日本史大戦略 Side-B 附 東国を歩く会 ~関東・東北の古代・中世史探訪~

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八王子古道散策<八王子駅~北野駅間:小野路道>

2015-10-25 17:39:09 | 歴史探訪
 昨日はデイブームが八王子だったことをお伝えしましたが、今日はちょうど八王子の現場で、昼までには終わる予定で、しかも直行直帰だったので昨日の夜から資料の準備をして現場に行き、掃除が終わった後、同僚と大和家でラーメンを食べて12時過ぎくらいから八王子探訪を開始しました。

 八王子の市街地は仕事でもプライヴェートでもしょっちゅう歩きますが、意外とカメラには収めていないので、今日はいつも見ている風景を撮りながら歩いたわけです。

 なお、今回は説明はかなり大雑把に行きますよ。

 いつも見ている福傳寺では、お祭りをやっているようでした。



 そうか、今日はハロウィンですね。

 仮装して歩いている女の子や若いお母さんたちが沢山います。

 「八王子駅入口東」交差点。



 江戸期の甲州街道は、写真右手の新町(八王子横山十五宿の一つ)からやってきて、ここで直角に90度曲がり、写真左手方向(西側)に進みます。

 そしてここから西側が、十五宿の一つ横山宿で、十五宿の一番中心となる宿です。

 この場所には江戸時代には木戸があって出入りを監視しており、木戸の向こうは小名「四日場」で、往時は毎月4日に市場が立っていました。

 やや、角度を変えます。



 鳥居が見えますが、あれは市守神社で、文字通り市場の神様ですね。

 しばらく江戸期のメインストリート、現在の国道20号線(甲州街道)を西に進みます。



 あ、年に2回床清掃に行く薬局の近くです。

 煮干しラーメンで有名な「圓」もこの近くです。

 この通りも昭和の時代までは結構栄えていたらしいですが、全国の地方都市と一緒で、郊外型の大型スーパーができた関係で車を持っている人はみんなそっちに買物に行ってしまい、駅前は寂しい感じになってきています。

 「横山町」交差点まで来ました。

 北側の大義寺方面に向かう道に少し入ってから交差点を振り返ります。



 江戸期はもとより、それ以前の戦国時代に川越方面に向かう道であった「古川越道」は、だいたいこの交差点が起点で写真手前の方向に向かって伸びています。

 その方向(北側)へ向かうと、延元元年(1336)開山の龍華山大義寺があります。



 立派な本堂ですね。

 先ほどの道は大義寺の西側を通っているのですが、北進すると多摩川を越えて昭島市に入ります。



 大義寺は新義真言宗のお寺ですが、古川越道を北上して国道16号線を渡ったところには同派の龍光寺があり、さらに平の渡しで多摩川を渡り、昭島市に入り少し東へ向かうと、昭島市内でも屈指の古寺である同派の阿弥陀寺があり、中世の頃、真言宗が古川越道を伝って教線を拡大して行った形跡がありありと見えてきます。



 この大義寺の西南の交差点は、東西方向には八王子道という道が西の方向に伸びているので、まさしく大義寺は交通の要衝に位置し、創建年代からして横山村の草分け的な存在だったと思います。

 ちなみに、大義寺の場所は、十五宿の横山宿の範囲に入っておらず、江戸期には元横山村で、現在は元横山町です。

 古川越道を横山宿方面に戻ると、道が少しばかり鉤の手になっているのが気になります。



 でも近代になって道路を拡幅した時にたまたまこうなってしまったのかも知れませんね。

 次に八幡八雲神社に来ました。



 社殿は八幡神社と八雲神社が合体しています。



 境内には横山神社もあります。



 八幡八雲神社については、「日本史大戦略」に少し説明がありますのでご覧ください。

 裏の駐車場からは本殿が見えますね。



 歩いていると、以前床清掃に来たパン屋さんの前に来ました。

 結構繁盛しているようで良かったです。

 「八日町」交差点に来ました。



 私は写真右手(北)から歩いてきたのですが、奥方向(西)にはずっと宿が続いていて、ここまでが横山宿で、この先は八日市宿です。

 横山宿では、毎月4・14・24日に市が立ったのですが、八日市宿では8の日に市が立ちました。

 なお、この場所は札辻と呼ばれていました。

 上の写真の手前方向(東)を見てみましょう。



 この付近には、24日に市が立ったので「二十四日場」という小名が付いています。

 東方向に少し歩くと、「横山町郵便局」交差点に来ました。



 写真奥の方にりそな銀行の看板が見えますが、そこが先ほど歩いてきた「横山町」交差点で、そこを左折すると古川越道が始まり大義寺の西側を通過します。

 一方この交差点を右折すると、少し「野猿街道」という看板も見えていますが、小田原(相州)道と呼ばれ、その名の通り戦国期には後北条氏の本拠地であった小田原城に向かう道でした。

