駅百選」に選ばれているのですが、新しい駅では使われません。

 素敵な建物なので、建物自体は別の場所に移築するとかしないとか・・・

 高尾駅北口のバスロータリーには、休日の早朝は200人くらいバス待ちの人がいたりします。

 みなさん、陣馬とかそっちのお山に出かける人たちです。

 さて、そんなわけで現在の駅周辺を写してみました。



 ここには以前民家があり、玄関の前にはポンプ式の井戸がありました。

 数日前の夜、ここで猫にしてはやけに大きな、何かタヌキのような生き物がいて、「何だ?」と声を出して言っていると、通りすがりのおじさんが「あれ、ハクビシン」と言って早足で去って行きました。

 へー、ハクビシン。



 ここには事務所のようなものがあり、その先にはお稲荷さんがいました。



 社殿は撤去され、現在は上のようになっています。

 2本の小さな木は、神木でしょう。

 お稲荷さんが撤去されていたのを見た時は、「何か起こらなければ良いけど・・・」と正直思いました。



 この道路は昔は「柊(ひいらぎ)横丁」と言われていました。

 突き当たりは甲州街道(国道20号線)。

 甲州街道を左へ向かうと、最近は行列ができるほどに有名になった「香味屋」(八王子ラーメンの店)があります。

 甲州街道から中央線の初沢踏切へ続く柊横丁は、私が引っ越してきた頃はまだカーブの道で、私の娘を含め通学する子供たちがいつも危険にさらされていましたが、今は見晴らしの良い道で、危険度は下がりました。



 ただ、朝は甲州街道から柊横丁には進入禁止になっているのですが、中には平気で入ってくる車もあり、通学の見守りをしている近所の人や、たまにお巡りさんが見張って捕まえています。

 踏切を渡った南側にはお地蔵さんがいます。



 どうも郷土の本を読むと、このガード下辺りが中世の頃の旧道のようなのですが、現在はまったく道の形跡がありません。



 横から見てみても分からない。



 私は通勤路に咲いているこの花が好きです。

 でも名前は知りません。

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滝山城跡群・自然と歴史を守る会の定例活動

2015-04-19 21:59:07 | 歴史探訪
 基本、週6日のペースでお掃除の仕事をしていますが、週に一度のお休みも、やはり基本的には活動日です。

 お掃除をして帰ってきてぐったりしている日があっても、大抵は翌日の朝になれば疲れが取れていますが、今日の朝はちょっと疲れていました。

 それでも、滝山城の会のメンバーの顔を思い出して、皆さんに会いたくて今日も滝山城跡の竹林伐採に行ってきました。

 今日も小宮曲輪の市民センター側の斜面の竹林をやりましたが、季節柄、竹の子が出てきています。

 ご存知の通り、竹の子は放っておくとすぐに立派な竹になって、それを切るのに大変な労力が必要になるので、今日は竹の子掘りも作業に含まれました。

 生まれて初めての竹の子掘り。

 こういうやったことがないことを体験できるって、凄く楽しいですね。

 ある程度竹の子を掘った後は、いつものごとく竹をバッサバッサ切って行きました。

 今日みたいな滝山城跡の保全作業は、「定例活動」と称し、原則として毎月第3日曜に行われます。

 この作業が我々の基本的な活動なのですが、これに来るメンバーの顔触れはいつもだいたい一緒です。

 ほとんどがシニアの方なのですが、こういった無給の力仕事に来るくらいなので、皆さん元気でなおかつ人間的にも素晴らしい方ばかりです。

 私の父くらいの年齢の皆さんは、それぞれいろいろなスキルを持っていて、私みたいな若造が疲れて休みたいと思っても、皆さんは作業に熱中して、なかには昼休みもろくに取らないエネルギッシュな方もいます。

 皆さんとてもカッコ良いし、なんだか可愛くも感じます。

 ですので、もし滝山城跡の保全に興味がありましたら、まずは会のノッチさんのブログをご覧ください。

 私みたいな非力なヘタレでも少しはお役に立てているようなので、体力や山仕事に自信がない方であっても、来れば何かしらできることはありますし、中田先生や他の歴史に詳しい会員からも直接城について教えていただくこともできますし、何しろ楽しい仲間と一緒に汗をかいて、心地よい達成感を味わうことができます。

 気になりましたら、会のノッチさんのブログを是非見てみてくださいね。

 なお注意点を一つ。

 滝山城跡は個人の私有地ですので、地主さんの許可を取らずに勝手に竹の子を取ってはいけません。

 最悪、通報されて逮捕されますよ。

 実際、無断で大量に掘って行って、道の駅で売却しているというツワモノもいるらしく、地主さんは相当怒っています。

 ところで、先日滝山城跡の駐車場がオープンしました。



 場所は滝山街道の「丹木町三丁目」交差点の北東側でファミマの東側向かい、普通車は28台、それに障害者用が1台とめられます。

 大型バスなどのスペースはとくに確保されていませんので、ツアーなどでバスを使って団体で来られる場合は事前に管理者と相談ということになると思います。



 ところで、家に帰ってくると早速今日収穫した竹の子で母が土佐煮を作ってくれました。

 今はそれをつまみながら焼酎を飲んでいます^^

 明日、娘がうちに来るので、竹の子を持たせてあげようと思います。
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川越市立博物館開館25周年記念シンポジウム「古代入間郡の役所と道」で興奮状態に陥りました

2015-04-12 21:16:56 | 歴史探訪
 今日は1日中、川越に出張っていました。

 「川越市立博物館開館25周年記念シンポジウム「古代入間郡の役所と道」」を聴講しに行ってきたのです。



 今日は363名の参加者がいたのですが、会場を見渡すと珍しく女性の姿が少ないです。

 こういう歴史系の講演会って結構女性も多いのですが、今日はテーマが硬いからでしょうか?

