日本史大戦略 Side-B 附 歴史を歩こう協会 ~日本各地の古代・中世史探訪~

『日本史大戦略』のB(Blog)面です。城・館・古墳・古道・官衙・国分寺・神社・寺院・民俗・エミシ・南部氏・後北条氏など

【シュールなジョークが憎い!】毛野と一口に言うが上毛野と下毛野は昔から異国【ヒューレットパッカード】

2015-04-30 19:30:01 | 歴史探訪
 HP(ヒューレットパッカード)のプリンターを使っている人はご存知かと思いますが、純正のインクカートリッジを交換すると、以下の画面が表示されます。



 初めてこれを見た時は、「お、何がもらえるんだろう?」と楽しみにして右下の「お礼を受け取る」をクリックしました。

 するとしばらく経って、今度は以下の画面が表示されます。



 え、日本ではお礼はもらえないの!?

 これはなかなかHPさんもシュールなジョークを飛ばしてくれますね。

 ソフトを作ったことのある人間からすると、最初の画面自体を表示させなければ済むと思うのに、わざわざ日本語にローカライズされた画面を表示させ、しかも次の段階では、これまたきちんと日本語でお礼を出せない旨を伝えてきます。

 しかし良く見ると最初の画面には、小さく「地域によっては利用できない」と表示されています。

 だからさあ!

 それを明記した画面を表示するくらいだったら、その画面自体表示させるなっ!!

 あ、同じことをまた言ってしまいました。

 でも私はこういう世界に冠たる大企業が垣間見せる「おかしみ」に満足しています。

 さて、今日はお休みだったので、昼は香味屋で八王子ラーメンを食べ、一日中群馬関係の調査をしていました。

 群馬県は江戸時代までは上野(こうづけ)国と呼ばれ、もっとさかのぼると「上毛野(かみつけぬ)」と呼ばれていたことをご存知の方もおられると思います。

 一方、隣の栃木県は下野(しもつけ)国と呼ばれ、やっぱりこちらは「下毛野(しもつけぬ)」と呼ばれていました。

 ですので、通説では元々、群馬と栃木は那須地方を除いて「毛野」という一体化した地域で、毛野氏という有力者が治めていたとされています。

 しかし、古墳なんかを調べていると必ず気づくことは、上毛野と下毛野はかなり文化の様相が違い、どう見ても一緒の国とは思えないのです。

 ですので、両毛の古墳時代を解説した本の決定版である『古墳時代毛野の実像』の冒頭で右島先生が述べているように、元々は上毛野の地域が毛野であり、その勢力が東に進出した結果、西側が上毛野、東側が下毛野と呼ばれるようになったいうのが真相ではないかと思っています。

古墳時代毛野の実像 (季刊考古学別冊 17)
 
雄山閣


 数年前、当時小学校6年生の娘が日光に修学旅行に行ったときに、たまたま戦場ヶ原のいわれを知りました。


 ⇒その時の記事


 つまり、二荒山の神と赤城山の神が戦ったのが戦場ヶ原なわけで、これは昔、二荒山の神を祀る部族と赤城山の神を祀る部族が戦争をしていたという史実が伝承化されたものだと考えられます。

 上記の話では栃木県が勝ちましたが、その後、結果的に群馬県が勝ってしまい、毛野勢力は群馬と栃木を制覇したものと思われます。

 ところで、群馬の高崎には2年前のGWに訪れており、群馬県で最古級の前方後方墳(前方後円墳ではないですよ)である元島名将軍塚古墳をはじめとして、復元された古墳が満喫できる保渡田古墳群(さきたま古墳群と同時代の古墳群)を堪能してきました。


 ⇒その時の記事はこちらです


 今回はまず前橋の上野国府周辺から探訪を始める予定ですが、上野の国府はまだ決定的な遺構が出ておらず、範囲については研究者によって意見が違います。

 私も今日いろいろ調べてみたところ、どうも各説のなかでも一番有力と言われている説とも違った結果になってしまったので、あとは現地に行って実際に土地の空気を感じながら歩いて確かめてみようと思っています。

 最新の週間予報だと、何とか天気は大丈夫そうなので、予定通り4~6日で行ってきます。 

コメント (2)

【マイナーだけど歴史が面白い】「くにたち郷土文化館」チラリズム【東京都国立市】

2015-04-28 21:42:23 | 歴史探訪
 今日の夕方、2週間に1度行く現場の駐車場で車を止めて準備をしていると、側面から何者かが寄ってきて、気がついたときには「すみません」と声を掛けられていました。

 見ると上品そうなご婦人で、私は道でも聴かれるのかな?と思い「はい、なんでしょうか?」と答えると、「お掃除をお願いしたいのですが、電話番号を教えていただけませんか?」と言われました。

 正直ビックリしましたが、すかさず名刺を差し出しながら「どうもありがとうございます。どういったお掃除でしょうか?」と尋ねると「お風呂をやってもらいたいと思いまして」と言われました。

 駐車場に車を止めているだけで仕事が取れるとは!!

