*** 本ページの目次 *** 1.基本情報 2.諸元 3.探訪レポート 4.補足 5.参考資料 |
1.基本情報
所在地
群馬県邑楽郡大泉町大字古海295
現況
公園として整備されており登頂可能
史跡指定
出土遺物が見られる場所
大泉町文化むら埋蔵文化財展示室
2.諸元
築造時期
5世紀末(現地説明板)
墳丘
形状:帆立貝形古墳
墳丘長:53m(現地説明板)
段築:2段築成+基壇
埴輪:あり
出土遺物
周溝:円筒埴輪
墳丘:円筒埴輪、土師器、須恵器
埋葬主体:同向式画文帯神獣鏡、刀、馬具、農具、武器、刀子、堅櫛
3.探訪レポート
2019年1月23日(水)
⇒前回の記事はこちら
大泉町文化むらを出て、古海前原古墳群へ向かいます。
古海前原古墳群は先ほど見た古海松塚古墳群のすぐ隣だったんですね。
行ったり来たりと効率が悪いですが仕方がないです。
ナヴィに脳内を支配されてたどり着い場所には、きれいな墳丘が存在しました。

説明板も立派なものが設置されていますよ。

読んでみましょう。

5世紀末に造られた墳丘長53mの帆立貝形古墳です。
墳丘図。

本当だ、竪穴系も埋葬主体が4層になっています。
でも当初からそうする気は無くて、古墳築造時に造られた第4主体部の深さは常識的な深さです。
その次の第3主体部は、この図からの印象だと第4主体部を少し破壊しているように見えます。
2層くらいであれば見かけますが、4層にも重なてしまったということは、被葬者本人か周囲の重要人物がどうしてもこの古墳に埋葬したかったということが言えます。
他に墳丘を造らずに、この古墳に埋葬したかった真意は何でしょう?
なお、昭和初期の調査で8,432基という結果になっていましたが、最近数えなおしたら1万3000基を超えていることが分かりました。
椅子に座る巫女の埴輪と言うのは、さきほど文化むらで見た複製のことでしょうか。

墳頂に登ります。
向こうの住宅が建っている方向に前方部があったようですが、今はもうありません。

周囲は住宅街ですが、円丘部分だけでもこうやって残されて整備されているのはありがたいですね。
墳頂には主体部についての説明が埋め込まれていました。

第4主体部は粘土槨で、割竹形木棺と推測していますがおそらくそうでしょう。
第3主体部以降は礫槨となっています。
第3主体部の幅は30㎝で普通考えたらこの幅では乳児をのぞいて遺体は納められませんが、副葬品がなかったようなのが気になります。
同范鏡が23面ある同向式画文帯神獣鏡は、第2主体部から出たんですね。
下を見ると、円筒埴輪列がちょっとだけ再現されています。

佇まいが何となく府中市の高倉塚を思い出させます。

さきほど埋蔵文化財展示室で見た資料によると、この周辺には墳丘が残る古墳がまだいくつか残っているようです。
でもこの後の予定もあるので今日のところは大泉町の探訪はこれで終わりにして、太田市へ向かおうと思います。
古海前原古墳群にはまた改めて来てみたいです。
⇒この続きはこちら
4.補足
5.参考資料
・現地説明板
・『群馬県古墳総覧』 群馬県教育委員会/編 2017年