 何しろ「役所」ですからね。

 でも、役所は役所でも、古代の役所なので、俄然好きな人には堪らない内容になるのです。

 ところで家に帰ってきてからの話をまずしますが、リビングに行くと妹が「ガラケーだったら安いからガラケーを契約したい」と言いだしました。

 「いや、あのね、いくら安くても1円も稼いでいない人が電話代出せるの?」

 「だって、外から電話を掛けられなくなるじゃん」

 「そもそも外に出ないじゃん」

 「友達にメールを送れなくなる」

 「え、友達なんかほとんどいないでしょ。しかもメールならパソコンでできるじゃん」

 妹には私の「回復プログラム」に参加してもらっている間は、就業は禁じることにしています。

 妹はちょっと気分が良くなるとアルバイトに応募して、結局昨日お話ししたような結果になるので、絶対就業は不可能なのです。

 夜中とか、ちょっと気分が良くなると「自分はできる」という気になるみたいですが、緩い坂道を登っても息が切れるほどの体力で、薬物中毒のために頭が回転していないので(話していると痴呆かな?と思います)、そんな状態で就業は無理なのです。

 そのため、昨日お話した通り、妹の生活費はすべて私が捻出することに決めたのです。

 その上で「ガラケーを契約したい」と言ってくるわけですが、もし契約したら、そのガラケー代は私が身を削って捻出することになるということを理解していないようです。

 最近はたかお食堂にも行けません。

 昨日も帰りがけに外からチラッと覗いてみると、お友達がカウンターに座って焼酎を飲んでいるのが見えたので、私も隣に座って飲みたいと思いましたが、無駄遣いはできないので後ろ髪を引かれる気持ちで立ち去りました。

 今日も昼こそは「川越ラーメン」を食しましたが・・・



 夜は食べたい物を我慢して帰ってきました。

 それなのに、そうやって頑張っている兄の気持ちがまったく分からない妹は、何度も言いますが、自分はお姫様か何かの特別な存在だと勘違いしているようです。

 どうして「私は誰かにやってもらって当たり前」という考えになるのでしょうか。

 こんな私だって働くと疲れるんですが。

 さて、話を元に戻して、今日のシンポジウムのメニューを列挙します(敬称略)。

 ■開催趣旨・展示解説 by 田中信

 ■講演1 「郡的世界」と郡家の機構 -入間郡家を考える- by 森公章

 ■講演2 東山道武蔵路研究史 by 木本雅康

 ■講演3 古代入間郡の実像を求めて by 平川南

 ■パネルディスカッション 森+木本+平川+平野寛之 コーディネーター:宮瀧交二

 おそらく古代史好きだったら、上の先生たちの名前を見ただけで興味がそそられると思います。

 今日は「神武号」を膝に乗せて、話を聴きながら書記のようにパンチして、閃いたことなんかも随時打ちましたが、パソコンがブラインドタッチできるというIT業界では当たり前のことでも、意外とこういうときは役に立ちますね。

 各講演の内容についてはまた後日まとめようと思いますが、私は最近、多摩郡の隣の入間郡も調べ始めたところだったので、今日のシンポジウムは本当に楽しかったです。

 ところで、「郡」というのは1300年以上前からあって、一応現在も残っていますが、今はほとんど不要なものになっていますね。

 私は小学生の終わり頃には何となく「郡」という行政区画に興味があって、私の住んでいた松戸市の隣にも東葛飾郡沼南町(今は柏市)があり、沼南町に自転車で遊びに行くと何か特別な感じを受けていました。

 入間郡に関しては、今の入間市を見るとそれほど広くないですが、建郡当初は非常に広大な領域を誇り、西は飯能市から東は荒川までを版図としていました。

 そして、川越にある霞ヶ関遺跡が、「郡家」(つまり役所)であった可能性が非常に高いのです。

 ただし、今から1299年前の霊亀2年に、入間郡の西側をえぐるようにして朝鮮人のために高麗郡が作られ、今日も帰りに高麗川駅で停車中に駅のロータリーを見たら、「高麗郡建郡1300周年を成功させよう!」みたいな横断幕が掛かっていました。



 (↑以前もご紹介した、入間市の従姉がお土産に持ってきてくれた日高市の亀屋というお菓子屋さんの「霊亀二年」)