 私は自分の会社のブランド力の凄まじさを改めて思い知らされました。

 さて、そんなわけで、今日は休憩時間に国立市の「くにたち郷土文化館」に行ってきました。

 くにたち郷土文化館の存在は以前から知っていたのですが、なかなか行く機会が無かったところ、明確な目的が発生したことと、今日の午後の現場が国立だったこともあり、一瞬だけ訪ねてみたと言うわけです。



 さて、その目的ですが、先日からお話している古代の道について調べていたところ、東京都教育委員会が『道路遺構等確認調査報告』という資料を出しており、それが多摩地域のどこの図書館にも無いのにもかかわらず、くにたち郷土文化館には所蔵してあることが分かったのです。

 そのため、それをコピりに行ったというわけです。

 くにたち郷土文化館には資料室があって、かなり歴史関係の蔵書が豊富です。

 とくに多摩地域の各自治体の発掘調査報告書がたくさん並んでいて、ここは良い場所を見つけてしまった、と思わず本棚の前でほくそ笑みました。

 でも、今日はほとんど時間が無いので、『道路遺構等確認調査報告』のコピーに専念します。

 しかし、ここはコピーはセルフではなく、職員の方がやってくれます。

 でも、値段は普通の10円です。

 ただ、法律の関係で一冊丸ごとはコピーできないので、今日はとりあえず半分だけコピーしていただき、また後日再訪してみようと思います。

 そういえば先日、高尾駅の近くでハクビシンを見たお話をしましたが、たまたま館内にハクビシンとタヌキの剥製が並んで展示してありました。

 うわっ、超タイムリー。

 なるほど、タヌキよりも少し小さいですが、そっくりな姿ですね。

 職員の方が言うには、ハクビシンはこの館の裏にもいるらしいです。

 そんなわけで、常設展すら見る時間がなかったのですが、取り急ぎ興味のある図録だけは購入して、次の現場へ急行しました。



 くにたち郷土文化館は、想像よりも綺麗でおしゃれ、というか可愛らしい感じの施設でした。

 また近いうちに、国立の古墳を訪ねつつ、じっくり見学しに行きたいと思います。


 くにたち郷土文化館のURL → http://www.kuzaidan.com/province/


 ちなみに国立市は、知らない人は「こくりつし」と読むみたいで、多摩地域の人たちは多分想像つくと思いますが、市の名前の由来は、国分寺と立川の間だから国立にしたという、とんでもない名前の自治体です。

 元々は明治の初めに谷保村(今は「やほ」と発音する人が多いですが、本来は「やぼ」)と青柳村、それに石田村の飛地がくっついて谷保村ができ、大正15年(1926)に中央線の「国立駅」が開業し、戦後の昭和26年(1951)に、駅名をまんま自治体名にして国立町に改名してしまいました。

 「しまいました」って何だか残念そうな表現ですが、谷保も青柳も両者とも古い由緒があるかなり強力な地名なので、そういうところの場合は、どうしても妥協案として新しい名前を付ける傾向が全国的にありますね。

 もしかしたら明治の時に「谷保村」にしたことを旧青柳村の住民はずっと根に持っていて、せめて「谷保優位」だけは解消したいと思い、苦肉の策で駅名を自治体名にする作戦に出たのかもしれません。

 もちろん妄想。

 青柳に関しては、1000年以上も前の文献である「和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)」に多摩郡内の10個の郷の一つとして挙げられている「小楊(おやぎ)郷」が、青柳の元の名前だと考えられています。

 そして、学問の神様・菅原道真を祀る谷保天満宮は多摩地域でもかなりのビッグネームな神社で、私も娘が高校受験をする前に、ひそかに現場移動の途中に立ち寄って合格祈願をし、菅公さん霊力を借りて見事合格しました。

 国立市には古墳もたくさんありますし(ただし首長級の大型のものはないですが)、武蔵野地域では超珍しい城跡もあって、意外と歴史が面白い町なのです。

 でも意外と市民はそのことを知らないかも。

 ところで、GWの群馬めぐりですが、5月4・5・6日で行ってきます。

 昨日、ホテルの予約を入れました。

 GWなので、どこのホテルも空室が無い状況で、ようやく4日には前橋駅前のホテルが、5日には伊勢崎市内のホテルが取れました。

 天候も大丈夫そうなので、とりあえず2泊3日で歩けるだけ歩いてきます。

 さて、明日は祝日ですが、でっかい現場が入ったので、5人で行ってきます。

 その代わり、明後日の現場が飛んだので、有休にしてもらったの。

コメント