日本史大戦略 Side-B 附 歴史を歩こう協会 ~日本各地の古代・中世史探訪~

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NHK大河ドラマ「平清盛」あれってどういう意味だったの?一点解説第4回:源為義の父と平忠盛の父

2012-01-31 14:51:14 | NHK大河ドラマ「平清盛」一点解説
NHK大河ドラマ「平清盛」第4回「殿上の闇討ち」で、平忠盛(中井貴一)を殿上で待ち伏せし討とうとした源為義(小日向文世)は、次のように言いました。

「わしの父親はお前の父親に討たれた!次はわしがお前を討つ!」

為義の父は忠盛の父に討たれたのでしょうか。

実はそういう経緯があったのです。

これはドラマでは今まで触れられていませんでしたね。

為義の父は義親(よしちか)といって、ドラマでもたまに名前が出て来る「八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)」の第二子です。

後三年の役(1083~87)で奥羽の清原氏を滅ぼした八幡太郎義家の武勇は国内で知らない者がいないほど有名でしたが、義親も父の武勇を引き継いでいました。

ただ、義親は少し思慮が足りませんでした。

義親は、康和3年(1101)、つまり清盛(松山ケンイチ)が生まれる17年前のことになりますが、対馬守であったときに、人民を殺害したり、官物を奪ったりして、傍若無人に振舞いました。

そのときはまだ父の八幡太郎義家も在世中だったので、義親を都に連れ戻そうとしましたが、義家の派遣した郎党も義親と一緒になって罪を犯す始末です。

結果的に義親は、隠岐国への流罪と決定されたのですが、今度は隠岐に移される途中の出雲国(島根県)で乱暴を働き、出雲国の目代(代官)を殺害して暴れまくります。

そうこうしているうちに、父八幡太郎義家が病死し(嘉承元年(1106))、ついに義親に対する討伐軍が組織されました。

その追討使に任命されたのが、忠盛の父正盛(中村敦夫)だったのです。

正盛は前回述べた経緯があって、白河法皇(伊東四朗)に目を掛けられていましたが、武名はまったくありませんでした。正盛は当時、たまたま出雲国と伯耆国を挟んで近国であった因幡国(鳥取県)の国守だったので、正盛に目を掛けている白河法皇としてみれば、正盛を引き上げる絶好の機会だと思ったのかもしれません。

さて、父八幡太郎義家の武勇を引き継いで暴れに暴れた義親でしたが、どうしたわけか、正盛の軍勢に簡単に討ち取られてしまいました。

その功績により、正盛は但馬守に任じられます。

しかし、世の中の人は一介の武士である正盛が都に近くて実収入も高い但馬国(兵庫県)の国守に任じられたことに納得しません。それに、あの義親がそう簡単に平家の軍勢に討ち取られるだろうか?という疑念も生じていました。

その後、各地で「源義親」と名乗る人物が出没して世上を騒がせます。

都にも「義親」は現れ、藤原忠実(國村隼)がその人物をかくまったりして大騒ぎになっています。

結局、義親はどうなったのでしょうか?

これも歴史の謎の一つですが、義親が討たれたといわれたあとも義親と名乗るものが多数出たことは、それだけ義親の武名が天下に轟いていたということになります。

そして、その義親を討った正盛は、平家の名を世の中に広め、平氏は源氏と並ぶ武門となったのです。

艦隊これくしょん

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NHK大河ドラマ「平清盛」あれってどういう意味だったの?一点解説第3回:北面の武士とは

2012-01-23 06:23:02 | NHK大河ドラマ「平清盛」一点解説
今回のNHK大河ドラマ「平清盛」第3回「源平の御曹司」は、ライバルの存在の重要性というものを教えてくれました。

切磋琢磨できる相手がいるということは素晴らしいことです。

それと、どんなに一人立ちして生きていると思っていても、陰で人知れず支えてくれている人はいるのです。

名家の御曹司でなくても、私たち庶民も一緒です。

人は人との関係性の中でしか生きていけません。

周りの人びとに感謝して謙虚に生きたいものです。

そういえば、私は最近はライバルとか仮想敵とかがいないです。

だから、こんなにしょぼくれているのかなあ。

*   *   *


源為義(小日向文世)が息子の義朝(玉木宏)を「北面の武士」に取り立ててもらおうと、必死に貴族にお願いしていましたが断られ、その一方でライバルの平氏の御曹司・清盛(松山ケンイチ)が北面の武士に取り立てられました。

この北面の武士とは、白河上皇(伊東四朗)が院庁(上皇の政治組織)に新設した組織で、院の親衛隊ともいえるものでした。

それまで上皇(元天皇)を警護する組織には、院御随身や院武者所というものがあったのですが、白河上皇は、院政の開始とほぼ同時に、「院北面」(北面の武士)を創設しました。

「院北面」の由来は、武士たちが院の御所の北面の詰め所に伺候したことから名づけられ、当初は上皇のお気に入りの若い武士(寵童。つまり男色相手)を取り立て、自分の軍事力を形成しました。

それがやがて、八省百官(朝廷の官僚)の中でも五位・六位クラスの近臣を抱える組織として確立され、さらに五位クラスの上北面と六位以下クラスの下北面に分かれました。

元永元年(1118)5月、延暦寺の僧兵の強訴に備えて加茂河原に勢揃いした「北面に候するの人々と郎等」は、合計千余人に及びました。都においては強大な軍事力といえましょう。

