日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

中の山古墳/埼玉古墳群|埼玉県行田市 ~埼玉古墳群の前方後円墳では最後に築造された古墳~

2021-02-19 10:13:28 | 歴史探訪




中の山古墳は、埼玉古墳群にある8基の前方後円墳の中では最後に造られた古墳で、調査面積が少ないため墳丘規模も確定しておらず、今後の調査に期待したい古墳です。

発見容易
説明板あり
墳丘登頂不可能
駐車場あり
トイレあり

お勧め度:

 *** 本ページの目次 *** 

1.基本情報
2.諸元
3.探訪レポート
4.補足
5.参考資料

 

1.基本情報                           


所在地


埼玉県行田市埼玉4834(埼玉県立さきたま史跡の博物館)



現況


さきたま古墳公園

史跡指定


国指定特別史跡
指定日:令和2年(2020)3月10日

出土遺物が見られる場所


埼玉県立さきたま史跡の博物館(展示替えがあるため常に見られるとは限らない)

 

2.諸元                             


築造時期


6世紀後半

墳丘


形状:前方後円墳
墳丘長:79m、後円部径:38m、前方部幅:44m(これらは推定値)
墳高:後円部高4.9m、前方部高:5.2m
段築:不詳
葺石:なし(埼玉古墳群では丸墓山古墳以外では葺石は見つかっていない)
埴輪:須恵器の埴輪壺

主体部


不明だが、横穴式石室の可能性が極めて高い

出土遺物


須恵器

周堀


歪んだ長方形、二重

 

3.探訪レポート                         


2021年2月6日(土)2021年ファースト古墳めぐり⑥



この日の探訪箇所
栢山天王山塚古墳 → 塩古墳群 → 宮塚古墳 → 瓦塚古墳 → 奥の山古墳 → 中の山古墳 → 戸場口山古墳 → 浅間塚古墳 → 二子山古墳 → 将軍山古墳 → 稲荷山古墳 → 白山愛宕山古墳 → 神明山古墳 → 白山古墳 → 丸墓山古墳 → 愛宕塚古墳

 ⇒前回の記事はこちら

 奥の山古墳の次は中の山古墳へ行きますが、クラツーで案内するときは中の山古墳の北西側面を眺めながら鉄砲山の方へ向かいます。

 でも今日は戸場口山古墳の現況を見てみたいので、南の方へ回りますよ。

 史跡境界部分の中の山古墳南東側の道路を歩き、今まで撮っていなかったアングルで撮影。

 後円部東側からです。



 中の山の説明板の場所にはあとで行くとして、その前に戸場口山古墳を見に行きます。

 おっと、その前に過去に探訪した時の様子を簡単に振り返りましょう。

 2015年3月に来た時は県道より南側の古墳に関しては時間の都合で駆け足で見ることになり、ほとんど写真を撮っていません。



 ところで、私が「埼玉古墳群最大の謎」と呼んでいるものがあります。

 それは何かというと・・・

 この赤い説明板です!



 管見に触れる範囲では、こんな配色の説明板は埼玉古墳群以外では見たことがありません。

 これを見るたびに、同行している方々と「何でこんな風にしちゃったんでしょうね」と話します。

 なお、他のページでもお見せしていますが、さきたま史跡の博物館で撮影した円筒埴輪コーナーに、中の山古墳出土の須恵器の埴輪壺が展示されていました。



 左から稲荷山、二子山、瓦塚、将軍山、そして中の山の須恵器埴輪壺です。

 そして2017年8月の真夏の中の山。



 では、本日の探訪に戻ります。

 ※このあと、戸場口山古墳へ行きましたが、戸場口山古墳を見たあとに中の山に戻ってきていますので、中の山探訪の続きを先にお伝えします。

 説明板付近からの撮影。



 しかしこの赤い説明板は謎が深いですね。



 赤と黒なので、金子さんが「メタルみたい」と言いましたが、日本人は縄文時代から赤という色を神聖視してきて古墳時代もまだそれは続いているため、祭祀をイメージして赤にしたのではないかとか、単に遠くから見て発見しやすいから赤にしたのではないかと、様々な考察を行いますが、解決の糸口は掴めません。

 現状では、「メタル説」がもっとも蓋然性が高いとしておきますが、今後の研究の発展により新たな説が浮上することも十分に考えられます。

 と、こういう説明を真面目にすると聴いた方が混乱すると思いますのでこの辺で止めておいて、赤い説明板を設置した理由をご存じの方がいらっしゃったら教えてください。

 左が後円部で、これもお決まりのアングルですが、今の時間は逆光だった。



 墳丘長は79mとなっていますが、現在の墳丘の長さを測った結果であり、実際はもう少々大きいかも知れません。

 現況の観察では造出らしきものははっきりしないのですが、古墳群内の他の古墳の造出が作られたのと同じような位置である墳丘西側くびれ部分から須恵器が複数見つかっており、また段築に関してもはっきりしません。

 周堀に関しても現在はそれと分かるような整備はされていませんが、調査面積が少ないため、二重であることは分かっているものの、詳細はよくわかっていません。

 ただし、中の山古墳の南側と戸場口山古墳の北側では、お互いの周堀が切りあっていることは、戸場口山古墳の発掘調査の際に判明しています。

 さきほどは、奥の山と鉄砲山の周堀が切りあっていると話しましたが、適当に造った結果そうなってしまったわけではなく、これらの切りあいは確信犯なのです。

 私たちの感覚ではぶつからないように造ったほうがいいんじゃないかと思うかもしれませんが、埼玉古墳群の関係者は切りあうことに意味を持たせたのでしょう。

 その意味合いについてはもちろん分からないのですが、探求すべき現象の一つといえます。

 では、戸場口山古墳を見てみましょう。

 ⇒この続きはこちら

 

4.補足                             



 

5.参考資料                           


・現地説明板
・『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』 塩野博/著 2004年
・『シリーズ「遺跡を学ぶ」016 埼玉古墳群』 高橋一夫/著 2005年
・『史跡埼玉古墳群 総括報告書Ⅰ』 埼玉県教育委員会/編 2018年


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