昨日(6月9日)は、西新宿のクラブツーリズムにて講座を2本やらせていただきました。
午前中は、東北地方の歴史講座の第6回目として、前九年合戦と後三年合戦についてです。

13名様のご参加、ありがとうございました。
次回、7月14日(土)は、いよいよ「蝦夷(エミシ)」の話が具体的になってきます。
アテルイが滅亡した後の北東北について話しますよ。
⇒詳細はクラツーの公式ページへ
お昼はいつもの「鷹丸鮮魚店」。
大好きな刺身定食!

そして午後は、「日本神話と神社の歴史」というタイトルでお話しさせていただきました。

こちらは21名様のご参加、ありがとうございました。
このように午前と午後、毎月1本ずつやっているわけですが、通しで2本聴いてくださるお客様もいらっしゃり大変感謝しております。
午後の講座の次回は、邪馬台国時代の関東地方についてお話しします。
⇒詳細はクラツーの公式ページへ
というわけで、今日は4月13日から15日まで訪れた東北探訪の記事の続きをお伝えします。
⇒前回の記事はこちらです
角塚古墳と中半入遺跡という旧胆沢町を代表する古代遺跡を見学した後は、アテルイの故地をめぐります。
今度のツアーではアテルイやエミシもテーマの一つとなっており、お客様をご案内できるスポットを探しますよ。
条件としては、中型バスが停められる場所で、最悪、駐車場はなくても近隣の交通の妨げにならない箇所に一時的にバスを停めることができればOKです。
今回見ておく場所はあらかじめ調べてあるので、順番に訪ねて行って確認しようと思います。
おっ!
「アテルイ」を冠したお店がある!

いよいよアテルイの故郷に入ってきた感がありますね。
まず初めに、水沢区東大通り3丁目にある「北方の王者 アテルイ像」を見てみます。
ありました。
「阿弖流為の郷」とありますね。


この像は縄文中期の火焔型土器をモチーフにして造られ、高さは約6mあります。

火焔型土器は東北のものではなく、新潟のほうの土器ですが、まあ細かいことは気にしないでください。

トイレはありますが、ここは駐車場がありませんね。

近辺にも一時的にバスを停める場所は見当たらないので、当日ここにお客様を連れてくるのは難しいでしょう。
では、次の場所に行ってみます。
今度は「跡呂井(あとろい)」という、アテルイと縁の深そうな地名のついている場所です。

跡呂井文化センター。

この辺は道路を新しくした際に発掘調査が行われています。

この跡呂井という地名は、昔、東北の館跡をめぐっていた際、当時はまだアテルイには何となくしか興味がなかったのですが、それでもこの地名には何か惹かれるものがありました。
ただ、当時は跡呂井地区には来ませんでしたので、今日来ることができてとても感慨深いです。
ここには神明社があります。


境内には石碑が建っていますね。

これは何でしょう?

最近は石仏にも興味が出てきましたが、東北の石仏についてはほとんど知識がないので、何か分かりません。
大正13年に村社に昇格した際の記念碑ですね。

富主姫尊と摩迦羅尊という神様・・・

うーん、分かりません。
文政年間というと江戸の終わりのほうです。
※Webで調べたところ、摩迦羅というのは、インド神話に出てくる怪魚のことらしいです。すぐ東側に北上川が流れていますが、川の神様なんでしょうか。一方、富主姫は琵琶湖の竹生島に関連していて、こことの関連はわかりません。
新しい碑を発見。
「古代東北の英雄 アテルイ王千二百年祭碑」と刻されています。

アテルイが紀古佐美(きのこさみ)率いる朝廷軍を撃破した「巣伏の戦い」の1200周年の際に建てられました。
こちらでは3年に1度、「アテルイ歴史の里まつり」が執り行われるそうですが、この碑の前での神事が祭りのスタートとなるそうです。
祭りの日にツアーを催行できないかなあ・・・
それにしてもアテルイ「王」というのがいいですね。




まるで、今なおアテルイが行政をしている感じがしていいです。

標柱もありました。

跡呂井という地名から、このあたりでアテルイが生まれたと考えられているわけですね。
とても良い神社で、バスの駐車も何とかなりそうなので、この神明社は探訪の候補地にしようと思います。
それではさらに探索を続けますよ。
(つづく)
アテルイツアーは「歴史への旅」の最新号に掲載されています。

中段のツアーがそうですが、今度の土曜日出発分はすでに申し込みが締め切られています。
また秋にはツアーをやりたいと思っていますので、興味のある方はその折にでもどうぞご参加くださいませ。
午前中は、東北地方の歴史講座の第6回目として、前九年合戦と後三年合戦についてです。

13名様のご参加、ありがとうございました。
次回、7月14日(土)は、いよいよ「蝦夷(エミシ)」の話が具体的になってきます。
アテルイが滅亡した後の北東北について話しますよ。
⇒詳細はクラツーの公式ページへ
お昼はいつもの「鷹丸鮮魚店」。
大好きな刺身定食!