清盛の祖父正盛(中村敦夫)も父忠盛(中井貴一)も北面の武士でした。

北面の武士になると出世が見込まれるので、為義(小日向文世)も息子の義朝(玉木宏)をどうしても北面の武士にしたかったのです。

清盛の祖父正盛がどうして北面の武士になれたかというと、正盛は白河上皇との接近を企て、伊賀(三重県)の所領を六条院という白河上皇の最愛の娘の仏堂に寄進しました。それが功を奏し、北面の武士に取り立てられたというわけです。正盛の六条院への所領寄進を仲介した人物が誰であったかは複数の人物が推定されており、祇園女御(松田聖子)もそのなかの一人です。

白河上皇は、正盛・忠盛を気に入っていて、その反対に源氏の為義は重んじていませんでした。

ドラマでは今回から鳥羽上皇(三上博史)が最高権力者になりましたが、果たして清盛は北面の武士として鳥羽上皇に気に入られるようになるのでしょうか。また、源氏は往時の勢いを盛り返すことができるのでしょうか。楽しみですね。

艦隊これくしょん

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NHK大河ドラマ「平清盛」あれってどういう意味だったの?一点解説第2回:白河法皇の権力と武士

2012-01-15 21:30:29 | NHK大河ドラマ「平清盛」一点解説
今日のNHK大河ドラマ「平清盛」第2回「無頼の高平太」は、ストレートな内容でした。

いつの時代でも若者は「悪」を憎み、「悪」に立ち向かおうとします。

「悪」が素直に「悪」だと感じられるのも、若者の特権です。

その清盛が「悪」だと思った、白河法皇(伊東四朗)ですが、ドラマでも演じられているように、当時絶大な権力を握っていました。

しかし、その白河法皇にも自分の思う通りにならなかったものが三つあったという「三不如意」という逸話が『源平盛衰記』という書物に載っています。

法皇が思う通りにならなかった一つ目は、加茂川の水。頻繁に氾濫を繰り返す加茂川の治水はできませんでした。

二つ目は、双六の賽の目。法皇はマジシャンではないのでサイコロは思う通りになりません。

三つ目は、山法師。「山」というのは、比叡山のことを指すのですが、比叡山延暦寺の僧侶たちが自分たちの腕力で政治的要求をしてくる「強訴」は押さえることができなかったのです。

その「強訴」に対抗するには、どうしても武士の力が必要でした。

ドラマでは、武士は盗賊退治をしていましたが、力づくで要求を突き付けてくる僧侶たちに対抗するためにも武士たちは必要だったのです。

ドラマでは貴族たちが武士のことを「王家の犬」と蔑んでいますが、その武士たちがいないと、貴族も安全な生活は送れないので、いわば貴族と武士は一蓮托生の間柄でした。

お互い、利用するところは利用する。

政治に武力は欠かせません。

艦隊これくしょん

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NHK大河ドラマ「平清盛」あれってどういう意味だったの?一点解説第1回:璋子と白河法皇と鳥羽天皇

2012-01-10 23:54:10 | NHK大河ドラマ「平清盛」一点解説
NHKの大河ドラマが今年も始まりました。

今年は「平清盛」です。

大河ドラマは、注意深く見ていても一回で意味が分からないことがあります。

そこで大河ドラマを見たあと、生じた疑問点などを整理してみようと思いました。

また、大河ドラマを見る上で知っていると面白い知識などを、あわせてご紹介してみようと思います。

それでは、まず第1回「ふたりの父」から始めます。

*   *   *


白河法皇(伊東四朗)は、「わしの可愛い娘」と言って璋子(たまこ。檀れい)を抱いていましたが、白河法皇は璋子に後に崇徳天皇となる顕仁を生ませ、鳥羽天皇(三上博史)に対しては顕仁に天皇位を譲位させました。鳥羽天皇は屈辱的な事と、花畑を荒らして口惜しがっていましたが、この人間関係は一体どうなっているのでしょうか。系図にすると以下のようになります。



璋子(檀れい)は、藤原公実の子ですが、7歳のときに父を病で失い、白河法皇(伊東四朗)と祇園女御(松田聖子)の養女として育てられました。

璋子は最初、藤原忠通(堀部圭亮。盗賊退治をした平氏の一行と街角で行きあった貴族の息子の方)との縁談が持ち上がりましたが、璋子は美女である一方、素行に問題があって、忠通の父忠実(國村隼)の反対によりその縁談は流れました。

その後、璋子は、鳥羽天皇(三上博史)の中宮として入内するわけですが、翌年早くも子を生みます。それが顕仁です。

璋子は鳥羽天皇の奥さんになって子を生んだわけですから、当然その子は鳥羽天皇の子であるはずなのですが、これが何とドラマでもあったように、顕仁の父は白河法皇だったのです。

白河法皇は、自分が育てた養女を孫の嫁に出しておきながら、我慢できずに寝取ってしまい、子を産ませたというわけです。

鳥羽天皇からすると、自分の奥さんをお祖父さんに寝取られ子まで作られ、挙句の果てにその子(叔父になる)に天皇位を譲位させられたのです。

鳥羽天皇の苦悩はいかほどのことか察するに余りあります。

しかし、鳥羽天皇(上皇)は「叔父子」の事実を知りながら、璋子を愛し、4人の皇子と2人の皇女を生ませています。璋子の生んだ女子は二人とも絶世の美人であったと伝わっています。

*   *   *


さて、これを読まれた後、再放送(NHK総合で土曜日13:05から)を見てみて、より一層大河ドラマ「平清盛」が楽しめるようになっていただければ良いなあと思います。

あ、でも私はNHKの手先ではありませんよ。

あくまでも「一歴史ファン」として趣味でやっています。趣味です。

艦隊これくしょん

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