 では、野猿街道に入ります。



 ここからは駅北口の中でもちょっとディープなゾーンに入り、夜はとてもじゃないですがカメラなんかぶらさげて歩けません。



 一時は都内で歌舞伎町の次とまで言われた繁華街で、江戸期には馬乗宿と呼ばれていました。

 そんな名残の看板が。



 「三崎町」交差点を渡り、振り返るとタイ料理屋さんがあります。



 元奥さんがこのお店が結構好きで、私も元奥さんにはエスニック料理をかなり仕込まれており、ここにも一緒に行ったことがありましたが美味しかったです。

 店内にファンモンのサイン色紙が飾ってありましたが、実は市内の至る所の飲食店で当該色紙は検出できます。

 あ、昼間でもヤバそうな人がいる・・・

 絶対に見てはいけませんよ。

 ちなみに永禄4年(1561)に、越後のGACKT上杉謙信が小田原城を攻める際にこの道を通過しているはずです。

 もちろん、謙信を見かけても目を合わせてはいけませんよ。

 前方に登り坂が見えてきました。



 でもこれは地形がそうなっているのではなく、中央線の上を越えるので橋になっているのです。

 あ、ちょうど特急が来ました。

 私がカメラを構える横では、若いパパにだっこされた小さな男の子が電車に手を振っています。



 個人的には電車本体から機械の手が出てきて、手を振っている子供に向けて手を振り返す装置を電車に付けて欲しいと思いますが、JRさん、どうかご検討ください。

 跨線橋を渡った交差点では、直進すればそのまま相州道で、左折すれば「小野路道」になります。



 この先、野猿街道は「小野路道」とほぼかぶっているのですが、そもそも「小野路道」って変な名前ですね。

 「小野路」だけで小野に向かう道という意味で完結しているのに、それにさらに「道」をつけている。

 まあ、それとは別に「野猿街道(やえんかいどう)」も変な名前。
 
 「野猿峠」を越えていく道なのです。

 野猿峠の名前の由来は・・・おっと道を急ぎます。

 この交差点付近は行政の境界が入り組んでいて、ちょっとだけ寄り道して西に行き、十五宿の一つ・寺町に入ります。

 長心寺。



 心源院の末寺ですが、心源院は武田信玄の娘・松姫が出家をしたことで有名です。

 長心寺は寺町ですが、道路を挟んで反対側は新横山村です。

 さっきの交差点に戻ります。



 おっと、多摩地域で一番の高層建築である、サザンスカイタワーが見えますね。

 地上41階建てですが、多摩地域内のどこかにもっと高いマンションができるみたいです。

 では、「小野路道」に入ります。

 でもこの先は駅南口の再開発で古道の形跡はまったくないのです。

 したがって少し迂回します。

 ここで飲みたい。



 八王子駅南口。



 この近くの薬局にも床清掃に来たことがあります。

 そして古道復活!



 左側が古道です。

 大通りに出ました。



 右に見える道が古道です。



 お、「小野路橋」だ!



 こういう所にさりげなく昔の名前を使っているのは嬉しいですね。

 Y字路。



 右が小野路道です。



 「子安町五差路」交差点の手前に出ました。



 正面に見えるのが古道です。



 道路左側(北側)が一段低くなっていますね。

 山田川の河岸段丘のようです。



 おっと、「カフェーろくまんぼう」!



 ろくまんぼう(六万坊)は、また後で出てきます。

 「子安街かど緑地」。



 都会はこれだけのスペースでも立派に緑地宣言しちゃうのです。

 さて、今まで八王子駅南口からずっと野猿街道の一本北側の小道を歩いてきたのですが、ここで一旦小野路道を離れて、ちょっと見に行きたい場所があるので行ってみます。



 影になっていて見づらいですが、正面に細い道が続いています。

 この道は、往時の子安村と北野村の境界であり、現在は子安町と北野町の境界の道です。

 いえーい、マージナル!

 それでは、村界を行きます!



