日本史大戦略 Side-B 附 東国を歩く会 ~日本各地の古代・中世史探訪~

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【奥州古代史探索 3日目 その1】岩手県一戸町・御所野遺跡【北東北の縄文時代がよく分かる遺跡】

2018-07-27 23:08:58 | 歴史探訪
 昨日はお掃除で東村山市の現場に行ったのですが、たまたますぐ近くに下宅部(しもやけべ)遺跡という縄文時代の有名な遺跡があったため周辺をチョロッと見学してきました。

 その時の様子は後日アップすると思いますが、本日は同じ縄文時代の遺跡である岩手県の御所野遺跡をご紹介します。

 今年の4月13日から15日にかけて仙台を発して青森まで探訪し、そのときの様子は一部このブログにアップしていますが、御所野遺跡にはその探訪の3日目に訪れました。

 ⇒この時の探訪記事を最初から読む場合はこちら

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 昨日の夜は、八戸のたぬさんと、遠野のとらねこさんと一緒に物凄く久しぶりに酒を飲むことができました。

 二人と一緒に岩手・青森の城館跡を訪ねていたのは、もう10年以上前のことです。

 その後、私は体調が悪い時期が長かったこともあり、奥州の城跡めぐりもしなくなり、今回は健康体に戻って久しぶりに盛岡へやってきました。

 昔の懐かしい思い出やその後の辛かった時期を思い出すと非常に感慨深いです。

 さて、今日は青森県域に入り、最終的には三内丸山遺跡を見てから東京へ帰ろうと思っていますが、八戸に帰るたぬさんに途中まで同乗をお願いしました。

 地元の方が一緒だと心強いですしね。

 盛岡のビジネスホテルで簡単な朝食を済ませ、まずは一戸町にある御所野遺跡を目指します。

 昨夜も飲みながら久闊を叙しましたが、全然話し足らず、一戸へ向かう車の中でも話が尽きません。

 たぬさんとは元々はお互いのホームページを通じてWeb上で知り合いましたが、その時はまだ20世紀だったはず。

 初めて一緒に館跡めぐりをしたのは2001年5月4日で、まだ新幹線が開通する前の二戸駅で待ち合わせ、午前中は軽米町の館跡を見て、昼は南郷村で蕎麦を食べ、午後は八戸市内の館跡をめぐって最後は八戸市内で打ち上げをしました。

 それ以来、2006年8月12日まで、何度も一緒に館跡をめぐったわけです。

 当時の私の興味はまだ戦国時代メインだったのですが、たぬさんは縄文時代にも興味を持っていたように記憶しています。

 そしてようやく私もたぬさんに追いつき、今日は初めて二人での縄文遺跡めぐりとなったわけです。

 9時半、御所野遺跡に到着。

 微妙に雨が降っていますね。

 それでは、御所野縄文公園に行ってみましょう。

 お、雰囲気のあるエントランス。



 私は初めての探訪です。



 歩きながら足元が不安定だなあと思ったら、これは「きききのつりはし」という吊り橋なんですね。



 結構高さがありますよ。



 高所恐怖症の人は下を見てはいけません。



 御所野縄文博物館の入口に到着しました。



 ワクワクしますねえ。

 それでは中に入ります。

 ミュージアムショップもある立派な施設ですが、まずは展示室1「焼けた住居の発見」へ入りましょう。



 御所野遺跡は縄文時代中期後半(4500~4000年前)の集落跡です。

 縄文時代中期というと縄文時代で一番華やかだった印象があり、非常にバブリーな感じがするのですが、その雰囲気にやや陰りが出てきたころの遺跡ですので、どんな遺物が出ているか楽しみです。

 ※上の説明には建物跡が600棟以上見つかったとありますが、2015年3月発行の『御所野縄文博物館 常設展示図録』には、800棟以上とあります。

 これは素晴らしい深鉢型土器だ・・・



 パネル展示は分かりやすく、かつ詳細に書かれています。



 竪穴住居は土屋根だった?



 展示室2は「御所野縄文ワールド」。



 配石遺構も見つかっているようです。



 窓の外には遺跡が・・・



 あとで行くよ・・・

 階段で2階へ上がり、展示室3「火と祭り」へ入ります。

 おおっ!