 実は私も来年の「高麗郡建郡1300周年」は非常に興味があって、今度高麗郡方面を探訪してみようと思っています。

 あ、話を入間郡に戻すと、中世の頃には入間川を挟んで、西側を「入西郡(にっさいぐん)」、東側を「入東郡(にっとうぐん)」と呼ぶようになりました。

 元々古代の頃から入間川を挟んで西側は大伴部直(おおともべのあたい)の勢力圏で、東側は物部直(もののべのあたい)の勢力圏だったそうです。

 そんなわけで、帰る電車の中でも私は興奮が収まらず、「神武号」を膝に乗せて、頭から溢れ出すアイデアをパンチして帰ってきました。

 それじゃあ、明日からまた6日間、お掃除頑張るよ!
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中田正光氏講演『戦国の城と民衆』を聴講して、帰宅後「解説ヴィデオ」を撮ってみました

2015-04-04 23:45:57 | 歴史探訪
 今日は、八王子のクリエイトホールで、生涯学習センター主催の中田正光先生の講演を聴いてきました。

 お題は、「戦国の城と民衆 -小田原征伐の中の民衆-」です。

 行きがけにコンビニに寄ってコーヒーを買ったところ、149円だったので1050円を出しました。

 そうしたら女の子は、91円を私に渡しました。

 私は頭の回転が鈍いので、受け取って帰ろうとしましたが、それでもやっぱりお釣りが少ないのに気がついて、「1050円出しましたよね」と言いました。

 そうしたら女の子は「あ!済みません!」と言って901円をくれました。

 はい、ドンマーイ。

 でも女の子は慌てていたらしく、帰宅後家計簿を付けてみるとお金が少し多いです。

 さて、そんなわけで中田先生の講演を聴いてきたのですが、滝山城の会の方々以外にも、めじろ台のTさんとも会って、今日も宇都宮に出張って入手されてきた資料をいただいちゃいました。

 中田先生もTさんのことを見て、「あの人良く見るよね。熱心な人だね」と言っていました。

 それで講演の内容ですが、今日はブログに書くのをやめて、ヴィデオを撮ってみました。

 撮影自体はそんなに時間が掛からず、編集も全然凝らないのですぐに終わるのですが、私のPCは性能が貧弱なので、mp4ファイルへの書き出しと、YouTubeへのアップが異常に時間が掛かります。

 かなり無駄な時間ですが、こればっかりは仕方が無いです。

 喋るほうが簡単ですが、あらかじめ喋る内容を考えていなかったので、かなり脈絡が無い内容になっているかも知れません。

 喉がまだ完全でないのと、花粉症で目がショボショボしていますが、よければ見てみてください。

 あ、できましたら缶ビールを1本用意して見てみてください。



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八王子市は本日、「城郭市」に移行しました

2015-04-01 22:53:02 | 雑談
 数日前からピザが食べたくて仕方がなく、月曜日は現場の近くにピザ食べ放題の店を発見したのですが、1200円以上したので無理ティックでした。

 でも今日も仕事中にどうしても食べたくなったので、仕事を終えると、高尾のサイゼリヤに行こうと思いながら、帰宅の途に就きました。

 ところがです。

 中央線が信号故障のために八王子駅で止まってしまい、動かなくなってしまいました。

 今日も12時間くらい働いて疲れているし、お腹もペコペコだし、どうしようか・・・と思っていたところ、八王子駅の南口にもサイゼがあるじゃないですか!

 そのため私は跳ねるようにして電車から飛び降り、スキップしながらサイゼに入り、マルゲリータピザ+ミラノ風ドリア+生中といういつものセットを頼み溜飲を下げたのです。

 サイゼのマルゲリータはシンプルですがとても美味しくて、私はいつもテーブルに置いてある「唐辛子フレーク」を振りかけて食べます。

 399円であのクオリティーは素晴らしいですね。

 さて、八王子市民の方ならばご存知だと思いますが、本日八王子市は、日本で初となる「城郭市」に移行しました。

 八王子市は東京都内でもっとも中世城郭の多い自治体で、有名なところで

 ・滝山城
 ・八王子城
 ・片倉城
 ・浄福寺城

 などがあり、その他合計十数か所もの遺構が確認できる中世城郭があります。

 したがいまして、八王子市といたしましては、この貴重な史的遺産を市政の中心として活用し、市民生活の「質」の向上を目指してまいります。

 中世城郭は、平時における観光資源として活用する以外にも、例えば中国軍が市内に侵攻してきた場合は、住民を皆城内に避難させて、徹底抗戦をして中国軍をせん滅いたします。

 城郭市に移行したことにより、八王子市は「市民皆兵」となり、市民全員に年間2週間の軍事訓練が義務付けられます。

 各世帯には、弓や鑓などを支給し、馬を購入する場合は、大型の汗血馬を含めて「エコカー減税」の対象となります。

 来週からは狭間駅前の「エスフォルタアリーナ」で軍事訓練講座も始まり、生涯学習センターでも軍事関連の座学講座が開始されます。

 また、新学期からは中学3年次に「兵法」の授業が追加され、孫氏や六韜三略を学びます。

 さらに・・・

 エイプリルフールだからと言って、いい加減にしなしゃい!!

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