 細くて良いねえ。



 車は無理。

 おっと、ちょっと開けた。



 ここがまた面白ポイントで、北の方を見ると広い道路が続いています。



 しかしこの道路はここで切れていてるのですが、広い道は子安村域までで北野村域には道が延びていないのです。

 上の上の写真の左側の細い道を行きます。



 村界楽しい!



 すでにこの手前までも車は入ってこれないんですが・・・

 また二股。



 右手は広いですが、先ほどと一緒で子安村の広い道は北野村まで続いていません。

 ※この「村界」については、こちらに訂正があります。

 おっと、正面が高台になっている。



 子安台ですね。

 あの上に行ってみたいのです。

 結構急な坂を登ります。



 ここは比高20メートルくらいの崖かな?



 公園内には池もありますね。



 登り切って振り返ります。



 良い景色ですね。

 そしてこの先の何の変哲もない住宅街が・・・



 実は、中世の城館跡なのです!

 「子安台遺跡」と呼ばれているのですが、元々地元では砦があったという伝承があり、掘ってみたら城館跡の遺構が検出されたのです。

 場所的には南西側の谷地の対岸に片倉城があるので、片倉城と何か関連がありそうです。

 これに関しては今後検討して行こうと思います。

 この公園で一休み。



 「北野こだち公園」は子安台の東側崖面を利用して作られた公園で、ここから子安台の下に行けます。

 おっと、京王線!



 東側に見える森は八坂神社の社叢で、この台地下は「七日市場」という小名が付いています。



 七日市場をプラプラしてみましょう。

 八坂神社。



 おそらく、戦国時代には先ほどの城館にともなって城下には市場が展開しており、八坂神社が市神だったと私は考えています。

 神社の前から城館跡を見上げます。



 城っぽく見えるかな?

 さて、ここからは小名七日市場に大昔からあったであろう古道に向かいます。



 何か、この辺りの雰囲気って凄く懐かしい気がする。

 七日市場の幹線道路に出ましたが、ちょっと寄り道して小野路道とは反対方向に向かいます。



 あの京王線のガードがある辺りは、打越村(現在の打越町)です。

 あ、それだけです。

 では、七日市場の幹線道路を小野路道へ向けて進みます。



 この道は明治の地形図にもきちんと書かれています。



 野猿街道に出てきました。



 ここには、先ほどもチラッと言った「六万坊」というバス停があります。



 非常に仏教ティックな名前ですが、今のところまだ正体を突き止めることはできていません。

 古道は野猿街道の北側を走っています。

 おっと、お地蔵さん。



 横浜線と京王線の踏切を渡ります。



 直線になった。



 そしてまた、野猿街道に合流。



 振り返ります。



 ここからは古道は途切れているので、適当に歩いて北野天満の近くに来ました。

 おっと、この道路脇の一画は何だろう?



 何か石仏が並んでいる。



 立派な木の下に祠がありますが、何の神様か分かりません。



 気になりますが、北野天満の境内に入りましょう。



 塩竈神社と同じ境内。

 同じような社殿が2つ並んでいます。



 そもそもなぜここに塩竈神社があるのかも興味深いですね。

 裏に回ると北野天満の本殿が見えます。



 こうやって覆屋を屋根だけにしてもらえると、本殿の建物が見えて良いですね。

 北野天満宮の創建は不明ですが、神木は相当な高さです。



 写真だと良く分からないと思いますが、いろいろな角度から撮影を試みたものの、奥の方の神木を一つの画面の中に収めることはできませんでした。

 ちなみに境内には、「市史跡北野石器時代住居跡」があり、説明板によるとここから南に100メートルほど行ったところで縄文後期の柄鏡形敷石住居跡が見つかりました。

 それをここに移築したのがこちらです。



 でも一部の移築ができず、このように張り出し部分(柄鏡の柄の部分)のない、あまり良く分からないものになってしまったようです。

 柄鏡形敷石住居については、「日本史大戦略」の椚田遺跡のページをご覧ください。

 それでは北野天満宮を出ます。



 有料道路である八王子バイパスも、いよいよ今月の31日に無料化されますね。

 といっても仕事ではほとんど使わないと思います。

 そして北野駅に到着!



 ここまで2時間20分歩きました。

 これくらいの軽い散歩は食後の腹ごなしにはちょうど良いです。

 しかし、仕事の日であってもこうやって午後を趣味に使えると、普通に休んだ感があって良いですね。
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