そして午後は、「日本神話と神社の歴史」というタイトルでお話しさせていただきました。

こちらは21名様のご参加、ありがとうございました。
このように午前と午後、毎月1本ずつやっているわけですが、通しで2本聴いてくださるお客様もいらっしゃり大変感謝しております。
午後の講座の次回は、邪馬台国時代の関東地方についてお話しします。
⇒詳細はクラツーの公式ページへ
というわけで、今日は4月13日から15日まで訪れた東北探訪の記事の続きをお伝えします。
* * *
⇒前回の記事はこちらです
角塚古墳と中半入遺跡という旧胆沢町を代表する古代遺跡を見学した後は、アテルイの故地をめぐります。
今度のツアーではアテルイやエミシもテーマの一つとなっており、お客様をご案内できるスポットを探しますよ。
条件としては、中型バスが停められる場所で、最悪、駐車場はなくても近隣の交通の妨げにならない箇所に一時的にバスを停めることができればOKです。
今回見ておく場所はあらかじめ調べてあるので、順番に訪ねて行って確認しようと思います。
おっ!
「アテルイ」を冠したお店がある!

いよいよアテルイの故郷に入ってきた感がありますね。
まず初めに、水沢区東大通り3丁目にある「北方の王者 アテルイ像」を見てみます。
ありました。
「阿弖流為の郷」とありますね。


この像は縄文中期の火焔型土器をモチーフにして造られ、高さは約6mあります。

火焔型土器は東北のものではなく、新潟のほうの土器ですが、まあ細かいことは気にしないでください。

トイレはありますが、ここは駐車場がありませんね。

近辺にも一時的にバスを停める場所は見当たらないので、当日ここにお客様を連れてくるのは難しいでしょう。
では、次の場所に行ってみます。
今度は「跡呂井(あとろい)」という、アテルイと縁の深そうな地名のついている場所です。

跡呂井文化センター。

この辺は道路を新しくした際に発掘調査が行われています。

この跡呂井という地名は、昔、東北の館跡をめぐっていた際、当時はまだアテルイには何となくしか興味がなかったのですが、それでもこの地名には何か惹かれるものがありました。
ただ、当時は跡呂井地区には来ませんでしたので、今日来ることができてとても感慨深いです。
ここには神明社があります。


境内には石碑が建っていますね。

これは何でしょう?

最近は石仏にも興味が出てきましたが、東北の石仏についてはほとんど知識がないので、何か分かりません。
大正13年に村社に昇格した際の記念碑ですね。

富主姫尊と摩迦羅尊という神様・・・

うーん、分かりません。
文政年間というと江戸の終わりのほうです。
※Webで調べたところ、摩迦羅というのは、インド神話に出てくる怪魚のことらしいです。すぐ東側に北上川が流れていますが、川の神様なんでしょうか。一方、富主姫は琵琶湖の竹生島に関連していて、こことの関連はわかりません。
新しい碑を発見。
「古代東北の英雄 アテルイ王千二百年祭碑」と刻されています。

アテルイが紀古佐美(きのこさみ)率いる朝廷軍を撃破した「巣伏の戦い」の1200周年の際に建てられました。
こちらでは3年に1度、「アテルイ歴史の里まつり」が執り行われるそうですが、この碑の前での神事が祭りのスタートとなるそうです。
祭りの日にツアーを催行できないかなあ・・・
それにしてもアテルイ「王」というのがいいですね。




まるで、今なおアテルイが行政をしている感じがしていいです。

標柱もありました。

跡呂井という地名から、このあたりでアテルイが生まれたと考えられているわけですね。
とても良い神社で、バスの駐車も何とかなりそうなので、この神明社は探訪の候補地にしようと思います。
それではさらに探索を続けますよ。
(つづく)
* * *
アテルイツアーは「歴史への旅」の最新号に掲載されています。

中段のツアーがそうですが、今度の土曜日出発分はすでに申し込みが締め切られています。
また秋にはツアーをやりたいと思っていますので、興味のある方はその折にでもどうぞご参加くださいませ。