 これはかの有名な・・・





 重要文化財ですぞ!

 でも御所野遺跡ではなく、同じ一戸町内の蒔前遺跡から見つかったものです。



 他にも蒔前遺跡から出土した重要文化財が目白押しです。

 皿型土器。



 何に使ったんでしょうね?

 鉢型土器。



 右は壺ですが左側はなんでしょう。



 土偶もありますねえ。

 縄文ぼいん!



 そっかー、ボインって母の印のことだったのかー。

 いやいやそんな訳は・・・

 それはともかくとして、この「縄文ぼいん」は、町内の椛ノ木(かばのき)遺跡から出土した土偶で、縄文時代後期のものです。

 というわけで、重要文化財が並ぶ素晴らしいこの部屋には御所野遺跡以外の町内の遺跡から出土した優品が展示してありますよ。



 縄文以外の展示もあります。



 何と!

 ここで「九戸政実の乱」関連のものを見れるとは!





 文書の右側の人名の羅列は、九戸城を攻めた豊臣政権の武将たちですね。

 右から、浅野長政、堀尾吉晴、井伊直政、蒲生氏郷でしょう。

 戦国時代の城館跡としては、たぬさんとは今から14年前の2004年4月30日に南から浪打峠を越えて糠部に入り、一戸城跡や姉帯城跡をめぐりました。

 ●浪打峠



 ●一戸城跡



 ちょうど桜が咲いていましたね。

 ●姉帯城跡



 堀跡を藪漕ぎしましたねー。

 懐かしい思い出ですが、話を縄文時代に戻しましょう。

 縄文時代にはすでに漆が実用化されていましたが、漆が塗られた縄文土器は当時はこのような美しい姿だったに違いありません。



 漆を採取してから器に塗るまでの工程は現在とほとんど変わらず、すでに縄文時代には完成の域に達していました。

 世界遺産登録を目指しております!



 それでは外に出ますよ!

 ひやー、いい雰囲気だ。



 天気は何とか大丈夫そうですね。

 御所野遺跡は3つのムラに分かれており、博物館を出て最初に現れる建物群は「東むら」と命名されています。

 確かに屋根に土が被せてある。



 ではでは、お宅訪問。



 昔、たぬさんと八戸の根城跡に行ったときに、城内本丸に竪穴住居が復元されており、そのときたぬさんは「この中に泊まってみたい」と言っていたのを思い出しましたが、今では私も竪穴住居に憧れる身になっています。



 私たち以外、見学者はいませんね。



 え!?

 なんで4月に栗!?



 中央むらには掘立柱建物が多く見られます。



 西むらまで来ました。

 博物館の展示に竪穴住居を焼く実験のことが書かれてありましたが、これがそうですね。





 西むらでは火災になった建物が見つかっていますが、失火などで火事になったわけではなく、意図的に燃やした可能性が高いそうです。

 おや、これはちょっと趣きの違うお宅だ。



 西むらまで歩きましたので、博物館へ戻りましょう。





 御所野遺跡は一般的な縄文集落と同じで丘陵上にあります。

 下を見下ろすと比高差が分かりますね。



 あれが来るときに渡った吊り橋だな。



 名残惜しいですが博物館に戻り、ミュージアムショップで資料を買い求めます。

 御所野遺跡には1時間半ほどの滞在になりましたが、クラツーでご案内する場合はこれほどの時間は取れませんので時間配分を考えようと思います。

 では、次は青森県に入り八戸市の是川縄文館へ向かいますよ。 

 ⇒この続きはこちら

 ⇒8月3日に再訪した時の様子はこちら

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 クラブツーリズムにて8月と9月に御所野遺跡ほかをご案内します。



 9月の方は満席となってキャンセル待ち状態ですが、8月の方がまだお席があるようですので、興味のある方はどうぞいらしてください。

 また、9月の別日で紺野洋子先生がご案内する回もまだお席があるようですので、そちらもよろしくお願いいたします。

 ⇒クラツーの当該ページはこちら



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